■ 03 ■ 世界と、私の敵
――冬の風呂場で脳卒中かぁ。
思い出したわ。私本当に死んでたわ。
笑えねー。酒飲んで冷え切った風呂場で熱いお湯浴びたら脳の血管ブチりとかアッハッハッハ。
そりゃあ死ぬわソレ。
完全に自殺行為じゃん。
やっぱストゼロは魔薬だ、人を堕落せしめる悪魔の飲料だと後悔しても後の祭り。
確かにアレが私を救ってくれていた期間も確かにあったんだしね。一方的に責めるのは不義理でもあろうよ。
酒は百薬の長、毒と薬は紙一重。要するに用法、用量を間違った私が愚かだったのさ。
「お嬢様、何か?」
「ううん、明日出社で良かったなって」
「は?」
着付けを終えてヘアメイクに移ったメイが怪訝そうな声を上げると、おっと拙い。
「独り言、気にしないで」
今の私はもうアーチェ伯爵令嬢だった。気をつけないと。
でもまあ、ホント。死んだのが出社の前日で良かったわ。一応サボったことはない真面目社員ちゃんだったから連絡なく休めば上司が訝しむだろうし。
冬だから腐乱死体にもならないだろうしね。あ、お風呂場でお湯流したままだから拙い? でも死後数週間放置は回避されたはずだ。
一度パワハラで折れてる私だから無言欠勤なら早めに上司が自宅来てくれるだろうしね。
ごめんねぇ仲介業者ごしで顔も見たこともない大家さん、事故物件にしちゃってさ。
壁のそこかしこに吊されてるオタグッズと本棚の薄い本は弟が苦笑しながら片付けてくれるに違いない。オタ姉と同じで弟もオタクだから。
仮にお互いになんかあったら生きている方が後始末をする、という『
……悪ぃ、マイブラザー。色々助けて貰ったのに姉ちゃん結局早死にしちゃったわ。
お前はあんまり早くこっち来んなよ……ってここあの世じゃなかったわね。まあ何にせよ早めに嫁さん貰って幸せになれよ。
私みたいに死体になってから上司にオタバレは想像しただけで顔から火が出そうなほどに恥ずかしいぜ。
まあそんなこんなで過去のことばかり考えていても仕方が無い。よくわからんけど転生してしまった以上は
はてさて、この世界はどれだけ女性の権利が認められてる世界かね。マナー訓練と勉強漬けで父親の命令通り嫁ぐお人形だとちょっとアレだわなぁ。
とまで考えて、拙いことに気がついた。
これ、少しっつ情報を集めて動かないと、オカルト全盛の時代だったら悪魔付きとして魔女狩りされかねないのでは?
「不安だわ……今日の予定は?」
髪形をセットして貰いながら(どうやらアーチェはポニーテールがデフォみたい)背後のメイに尋ねると、
「はい、いつも通り朝食後はお勉強、昼食後にダンスの訓練と刺繍の練習となっております」
私の予定が普通に貴族令嬢のテンプレでちょっとヤバいわ。特にダンスが。あ、あと文字が読めなかったらさらに拙い。
うわ、もしかせずともこれギロチンコース? いや、ギロチンならまだいいわ。アイアンメイデンとかされたら死ぬ、あ、いや死ぬのはいいけど拷問は嫌。幸せプリーズ。
そんな風にガタガタ怯えていると、
「お嬢様、そう旦那様の瞳に怯えずとも宜しゅうございますよ。幼き頃は失敗を重ねるもの、とマナーズ先生も仰っていたではありませんか」
そうメイが心配そうな顔でフォローしてくれるってことは、どうやら
しゃーねー、腹括るか。仮に悪魔付き認定されても拷問される前に自分で命を絶てばいいだけだし。
あらー、二回目の生だからか私、随分と命の勘定が軽いわ。ま、いいけどさ。
「ありがとうメイ、私がんばる」
「はい、旦那様は誰にも冷酷な御方ですからお嬢様も必要以上にお気になさらぬよう」
うわ、自分の雇い主をそう明け透けに罵ってよいものかとも思うけど……逆に言えばメイと
よし、覚悟完了!
メイを引き連れて朝食の場に向かうと、どうやらこの家では家族揃って食事をするという方針はないみたいだ。
地球マナーに従って外側に置かれたカトラリーから順に使用して一人寂しく朝食を平らげていく。さりげなく周囲を探ってはみるけど誰も拒絶感を示さない辺り、テーブルマナーは地球と同じでいいみたいね。一安心。
ちゃんと膨れたパンも出てくる辺り、発酵関連の技術は少なくとも貴族階級には浸透してると思った方が良さそうだ。
はい、ふわふわパンとしゅわしゅわエールで一儲けする安い転生ムーブは封じられました、っと。いいけどね別に。目立ちたいわけでもないし。
しかし……妙に
ちょっと館内を歩いた構造からして食堂が複数あるようには思えなかったけど。もしかして私、家族いないの? いや家族がいないならこんな立派な屋敷で暮らせないだろうに。
そんなことを考えながら、
「ごちそうさまでした」
朝食を済ませてメイを引き連れ自室に戻ろうと廊下を歩いていたところで、
「……目を覚ましたか」
一瞬にして頭の中に巣くっていた薄もやが、まるで気化したガソリンであったかのように勢いよく燃え上がって消滅する。
これは、
この顔は――
廊下で立ち止まった私の前にいる、私と同様に侍従を引き連れた、三十路ほどの男。
短く整えられた灰色の髪に、剃り残し一つない口元と顎、精悍を越えて肉と骨で編み上げられたような厳つい顔。
優しさなど一欠片も宿っていないであろう青玉のような瞳。
これを、この顔を私は知っている。
実物と、アニメ調のイラストという差異はあるけど間違えようがない。
こいつ、この男――!
グリシアス・アンティマスクかよ!
意図せずして、拳をぎゅっと握りしめる。
身体が渇望に燃え上がる。全身の毛穴が開いて産毛が逆立ち、瞬時にして身体が臨戦態勢を構築する。
グリシアス・アンティマスク。
私が毎日プレイしていた『この手に貴方の輝きを』の登場人物。
アルヴィオス王国第三騎士団団長にして、ストーリーのキーマンの一人。
裏方で物語を動かす立役者にして、毎回
そのくせしてエンディングでは味方面して主人公陣営に平然と加わって、しかも栄達までしているという、シナリオ担当の正気を疑う存在。
ああ、そうか。
貴様が、
私がこいつを排除しようと、どれだけ試行錯誤したか。
私が推しを生かそうとどれだけもだえ苦しんだか。
主人公陣営で協力者のように微笑むその顔にどれだけ吐き気を催したか。
一瞬にして私は私が転生した意味を悟った。
心優しい神様の、その麗しき神慮に内心で感謝の祈りを捧げた。
私が何故、ここにいるのか。
その答えは一つ。
シナリオの選択肢なんて生易しい手段じゃどうしても排除できなかったこの男を社会的に抹殺するためだ!
「お嬢様、力を抜いて旦那様にご挨拶と快癒の報告を」
そっと耳元でメイに囁かれ、ハッと我に返る。
そうだ、疑われては拙い。私はまだたった五歳の、この男の庇護を受ける存在でしかない。この男無くしては生きられないひ弱な小娘でしかないのだ。
臥薪嘗胆、面従腹背。
時を待て。
策を練れ。
知恵と力を付けろ。
この男の外見は、ゲームのそれよりまだ若々しい。
ならば運命の日まで、まだ十分に時間がある。
それまでは――
この私、アーチェ・アンティマスクは。
父親を恐れども敬する、ただの伯爵令嬢だ。
「ご心配をおかけして申し訳ありませんでした、お父様。もう大丈夫です」
ここが『この手に貴方の輝きを』の世界であると分かったなら、もう心配はない。
貴族の所作、立ち居振る舞いは嫌と言うほど理解している。だから一挙手一投足に自信が漲り、指の先すら小揺るぎもしない。
OPムービーは飽きて飛ばす程見た。それを模倣するように僅かにスカートの裾をつまんでカーテシ―。
だけど学習中の幼女らしく、そしてメイから断片的に仕入れた情報に従い、少し怯えた様子でたどたどしく。
「宜しい。快癒したなら明日より再び勉学に励め」
メイ曰く高熱を出して寝込んでいたであろう娘に投げかける視線は、まるで物でも見るかのように冷やかで、そこに一切愛情など籠っていない。
いやいや結構、愛情がないというならこっちだってやりやすい。
「はい、お父様」
せいぜい、この私を政略のための駒とでも思っているがいい。
貴様の自信を、立場を、余裕を、権力を。
貴様が恃みとするその全てを私がぶち壊してやる。
何も知らずに悠々とその日を待っていろ、グリシアス・アンティマスク。
推しが生きるのに、お前が邪魔だ。
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