■ En1 ■ 閑話:グリシアス Ⅱ
「このままお嬢様とアイズ様を接近させてよろしいのですか?」
グリシアスの背後からジェンドが警告するでもなく不安がるでもなく、ただ純粋な疑問を述べる。
当初の予定ではアイズを手懐けるのはグリシアスが行なう手はずになっていた。
イナードヴァン家で酷い扱いを受けていたアイズである。丁寧かつ寛大にその人格を尊重して大事に扱えば子供とて恩義ぐらいは感じるだろう。
その上で貴族としての教育を施せば己の命令を否定することはない、とグリシアスは考えていて、それは半ばまでは成功している。
実際アイズも侍従に関しては難色を示したが、それ以外の点ではグリシアスに従順な態度を示している。
多少なりとも自分に対して感謝を懐いている部分もあると、自惚れ無しにグリシアスは分析していたが――
「今現在アイズ様が最も親愛と恩義を感じているのはアーチェお嬢様でありましょう。当初の目論見から外れてきておりますが」
そう。グリシアスに向けられるそれより、アーチェに向けられる感情の方が現状ではよっぽど強く重くなっている。
アーチェはただ優しくしているだけで、実際にアイズを死の際から救い出したのはグリシアスなのだが――それを七歳の庶民に分かれというのは無理な話だ。
しかしアーチェ自身がグリシアスに従順だからこそ現時点ではなにも問題は生じていない。
だがあれではいずれアイズはグリシアスの言うことよりアーチェの言を尊重しかねない。
加えて、
「貴女が今感じている
愚かにもあの娘は、
魔術師として敵を討つなら、人の命など秤にかけない者の方が向いているに決まっている。
せっかく優れた殲滅魔術師としての才を持つアイズに、そうしてはいけないなんて説教するなど宝石に傷を付けるようなものであるが、
「所詮はあのマーシャの娘だからな」
愛だの優しさだのといった不合理な感情に支配されていた妻。あのあまりにも愚かな女の血をやはりアーチェもまた継いでいるということだろう。
できればあの女の影響など消し去ってしまいたいと思う一方で、それがアイズを手懐けるのに一役買ったと考えるのは忸怩たる思いもするものの、
「まぁ問題あるまい。要はこのアンティマスク家の中にアイズが拠り所とするものがあればいいだけの話だからな」
珈琲の香ばしい苦み、ふくよかさで口腔を充たした後、グリシアスはそう結論づける。
最終的に拠り所がここに在るならば、アイズはアンティマスク家のために働くだろう。
拠り所が己であれば最良ではあった。が、グリシアスにはそれを成し遂げられなかったし、何よりグリシアスとて全てが一切の瑕疵もなく思うままになると夢想するような子供ではない。
次善であれ、今現在は状況に満足しておくべきだ。全てに完璧を期待するなど傲慢にも程がある。
「しかし、お嬢様がマーシャ様のように振る舞っては些か面倒なのでは?」
アーチェはアンティマスク家の所属ではあるが、アンティマスク家そのものではない。
アーチェが否と言えばアイズもまた否となる可能性は決して否めないが、
「アイズの拠り所がアーチェだというなら、アーチェを人質に取ればよいだけのことだ」
事もなさげに放たれたその一言に、後ろめたいことなど何一つ無い忠臣である筈のジェンドも肝を冷やした。
相変らずこのグリシアス・アンティマスクという男は人の情などといったものが微塵も存在しないのだと、改めて思い知らされる。
確かにアーチェ・アンティマスクは弓がなければ魔術も使えない小娘で、人質としては極めて扱いやすい素材だ。
無能な悪党のように「言うことを聞かなければ姉の命はない」などという安い脅しをすれば一度の命令の後に全てが破綻するだろう。
だが「姉の幸せのため」という形で誘導すれば良好な関係は維持できるし、その手の策略ならばグリシアスも苦手ではない。
改めて主の周到さに舌を巻いたジェンドは主の背後にいるにも拘わらず恭しく頭を垂れた。
「愚問でした。お許し下さい」
「構わん。側近の口を塞ぐのは没落の第一歩だからな。以後も宜しく頼む」
「は」
だが、とジェンドは内心で思う。
グリシアスはあれが
僅か七歳にしてあの思考力、落ち着き、脚の一本をも交渉材料の一部に組み込める冷徹さは流石グリシアスの血を引く娘とジェンドも舌を巻く程だ。
あの年であの才。下手をすればあの娘、グリシアスをも越える怪物に成長する可能性がある。それはグリシアスも多少は理解していようが――
僅かに迷った挙げ句、結局ジェンドは口を閉ざした。
グリシアスとて人の子だ。娘に負けるかもしれませんよ、なんて言われて楽しいはずもない。
ましてや非合理な女と唾棄している妻の血を半分引いた娘が己を上回るなど――考えたくもないだろうから。
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