■ EX1 ■ 閑話:アイズ Ⅱ
アイズにとって最大の不幸は自分の暮らす村が、要するにアイズの父が徴税人を勤める村が豊かであったというその一言に尽きる。
なにせ徴税人が汚職に手を染めていない、ということは住人が余分な税を取られないということに尽きるわけで。
他の村の徴税人たちが私腹を肥やせば肥やすほど、相対的にアイズの暮らす村は豊かになった。
あくまで相対的には、であって村の収穫が増えているわけではないのだが、それでもアイズたちの村は周囲より余裕を持って暮らすことができたのだ。
だから。
だからもし、アイズの父が他の徴税人と同様に汚職に手を染めていたら、その未来は訪れなかった可能性は――誰にも否定しようがなかった。
「ただいまー」
アイズがもうそろそろ七歳になろうかという頃の、ある夏の日。
昼食を終え、後ろから投げかけられる勉強を促す声を振り切って森へと逃走。
友人たちと木登りや犬追いなどに時間を費やして、物のあいろが見えなくなり始めた黄昏時に自宅へと戻ってきたアイズを出迎えたのは、
「逃げなさいアイズ!」
やはり母の怒鳴り声で、しかしその声音はいつもにもまして恐ろしい。
思わず身をすくめてしまったアイズの前にあるのは、
「おい、何か見つかったか?」
「なにもねえ! どうなってんだよ!」
「何もないわけねぇだろ! これだけ余裕のある村の徴税人だぞ!? 金が有り余ってるに決まってるだろうが」
誰とも分からない、見たこともない身形の汚い男が三人と、
「おッ、ツイてるな。言うこと聞かせられる餌がもう一匹いやがった」
「だからガキを殺すなって俺は言っただろうが」
「うるせぇ! もう一匹いたんだからいいじゃねぇか!」
恐らくは何度も殴られたのだろう。顔を赤黒く変色させた母と、男たちの足元で赤い水溜まりの上に転がっている二つの亡骸。
「おう坊主、こっちこいや。さもねぇとお母ちゃんまで死んじまうぞぉ!?」
鉞を手に下品な笑顔を浮かべた歩み寄ってくる乱杭歯の男を前にして、アイズの身体は動かなかった。
恐怖に怯えた、と言うよりは状況が理解できずに硬直してしまったのだ。
いや、あえて言うならば状況を理解したくなかった、というほうがより正しい。
アイズだって農村で暮らす子供だ。
牛や豚の解体は何度も目にしているし、それで新鮮な腸詰めを作るのは村にとって大切な娯楽、祭りの日であった。
だから生き物を捌けば血が噴き出して死に至ることは理解しているし、だから床に転がっているソレがどうなっているかは頭では理解できていたはずだ。
だが、
――お父さんみたいに正しく生きるのよ。
――神様がご覧になっているからね。
その二つの言葉がアイズの理解を拒んで、現実を受け入れさせようとしない。
だってそうだろう。
自分たちは正しく生きてきて、そしてその在り方を神が見ていたはずだ。
だったら、なら。
何で自分たちの家はこんなことになっている? 道理に合わぬではないか。
だから、今目の前に広がっている光景は夢か幻で――一度家の外に出て扉を閉じて、もう一度入り直せばこんな悪夢は消えてなくなるはずだ。
「アイズ! 逃げて、貴方だけでも生きるのよ! 生き延びて幸せにな――」
鉞が、振るわれて。
ドウ、と母だったものが床に倒れて、もう一つ赤い血溜まりが増えて。
「おい! なにぶっ殺してんだバカが!」
「し、仕方ねぇだろ! こいつが暴れるから!」
「……信じらんねぇぜ。女の抵抗にビビって情報源を殺す腰抜けがいるかよ」
そうして、
「アァアアアアアアアアアアァアアアアッ!!」
ついにアイズは絶叫を上げた。
しかしそれは恐怖でも絶望でもなく、ただ純粋に許しがたい赫怒がアイズの身体を支配したが故のものであった。
「おいうるせぇぞガキが!」
「しかたねぇ。ガキが知ってるとは思えねぇがそれが最後の口なんだ。殺さずに割らせろよ」
その怒りの矛先が向いているのは目の前の男たちではない。
アイズの怒りは純粋にただ神へと向けられていて、男たちの姿など端から『目に入ってすらいない』。
――神様、お前が正しいというならば。
「おい小僧、痛い目見たくなければ金のありかを言えよ。どこかに隠してあるんだろ?」
――こんな現実が許されるはずがないだろうに!
そんなアイズの怒りが、本当に神に届いたのかはアイズ自身にすら分からない。
ただ一つ言えるのはアイズの目にはもう家族の死体も、強盗の姿も映っていなくて。
目の前で蠢いているのは。
真っ黒い、どう見ても受け入れがたい汚泥のような何かで。
そうして、それに対してアイズが、
――けど、人前でその力は使わない方がいいね。
魔術行使を躊躇う理由など何一つなくて。
だって、どう見てもソレは人ではなくて。
だから悲鳴の一つも上がる時間もなく、アイズの家庭はその時から永遠に凍り付いた。
その後、一晩明けて通りすがった村人が異変に気づいてアイズの家を訪れた時。
その場にあったのは六つの物言わぬ、氷柱で串刺しになった亡骸。そして床に座りこみ、物でも見るような視線を村人たちに向けてくるアイズただ一人のみだった。
それが魔術によるものであることは誰も目にも明らかであり、そして魔術を行使したのはアイズであることも疑いない。
慌てて村人は領主へと使いを送り、貴族たちに回収されたアイズは現神降臨の儀に臨まずして槍より鋭い氷柱を掌に浮かべてみせれば、もはや証拠などいらないだろう。
僅か六歳で、大の大人三人を屠るほどの魔術行使。しかも現神降臨の儀を受ける前にである。
この子供が超一流の魔術師となれるであろうことは誰の目にも明らかだった。
「本当に、この子供があれを?」
「信じられないかもしれないが事実だ。現神降臨の儀を経ずとも並の貴族を上回る力だそうだ」
だが、だがこの子供はいったい何だ?
誰を前にしても冷め冷めとした視線で相手の顔を見ようともしないその態度。
しかも家族ごと魔術に巻き込むという暴挙。
才能は、誰の目から見ても疑いようがない。
だけどこの怪物を御しうるのか、と問われれば、彼を目にした誰もが首を横に振らざるを得ない。
彼は家族を殺されてああなったのか?
それとも自分の手で家族を殺してああなったのか?
当人は前者だと言い張っているが……あの目を見てソレを信じられる者が一体どれだけいようか。
だがその事実を踏まえたとて、やはりその才能は魅力的なのだろう。
「君を養子としたいという貴族がいらっしゃった。イナードヴァン男爵だ。失礼無きようにな」
そう告げられたアイズの顔を見て、見張りを任されていた騎士は訪れる未来を悟ってしまったような気分になった。
しかし、騎士爵しか持たぬ彼にはなにも物申す権利はない。
ただこの出会いが不幸を招かないように祈るばかりである。
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