■ 01 ■ 覚醒した日




「おはようございますお嬢様、起床のお時間です。お加減はいかがでしょうか」

「……あと五分ー」


 幸せなまどろみから私を引っぺがそうとする声。

 それから逃れるように横を向いて背を丸めるも今度は耳元でチリンチリンとベルを鳴らされる。


 チキショウ私の目覚まし時計、喋るどころかついに移動まで始めやがったかコノヤロウなんて怒りと共に手を伸ばすと、


「あれ?」


 おかしい、私の目覚まし時計は移動どころか体温まで獲得したのか?

 ついでになんか額にヒタリと手が触れる感覚があって、腕も生えてるとかル○バも顔負けじゃないかなんて事を考えながら目を開くと、


「お熱はさがったようですね。三日三晩ずっとうなされていましたから安心致しました」


 うん、誰これ?

 見た目は十歳前半? ぐらい? 薄いオレンジ色の髪を後ろで軽く結い上げたメイド服姿の少女が、その薄紫の瞳を私に向けて――薄紫の瞳ィ?


「ガイジン?」

「はい? メイでございますが。ガイジンとはどなたでしょう」

「あんただれ」

「ですから、メイでございますが。まだ夢の中でございますか? それとも高熱の後遺症が?」

「あーうん、たぶん後……いや前者、目が覚めてないだけ」


 左様でございますか、なんて頷いたメイさん(多分)がベッドの横に置かれている水差しからコップに一杯移した水を私に差し出してくる。

 色々思うところはあったがひとまず手に取ったコップを傾けると、若干生ぬるくはあったものの意識を覚醒させる役には立ったようだ。コップをメイドさんに返して軽く周囲を見回す。


 天蓋付きの大きめなベッド、傍らには水差しとブラシ、鏡が置かれた小さな台。

 レースのカーテンの向こう、大きな窓ガラスからはさんさんと日光が差し込んできていて。

 なんだろなこれ、私の家じゃないよここ。


 自慢じゃないが私の家は1Kのクソ雑魚木造マンションだ。

 机とPC、ベッドに本棚を置けば床面積なんてストゼロの空き缶転がすぐらいしかない、学生マンションに毛が生えたようなクソ狭賃貸だ。時折NUR○光のチラシがポストにねじ込まれる、お家賃六万四千ネット代ナローバンド込みの庶民仕様。

 それがなによこれ、一晩明けた目覚めがお貴族様って、どういうドッキリだっての。


 私ぁしがない在宅OLだぞ、庶民にドッキリ仕掛けるような番組って最近やってたっけ? うちテレビ無いから最近のトレンドとか分かんないや。

 昨日私何やったっけ――なんて、二日酔いだろうか。まるで思考を妨げるかのように頭の中を覆っている薄もやの緞帳を振り払おうと手を伸ばし――手?


 私の、手。

 手というかお手々。


「ちっさ、何これ」


 目の前にある手を閉じたり開いたりすると、瑞々しくぷっくりとした皮膚が柔らかに伸び縮みして――これは、子供の手だ。

 ずい、とベッドに手を突いて傍らの小机に手を伸ばすと、先ほどのメイド服が聡くも鏡を手に取って――なんで私が鏡を欲してるって分かったのこの子? 私に手渡してくれる。

 リース飾りを模した縁取りが豪華な、子供の手には重い鏡をそっと覗き込むと、


「わお幼女」


 鏡の中にいるのはどう見ても私じゃないよこれ。

 ブラッシング前だから些か絡まってはいるものの細く滑らかな長い灰色の髪に、牡丹色の瞳。何より童顔。


 おいおい冗談キツイよ、私ぁ日本人よ? それも下着姿にストゼロ酒精9%とコンビニ弁当が似合う典型的な雑魚OLぞ? じゃあ鏡の中のこいつは誰よ。

 少なくともストゼロでビタミンサプリ飲み下して一日を〆るようなキャラじゃないぞ? まあ灰色の髪ってのは地味かもだけどさ。


 ひとまず手の平を全力で頬に打ち付けると――うん、痛い。

 他の人はどうだか知らないけど私自身はこれまで痛みを伴う夢ってのは見たことないから、これは現実だ。そういったん受け止めるしかない。


「お目覚めになりましたか?」

「目覚めたっていうかんだよね」


 うん、これはあれだ、異世界だ多分。だって瞳の色とかおかしいもん。


「メイ」

「はい、お嬢様」


 オッケー、私はお嬢様でメイは恐らく私付きのレディメイドだ。私理解した。


「私の名前と年と身分を教えて」

「……は?」


 一瞬なに言ってんだこいつ、みたいな顔になったメイではあったけれど、すぐに表情を引き締められるあたり十代前半にして立派な仕事人ね、この子。

 私がこの子ぐらいの年だった時は――あー、家からの距離で進学校選んでたわ。うん、比較にすらならないや。

 まあそれはそれとして、


「夢を見たの。夢の中で私、私じゃない私になってたから、一応」

「はぁ、左様でございますか」


 メイドのメイが僅かに首を傾げたものの、夢見がちな年頃だしそういうこともあるかな、ぐらいに一応納得してくれたようだ。


「アーチェお嬢様は今年五歳になられましたアンティマスク伯爵家の一人娘、惣領娘にございます。これで宜しいでしょうか?」

「ん、ちゃんと目が覚めてるみたいね、ありがとメイ」


 ここででたらめ言われてたらアウトだったけど、まあ普通に考えてそれはないでしょ、と頷いておく。

 アーチェ、五歳か。伯爵令嬢ならよくある異世界転生としてはまあまあ悪くない地位――転生?


「では、身だしなみを整えても宜しいでしょうか」

「あ、うん……」


 ベッドから起き上がり、着替えをメイに任せながらも、私の心臓が早鐘のように落ち着きを失って逸り出す。


 よくある、異世界、転生? 

 なら私は死んだの? 何故?


 昨晩のことを思い出そうと、必死に頭の中の薄もや――さっき払ってしまった白い混濁した記憶に意識を投じて……




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