■ EX1 ■ 閑話:アイズ Ⅰ
アイズという少年はどこにでもある、特段珍しくもない家庭の長男として生まれてきた。
あえて言うならば、平民ではあるがちょっとだけ豊かな家に生まれたことが特徴だろう。
アイズの暮らすコキネス伯領における一地方でアイズの父は徴税人の役目を果たしており、だからこそアイズは平民でありながら読み書き計算に幼い頃から携わっていた。
「いいぞ、アイズは俺に似てきっと賢い大人になるに違いない!」
「まぁ、貴方ったら!」
こういう親バカは国も世界も異なろうとどこにだっているもので、アイズは別に神童でもなんでもない、極めて普通の子――とはちょっと言い切れなかった。
「とうさん、これなに?」
四歳の誕生日を迎えてから数日後。
アイズの手の平に生まれた小石程度の氷塊を目にした父親は慌ててアイズを書斎に連れ込んでベッドに座らせると、その前で中膝立ちになり息子の肩に手を置いて真面目な顔でアイズを諭した。
「それは魔術だよアイズ」
「まじゅつ?」
「そう。本来はお貴族様にしか使えない力だ。時折俺たちにも発現するとは言われているが……おまえがなぁ」
父親の、どこか誇らしげでどこか悲しげな顔から、幼いアイズには真意を読み取ることができない。
「僕、おかしいの?」
「おかしくはないさ。他人にできないことがアイズにはできるというだけでね。けど、人前でその力は使わない方がいいね」
「なんで?」
「お貴族様に攫われてしまうからね」
実際、現神降臨を経ずして魔術の発現を見せる子供は得てして魔術師としての才が際立っている。
それが貴族家ではなく平民の家から出たとなれば――アイズの父でなくてもこれを禁じただろう。
僅かな小銭を求めて貴族に子供を身売りする親もいるにはいたが、アイズの家は食うに困ってはおらず、口減らしの必要もない。
アイズの父親はごく普通の父親としての愛情でアイズに魔術を禁じ、アイズはそれに従った。
それ以降、時折の親子喧嘩の後には外でこの力を使おうとかなどとアイズが考えることは幾度となくあったものの、実行に移すのは躊躇われる。
真面目な父親、優しい母、そしてなにかと口やかましくて勝ち気だけどなんだかんだで面倒を見てくれる姉との四人生活は幸せで。
だから、真面目にここからいなくなりたいとアイズが思うことはなかったからだ。
徴税人、というのは良くも悪くも――いや、良いことなど一つとしてないが――汚職との縁が切っても切れない職業である。
なにせ他人から徴集した財を計算して他人へと流すのが任務である。数字を管理する人間が、その数字を操らないはずがないといえばその通りだと誰もが頷くだろう。
だが珍しく――と言ってはなんだが、アイズの父親は突然変異的に善良な思考を持って職務に当たる徴税人だった。
いや、善良というのもあまり彼の人となりを表現するのに相応しくないかもしれない。
正確には善良であったのは彼の妻であるアイズの母の方で、アイズの父は人間よりも神の存在を恐れる運命論者だった。
村にはこれだけの人数がいて、だからこれだけの税を徴収して、それを過不足なく領主へと納める。その一連をすべて神がご覧になっている。
常に神に見られているという意識がある、だからこそ彼は徴税人として珍しく汚職とは一切無縁の存在だった。
なので妻が息子に、
「お父さんみたいに正しく生きるのよ」
と諭しているのを耳にすると、逆に良心の呵責を覚えたくらいである。
彼は善良だから汚職に手を染めないのではなく、神々に罰され悲惨な運命を辿ることをこそ恐れているだけであったのだから。
もっとも彼はそういう内心の恐怖を抜きにすれば、妻と子供たちを愛おしむ普通の大人である。
子供たちにはごく普通に成長して、まあ善良な一市民として育って欲しかったからあえて妻の言葉を否定することもなかったが。
ただ、そんな性格だったからこそアイズが庶民にして魔術を発動できると知った時、その信仰は絶対のものとなった。
神は、やはりご覧になっているのだ。
だからこそ正しき者の元に力を授けられた。
事実がどうあれ状況はアイズの父がそう確信するに十分。
この日から妻の一言の後に彼はこう付け加えるようになり、
「神様がご覧になっているからね」
それがアイズにとっての常識となった。
神様が、人々は正しくあるか常にご覧になっていて。
そして正しく生きているから、自分は今幸せであると。
実際にアイズの幼少期は幸福であったのは疑いない事実である。
徴税人はその職務上仕事にあぶれるということはないし、だから収入は安定していて食事にこと欠くことはなく、読み書きの勉強もできる。
実際の所アイズは外で犬や猫を追いかけ回したり、果物を求めて近場の森で木登りをしたりする方が好きな子だったので、勉強自体は正直嫌いだったのだが。
ただ「勉強しないと正しい大人になれないわよ」という両親の言にまだ逆らいうるだけの材料を持たないアイズは、嫌々ながらも机に向かわざるを得なかった。
それでも、幸せな生活であったのは疑いない。
何故ならそれが失われた時、アイズは疑いなく絶望の底にいることを自覚したのだから。
嫌な勉強を終えれば、暖かい夕食が待っている。
それを一家四人で囲って、そして姉と同じベッドで眠りにつく。
それが、アイズにとって当たり前である筈だったのだ。
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