■ 10 ■ 氷解 Ⅰ




「貴方、生きていたい? 死にたくない?」


 そうなるべく穏やかに問いかけたつもりだったのだけど、問う内容が内容だからね。

 すっかりアイズが顔色を失ってしまって、いや、殺してやるぞ天○助とかじゃなくて純粋な質問なんだけど。


「そう。怯えているなら生きたいと捉えさせていただくわね。とすれば魔術の制御ができていない……にしてもここまで強固ってことは暴走とかじゃないわね」


 ガツン、と左の爪先で凍り付いた足を蹴るも、アイズの内心よろしく私の自由を奪う右脚の氷はびくともしない。

 うん、これは暴走じゃない。暴走だったらここまでの指向性を持って魔術が維持されるはずが無い。

 アイズは明確に私を害する意図を持っていて――でも右脚を固めるだけで全身を氷の彫像にするわけでもなくて、そして実際にアイズ自身もまた完全に狼狽えていて。


 このちぐはぐさは、いったいなんなんだろう?


――お、お前が悪いんだ。僕は、僕は悪くない……お前が、お前が悪党だからァッ!


 脳裏にフラッシュバックするのは、唯一アイズが私に向けた生々しい感情で。

 ……いや、まさか、そういうこと?


 でもそれならある程度このアイズの奇行にも説明が付けられる。


「そう。アイズ、貴方。私が『悪人』だって分かるのね」

「!?」


 ギョッとして目を剥いたアイズが――初めて私を見た、いや、見ようとした・・・・・・

 うん、そうだ。そう考えれば全て納得がいく。私やお父様に靡こうとしない理由が説明できる。


「っはー、そういうことかぁ。なるほど、私にも少し貴方が理解できたわ」

「な、何を……理解なんて……」

「んー、多分貴方には人間が見えてなくて、多分人間の心しか見えてないってことかな」


 そう推測を述べると、ああ、やはり。

 なんていうか、わりと表情豊かだったのねこいつ。こいつが目を丸くする所なんてゲームの立ち絵にすら存在しなかったのに。


「なんで、そう思うんだ……」


 よろめいてソファに崩れ落ちたアイズが、だけど今は、目だけは食いつかんばかりに私の方を向いている。

 私を見ようとしている。私が何者なのかを知ろうとしている。


 今頃になって見定めようとしている様からも分かるように、やはりこいつは私がどういう人間かという情報を持ってない。

 で、あるというのにこいつは私を悪党だと断言した。声音で分かる。一方的な押しつけじゃなく、自信を持ってこいつは私を悪と断じたんだ。

 それらをすりあわせれば浮かび上がる仮説が一つ。要するにこいつは悪人を見分けられるということ。


 ……いや、こいつが授かっているのは氷神の加護だから、『人の心の温かさ』を見てると考えるべきか?

 魔眼、いや神から与えられた視界だから浄眼と言うべきかしら。もっともゲームでは浄眼は設定だけで敵ばっかり魔眼持ってたけどね。ガッデム!


「じゃあお前は最初から僕が母さんたちを殺した、傷つけたって思ってなかったのか……?」

「私がそう思ってるって、そう私貴方に言ったかしら? 私は全く覚えがないのだけど」


 ああ、ようやく私を見たわね氷の剃刀。

 私に向き合ったな。私を人だと意識したな。結構じゃないか。


「あんた、家族の在り方について一家言あるみたいだし。そんなあんたが仇を討つためとはいえ、見えてるなら家族の遺体は巻き込まないでしょ」


 そう考えると説明が簡単になるんだよね。家族が生きていると欠片も思わずこいつが野盗に向けて広域魔術を使ったのは、家族が見えなかったからだって。

 どれだけ愛情を注いだって死体は人じゃなくて物だからね。

 人の心しか見えないなら、亡骸を巻き込むような面制圧を咄嗟に行なってしまっても仕方がない。


 ゲーム設定の知識だけど、魔眼とか浄眼とかが発症すると視界が普通の人と変わるそうだし。

 何かが見えるようになるなら、その対価として何かが見えなくなってもおかしくはない。


「その後遺症から悪人に相対した状態で激高すると反射的に攻撃しちゃうってわけね。まぁ男爵様も聞く限り善人ではなかったみたいだし」


 なお、当然のように私も同様に悪人だ。

 何せ私はお父様を蹴落とすべく内心で牙を研いでいるような娘だもんね。

 アイズの善悪判断がどういうものかは正確には分からないけど、少なくとも家族を欺くような奴は間違いなく悪でしょ。こいつの幼少期が幸せだったのなら。


 もっと言ってしまえば顔は笑顔で後ろ手にナイフを握る関係が当たり前みたいな貴族社会に、こいつが善人と思うような奴はいない。


 だからの、氷の剃刀だ。冷笑で以て世界を見るんだ。

 醜いから、醜悪だから。近寄る全てがおぞましいから。


 その上感情を乱すと反射的に、しかも言い逃れができないレベルで攻撃してしまうとあらば――まあ、うん。侍従付けるの、そりゃ嫌だわな。

 お父様が用意する侍従候補なんて皆、要するにアイズを欺いているわけだし。


「な、なんでそこまで……そんなことがわかるんだよ」


 アイズの目は既に、その目に私がどう写っているかはさておき、怪物を前にした子供のそれで。


「うーん、貴方より勉強していて貴方が知らない知識を知っているから、かな」


 嘘は言ってない。まーゲーム知識はある意味神の視点からなる知識だけど、確かに私が重ねた経験だし? それにこの世界にはまだPTSDとか精神疾患って単語がないもんね。

 せいぜい悪霊付きだとか魔族に拐かされたとか闇の魔術の影響、で片付けられて終わりだ。世知辛いのう。


「で、相互理解も進んだし最初の質問に戻りましょ? 貴方、そんななら生きてるの辛いでしょ。それでも生きていたい? まだ死にたくない?」


 可哀相だけど、アイズの魔術行使能力ではもう庶民に戻ることはできない。

 アイズがこれから生きていける社会は貴族社会しか残っていない。


 だけどそこはアイズからすれば肥だめの中で生きるようなものだ。

 周囲にいる人間は全員腹に一物抱えた、当時六歳のアイズの価値観では悪に分類される者たちだ。


 七歳の子供がこの環境で生きるのは……まあ、辛いわよね。

 クラス全員がいじめっ子だって分かってるみたいなもん、って考えたら普通小学校行かなくなるでしょ。

 でも、


「……死にたく、ない。死んじゃ駄目なんだ」


 へぇ、それを貴方は選ぶ、選べるんだ。

 強い子ね。貴方。




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