■ 43 ■ お祖父様とのお茶会 Ⅰ
「よく来てくれたねアーチェ」
「お初にお目にかかりますエストラティ伯爵、アンティマスク伯爵グリシアスが長女、アーチェ・アンティマスクです。以後お見知りおきの程よろしくお願いします」
エストラティ伯爵家冬の館の談話室は、同じ伯爵家だからだろうか。
調度品や内装の格がだいたいうちと同じぐらいでお姉様の家よりどこか心が落ち着くのはありがたいわね。
はてさて、優雅にカーテシーをした先にいる初老の紳士がお母様の父上、つまり私の祖父であるラウム・エストラティ伯か。
金色の髪には既に白髪が多く交じっていて、それでも灰色の髪の私とは似ても似つかないけど――瞳の色は確かに私と同じ牡丹色だ。
「お堅い口調での会話は止めにしないかい、アーチェ。私たちは肉親なのだからね」
豊かな口髭を揺らして微笑みかけてくるエストラティ伯は――他意は無さそうね。
普通に孫とお茶会したいだけ、と思っていいのかも。
「はい、ではお祖父様とお呼びしてもよろしいでしょうか」
「勿論だとも。さ、掛けたまえ。先ずはお茶にしようじゃないか」
一人掛けのソファに腰を下ろすと、お祖父様の侍従が紅茶とケーキを運んできてくれる。
ふむ。香りからして茶葉はラヴァね。ケーキは――おぉ、ベリーのクリームを挟んだチョコケーキとは。お祖父様ったら随分とお金かけて準備してくれたのね。
「この日のためにシェフには腕に縒りをかけさせたのでね。是非忌憚ない感想を聞かせてくれないか」
「お祖父様のお心遣いに深く感謝いたしますわ」
挨拶もそこそこにケーキへとフォークを入れる。多少非礼ではあるけれど、子供の振る舞いなんてこのくらいでいいはずよ多分。
食欲に負けたわけではないからね、ただ単にお祖父様の好意をあるがままに受け入れただけの事よ。
んー。甘さ控えめでしっとりカカオを利かせた生地に酸味と甘みのあるクリームがピッタリ。
お祖父様が自慢そうに言うだけのことはあるわ。お姉様の家のケーキと比較して勝るとも劣らない――いえ、若干勝ってるわね。
その分紅茶は調香もされてないごくベーシックなラヴァだけど……手抜きという味わいじゃない。
このケーキには基本のラヴァが一番しっくりくるってことね。直球勝負って奴かしら。
「どうやら気に入って貰えたようだね」
ニッコリと笑うお祖父様に、私もまた嘘偽りない笑顔を返せるのは幸せなことだよ。
「はい。今まで食べた中でも一番美味しいものかと」
「それはよかった。お気に召したようで私としても嬉しいよ」
こういう祖父と孫の語らいに回りくどい表現は要るまいよ。
なーんて考えている時点で純粋な祖父と孫の会話にはならないけどね。まあそれでもお父様のお茶会とは雲泥の差だわ。
あのヤローのお茶会は圧迫面接だからな。まぁ私も慣れたもので最近はなんとも思わなくなってきたけどさ。
「お祖父様、もしよろしければメイにも食べさせてあげたいのですが」
「ハハハ、可愛い孫にそんな声でねだられては横紙破りと非難はできんな。メイ、直答を許す。君も座りたまえ。ああ形式的な遠慮は不要だよ」
伯爵からそうお声かけられれば、本来一度は断るのがマナーだけど、
「……は、それでは失礼いたします」
大人しくメイも私の隣に腰を下ろし、やがてメイの前にもお茶とケーキが運ばれてくる。
「君も元気そうで何よりだ。アーチェ、メイとは仲良くやっているかい?」
「はい、お祖父様。私にとっては姉のような大事な存在ですわ。お母様にメイを付けてくれて本当にありがとうございます」
ニコリと笑うと、お祖父様が喜ばしげな中に少しだけ陰を引きずったような――あ、ちょっとまずったわね。
私にとってはお母様は最初からいない存在だったけど、お祖父様やメイにとってはお母様は失われた、あるいは奪われた存在だったんだもの。
話題にするにはもう少し注意を払うべきだったわ。柔らかな空気のせいで私も油断してたみたいね、大失敗よ。
「そうか。二人が仲良くやれているなら何よりだよ」
ただそこは空気に気づいたお祖父様がフォローを入れてくれるの、やっぱりお母様の父親ね。
優しい人だわ、お父様と違って。
「本当はもう少し早くアーチェに会いたかったのだが……その聡明な面持ちを見る限り勉強漬けだった意味はあったようだね」
あー、それね。お父様が私の代わりに『勉強で忙しくて会えません』って勝手に返してたやつー。
「その件に関してはなんと非礼をお詫び申し上げればよいやら」
「ハハハ、よいよい。グリシャが勝手に返答してたのだろう? これまでの文と今回の返事では筆跡が明らかに違ったからな」
まあこれはね。私もお父様もお祖父様も真相は理解している上での会話ってやつだね。
その程度のことは考えなくても分かるもん。七歳児が『勉強が忙しくて会えません』なんて返すか、って話しだし。
「お父様は私がお祖父様に取り込まれるのが嫌だったのでしょうね。お父様とお祖父様ならお祖父様を好きになるに決まってますもの」
「嬉しいことを言ってくれるじゃないか」
小さい女の子なんて甘いお菓子とやさしい対応でイチコロだもの。
お父様としては別に深い理由があるわけじゃなく、私がそんなお馬鹿な子供から脱却するまで待ってた、ってのが多分妥当な線かな。
「しかし、『淑女嫌いのアンティマスク』は相変らずか。有能な男であるのは間違いないのだがねぇ」
どこか困ったように笑うお祖父様は――ふむ、今何か考えたわね。
私に気づくように表情を変えた、聞きたいことがあるけどこの空気を壊していいかどうか迷ってるのかね。
然らばさっき気を使って貰ったし、今度はこっちが気を使う番かな。
紅茶を一口啜って僅かに表情を引き締めると、お祖父様も気がついたようで私と同程度に真面目な表情を形作る。
「ところで、アーチェは知っているか分からないが、ちょっとした噂を耳にしてね」
「噂、ですか?」
「エミネンシア侯爵領で労働力として獣人を募っているとか、アーチェは聞いたことがあるかい?」
おお、もうお祖父様の耳にまで届いたか。まあ中々に油断できない話だもんなぁ。
うちは東回りルートの要所で、お祖父様のエストラティ伯爵領は西回りルートの要所だ。この国は東が海に面している地形上、輸入品や海産物は東回りルートで運ばれることが多い。
無論、全ての輸入品が王都に向かうわけじゃないから、西回りでも荷物は運ばれるけどね。
聞いたことがあるか、とは言っても私がミスティ派であることぐらいはお祖父様も当然ご存じであろう。
軽い探りという奴だろうけど、はっはっは、何せ私は全貌を知っているのでね。よろしい、全てお答えしましょう。
「ええ。どうやら獣人を交易船の水夫に使おう、というお考えのようです。ルイセント王子の発案ですわ」
「なん――と」
私がそこまで言うとは思わなかったのだろう。軽くお祖父様が固まってしまったものの、一瞬で思考を立て直したようだ。
なるほどなー。幾ら孫を相手にしていたからとは言え若干隙を見せる辺り、お父様の方が貴族としてやり手なのは間違いないみたいね。
まああいつぁ娘を娘とも思ってないような奴だから私としてはお祖父様の方が好ましいけどね。
全ての貴族がお父様みたいな奴だったら反吐が出ましてよってヤツですわ。
「獣人を水夫に? 随分と思いきったものだが……何故今更?」
「王都の獣人が増えすぎている、というのが最大の理由ですね。獣人の分散労働先を増やさねばならない、と殿下は仰いました」
最大、というよりは表向きの理由だけどね。
裏の理由はまだ言えないさ。この頭のおかしな計画の全貌を知っているのは私とメイ、ダートにジョイス、アイズ、ケイルの六人だけだ。
お姉様やルイセント、モブBには私たちの真の狙いはまだ伏せている。万が一情報が漏れて先手を打たれると困るからね。
「お祖父様もご存じの通り、水夫は危険が伴う体力仕事。当然賃金も弾まねばなりませんが――獣人の難民ならば安く使えます」
外道な話だけど、獣人の難民の扱いというのはかなり軽い。ぶっちゃけ最低賃金で働くバイト以下、奴隷以上という程度の扱いだ。
ギリギリ人権が維持された単純な労働力としてしか計算はされておらず、その日暮らしが精一杯で貯蓄とかは夢のまた夢。そして成人になったらワルトラントへ送り返すという外道仕様。
その外道仕様の中に今回水夫という仕事が足された、というだけの話だ。
「それにもう一つの利点として海の上には土地がない、ということが挙げられます」
「ああ。獣人の住まう土地はワルトラントの土地である、という建前が通用しないわけか」
そう。水夫は常に船上の人。海洋上を走り回っているからね。
ワルトラントお得意の論法も土地のない場所に獣人が居るんじゃ通用しないってワケ。
唯一心配になるのは劣悪な労働環境に伴う獣人による反乱、商船の乗っ取りだけど――船を乗っ取ったところで獣人にできることは何もない。
確かに反乱を起こされれば積荷一回分の航海は無駄になるけどね。行く当てなどない獣人には「ついカッとなって」謀反を起こしてもその先に続かない。
それに幾多の航海を重ねた獣人が船の扱いに熟達してくる頃には成人が近くなっている。そういう理由で船から降ろし本国へ返してしまえば乗っ取りは阻止できるしね。
獣人だけでは大海にこぎ出せるだけの技術を与えないよう、ちゃんと人間の水夫も維持しつつ獣人だけを順次入替えていけば、安い労働力として獣人を使うことができる。
アルヴィオス王国として損をすることは何一つないというわけだ。
そういう理由を説明していくと、納得ながらも少しだけお祖父様が渋い顔になる。
「つまりエミネンシア領の輸入品は今後値下げができる、ということか。それはあまり嬉しくはないな」
それね。お祖父様は西回りルートだし。今のところエミネンシア候は私とお姉様の関係もあって東回りルート寄りだし。
西回りルートは別の貴族の領地にある港が懇意にしているわけで、そうするとお祖父様としては面白くないだろう。
「はい、ですのでお祖父様も懇意の港に獣人の雇用を打診してみては如何ですか? 王都から獣人が減れば王家も喜ぶと思いますし、輸入品の値下げにも繋がります」
「……成程な」
どうやらお祖父様も私の狙いに気づいたようだ。
獣人の水夫としての雇用は第二王子ルイセントからの発案、提案となっている。
これがアルヴィオス王国に
私がお祖父様に全て開けっぴろげに説明した理由もこれで理解して貰えるってわけさ。
お祖父様もさっさと参画してくれればそれだけルイセントに貢献できるからね。つまりは第一王子ヴィンセントへの牽制になるわけよ。
「なんだかんだでアーチェもあのグリシアスの娘なのだな。上手い手を考えたものだ」
「お祖父様、発案はルイセント殿下でしてよ?」
「おっと、そうだったな。いや失敬、聞かなかったことにしてくれると嬉しい」
お互い苦笑いを浮かべるけど、はてさて。お祖父様は私が発案だって気がついたみたいだけど世の貴族はどうなのかね?
少なくともこれでエミネンシア領の経済に好影響が出てくるわけだし、ルイセントじゃなければお姉様の発案……とはならないか。
まだお姉様の対外的な評価は『ウィンティの足元にも及ばない、顔以外取り柄がないハズれの闇属性』だろうし。それに反してウチのお父様はやり手で名が通ってるし。
その七光りで私も優秀だって思われてる可能性もある、のか? 皆が私の発案だと考えるのはノーサンキューだなぁ。
とは言え走り出してしまった以上、もう後には退けないわけで。なるようにしかならないさぁ。
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