■ 09 ■ 温度差




「本日はお招きいただきありがとうございます、姉上」


 全く嬉しくなさそうな声音とともに弟が頭を下げると、水色のさらりとした髪が氷柱のように光を反射する。

 面を上げた顔に宿るのは、池の中で凍っている蛙でも見るかのような蒼色の瞳。


 うーむ、温度差が酷いぞぅ。

 とりあえず椅子を勧めて、メイにお茶を用意して貰う。


「まああれよ。アイズはお茶会の練習とかまだあまり積んでないでしょ? これはその練習だと思って」


 そう伝えると、アイズの私を見る目が道ばたの野糞を見るそれにまで落ち込んだ。

 うん、バレテーラ。


「はいはい諦めますよ。本当はお父様に貴方が侍従を持つよう説得なさい、って言われたの」

「不要だ、と言ったはずですが」


 もうクソと会話するのは時間が惜しいと言わんばかりの態度は、うーん、これ多少は注意した方がいいのかな。


「死ぬから、って言われてハイそうですか、って納得する人がどこにいますか。そもそも何で死ぬのよ」

「姉上も父上から私の過去は聞いているのではないですか?」


 コトリ、と私及びアイズの前にメイが用意した紅茶が準備される。


「聞いてはいないわね。紙面で渡されたけど。ああ、そんなに部屋に帰りたいならその茶葉が何か当てられたら帰っていいわよ」


 やおらティーカップを手に取って香りを嗅いだ後、一口そっと口に含んだアイズの顔がそっとほころんだ。


「ラヴァ、でしょうか」


 ちょっと自信ありげなところ悪いけど、ふふふ。姉の性格の悪さを知るがいい。


「外れ。シャモンね」

「……嘘だ。シャモンなら独特の香りがあったはず」

「安物はね。でも値段が上がるにつれてどんどん香味が洗練されていくのよ――あんた、普通のシャモンしか飲んだことないでしょ」


 この日、この場に私が勝算無しで臨むと思った? 甘い甘い。

 アイズの教育そのままで使われてる茶葉をこの私がわざわざ使ってやるとでも?


「二回戦受ける? 無論、貴方がそれ全部飲み干したら、だけど」


 ふふん、私だってこの二年間遊んでいたわけじゃないのよ。

 いずれ社交界で恥かかないようきちんとテーブルマナーや茶葉とお茶請けのマリアージュについては学んでるんだから。


「茶会で出された紅茶は味わって飲むように。一気に飲み干すような態度は失礼極まりないからね」

「……」


 悔しげに黙り込むアイズを前に、さて、これでカップが乾くまで話はできそうね。


「じゃ、話の続き。男爵家ならいざ知らず、伯爵家の跡取りともなれば侍従の一人や二人つくのは当たり前。それがいないってのは跡取りと見做されないってわけ。わかるかしら?」

「……それは父上の都合であって私の都合ではありません」

「そうよねー。でも立場には責任ってものがついて回るしね。貴方はもうこの家の長男なんだからそれに相応しい振る舞いを身につけなくてはならないの」


 そーよー、私だって我慢して努力してるんだから。貴方だって多少の不満は我慢して頑張るべきじゃない?


「ま、いいわ。メイ、二杯目淹れてあげて。あ、それ美味しかった?」

「……はい」


 それは振る舞いについての了承、ではなくて単に味に対する回答ね。

 いーわよ、私の茶葉コレクションはまだまだあるし。第二回戦いってみようか。


「サウロン?」

「ギリルね。バランスのいいお茶だからこれを基準にすると色、香り、渋みの判断がし易くなるわ」

「……」


 要するにヒントって奴よ。物差しはくれてやったから、ま、三回戦頑張りなさい。


「あとサウロンは農園いっぱいあるからサウロンだけだと正解あげられないからね」


 それはそれとして器が空になるまでは問答続けさせて貰うけど。


「で? どうせ死ぬって貴方が殺すの?」

「そうお考えなのではないのですか」


 アイズが小馬鹿にしたようにせせら笑うけど当たり前じゃん。


「さてね。だってお父様は私に資料をくれたけど、貴方は私に何一つ情報をくれないのだもの」


 こっちだって鼻で笑うわよ。当然でしょ?


「貴族社会において黙し黙ることは相手の主張を全面的に認めるということでしかないの。分かるかしら? 貴方は貴方が望む自分の姿を自分で主張する義務があるの。それを怠っている限り貴方に味方は増えないのよ」

「……っ!」


 一瞬怯んだアイズではあったけれど、私に向けられる視線は今も、やはり人に向けるそれではない。

 ってかさ、人を人として見ないって意味ではある意味お父様よりこいつの方が酷いわ。目の前にいる人間が人に値すると思っていない。

 そんな態度を露骨にしていて、それで「お前も俺を人殺しだと思ってるんだろう?」って? 


 それが真実かどうか以前にお前の言動それ自体を否定したくなるっつの。


「言う意味が無いから言ってないだけだ……です」

「何で?」

「姉上も、父上もとても信用できたものじゃない」

「はー、まーそーよね。つい先日までお互い他人だったもの。メイ三杯目淹れてあげて。あとシャモンとギリルどっちが美味しかった?」


 拳を握りしめるだけでアイズからの返事はない。オッケー、シャモンね。まあギリルは特徴が薄いのが特徴だから。

 メイに目配せして三杯目を用意。さて、そろそろお腹が水っ腹になってきたぞう。

 ま、ご不浄は先んじて済ませてきたからまだまだいけるけど。


「……一杯目と同じ? シャモン」

「カフルよ。シャモンとの違いは色合いと苦みね。カフルはミルクとシナモン入れて飲むのがお勧めよ、私的には」


 ふふふ、そろそろ嫌になってきたって顔ね。そして現在の己の知識量じゃ勝てないとアイズも悟っただろう。

 でもそれを言い出してもそれで主張できるのは自分の勉強不足だけだから何も言えない。

 うん、まあこっちの土俵に乗った時点であんたはもう最初から不利だったんだけどね。


「それでも私たちは今は家族だし、私と貴方は仲良く」「これが、お前たちが家族であるものか!」


 ドン、とテーブルに打ち付けられた拳から――一瞬にして冷気が迸って私の足元まで到達、右脚を完全に凍り付かせる。

 ほうほう、なるほど。殺してしまうっていうのはこういうことか。


「……あ、ああ……ッ」


 真っ青になったアイズが拳を解いて顔を覆うけど――私の足を凍てつかせる冷気は消えずに、ずっとそのままだ。

 魔術行使が停止すれば、冷やされたものの温度は元に戻らなくても魔力で生み出された氷自体は消える。


「お、お前が悪いんだ。僕は、僕は悪くない……お前が、お前が悪党だからァッ!」


 それが消えないということは当然、アイズがまだこの魔術を維持しているということだ。


「……!? お嬢様!」


 お茶を持ってキッチンから戻ってきたメイがティーセットを投げ捨てて慌てて駆け寄ってくるけど、


「メイ、ちょっと部屋から出ててくれる? 姉弟水入らずで親睦を深めたいから」

「しかしお嬢様! それは――」

「お願い。全て終わったらちゃんと話すから、お父様にも内緒にしてて――まだ、お茶会の途中だから」


 そう、これは結論じゃなくてまだ過程なのだ。

 ようやく、ほんの入口に辿り着いた所なんだから。ここから先が、本番なのだ。


「お願い、メイ」

「……承知致しました」


 落としたティーセットを回収して、メイが談話室から退室する。

 ただ、あまり時間は稼げないわね。私たちの世話をしているメイが部屋の外にいるのはおかしいと誰かが気づけば、そこからお父様に報告が行くかもしれないし。


「さて、どこから話を聞くべきなのかしら――ああ、ここからなのね。厄介な……貴方、生きていたい? 死にたくない?」




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