絶望

 2023年7月7日午後7時40分


 校舎一階のとある部屋から、少女の啜り泣く声が聞こえる。

「ぐすっ…、ううっ…」

 その声の正体は、西野希にしの のぞみだった。彼女は、部屋の隅で体育座りをしながら泣いていた。

 彼女がいるのは、校舎一階にある保健室。明かりのついていない部屋には、薬品が収納されているキャビネット、いくつかの書類が放置されている机、そして二つのベッドがある。それぞれのベッドの天井周りには、白い仕切りカーテンがある。

 西野は、窓際側のベッドの足元で体育座りしている。ベッドと窓の間には、人一人が座れるスペースがあり、彼女は身を隠すためにそこにいた。そして、隠れている自分をさらに見つけにくくするために、壁際に畳まれた仕切りカーテンを全て開け、自分の姿が見えないようにしていた。

「なんで…。こんなことになるなら、来なきゃよかった…」

 立てている膝に顔を埋めながら、後悔を口にする。止めどなく出てくる生暖かい涙が膝を濡らし続ける。

 負の感情に支配されている頭の中で、過去の自分の姿が浮かび上がってくる。


 それは、2日前の7月5日の昼。午後12時を過ぎた頃、教室では大勢の生徒が持参した弁当やパンを食べながら談笑していた。大半が楽しい雰囲気を出している中、西野は一番後ろの席で一人黙々と昼食を取っていた。弁当箱に入っているだし巻き卵を箸で2つに割る。片方を掴み、口に運ぼうとした時だった。

「よっ」

 突然声をかけられ、身体を震わせる。一体、誰だろう。そう不思議に思いながら、首を右に向ける。視界にその人物が入るや否や、西野は緊張感に襲われる。

「お、小川、君」

「西野。急に悪いな。折りいって、頼みがあるんだけど」

「た、頼み?」

 西野は、唇を震わせながら問い返す。

「実は、協力してほしい話があってな」

「な、何?」

「これを見てくれ」

 小川が一枚の紙を差し出す。その紙を受け取り、西野は表面に書かれている文章に目を通す。

 一通り目を通した後、西野は小川に目を合わせずに尋ねる。

「協力してほしいのって、こ、これ?」

「ああ。人が足りねえからさ。それに、ミステリー系が好きだって言ってたから、どうかな」

 小川が両手を胸の前に合わせる。必死にお願いしているのが伝わってくる。しかし、手紙の内容からすぐに返事できるものではなかった。誰かのイタズラとしか思えない内容に、西野は逡巡する。

 返事に迷っている中、ある考えが浮かび上がってきた。そして、数秒の間を置くことなく、西野は返事をする。

「…うん。私でよければ…」

「マジで!?サンキュー、西野」

 小川が笑顔を浮かべる。彼の笑顔を見た途端、心臓の鼓動が早まっていくのを感じる。それと同時に、身体が熱くなっていく。

「昼時に邪魔したな。ありがとよ」

 小川はそう言って、西野の元を離れていった。教室の後ろにあるドアから外へ出ていくのを見た西野は、口角を上げる。

 気になる人からの誘い。こんな自分に声をかけてくれるなんて。そう思うだけでも、彼女は幸せを感じた。

 返事に迷っている時に浮かんだ考えはこうだった。「こんな絶好の機会を逃すなんて勿体無い」と。

 変な話に乗るなんて、どうかしてるとは思う。しかし、結果なんてどうでもいい。本当に何か不可解な現象が起きたとしても、起こらなくてもいい。ただ、彼といられることが大事なのだ。

 西野は、頭の中で想像を膨らませる。二人っきりで色々と話し、関係を深めていく姿。そう想像しただけで、思わず口角が釣り上がってしまいそうになる。

-これじゃ、やばい奴だわ。

 そう思った西野は、真顔を保ち続ける。しかし、抗うのはなかなか難しく、自然と口角が上がってしまう。


 自分が想像した光景なら、何かハプニングがあって、それを機に関係が深くなっていく。そんなはずだった。しかし、今置かれている状況は、それとは程遠いものだった。鎌を持った骸骨に追いかけられるなんて、誰が想像できるだろうか。

-付いてこなければよかった。

 小川の誘いに乗ったことへの後悔が、頭から離れない。そんな時、西野の頭の中でまた別の光景が浮かび上がる。

 今から約15分前、鎌を持った骸骨から、一緒に逃げていた立花と流川を置いて逃げ出した。

『西野先輩!』

 背後からかけられる立花の叫び声。しかし、彼の呼び掛けに振り向くことなく、その場を逃げ出した。

 その時の光景を思い出し、西野は罪悪感に駆られる。

「ごめんなさい…。立花君、流川さん…、ごめんなさい…、ごめんなさい…」

 二人への懺悔を呟き続ける。

 あの二人は一体どうなったのか、と二人の安否が気になる。"なんとか逃げられたのか"、そんな明るい想像が浮かぶ反面、"骸骨に無惨に殺された"という暗い想像も浮かび上がってくる。

-どうか、無事でいてください。

 西野は、明るい想像通りであることを願った。

 見捨てて逃げ出した自分が言えることではないのは分かっている。しかし、心を押し潰してくる罪悪感に抗うには、こう願うしかなかった。悪い想像通りになってしまったら、心が完全に潰されてしまう。

 西野は、徐々に落ち着きを取り戻してきていた。まだ完全に平静に戻ったというわけではないが、ずっと流れていた涙がようやく止まった。しかし、何かをする気にはなれないままでいる。また骸骨に追いかけられるくらいなら、このままじっとしていた方がいい。そんな気持ちでいる時だった。

 ガシャ、ガシャ。

「っ!」

 悲鳴が漏れ出そうになり、西野は両手で口を塞ぐ。突如聞こえてきた足音に、心臓の鼓動が早まっていく。

-あいつだ。こっちに近づいている。

 そう思うと同時に、また身体の震えに襲われる。今の足音は、先ほど自分たちを追いかけてきた骸骨のもの。人間から発せられることはない独特な足音。その足音が一定のリズムで発せられ続ける。

 ガシャ、ガシャ。

-こっちに来てる…。

 足音が大きくなっていくのを感じる。それに比例するように、ドクンドクンと鼓動の音も大きくなっていく。

 ガシャ、ガシャ。

 音が小さくなることはなく、徐々に大きくなっているのを感じる。

-まさか、もう…。

 脳裏に恐ろしい光景が浮かび上がる。それが現実ではないことを確かめるために、西野はカーテンの下から覗き込む。カーテンと床の間は、ほんの十数センチしかない。そんな狭い隙間の中で、室内を見渡す。

 全体を見渡すように端から端まで、視線を動かしていく。その真ん中あたりで、二本の足の骨を捉えた。

「っ!」

 飛び出そうになる悲鳴を必死に抑える。西野は、地面にうつ伏せになる。そして、右にあるベッドの隙間へ身体を這わせる。ベッドと床の間には、人一人が入れそうなスペースがある。

 ガシャ、ガシャ。

 骸骨の足跡を耳にしながら、西野は身体を這わせ続ける。恐ろしさのあまり、身体が上手く動かさず涙が出てくる。しかし、それでも西野は、音を立てないように努める。

 右半身から左半身と順に中に這わせ、全身がすっぽりと入りこんだ。うつ伏せの状態のまま、西野はじっとする。

 ガシャ、ガシャ。

 骸骨の足がカーテンの前に移動する。そして、そのまま立ち止まっているのを、ベッド下の隙間から見る。目の前まで迫っていると認識した、その瞬間だった。

 ベリィ!

「っ!」

 布を裂く音が聞こえ、西野は身体をびくっと震わせる。カーテンを鎌で引き裂いてる。そんな光景がすぐに想像できた。それから、また同じ音が聞こえる。

 ベリィ!ベリィ!

 三回目で音がピタリと止んだ。骸骨の足は、そのまま止まったままでいる。恐らく、カーテンの向こうに誰かいるのか確認しているのだろうと西野は思った。それと同時に、そこにそのままいなくて良かったと安堵する。

 誰もいないのを確認したはずなのに、骸骨の足は動かないままでいる。それを見た西野の脳裏に、恐ろしい想像が浮かび上がる。

-覗き込まれたら、終わりだ…。

 そう考えた途端、その場を離れたくなる衝動に駆られる。しかし、もしそんなことをすれば、確実に見つかって追いかけられる。

-お願い…。

 西野はただ、その場で祈り続けるしかなかった。しかし、骸骨の足はその場から動く気配はない。変わらない状況に、西野の精神がどんどん削られていく。その場で叫んでしまいそう、そう思った時だった。

 ベッドに向けられたつま先が反対方向を向いた。そして、方向を変えた足がベッドから離れていく。祈りが通じたのだと、西野はほっと胸を撫で下ろす。

 ベッド下の隙間から骸骨の動向を伺う。ベッドから離れていった骸骨は、教室のドアへと進んでいた。そして、教室から姿を消した。骸骨の独特な足跡が遠ざかっていき、やがて聞こえなくなった。

「助かったぁ…」

 西野はそう呟くと、安堵のため息を吐いた。見つかって殺させていてもおかしくない状況下だった。しかし、咄嗟の機転と運の良さで凌げたことに、西野は安堵した。

 気持ちを落ち着かせるために、深呼吸をしようとする。その時だった。

 ピンポンパンポーン。

 突如、アナウンスの予告音が流れた。

『たった今、「壱」の鍵が開かれました。皆様、あと4つのゲームのクリアを目指してください』

「誰かが、鍵を開けたの?」

 西野は、驚いていた。得体の知れないものに挑んで、クリアした者がいたことに。

 アナウンスを受け、今後の動向について考えを巡らせる。自分もゲームをクリアしに行くか、そんな考えが出たものの、すぐに小さくなっていった。そして、別の考えが大きくなっていく。

 -このままじっとしていよう。

 西野は、その考えで行こうと決めた。凶器を持った骸骨に追いかけられ、恐ろしい目に遭うのなら、何もしない方がいい。そう思っていた時だった。

 コツ、コツ。

「っ!」

 突然の足音に、西野はまた身体を震わせる。

しかし、一定のリズムで発せられる音を聞いて、西野はあることを思う。

-上履きで歩く音?

 そう思った西野は、集中して聞いてみる。上履きの少し硬い底が床を蹴る音。日々聞き慣れた音、間違いない。そう確信を得たと同時に、足音がピタッと止まった。何事かと、西野は不安に感じる。その矢先だった。

「誰か」

-えっ?

 突然聞こえた声に、内心驚く。

「誰かいますか?」

 呼びかけるような男の声に、西野は困惑する。

-誰?

「助けに来ました」

 その言葉に、西野は希望を見出す。誰の声かは分からないが、少なくとも小川の声でないのは分かる。しかし、途中で逸れた男子の誰かが助けに来てくれたんだと勝手に想像する。

「誰か。誰かいませんか?」

 その呼びかけに応じるように、西野は身体を動かす。右半身から左半身とベッド下から身体を出していく。全身が出てから、片膝を立ててゆっくりと立ち上がる。

「やった…。助けが来たんだ」

 そう呟くと同時に、西野の口角が上がる。西野にとって、声の主が誰だってよかった。一人で寂しい思いをしていた自分にとっては、救いの存在に思えるからだ。

 ベッドから見て、斜め右方向にある教室のドアに視線を固定し、そこに向かう。

 ゆっくりとした足取りで向かい、ドアの前に立つ。廊下に足を踏み出してから、左右を見る。しかし、そこには誰の姿もなかった。

「あれっ?」

 不審に思いながら、左右を見る。その時だった。背中に何か小さな感触を覚えた。それと同時に、今までに経験したことのない鋭い痛みが走った。

「えっ?」

 一体何が起きたのか分からず、呆気に取られる。背後の室内に振り返ろうとするも、大きな圧力に押される。その圧力に耐えられなかった西野は、重力に吸い寄せられるようにうつ伏せに倒れた。受け身を取らず、地面に激しく打ったせいで、顔や胸といった身体の前面が痛む。その痛みが、身体の後面に波のように伝わってくる。

 強い衝撃による痛みが全身を襲う。しかし、その痛みよりも強いものが、背中の一点に走っている。その刹那、また鋭い痛みが走った。

「〜っ!!」

 痛みで叫ぼうとした途端、口を何かに押さえられる。それは、無機質な物体を思わせるほどに冷たいものだった。

 背中に激痛が生じる。そして、ワイシャツの後ろが濡れる感触を覚える。ここで西野は、自分に降りかかっている状況をようやく理解した。鋭利なモノで背中を滅多刺しにされている、と。

 俯瞰的に見ている最中、背中の刺し傷が増えていく。必死に抵抗しようと頭では考えているものの、身体がそのように動くことはない。

 ちゃぷ、ちゃぷ。

 自分の耳元に聞こえてくる不思議な音。背中を染め上げている血に、刃物を持つ手が触れる度に発せられる。徐々に薄れていく意識の中で、そんなことを思う。そして、頭の中である光景が浮かび上がってくる。


 今からおよそ2ヶ月前のこと。入学して、まだ1ヶ月も経っていない頃だった。

 その日は、昼から雨が降っていた。土砂降りというほどの激しい雨ではなかった。しかし、17時近くになってもまだ雨が降っているのを見て、西野は困り果てていた。

 彼女はご飯を食べながら情報番組を見るのが、毎朝の日課だった。番組内で紹介する天気予報を確認してから、家を出る。その日の天気予報は、「午前は晴れ、午後は曇り」と言っていた。曇りと聞き、雨が降る可能性を考えた西野は、傘を念の為に持って行こうか迷う。しかし、洪水確率は20%と聞き、持っていかなくてもいいと判断した。そのくらいの確率なら、降らないと甘く見ていたからだった。

 それが災いし、西野を困らせる要因となった。

「はぁ…。ちゃんと持ってくればよかった」

 ため息を吐き、自身の考えの甘さを嘆く。

 校舎の玄関先で、このまま歩いて帰るか、それとも弱まるまで待とうかと判断に迷う。そんな時、後ろの昇降口から足音が聞こえた。

 その音に気がついた西野は、ゆっくり振り向く。そこには、下駄箱で上履きから外靴に履き替えている小川の姿があった。外靴に履き替えた彼は、下駄箱の隣に置いてある傘立てから黒色の傘を持ち出す。傘を持ち、昇降口を出ようとした彼が玄関先にいる西野に気づく。

「あれ?西野さんだよね?俺と同じ1年D組の」

「えっ?あ、はい」

 西野は声を震わせながらも、返事をする。

「部活の帰り?」

「い、いえ、にっ…日直だったんで」

「日直?あー、なるほどね。でも、もう17時前だぜ?下校時間から1時間半もやることあったっけ」

「と、図書館で、本…を読んでたんです」

「読書?ふーん。俺、漫画しか読めないからすげぇや。てか、傘は?」

「わ、忘れて…しまって」

「マジか。そんなら、これ使ってけよ」

 小川が黒色の傘を西野に差し出す。彼の気遣いに、西野は戸惑う。

「でも、お、小川くんが」

「いいから、使いなって。俺の家、ここからそんな遠くないし」

「…いいの?」

「おう」

 彼の返事を受け、西野は彼の傘を持つ。

「じゃ、気をつけてな」

「あっ…」

 声をかける前に、小川は走って行ってしまった。

 その瞬間から、小川を見る目が変わった。それは、ただのクラスメートから気になる異性への変化だった。


 記憶の再生を終わると、西野は不思議な感覚に襲われる。

-なんで、今こんなこと思い出してるんだろ?

 自分自身にそう問いかけるも、答えなんて浮かんでこない。そして、意識が遠くなっていく。

-痛い…。小川君、助け…。

 心の中で、小川に助けを求める。しかし、西野の意識はそこで途絶えた。そして、彼女は自身の血でできた血溜まりの中で、息絶えた。

_____


 2023年7月7日午後7時50分

 

 校舎二階にある職員室の前に、栗花落愛美はいた。職員室の明かりはついておらず、ドアも開かない。

「何か手掛かりがあればいいと思ったんだけど…」

 そう呟くと、後ろに振り向いた。まっすぐ前に進んだところで、左にある階段を見る。そして、下に降りることにする。

 松本たちとゲームをクリアした後、栗花落は校舎三階の校長室前に飛ばされていた。突然の出来事に戸惑い、しばらく気持ちを落ち着かせる時間が必要だった。

 こんな世界から早く出たい。失敗すれば、死ぬ。本当に死ぬかもしれないという臨場感と恐怖をゲームで味わってから、そう思うのは当然だった。

 折り返し階段をゆっくりと降りていく。降りた先の左側には、昇降口がある。そこから出られるか、確認しようとした時だった。

 視界の端に何かを捉えた栗花落は、前へ視線を向ける。その先は、渡り廊下に続く廊下。道中には、保健室がある。その部屋の前で、彼女は倒れている人を発見した。

「…誰?」

 栗花落は、ゆっくりとそこへ近づいていく。血の海に伏している制服姿の女子生徒。左に向けられた顔と髪型から、それが誰なのか分かった。

「…西野さん」

 栗花落は、その場で呆然とする。パッチリとした目は、少し伏目がちになっていて、涙が流れている。彼女の白いシャツは、血に染まっており、背中の至る所に刺し傷のような痕があった。

-一体、誰が。

 そう考えている時、ある存在が頭に浮かび上がった。それは、校舎のどこかで徘徊している骸骨。骸骨は鎌を持っているから、犯人として真っ先に上がるのは当然。しかし、栗花落はその考えに小さな疑いを抱き始める。

 その疑いについて、深く考え込もうとした時だった。

 遠くから、誰かの啜り泣く声が聞こえたのだ。その声が聞こえた方向へ視線を向ける。その方向は、栗花落が今いる廊下の先だった。

 泣き声は消えることなく、発せられ続けている。よく聞いてみると、男の声だった。

 一体誰だろうか。そんな疑問を抱くも、それよりも早く駆けつけなくてはという気持ちが優先される。そして、栗花落は駆け足で向かい始める。

 

 廊下を走り抜け、右側へ目を向ける。その先には、渡り廊下がある。その場の光景を見て、栗花落は目を見張る。

「松本君?」

 栗花落が呼びかける。しかし、彼は反応を示すことなく、廊下の真ん中で膝を着いている。そして、ただ嗚咽を漏らしていた。

 側から見れば、何か大きな悲しみに暮れているような様子だった。心配になった栗花落は、松本に駆け寄る。

「松本君、どうしたの?」

 彼に問いかけるも、返事はない。彼の両肩を掴み、目を見てもう一度尋ねる。

「松本君、教えて。何があったの?」

「…栗花落さん?」

 我に帰ったように、松本が反応を示す。虚な目で栗花落を見つめながら、呟いた。

「死んだんだ…」

「えっ?」

「家庭科室のゲームで、一と和也が死んだ」

「小川君と堀田君が?」

 松本の言葉に、栗花落は強い衝撃を覚える。すると、松本はズボンのポケットに手を突っ込み、小さな鍵を取り出した。その鍵は、"肆"と彫られていた。

「…クリアしたのね」

「…あいつら、俺に命を託して死んだ。なんで、俺が生き残っちまったんだよ」

「…松本君」

「なぁ、俺は生きていい存在なのか?」

 松本の問いに、栗花落は口と目を閉じる。

「親友二人を犠牲にしてまで、俺が生き残る価値があるのかなぁ!?なぁ!?教えてくれよ!!」

 松本が栗花落の両肩を掴み、揺さぶってくる。彼女は黙って、彼の言葉を聞き続ける。そんな時、彼女の頭の中である光景が浮かび上がってきた。


 今から2年前、当時中学2年生だった栗花落は、クラスの女子たちにイジメられていた。

 実行犯は、同じクラスの不良女子と取り巻き3人。イジメの発端となったのは、とある男子生徒が栗花落に好意を持ったからだった。しかし、その男子生徒を狙っている者がいて、それがその不良女子だった。

 彼女にとって、それがどうしても許せなかったらしく、事実を知ってから栗花落に毎日嫌がらせをするようになった。教科書を破り捨て、上履きをゴミ箱に捨て、椅子の上に画鋲を撒く、そして、トイレに連れて行って、水をかけた。

 堂々と行われるイジメを、止めてくれる者はいなかった。人から向けられる悪意が恐ろしかった。直接悪いことをしたわけでもないのに責められる理不尽さと助けなんてないという絶望で、栗花落の心は限界を迎えていた。

 そして、ある日のこと。自分の部屋で泣いていたところを母に見られた。笑顔だった表情から戸惑いのものへと変わり、理由を尋ねてきた。栗花落は、母の質問に答える。

「もうこんなの嫌。私なんていない方がいいのよ!」

 栗花落は、心境を吐き出した。困っている様子の母は眉根を寄せ、辛そうな表情を浮かべると、栗花落を抱きしめた。

「そんなこと言わないで。私は、あなたに死んでほしくないの」

「…でも!」

「あなたがそう思っていても、私はそう思わない。お願いだから、私のために生きてちょうだい」

 声を震わせた母の言葉に、栗花落は慟哭を上げた。自分に生きていて欲しいと願ってくれる人が、こんな身近にいたことが嬉しかったのだ。そのことで、栗花落は救われた。


 回想が終わり、栗花落は松本に声をかける。

「…松本君。もうそんなこと言わないで」 

「こうでもしないと、やってられねぇんだよ!」

「お願い。自分を責めないで」

 そう言うと、栗花落は松本を抱きしめた。突然のことに、松本は唖然とする。

「あなたがそう思っていても、身近にいる人はそう思っていない。小川君も堀田君だって、そんな風には思っていないはずよ」

「…そうかなぁ?」

 松本が声を震わせながら、尋ねる。

「自分の命を捨ててまで、あなたに託したんでしょ?それなら、あなたに生きてて欲しいって思ってたってことでしょ?」

 栗花落がそう言うと、松本は一瞬黙り込んだ。そして、数秒も経たないうちに嗚咽が漏れ出始める。

「…ありがとう。そう言ってもらえて…、助かったよ」

「母さんが私に言った言葉をそのまま言っただけよ」

 二人の間に、心安らぐ温かい空気が流れる。しかし、それを邪魔するかのようにやってきた存在がいた。

 ガシャ、ガシャ。

 廊下の奥から、ガシャ、ガシャと不気味な音が聞こえ始めてきた。

「まさか、あいつが?」

 松本が困惑した表情を浮かべる。栗花落は、その場でじっと待つ。

 自分がいた校舎の反対側の廊下を見る。すると、支柱から骸骨がぬっと現れた。骸骨を見た松本が、顔を強張らせる。それに対して、栗花落は冷静な顔つきだった。

「松本君。そこで待ってて」

「栗花落さん?」

「残り二つのゲームって、こいつを倒すことのはず。だから、私がクリアする」

 栗花落はそう言うと、松本の前に出る。そして、両手を前に出して、構えの姿勢を取る。

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