■ 02 ■ 在宅OL高無真弓美の最期
「『本日もお疲れ様でした』っと」
チャットに打ち込んで、椅子の上に立てていた脚を降ろしてホッと一息。今日も大過なく業務が終わる。
まー、ちょっと長引いて十九時半だけど、誤差の範囲内でしょ。通勤時間ないからあまり気にならないし、薄給だから多少は残業したいし。
椅子から立ち上がってジーパンとシャツを身につけ、その上からダウンジャケットを着込む。
ポッケに財布突っ込んでマスクを片手に
「うぅ寒、やっぱ靴下は履いとくべきだったかぁ」
誰かとすれ違う前にマスクを着用し、素早く両手はポッケに退避。ああ手袋もマフラーも無しじゃちょっときついわぁ。でも引き返すのは癪だ、前進あるのみ。
近くにあるコンビニで弁当とストゼロを籠に放り込み、支払いを済ませて家に戻ると、机の上で社有スマホがちかちかと明滅しているのが目に入った。
「『真弓美さん、明日は出勤をお願いできますか』? ……あっちゃー、めんどくせー」
チッと舌打ちするも、上司からのお願いを断るに足る理由がない。我が社はまだ完璧な在宅勤務にはほど遠い。
一応ウチはもの作り屋さんだからね、出社して物理的に行なわなきゃいけない作業はまだまだあるし、最近出社してないグループメンバーは――まあ、私よな。
『了解しました。電車の混雑を避けるため少し早めに出社します』
うちフレックスあるから遅めでもいいんだけど、冬はとくに早出の方が人少ないからね。コロナリスク低減の為なら早出の方が安心できる。
冬のオフトォンは全人類の味方だけど、懇意にすると延々人を堕落させる足手纏いでもある。早めに見限るのが吉ってね。
『ありがとう、何かあったら直ぐにチャットしてね。あと検温を忘れずに』
『了解です』
っと、やれやれ、明日の出社が決まっちまったかぁ。面倒だけど仕方ないね。
プシッ、とストゼロを解禁して空きっ腹に流し込みながら、壁に掛かっている社員証をチラ、と確認する。
地味なICカード表面に記されているのは社名と社員番号、そして私の名前と顔写真だ。
高無真弓美。
性別は女、日本国籍。渡航、留学経験無しの大卒。
製造系メーカーに入社して最近は殆ど出社してない在宅OL(在宅でも『オフィス』レディって言うのかな?)の二十六歳。
専門的な知識は無し、プログラミング言語もよくわからない。
できるのは
我が社は未だ続くコロナ禍における技術伝導の方法を確立できていなくって、最近の新人指導は完全におざなり。
上司のリモコンに徹しているのは楽でいいけど、後々の人生にこれが響いてこないかちょっと不安でもある。
そんな最近は全国のどこにでもいるだろう模範的社会人。当然、付き合っている相手もいない。
このコロナ禍でどうやって相手を探せってんだ。一度合コンにも行ってみたけど皆マスク外したままべらべら喋り始めるのが恐くて早々に退散した。
ってかなんであいつらマスク外したまま平然と喋れんの? 恐れを知らぬバーサーカーかっての。あーいうパーリィな連中とは正直付き合いたくもないわ。
「ま、そんなこと言ってるからトモダチできないのかもしれないけど」
少しも反省などせず、PCの前に向き直る。
生身の友達はいなくても、ネットの向こうにゃ知り合いがいるからね。そこまで寂しくはないのさ、今のうちはね。年食った後のことは知らん。
オンラインゲーを立ち上げ、起動画面の横で弁当を開封。ごはんを搔き込みながらチャットを起動してこれで夜の準備は万端だ。
このソシャゲ全盛の時代にわざわざPCでゲームをやる若者は少数だそうだけど、私はそんなの気にしない。ここにPCゲーマーは居ますよと態度で強く訴える。
「ま、クソゲーだけどね」
起動したのは『この手に貴方の輝きを』というADVゲーム、いわゆる乙女ゲーだ。
ADVらしく攻略相手は複数存在するマルチエンドで、当然のように周回プレイが前提。
周回ADVのくせにRPGとSLGの要素も組み込まれていて、適当にやってると敵に勝てなくて詰むのはゲームの設計段階からして色々間違ってると思う。
さらにリリースから二年が経過した今以て毎週のようにアップデートがかかるという『進化し続けるADV』だそうで、ユーザーフレンドリーとか全く考えられてない。クソゲーだよマジで。
そんなクソゲーだってのに現在のところ私の総プレイ時間は1000時間を越えている。クリア回数は二百回に迫る中堅プレーヤーだ。
まぁ一日二時間ぐらいしかやってないから中毒ではないわなワハハ。
お手洗いを済ませ、マイク付きヘッドフォンを装着して、よし準備完了。
「うっしゃ、今回はフレインルート試すか」
進化し続けるADVを謳っているだけあってこのクソゲー、周回であろうとぼんやりしてられないの、ホントクソって感じで好きだわ。
そんなクソに群がるハエみたいな連中が今日もチャットを更新していて(というのもこのゲーム、その特性上攻略wiki系があまり役に立たないからだ)なんだかんだで私みたいな一定数のファンを獲得している。
攻略チャットが賑わってるの、人が身近にいるって感じが分かってホントコロナ禍の癒やしよね、マジで。
「今日はフレインルートいっきまーす、今日は第一部まで」
ボイチャにログインしてアプリを起動、画面共有すると、
『お、地雷犬おっつおっつ』
『懲りないねーあんたも』
『頑張れ無駄な努力おつw』
「うるせー!」
チャットから声援のようなプークスクスが音声文面問わず次々飛んでくるのはまぁお約束だ。
何せ私のHNは
渾名がHNと乖離してわかりにくい、という同調圧力に屈して元のHNから変えた、私の生き様がそれだ。
「はーい、じゃ始めまーす」
なおチラ見したところこの部屋では私以外にも今三人がリアルタイムで走ってて、そのうち一人は新人さんみたいね。
いいよいいよ、新人囲って沼に落とすのもファンの仕事だもんね。ま、それはそれとして私のプレイだ。
「見てろよー、ぜったい生存ルート見つけてやっからな私の推し様よぉ」
『最初から』を選択してゲームスタート。
今から私はヒロインにして主人公のプレシアとなり、私の推しのために
――――――――――――――――
「オォアアアアッ!! アッ! アッ! アァアアアアッーー!!」
空になったストゼロの缶を握りつぶし、壁に投げつけて怒声を上げる! クソが、このクソゲーがよぉ!
「許せねぇまた駄目だクソがよぉ!」
『おー、今日も地雷犬荒れてるねぇ』
『だから無理だって言ってるのに』
『時報が生き残るルートなんてあるわけないじゃん。時報なんだからさぁ』
「うるぇぇあああっ!!」
最早言葉になっていない言葉を叫びながら机を叩く。クソ、クソ、クソ! 許せねぇ!
このゲームを開発している連中が許せねぇ! なぜ私の推しは死ぬんだ! 毎回死ぬんだ!
よーしあいつが死んだら私の物語が始まるぜみたいなノリで死ぬんだよ! あり得ねぇだろぉ!? 私の推しなんだよ!?
「なにが時報だふざけんな、進化し続けるADVの名を捨てろよ駄目開発陣がぁ!」
――うるせぇぞクソアマ! 毎晩毎晩何時だと思ってんだ!
ドガン、と隣の部屋から壁を叩かれてハッと我に返る。ヤベーまたやっちった。
「すんませんっしたー!」
ヘッドフォンしてゲームしてると忘れがちだけど、この安物件は壁が薄いのだ。
ゲームして発狂する隣人が壁向こうにいるとか、私なら絶対に御免だわ。ほんとゴメンチャイ。
「すいません明日に響くんで落ちまーす」
『あいよ、今回も爆死乙』
『おやすみー』
『おつかれわんこー』
画面共有を解除して、やれやれ今日も駄目だったよ。
しかし……そろそろ隣の人が包丁持ってやって来てもおかしくないし、自重しないといけないよなぁ。
そんなことを考えながらボイチャからもログアウト。
ゲームアプリを落とそうとしたところでふと時計に目をやると、その横にぶら下がってる社員証が目に入って、
「あ、明日出社だったか……」
自分がまだシャワーを浴びてないことに気がつき、ヘッドフォンを外して嫌々椅子から立ち上がる。
「あー、出社なら
下着を脱ぎ捨て脱衣カゴに放り込み、タオルを手にボリボリ腹をかきながら寒いキッチンを抜けて風呂へ向かい――ああ、バストイレ別は私にとっての拘りである。そこはアパート借りる上で絶対譲れないポイントだからね。
まあ湯船にお湯張るの面倒くさくて殆ど毎日シャワーだけどさ。ならユニットバスでいいじゃん、アハハ。
そんなこんなで暖房もない風呂の中、シャワーからでる水が四十三℃のお湯に変わったのを確かめてから頭からシャワーを被った瞬間。
ブチッと頭の奥で鈍い音が響いたような気がして、そのまま私の意識は闇の中へと消えていった。
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