■ 08 ■ 弟の経歴 Ⅲ




「アイズに侍従をつけさせろ」


 お父様の書斎に呼ばれてそう命令を受けてしまってはもう、逃れようがない。


「私がですか? お父様から言われた方が宜しいのでは」

「言った。返事は毎回、『殺してしまうから要らない』だ」


 思わず手にしていたティーカップの中に波紋を生じてしまう。

 いやはや、波風だけでこぼれなくて良かったよ。お父様の書斎汚したらネチネチ文句言われるもん。


「いっそ返品してきては?」

「養子に迎えた以上そうはいかん」


 どうやらお父様も少し持て余しているようで、珍しく軽い苛立ちと不満がない交ぜになった表情を湯気の向こうに浮かべている。


「では侍従無しでもいいのでは?」

「伯爵家の惣領息子が侍従の一人も連れていなくては示しがつかん」


 まーそーだよね。

 基本的に伯爵家なら侍従を連れてないってのは有り得ない。


 この国における侍従とは、分かりやすく言えば貴人の手足、貴人の一部である。

 貴族とは自ら動かぬのが当たり前なので、人前での動作を代わりにするのが侍従の役割。ならば侍従の質が悪いのは主の質の悪さと見做される。ま、手足だからね。


 主の身の回りの世話をし身だしなみを整えるのみならず、主の不在時には主の所有する財産を管理し運用する権利も与えられる。

 当主の侍従ならそういう家令に相当する権限をも有するのがこの世界の侍従だ。当然、それだけの権利を持つだけあって侍従もまた周囲から貴人としての扱いを受けることができる。


 当主が侍従を連れてなくても許されるのは騎士爵まで。

 男爵家なら侍従を連れていないと財政、人格、ひいては貴族としての統治能力を疑われるし、子爵以上なら当主、その妻、そして跡取りたる長男までが侍従必須だ。


 うちは伯爵家だからもう少し拡大されて、娘の私にも侍従としてメイがついている。

 であればアイズに侍従がいないとなると、世間は私とアイズは差を付けられて育てられた関係、私こそが伯爵家の跡継ぎだと見るだろう。


「うーん、ならメイにハウスメイドになってもらって扱いそろえますか」


 控え目に無理だと告げるとお父様がわざとらしく唇を歪めてみせる。


「自信がないか?」

「お父様がダメだったのに私が説き伏せられると思います?」

「男と女、父と姉ではできることに違いはあるだろう」

「都合いいときだけ女扱いするのズルいし情けないですよ」

「やる前から泣き言をほざく娘程ではない」


 全く、ああ言えばこう言う。女々しい奴だよお父様、失望ですわ。


「第一、社交の季節が始まるまでは暇だろう、お前」


 アルヴィオス王国は若干の四季があり緯度高め(この世界に緯度という概念はまだ無いけど。いやそもそも世界が地球と同じで丸いって保証もなかったわ)、冬はけっこう雪が降るので貴族は冬になると首都の貴族街に避寒のため集まってくる。ここからが社交シーズンというわけだ。

 なんせ鉄道網なんて無い世界だから、お隣の貴族とお茶するだけでも三、四日を移動に費やさないといけないわけで。

 であれば皆さんが首都に集まった避寒期に顔繋ぎを纏めてやってしまった方がよっぽど効率的なわけだ。


 そんなわけで悪役令嬢ミスティに売り込みに行くのも冬になってから。

 アンティマスク伯領都クラウニシュにいる間は暇……なわけないでしょ。


「お言葉ですがお父様、私勉強にダンスに手芸に馬術、魔術の鍛錬とまったく暇ではありませんの」

「暇な時間とは作るものだ。与えられるものではない」


 貴様ぁ! 入社一年目に当たったパワハラ上司みたいなこと言いやがってぇ!

 クソッ、彼奴のせいで私はストゼロ信者になったんだそ……ああ、嫌な思い出が脳裏をよぎるぅ。

 給料以上の仕事はしなくてよいのだ、と新人の私が理解するまでに一体何本のストゼロが消費されたか……そう、要求には対価が必要なのだ。相応しい対価が。


「お父様、ならばせめて馬にニンジン人に飴が世の常であると思うのですが」

「検討しよう。何が欲しい」

「……よく考えたら別に欲しいもの無いですね」


 お前は、と一瞬だが確かにお父様を絶句させたのは私の初勝利である。

 う、うんまあ私そこそこいい生活してるしさ、ぶっちゃけお父様の失脚と推しの未来以外に欲しいものないんだよね。

 報酬寄越せと言う一方で望みは無いっての、それも一種のブラック押しつけ、理不尽な要求でしかないわけで、うーん。


 あ、じゃあこうしよう。


「では難易度を下げましょう。アイズの侍従を選ぶに当たり、選択権を私に下さい」

「む……」


 どうせ死ぬから要らない、というアイズの意図が那辺にあるのかは分からないけど、少なくともアイズが侍従にしても良い、と思える選択肢は恐らく極めて狭いのだろう。

 であればその選択肢を増やせば成功率も上がるのではないか、ってのが表向きの理由。


 裏の理由はお父様が即答を避けたことからして明らかだね。


「伯爵家の侍従ともなればそれなりの質が求められるものだが」

「礼儀作法なら後からでも仕込めます。病弱とか適当な理由をでっち上げれば、アイズを人前に出すのは学園の入学までは待てるでしょう?」

「……」


 私にメイがついているように、お父様がアイズに侍従をつけたがるのは、それがお父様の鈴だからだ。

 要するに私もアイズもお父様はきっちり管理した上で無駄なく使い切りたいわけだね。

 他人を自分の掌の上で制御したいんだよ。こいつそういう奴だもん。


「それが難しいなら私も自信がありません。お父様の選択肢の中からお父様が選んであてがって下さいな。嫌われ役だけ押し付けられるのは御免ですもの」


 男爵の二の舞は嫌ですわ、と告げるとお父様が思案するように顎に手を当てて黙り込む。


 アイズが前父である男爵を魔術に巻き込んだという実例がある以上、私が身の安全を理由に拒否するのは極めて真っ当な理由となる。

 自分の命の計算をするのは貴族なら当たり前のこと。


 我が身可愛さを理由に俺に楯突くのか、なんて理不尽なあげつらい方を娘相手にする男ではないと、その点では私はお父様を信用している。

 お父様からすれば今のところは私を疑う理由は無いわけだからね。


「少なくない危険が伴うお役目なのですから、せめて難易度は下げて頂かないと」


 私が未だ会ったこともない誰かを救う為に自分を陥れようとしてるって。七歳の自分の娘をそんな目で見てる父親がいたらそいつ、未来視持ちか何かだよ。

 私と同じ転生者ですら私の思考にはたどり着けない。だってこれお一人様拗らせたオタクの自己満足なんだから。


「よかろう、お前に一任する。ただしあまりに素行が目に余るような人選である場合は」

「勿論、教育すら難しい粗忽者は選ばぬつもりではありますが、その場合はお父様のご随意に」


 ふーむ、お父様的には一度牙城を崩して侍従を付けるのに成功すれば、後は交換なりなんなりどうとでもなる、って腹かな。

 ま、いいや。一先ずは私の要望が通ってしまったわけだし、当主命令と称してアイズに接近しようかね。




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