■ 10 ■ 氷解 Ⅱ
「母さんが、逃げろって、生きてって、だって、最期に、そう言って、だから、ぼくは、ぼくが、生きて、生きないと――」
だから死ねない、か。
強いわね。悲しいくらいに。
貴方の家族への愛は。
それに歩み寄れるのは――聖女ぐらいのもの、か。
ああ、だからアイズは主人公と一緒に魔王と戦ってくれるわけだ。
貴族の徒弟が集う学園において、唯一真っ白に近い心を持っている人。
唯一見つけたその美しい人に、死んで欲しくないと思ったから。
「ならば生きなさいアイズ。いつか貴方にも守りたいと思う人ができるから」
こんなこともあろうかと、隣のソファに置かれているクッションをどかして、その下に隠してあった弓と矢を手に弦を引き絞り射出。
ギョッと目を剥いたアイズを余所に狙い過たず放たれた矢が――私の自由を奪っていた右脚の氷を粉々に粉砕する。
「その為にも貴方は自分の感情と魔術を押さえる術を学ばなければならない」
ハン、この程度。
プレーヤーしか知らない情報だけど、この世界の魔術は意識して放つものだとスタッフコメントで開示されている。
だから半ば意識と乖離した無意識での魔術行使ごときと分かれば、恐れるものなど何一つ無い。
強大な自然神のご加護だろうと弓神様で相殺できるっつの。
「どんなに嫌でも貴方には私の弟として振る舞って貰います。付き合いますから訓練なさい。見ての通り私にならいくらでも攻撃して構いませんので」
そう。アイズが生きると決めたならば、生きたいというなら。
その無意識下の対悪人魔術行使は何としてでも押さえ込んで貰おう。その為の練習を重ねて貰おう。
一瞬、確かにアイズの瞳に柔らかな希望が満ちて、
「そんな、そんなこと言って……でも、お前もどうせ僕を捨てるだろうに!」
しかしそれはアイズ自身がかぶりを振って消し去ってしまう。
……ああ、そういうこと。
一度は、やり直そうとしたのね。貴方。
拾われた男爵家で、幸せになろうって。
一人でいるのは、辛いから。苦しいから。
誰かに支えて欲しい、理解して欲しいって。
努力して、押さえ込もうとして、でも失敗して、そして当主殺害未遂の簒奪者として殺されそうになって。
そして私はそんなアイズの前に立つ、家族になろうと甘く囁く二人目の悪人、アイズから見れば小賢しい二番煎じでしかないのだ。
「そうね、信じて捨てられるのは辛いわね」
だったら最初からなにも信じない方がいいわよね。
だからあんた、距離を取りたがるのね。
その恐怖を埋めるために私が使える手札なんて――私は一つしか持っていない。
「ならばアーチェ・アンティマスクの命と誇りをかけて約束しましょう。貴方が私の弟になるなら、貴方が死ぬまで私は貴方の姉でいる。貴方がお父様に捨てられても、私がお父様を捨てて貴方と共にいるわ」
そうして揺れる瞳は、なら、多少は私のことを信じてくれているのだろうか。
「……そんなこと、できるはずがない。貴族の箱入りお嬢様なんかに」
ま、普通はできないわね。
でも私、こう見えて通算で三十年以上生きてるし、何より二度目の人生でわりと己の扱い軽いし。
家を出たら推しが死ぬ運命の日までにお父様を失脚させる難易度は多少上がるけど……ぶっちゃけ首に
それにお父様はこの家の中で二年間も、実の娘にすら隙を見せなかったのだ。なら別に家を出ての活動に移行するのもそれはそれでありだろう。
弓を杖にして立ち上がり、感覚のない脚がくずおれてしまわないように注意しながら、そっとテーブルの向こうにいるアイズへと歩み寄る。
「そうね。貴方は将来有望な力の持ち主で、私は外れ。お父様が貴方を捨ててもきっと次の貴族が貴方に群がる。そこに私は必要とされないから……うん、お父様に捨てられたらお金盗み出して、二人でどっか遠くに逃げないとね」
うーん、いくらくらいかかるかな。
一応このアルヴィオス王国は臨海国家でもあるので、港から船で逃避行が一番浪漫はあるけど……それはそれとして私には私の野望があるからこの国を離れるわけにはいかない。
船で逃げたように見せかけて国内に潜伏、となると余計にお金かかかるわね。かぁーっ、その財源をお父様から盗み出すってこれ完全に悪党の所行だわ。
今の私は相当アイズの目には薄汚く見えてるんだろうな、とちらり見やると、
「本気、なの?」
はてさて、もしかして瞬間的な善悪観測は不可能なのだろうか。
まだ半信半疑といった様子のアイズは目だった反応は見せてはいない。
「勿論。貴方に我慢を強いる対価は、誰かが支払わなければならない。だけど私が私の一存で自由にできるのは私の命と魂だけだもの」
まさにお父様の言ったとおりよ。
伯爵位に権威はあっても伯爵令嬢に価値はない。肩書きを取り払えば、私に残るのはこの命と魂だけだ。
そして私は私が悪をなす対価として、真っ先にこの命と魂を差し出すと誓った。
「だけどあくまでそれは最終手段よ。何より現実的じゃないし。貴方が見かけ上『悪人』になって、その対価としてお父様に養って貰う。これが一番なの、それは分かるわね」
「分かるよ、けど、止められないんだ。止めようとしてるのに!」
そうアイズが両手で頭を抱え、私の視線から逃げようとする。もう非難は沢山だと言わんばかりに。
分かるわよ。PTSDってそういうもんだもん。
誰かが理解して支えてあげなければ、それから逃れるのは難しいだろう。
「反射なのだから仕方が無いわ。でも、和らげることはできるかもしれない。その為の努力を続けて欲しいの」
そうでないと、攻撃と見なされて潰される。
貴族社会では泣きわめく赤子は更に手を捻られるだけだ。
泣いても、喚いてもなにも変わらないのだ。
「貴方の心の中にある家族像を私たちで上書きしたくないのでしょう? だから貴方が私を姉と思わなくても構わない。だけど他人からそう見られる程度の我慢は覚える必要があるのよ」
現状を変えるためには、いや、生きるためには行動するしかないのだ。
ましてや、幸せを追い求めるならば。
もう少しでアイズの目と鼻の先、というところで右脚に鈍い衝撃が走って、思わず倒れそうになり――
だけど私の身体を支えてくれたのは弓ではなくて、
「……無理をしないで下さい、姉上」
反射的に立ち上がった、アイズの身体だ。
「見せかけだけでも姉弟になるって、そう関係芝居を打ってくれるって。納得してくれたって思ってもいいわね?」
「……はい、姉がもう一人増えたと思えばいいのですから。これまでの思い出を、無理矢理上書きしなくとも」
まあ、普通は増えるとしたら妹だろうけど、いまここで突っ込むのは野暮ってもんよね。
「とはいえ姉上だとちょっと硬いのよねぇ。わたしも姉さん呼びにできない?」
「努力、します。それと、すみませんでした」
肩が触れ合って、頭と頭が交差していて、声だけが横から聞こえてくる状態だから。
だからアイズが今どんな顔しているかは分からないし、それが何に対しての謝罪なのかもよく分からないけど、それは分からなくてもいいのだろう。
「ん。偉そうに語った以上は姉の度量を見せないとね。全て許す」
少し時間を置いてから、顔を見合わせて、まだ少しだけお互い硬い笑みを交わして。
そしてアイズにはとりあえずメイを呼びに行ってもらう。
はてさて、
「ハハ、感覚無いからって無理しちゃ駄目ね。温めたら治るかな、これ」
少しずつ感覚が戻ってきたけど、これ、靴の中。
右足、完全に凍傷になってるわ。もしかしたら指もげてるかも。
――――――――――――――――
ちなみに足は貴重な聖属性持ちをお父様が探してきてくれて何とか治りました。ギリギリセーフ。
そもそも聖属性持ちって少ないからなぁ。結構治療費かかったんじゃないかなぁ。
「凍り付いた足で歩くとか貴様、馬鹿か?」
「凍り付いた足で歩いてはいけませんって教わってませんでしたので。以後気をつけます」
あれから我が家はおもちゃ箱をひっくり返したような大騒ぎ。
アイズは泣いて謝罪するわメイは青い顔で右往左往するわ礼儀作法のマナーズ先生やティーチ先生、武芸の師範は絶句するわで皆は上を下へって感じだったけど、私とお父様だけは例外、どこ吹く風だ。
「令嬢が迂闊に傷を負うな。傷のある女は商品価値が下がる」
だからそのナチュラル男尊女卑止めろもぐぞ。
ソプラノカストラート歌わせてやろうかああん?
「あら、お父様が直々に私に振った仕事でしょうに」
「……お前がこれ程馬鹿だと思っていなかっただけだ」
「もう少し賢いと思っていた」なんて苦々しげに漏らすお父様の顔と言ったら無かったね! ヒャッハァ!
でも足一本を対価にしてようやく苦々しげな顔ひとつが今の私の限界ってことも分かってしまったわけで。
やれやれ、まだまだ頑張らないとだね、私。
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