■ EX2 ■ 閑話:アイズ・アンティマスク Ⅱ




「はいはい諦めますよ。本当はお父様に貴方が侍従を持つよう説得なさい、って言われたの」


 姉が、己に接近してくる。

 父の命令で、父ほどではないにせよ黒々としたタールのような姉が、侍従を付けろと迫ってくる。


 どうして理解して貰えないのだろう。

 そんなにお前たちは人の命を軽んじたいのかと、そう叫びたくなるアイズを余所に姉が茶葉当て勝負を挑んできて。

 悔しながらも、アイズの知識では姉に太刀打ちはおろか歯牙にすらかかれない。

 その上で、


「貴族社会において黙し黙ることは相手の主張を全面的に認めるということでしかないの。分かるかしら? 貴方は貴方が望む自分の姿を自分自身で主張する義務があるの。それを怠っている限り貴方に味方は増えないのよ」


 そう指摘されて、しかしギリギリ激発を踏みとどまれたのは「姉にも母がいない」ことにかろうじて気がつけたからだ。

 お前なんかに何が分かる、と言うのは容易いが、その姉はアイズよりもっと早くに母を失ってここまで育ってきたのだと、アンティマスク家の情報を渡されたアイズはもう知っている。


 アイズの冷静な部分がそれを殊更に指摘してくるおかげで、アイズは口を噤まざるを得ない。

 けどそれも、


「それでも私たちは今は家族だし、私と貴方は仲良く」「これが、お前たちが家族であるものか!」


 私たちは家族だ、と言われた瞬間に全てが夢幻の泡影とばかりに一切の我慢が砕け散った。

 意図せずして冷気が迸り、姉を語る影の右脚に纏わり付いて。

 ああ、もうこれでここでの生活も終わりだ、とアイズは諦めたものの、


「さて、どこから話を聞くべきなのかしら――ああ、ここからなのね。厄介な……貴方、生きていたい? 死にたくない?」


 そう冷静に返されて、初めてアイズは姉を名乗るアーチェ・アンティマスクを意識してしまった。


「そう。アイズ、貴方。私が『悪人』だって分かるのね」


 畳みかけられる発言が、容赦なくアイズの心を蝕んでいく。

 なぜ、それが分かる。なぜ、それを信じられる。お前だって真っ黒なくせに、どうして。


 どうして。

 どうして。

 その単語ばかりが延々と胸中でリフレインされて、それ以上の言葉が続かない。

 だというのに、


「っはー、そういうことかぁ。なるほど、私にも少し貴方が理解できたわ」

「な、何を……理解なんて……」

「んー、多分貴方には人間が見えてなくて、多分人間の心しか見えてないってことかな」


 このアーチェ・アンティマスクは片時とて止まらない。

 アイズに休む暇を与えず、アイズのことを解析してくる。

 その思考の突飛さ、鋭さ、あり得ないことをあり得ないと一蹴しない見識の広さに、アイズはもう反撃の糸口すら掴めない。


 理解された。

 理解されてしまった。

 よりにもよって、こんな黒々とした悪である筈の少女に!


「私がそう思ってるって、そう私貴方に言ったかしら? 私は全く覚えがないのだけど」

「あんた、家族の在り方について一家言あるみたいだし。そんなあんたが仇を討つためとはいえ、見えてるなら家族の遺体は巻き込まないでしょ」

「その後遺症から悪人に相対した状態で激高すると反射的に攻撃しちゃうってわけね。まぁ男爵様も聞く限り善人ではなかったみたいだし」


 一言一言が、容赦なくアイズの内心を暴き立てていく。

 理解されるはずがないと思っていたこの目、己の行動原理が、一手で三手を崩すほどの勢いで丸裸にされていく。

 この少女、下手をしたら取り調べを担当した騎士よりも、もしくは三人目の父よりも遥かに聡明――違う。この少女は、アイズを自分から理解しようと努力しているからこその理解の早さか。


「で、相互理解も進んだし最初の質問に戻りましょ? 貴方、そんななら生きてるの辛いでしょ。それでも生きていたい? まだ死にたくない?」


 その一言でアイズの氷れる時は氷解してしまった。

 再びアイズはあの時に氷らせたはずの、自分自身の時と向き合わねばならなくなってしまった。


 父も母も姉も死んだ。

 自分が留守にしていた間に殺されてしまった。

 目の前にはあの時の強盗の代わりに、真っ黒な汚泥のような何かがいる。

 それが生きていたいかと聞いてくる。


 それがまるで、あの時生きろといった母の声音を、何故か彷彿とさせて。

 だから、


「……死にたく、ない。死んじゃ駄目なんだ」


 アイズにはそうとしか言いようがなかった。あの時母が生きてくれと願ったから、今もアイズは生きている。

 そして生き延びたからこそ、生きて、幸せにならねばならない。

 そうでなければ何故母が死んだのか、それを自分で許せなくなるから。




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