21.カムラクァッダの加護

 シャロシュラーサはリヴネリーアの目の前で命を落とした。

 即座にリヴネリーアが犯人と断じて糾弾きゅうだんしたのは第一王女であるジェラサローナで、彼女はあっという間にリヴネリーアを幽閉して自らが女王代理として政務を行うなどと宣言をしたらしい。

 らしい、というのはエデルの聞いたそれは伝聞でしかなく、当のリヴネリーアから話を聞くことができたわけでもないからだ。

 こつりとカムラクァッダ神殿にある机を叩く。

 アヴレークは既に死んでいる。大鴉は戻ることを禁じられた。となればリヴネリーアの味方であると真実言えるのは誰かとなれば、エデルが名前をあげられるのは五名しかいない。

 一人は、自分。エデルはリヴネリーアを裏切るつもりはない。彼女の娘とされている三人の王女は誰一人として女王たる資格はなく、一人失われたとてそれは変わらない。


「ここにいたか、エデル」

「ラヴィム侯爵」


 柔らかな光の下が、亜麻あま色の髪をした黒豹くろひょうのような男には似合わない。するりとほとんど足音もなく歩み寄ってきたアスワドにエデルは視線を向けて、立ち上がることもなく向かいの椅子を示した。

 ここはカムラクァッダ神殿で、この中においては神官の立場は強くなる。相手が貴族であろうと、それは変わらない。

 一歩外へ出れば、当然エデルもアスワドに敬意を払う。けれどこの中においては、エデルとアスワドに身分の差はない。


「陛下には会えた?」

「いや、僕でも駄目だった。ジェラサローナはとにかく陛下を孤立させたいらしい」

「……シュリシハミン侯爵は?」

「侯爵は出てこない。今領地を離れるわけにはいかないからな」


 ジェラサローナでもさすがに義父にあたるシュリシハミン侯爵の言うことを即座に却下はできないだろうが、彼が来られないのならばそれも望めない。

 神官であるエデルと、ラヴィム侯爵であるアスワドと、シュリシハミン侯爵であるラフザと、それからシハリアと、リトファレル。今オルキデの国内にいる中でリヴネリーアの味方であるとエデルが信じられるのは、たったそれだけだ。


「そうか、ファラーシャ・バルブールからの預かり物があるからだね」

「そういうことだ」


 アスワドが腰を下ろして、長く息を吐いた。

 ラヴィム侯爵領であるクエルクス地方から馬を飛ばしてきたらしい彼は、さすがに少しばかり疲れた顔だ。さすがに愛馬を乗り潰したりはしていないだろうが、それでもできる限り最速でエルエヴァットにやって来ている。


「閣下の遺体はどこにある」

「神殿の最奥、拝謁はいえつの間だよ。陛下以外は入ることを赦されない。私や神官長はともかく」

「そうか……遺体がなければ閣下が死んだとジェラサローナが騒いだところで信憑性がない。シハリア・バルブールの情報統制はまだ効いている」


 講和の場で使者が殺されたとなれば、オルキデからバシレイアに何かを求めるようなことになってもおかしくはない。戦争にならずとも、国同士の関係は悪化する可能性がある。

 オルキデはバシレイアとの関係が悪化しすぎれば、より一層平民がえることになる。それくらいのことは神官でしかないエデルにも分かっていることなのに、どうして戦争を望んだ彼らは分からないのだろう。

 それとも平民を犠牲にしてでも、権力というものを手にしたいのか。


大鴉カビル・グラーブは戻さないんだね、陛下は」

「戻すつもりはないだろう。エハドアルド・ハーフィルが面倒だ」


 エハドアルドの執着は、さかのぼれば大鴉の母親に辿り着く。エデルは直接そのことを知っているわけではないが、漏れ聞こえてくるもので分かっているものがある。

 けれどエハドアルド一人、避ける方法はいくらでもあるだろう。鴉は影から影へと移動する、その居場所もエハドアルドが簡単に掴めるわけもない。


「陛下は大鴉カビル・グラーブに何をさせたいのかな」


 それでも、リヴネリーアは大鴉を戻さない。

 自分の味方が減ると知りながら、守りが減ると知りながら。鴉の成鳥は大鴉を含めて三羽しかいないのに、大鴉は戻さず、シアルゥは群島へ行かせた。そうしてもう一羽、クルムは行方をくらませている。


「……次代が欲しいんだ、陛下は」

「ふうん」


 三人の王女は誰もシャムスアダーラに選ばれない。誰一人として王家の青銀は持たず、そしてジェラサローナの娘にもそれは現れなかった。

 けれど大鴉はもう女王になる権利を持っていない。次に継承権が与えられるとすれば、彼女の娘だ。


「なるほど、オルキデではない場所で、オルキデの貴族ではない誰かとの間に、子を産めと」


 オルキデの人間では不都合がある。オルキデの貴族であれば、どうしてもそこに付随する権力が目をくらませかねない。誰も彼もがシュリシハミン侯爵やシハリアのように権力に興味を持たないままではいられない。

 そういうものが、人間なのだ。だから、それが悪いとはエデルは言えない。


「哀れな話だな、王家の青銀も」

「そうだね」


 ただ次代を産めと。神がそういう印をつけたのだからと。

 いっそ王家の青銀の価値など知らない人間が相手の方が幸せになれるのではないかと、エデルはそんなことを思うのだ。だからこそ、リヴネリーアはアヴレークを選んだのかもしれない。

 そして、かつてのメルシェケールも。


「陛下も、哀れだった?」

「お前……読んだのか」

「聞こえただけだよ。カムラクァッダの加護、心の声や過去を聞く。カムラクァッダは裁きの神でもあるから」


 王家の青銀は神の執着なのかもしれない。

 どうなのかと問いかけたところでカムラクァッダは沈黙を守っている。要らないときはうるさいくらいに話しかけてくるくせに。

 月と裁きの神はその過去と心の声を聞き、そしてそこから裁きを下す。加護を与えられているエデルもそれと同じように、聞きたくなくとも聞こえてくるものがある。


「申し訳ないけどね、侯爵のも聞いたよ」

「そうか」


 そういえば、リトファレルは無音だった。彼だけは、何も聞こえなかった。

 何も考えていないのか、閉ざしているのか、一体どちらなのだろう。時折そんな風に、何も聞こえない人もいる。


「お前、本気でナフラ・ネシュルが公爵になるのを支持するつもりか?」

「そのつもりだよ。それがどうかした?」


 しばしの沈黙の後に口を開いたアスワドは、そんなことを言う。

 そしてエデルの返答にアスワドは再び考え込むような顔をしてから、ゆるく首を横に振った。


「……彼女には、重責だろう。彼女はその器にない」

「それでも、なんだよ。私だってナフラを公爵にしたいわけじゃない。けれど駄目なんだ、ヘフレリ・ネシュルを公爵にするわけにはいかない。本当ならば弟のアサールが公爵になるべきだった」


 幼い頃の約束を忘れたことはない。エデルが裁かなくて良い公爵になると言ったのは、きっと彼女の本心だ。

 その時はまだアサールもいなかったか、幼かったか。まだ彼女の資質も見えなかった頃の、本当に幼い約束だった。

 アサールが公爵になるのなら、ナフラはそれをよく支えただろう。彼女は一番上に立つのは厳しいかもしれないが、誰かを支えることには向いている。


「でも、ヘフレリがそれを阻止すべく彼をクルタラージュに与えてしまった」


 一度でも王族の伴侶となってしまえば、家を継ぐ資格は失われる。

 決してこれをナフラの前で口にしたりはしない。アスワドとてここでエデルに言っているものの、本人に面と向かって言うことはないのだ。

 彼とて、本当は分かっている。


「それならもう、ナフラしかいないんだ。彼女に苛烈な場所が耐えられないだなんて、私だってそんなのは分かっているんだよ。そして誰が好き好んで、友達をそんなところに置きたいと思うものか」

「本人は、分かっているのか」

「分かっていると思うよ、彼女は。それでも、そんなことは一切口にしない。自分が向かないと思うことすらも、きっと彼女は禁じている」


 足を震わせてでも、向かないと分かっていても、彼女はそれを顔に出すことはなく立つのだろう。

 ただ公爵家と言えば簡単でも、ラベトゥルという巨大な家を背負うというのは他の家とはまた違う。大きな家であるからこそ内部にも抱えているものは多く、ともすればその内部から足をすくわれる。


「だからね、侯爵。私や貴方で支えるしかないんだ。いざナフラがその場所に立った時、ラベトゥル公爵家に連なる有象無象に彼女を喰い荒らさせないためにも。アサールがいれば、きっと彼も姉を支える。だから大丈夫だよ、侯爵。そんなに心配しなくても」

「別に僕はナフラ・ネシュルを心配しているわけではないんだが」

「そういうことにしておくよ」


 少し仏頂面になったアスワドは、けれどすぐにいつもの表情に戻っていた。

 先手を打てなかったのならば、目の前のものに対処していくしかない。先手を打てる段階には最早なく、後手に回ってしまっている。


「ジェラサローナ殿下は、何をするつもりかな。閣下の行方不明の責任をバシレイアに問うかな……陛下の静観を無視して」

「手紙でも送り付けるのではないか。再戦は無理だが、さて。人質でも求めるか」


 彼女ならばやりそうなことだ。

 そして再戦がしたいのならばきっと、その人質を使って何かすることになる。それをバシレイアが呑むのか、そして人質に誰を寄越すのかということはあるけれど。


「……バシレイアへ送る手紙の草案を、ジェラサローナ殿下のところから奪わないとだね。幸い大鴉はバシレイアにいる。先手を打つのなら、そこからだ」


 ここから先も後手に回り続けるわけにはいかない。

 多少無理をしようとも、何を使おうとも、ひとつでも先んじておかなければ。

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