ゲーム:『家庭科室』

 2023年7月7日午後7時42分


 ドクン、ドクン。

 心臓の鼓動が早まり、気分が落ち着かない。鎌を持った骸骨にいつ出くわしてしまうのか、そんな恐怖のせいだった。

 足音を大きく出さないように、松本幸太は慎重に歩いていく。骸骨に気づかれないことを祈りながら、ゆっくりと階段を降りて行く。

 階段を降り、踊り場まで来る。そして、折り返して、下り階段の先を見る。左右に注意しながら、ゆっくりと階段を降りて行く。

 一階の床に足を着け、すぐ左手にある昇降口へ目を向ける。そこには、いくつかの下駄箱があり、その先にはガラス張りの引き戸がある。ドアが閉まっているのを見た松本は、そこへ向かう。

 ドアの前に立ち、引手に手を掛ける。そのまま左に引くも、びくともしなかった。

「くそっ」

 悪態を吐き、腕に力を込めながら思いっきり引いてみる。しかし、それでもドアを開けるこ

とはできなかった。

「くそっ、ダメか」

 愚痴をこぼし、ドアのガラスの先を見る。左側は、二階まである職員棟とその一階に通じる外廊下。右側には、グラウンドが見える。グラウンドへ目を向けた時、彼は衝撃を受けた。

 広大なグラウンドに立っている数十もの墓石。そこに墓場なんてなかったはず、松本は自分が見ている光景に疑いを抱く。

 一度目を瞑ってから、もう一度グラウンドを見る。しかし、さっきと同じ光景で、松本は怖気付く。

「こんなところ、早く出ないと」

 そう自分に言い聞かせた時、背後が気になった。誰かの視線を感じるような感覚に襲われ、恐る恐る振り返る。しかし、そこには誰もいなかった。

 ここにいてもしょうがない。そう思った松本は、下駄箱にゆっくり近づいて行く。下駄箱に身を寄せながら、顔を少しだけ覗かせる。その状態で、左右を見渡す。そこに何もいないことを確認した松本は、廊下へ足を向ける。

「ここでビビっててもしょうがない。とにかく、この鍵を差し込んでみないと」

 自分を鼓舞し、ズボンの右ポケットに手を入れる。さっきの音楽室で手に入れた、「壱」と刻まれた小さな鍵。それで大鏡を封じている錠を解錠したらどうなるのか。

 それを確かめるべく、松本は二階へと向かうことを決意する。


 緊張感に苛まれながらも、松本は二階と三階の階段踊り場へと辿りついた。骸骨に遭遇することなく、なんとか踊り場へ辿り着けたことに、彼は安堵する。しかし、それと同時に、小川たちに会えなかったことを残念に思う。

 目の前にある踊り場の大鏡。扉に取り付けられた5つの南京錠。改めて見てみると、不気味にしか見えない。

 松本は、ズボンの右ポケットにある鍵を取り出す。そして、一番上の南京錠に差し込もうとする。すると、すんなりと鍵穴に入り込んだ。そのまま右に捻ると、シャックルが外れた。シャックルを外し、南京錠を手に持つ。その瞬間、南京錠が風に舞っていく砂粒のように消えていった。突然のことに驚き、目を見張っている時だった。

 ピンポンパンポーン。

「また、あの音…」

 松本は上を見上げながら、呟く。

『たった今、「壱」の鍵が開かれました。皆様、あと4つのゲームのクリアを目指してください』

 その言葉に、松本はため息を吐く。常軌を逸したゲームがあと4つもあると考えると、先が思いやられる気持ちになるからだった。

 とにかく、次のゲームに挑まなくてはいけない。そう考えた松本は、仲間と再会するために二階を探索することにする。

 階段を降り、二階に足を踏み入れる。そして、右側の廊下を見る。その廊下の先を見て、松本は驚きの声を漏らす。

「あっ。家庭科室に明かりが点いている…、ん?」

 松本はそこで、もう一つ何かに気がついた。教室の前に立つ二人。今立っているところからでは、距離が遠くてはっきりと見えない。松本は、そこへゆっくり近づいて行く。

 近づいて行くにつれ、二人の後ろ姿が鮮明になっていく。そして、彼らが誰なのかが分かったところで、松本は安堵する。

 家庭科室の前に立っているのは、小川と堀田だった。いつも見ている親友二人の後ろ姿。彼ら二人に声をかけようとした時、小川がゆっくりと振り向いた。そして、小川は目を大きく見開いた。そんな彼と目が合い、松本は萎縮する。

「何だ、幸太か…」

「何だよ。骸骨とでも思ったのか?」

「そりゃあな。でも、良かったよ」

「ああ。俺もだ」

「おおー!幸太、良かったぁ!」

 堀田が歓喜の声を上げる。堀田に対して、松本は笑みを浮かべる。

 3人の間に、和気藹々とした空気が流れる。そんな中、小川が真剣な表情を浮かべ始める。

「明かりが点いている。おそらく、ここがゲーム会場」

「ゲーム会場?なんで分かる」

「さっきの音楽室だって、明かりが点いてたろ?」

「確かに、言われてみれば」

「それに、このゲームは"学校の七不思議"になぞられてる」

「学校の七不思議?"七不思議"っていうけど、実際には6つしかない有名な話だろ?」

「ああ。"大鏡"、"音楽室"、"骨格標本"こと、あの骸骨。さらに、ここ"家庭科室"と全てが七不思議の話にあるんだよ」

「…マジだ」

 小川の推論に、松本は感心する。

「だとしたら、残るは"トイレの花子さん"とかだな」

「けど、明かりが点いてるトイレなんてなかったぞ」

「そうか。なら、別の話かもしれん」

「ちょっと待てよ。それ含んだとしても、5つしかねぇじゃねえか。あと一つは?」

「あと一つはな…」

 小川が、気まずそうに目を逸らす。

「何だよ。何かあったのか」

「あの防火シャッターの向こうに階段があるだろ?」

 小川が右を指差す。彼の正面に立つ松本は、左へ視線を向ける。その先には、閉められた防火シャッターがある。

「いつも使われてる階段だろ?さっき、一階の渡り廊下を通る時に、なんでシャッターが降りてるのかって不思議だったけど」

「三階で、流川さんが首を吊って死んでた」

「はっ?」

 その言葉に、松本は強い衝撃を覚える。

「じゃあ、ゲームクリアできずに死んだってことかよ」

「おそらくは、そう…。いや、待てよ」

 途中で言葉を区切ると、何やら考え込み始めた。

「どうしたんだよ」

「紐が二つあったんだよ。もう一つには、何もなかったんだ。もしかしたら、誰か一人だけがクリアしたのかもしれん。考えられるのは、共に逸れた西野さんか、立花のどちらか」

「マジかよ…。じゃあ、どちらかが鍵を持っている」

「だろうな。状況から見て、さっきの音楽室みたいな協力し合えばクリアできるゲームだけじゃないって考えられる」

 小川のその言葉で、松本も立花は失望したように俯き始める。場の空気が静まり返り、居心地の悪さを感じる。皆がその場で固まっている時だった。

 ガシャ、ガシャ。

 その音に気が付いたのは、松本だった。まさかと思い、後ろを振り返る。そこには、こちらに迫り来る骸骨の姿があった。

「おい!奴が来たぞ!」

「えっ!?」

 松本に呼びかけに応じた堀田が、驚きの声を発する。遅れて反応した小川も、同じ反応を示す。

 松本は判断に迷う。このまま、ゲーム会場に入ろうかと。しかし、次のゲームがどんなものなのか分からない。それが、判断を迷わせる。 

 そんな彼を焦らせるように、骸骨が迫り来る。ゆっくりと迫り来る骸骨に慄きながら、一歩、また一歩と後ずさっていく。 

「どうする?」

 松本が骸骨に目線を向けたまま、背後にいる小川たちに尋ねる。

「くそっ、もうちょっと早く気付いていれば」

「ねぇ、もう逃げ場なんてないよ」 

「そんなもん分かってる!だったら…」

 堀田に荒々しい声で答えた小川が、ゆっくりと首を後ろに回す。明かりが点いている家庭科室で、どんなゲームが繰り広げられるか分からない。その思考が、堀田を躊躇わせる。

 獲物が追い詰められるのを楽しむように、ゆっくりと近づいてくる骸骨。このままじゃ、どうしようもない。

「いちかばちか行くしかない…」

「えっ?」

 ぼそっと呟く小川に、堀田が反応する。

「今はとにかく、中に入るしかない!中に入れば、あいつは入ってこれないはずだ」

「なんで、そんなこと分かるの?」

「確かに、音楽室の時もそうだったな」

 戸惑う堀田をよそに、松本が同意を示す。そして、小川が家庭科室のドアを横に引いた。

「早く!」

 小川の掛け声に、松本は黙って従う。

--頼む。せめて、まともなゲームでありますように。

 そう祈りながら、室内に入る。そして、顔を強張らせたままの堀田が入りこむ。

 松本は、後ろに振り返りドアの先を見る。そこには、ただ呆然と立ち尽くす骸骨の姿があった。

--やっぱり、あいつはここに入れないんだ。

 そう確信した時、ドアが急に閉じられた。

 松本たち3人は、ドア付近で床に座り込む。松本は、ドアに嵌められたすりガラスを見る。そこには、骸骨のシルエットが浮かび上がっていた。そして、数秒も経たないうちに、その姿はゆっくりと消えて行った。

「やっぱり、奴はここには入れないんだな」

「みたいだな」

 松本は、小川の言葉にゆっくりと頷いた。先ほどの緊張感を和らげようと、松本が深いため息を吐いた時だった。

「何か、いい匂いしね?」

 堀田の指摘に、二人は鼻を集中させる。すると、食欲をそそるいい香りを感じた。これは、なんの料理だろうかと、松本が考えている時だった。

「見ろよ!カツ丼だぜ!」

「カツ丼?」

 堀田の言葉に、松本は驚く。生徒用の調理台に駆けつけていた堀田は、目を輝かせている。カツ丼に目を当てずに、松本は室内を見渡す。

 室内には、5人は座れる大きさの調理台が3つある。横に2つ並んだ調理台に、その2つの間に1つ。上からだと、三角形に見える配置になっている。

 こんな配置になっているというのも奇妙だが、それぞれの調理台にカツ丼が5つ置かれているのも奇妙だった。しかし、生徒用の調理台よりも、松本は教師用の調理台の方が気になっていた。

 黒板のある前にある調理台の上には、黒ひげ危機一発と上半身だけのマネキンが置かれている。黒ひげ危機一発は、今まで見てきたものと変わりはなく、足元に十数本の短剣が散らばっている。

 一方で、その後ろにあるマネキンはと言うと、とても不気味だった。なぜ上半身だけの状態で置かれているのかという疑問と、仏のように目を細め、口角を上げている穏やかな表情が不気味に感じられるからだった。

「次のゲームって、あの黒ひげを使ったゲーム?」

「そうとしか考えられんな」

 堀田の問いに、小川が冷静に答える。

「黒ひげにマネキン、そして、カツ丼。ここで、いったい何が…、っ!」

「どうした、和也。上に何が…、はっ!?」

 松本と小川が、天井に視線を向けたまま唖然とする。二人の様子が気になった堀田が上を見る。

「お前ら、二人ともどうしたんだ…、ひぃ!」

 堀田が短い悲鳴をあげる。3人が見上げる天井には、何十本もの包丁がゆらりと揺れながら、ぶら下がっていた。それらは、3つの生徒用調理台の真上にある。

「どうなってんだよ、これ」

「ゲームオーバーになったら、落ちてきて滅多刺しになるってのは想像できるよ」

 小川の言葉に、松本が苦笑交じりに答える。その時だった。

 ピンポンパンポーン。

 アナウンスの予告音が鳴る。

「おい。ゲームが始まるぞ」

 小川の呼びかけに、二人は静かに頷く。

『皆様、ようこそ。人数が揃いましたので、ゲームを開始します』

「頼む。せめて、マシなのにしてくれ」

 堀田が両手を組み、祈る態度を見せる。

『まずは、それぞれの空いている席にお座りください』

「別々の席に座ろう」

 小川が目の前の席に座ると、松本と堀田が別々の席に向かう。松本は小川の正面にある調理台、堀田は彼ら二人の間の後ろに位置する調理台に腰を下ろす。

 3人は、それぞれの席に座る二人を見渡す。落ち着かない気持ちで、じっと待っている時だった。

『皆様が席に座られたので、ゲームを開始します』

--一体、どんなゲームが。

 松本は、緊張感を抱き始める。

『ゲーム「最後の晩餐」。ルールの説明をします。皆様の机の上に、カツ丼が5つ用意されています』

 アナウンスを受け、3人は机を見る。それぞれの机には、5杯分のカツ丼がある。

『1杯食べ、空になった器を高くあげることで、樽に短剣を刺す権利が与えられます。そして、その場で1〜15の内、1つの数字を宣言できます。宣言の後、教卓にあるマネキンが、その番号の穴に短剣を刺します。なお、その場で使わなくてはいけないという訳ではありません。溜め込んでから、一気に使うということも可能です』

「俺たちで早食いして、時間内に黒ひげを飛び出させろってか?」

「それだったら、俺の得意分野だ」

 小川の憶測に、堀田が笑みを浮かべる。一方の松本は、眉根を寄せていた。

「和也の言うゲームなら、「溜め込んでから、一気に使う」ってのがよく分からん」

 松本の疑問に、2人が眉根を寄せる。そこで沈黙が生じた時だった。

『ゲームを面白くするために、ボーナスが7つあります。1〜15のうち、ランダムに振り分けられており、効果はそれぞれ異なります。最後に、クリア条件ですが、黒ひげを飛び出させた者だけがゲームクリアです』

「はっ!?」

 小川が語気を強める。

「そんな…、生き残るのはただ一人…」

 堀田の表情がみるみる青ざめていく。そして、今にも泣き出しそうな顔に変わる。

「今までみたいに、協力しあってクリアするゲームじゃないのか…」

 松本は、唇を震わせながら呟く。

「2人は死ぬ。だから、"最後の晩餐"…」

 小川がぽつりと呟く。

「こんなの…、嫌だ」

 ぼそっと呟くと、堀田が椅子から腰を浮かせようとする。その行動を見た松本が、咄嗟に呼びかける。

「止めろ!一!席を立った時点でゲームオーバーになるかもしれん!」

「っ!」

 堀田の身体が一瞬、固まる。そして、彼の身体は、吸い寄せられるようにゆっくりと椅子に落ち着く。

『皆様もお察しの通りですが、それぞれの机には、カツ丼が5杯しかありません。ということは、チャンスは5回しかないということです』

「5杯食べても当たりが出なかったやつは、その時点でゲームオーバー…」

 小川はそう呟き、表情をさらに暗くしていく。

『制限時間は20分。制限時間内に黒ひげが飛び出なければ、全員がゲームオーバー。ゲームオーバーの方は、座っている席の真上から包丁が降り注ぎ、滅多刺しになります。そうならないためにも、黒ひげを飛び出させましょう。禁止行為は、2つ。ゲーム最中に嘔吐すること。そして、席を立つこと。それでは、スタート』

 合図とともに、カーンっとゴングの音が響き渡った。

「天井の包丁は、そういう意味かよ…」

 松本は、唖然としながら天井を見上げる。

「…やるしかない」

 堀田が覚悟を決めたように、目力を強める。手前にある割り箸を手に取り、左側に置かれているカツ丼を寄せる。そして、器を左手に持ちながら、かきこみ始める。

 我もと言わんばかりに、小川もカツ丼をかきこみ始める。

 ゲーム開始早々に行動し始めた2人を、松本は呆然と見つめていた。そして、小さく震える唇を開く。

「なあ、お前ら。話し合えば、なんとかなるかもしれない…、だから…」

「何言ってんだよ!」

 堀田が咀嚼しながら、叫ぶ。その瞬間、口の中にあった食べカスが机に飛んだ。しかし、彼はそんなことを気にせず、鋭い目つきを松本に向ける。

「俺だって、こんなことしたくない!でも、一人しか生き残れないんだよ!バカの俺でも分かる!そんなゲームで話し合ってどうするんだよ!?」

「一…」

 親友の咆哮に、松本は萎縮する。カツ丼を貪る堀田を横目に、松本は小川へ視線を向ける。

「なあ、和也…」

「…」

 彼は何も言わず、カツ丼をかきこんでいる。その態度を見て、松本は考えを改めさせられた。

 彼ら2人はもう、味方ではなく敵同士。それは、松本にとっては受け入れ難い事実。しかし、一人しか助からない状況なら、自分を優先するのは仕方のないこと。このままじゃ、自分が死ぬ。

 松本は目の前にある箸を手に取り、カツ丼を一椀引き寄せる。その時だった。

「終わった!」

 堀田が空になった器を頭の高さまで上げる。

『堀田様、短剣獲得です』

 室内にアナウンスが響き渡る。そして、堀田が番号を宣言する。

「5!」

 堀田が宣言すると、マネキンの左腕が動き始めた。そして、樽の足元にある短剣を一つ拾い上げる。それから、樽の前面にある穴に深々と突き立てた。しかし、そこから何も変化は生じなかった。

「くそっ!」

 堀田は、空になった器を叩きつけるように置いた。ゴンと鈍い音が響き渡ると、今度は小川が器を高く上げた。

「俺もだ」

『小川様、短剣獲得です』

「…1だ」 

 小川が静かに宣言する。マネキンが短剣を拾い上げ、の前面にある穴に突き立てた。しかし、またもや反応はなかった。

「…」

 小川は、無言のままでいる。そして、次の一杯へと箸を進める。

--このままじゃ、俺が死ぬ…。

 二人のペースに気圧された松本は、カツ丼へ箸を伸ばす。そして、カツを一切れ口に含む。 

 サクサクした衣の食感と卵とカツの旨みが口に広がる。不思議だった。こんな危機迫る状況だというのに、美味く感じる自分が。こんな状況でなかったら、どれだけよかっただろうと松本は心底思った。

 咀嚼する数を減らし、早く食べ切ることに専念する。器を持ち、カツ丼をかきこみ始める。そんな時だった。

『堀田様、短剣獲得です』

「7!!」

 アナウンスの直後、堀田が叫ぶ。彼の宣言に反応したマネキンが、樽の穴に短剣を突き刺すも、何の変化もない。

「くそっ!当たれよ!」

 堀田が、苛立ちを露わにする。先ほどと同じように、空になった器を苛立たしげに机に置く。そんな彼をよそに、松本はカツ丼をかきこみ続ける。そして、器が空になったところで胸の高さまで上げる。

「終わった!」

『松本様、短剣獲得です』

「13!」

 松本が番号を宣言する。その声に応じて、マネキンの腕が動き、樽の裏面に短剣を刺す。しかし、何も反応がない。完全に外れた、そう思った時だった。

『ボーナス、"強奪"を獲得しました。これを宣言すると、一度だけ他のプレーヤーからカツ丼を1杯奪うことができます』

「はぁ!?そんなの、インチキじゃねぇか!!」

「…これが、ボーナス」

 そう呟いたと同時に、小川が空になった器を胸の高さまで上げた。

「完食だ」

『小川様、短剣獲得です』

「15」

 小川は、静かに宣言した。堀田や松本と違って、先ほどから彼は冷静でいるように見える。

 小川の宣言に応じて、マネキンの腕が動く。そして、樽の前側にある穴に短剣を刺す。

--頼む。当たらないでくれ。

 松本は、心の中で必死にそう願う。親友の不幸を願うなんてどうかしてるのは、分かっている。しかし、こんな状況では、そんな思いは小さいものでしかない。

 松本の願いが通じたのか、何に変化が起きなかった。安堵し、ほっとした。その時だった。

『ボーナス"譲渡"のカードを獲得しました』

「譲渡?」

 小川が、不思議そうに呟く。

『自らが得た短剣を、他のプレーヤー1名に渡すことができます』

「自分で使わず、誰かにあげるやつがいるかよ」

 堀田が呆れたように呟く。一方の小川は、黙ったままでいる。そんな時だった。

『残り時間、10分。現在刺さっている穴の数、5つ。残りの穴、10個』

「あと10個。まだまだだ」

 堀田が荒い息を吐きながら、そう呟く。彼はすでに2杯も食べているというのに、まだ平気そうだ。一方の小川も、苦しげな表情を浮かべておらず、冷静な顔つきをしている。

 松本はというと、この一杯で腹の半分くらいまできていた。少食であることが、これほど不利になるなんて思いもしなかった。

 堀田と小川は、空腹時のように勢いよく食べ続ける。そんな彼らの姿を見て焦るものの、松本の頭にある考えが浮かび上がる。

-短剣をその場で使わなくてもいいなら、穴の数がある程度減ってきてから、一気に使えば…。

 松本はそう考えると、堀田へ目を向ける。すると、堀田が何度か咀嚼すると、器を高く上げた。

『堀田様、短剣獲得です』

「8っ!!」

 口に含んだまま、堀田が叫ぶ。彼の宣言を受け、マネキンが樽に短剣を差し込む。しかし、何ら変化もないし、ボーナスの獲得もない。

「くそっ!次だ!」

 堀田の意思は、潰えていなかった。もう3杯目も食べているのに、まだ腹が膨れていないように見える彼に、松本は慄く。そんな時だった。

『小川様、短剣獲得です』

「…」

 小川が3杯目のカツ丼を完食していた。苦しそうな表情を浮かべながら、必死に咀嚼をしている。そのせいか、数字を宣言しようとしない。

「くそっ、こんなに食えるわけないだろ…」

 松本は嘆きながら、2杯目のカツ丼を食べ始める。腹が半分満ちているせいで、最初の一杯よりも食べるスピードが落ちている。

 そんな中でも、松本は先ほど浮かんだ作戦を実行することに決めた。それは、短剣をできるだけ貯めておいて、穴が少なくなったところで一気に使う。松本や小川たちよりも早く完食し、すぐさま短剣を使って、穴を減らしてくれる堀田を利用する作戦であった。

 しかし、欠点がある。松本が短剣を溜め込んでいる間に、堀田や小川のどちらかにクリアされる恐れはあることだ。だが、少食な自分は短剣を獲得するのが難しく、これしかないと松本は思っていた。

 2杯目のカツ丼が半分にまで減った。口に含んだものを咀嚼し、飲み込んだ瞬間だった。

 硬いものが割れる音が聞こえた。音のする方を見ると、堀田の机に器の破片が散らばっている。堀田の表情は、苦しそうに歪んでいる。

 無理もない。彼はすでに4杯も食べているのだから、と松本は解釈する。

『堀田様、短剣獲得です』

「さすがに、頼むぞ…」

 堀田が切実に訴えかける。そして、番号を宣言しようとする。

 残った穴の数は、あと9個。そろそろ当たりが出てもおかしくないが、外れれば自分が引く確率が上がる。

「6!」

 堀田の宣言を受け、マネキンの腕がゆっくりと動き始める。

 堀田は当てない。そう信じているものの、短剣が突き刺さる光景を見て、松本は疑問を抱き始める。

--本当にこれでいいのか。これで当てられたら…。

 そう考えると同時に、恐怖が襲いかかる。松本は、天井を見上げる。自分の真上にぶら下がっている数十本もの包丁。堀田が当てた瞬間に、自分の身体に突き刺さっていく。そんな光景に、恐怖が増していく。そして、咄嗟に叫ぶ。

「外れろぉ!!」

 親友の不幸を大きな声で言う。しかし、マネキンの動きは止まらず、短剣が突き刺される。その瞬間、一気に血の気が引く感覚に襲われる。

「あっ…」

 松本の口から、間抜けた声が漏れ出る。短剣が刺されたから、数秒経つも何の変化もない。それを見た堀田が、絶望したように項垂れる。

「そんなぁ…。どんだけ運ないんだよ、俺…」

 堀田は嘆き、そのまま顔を伏せる。さすがの堀田でも、心が折れたようだ。

 悲観的になっている堀田をよそに、松本はほっとしていた。彼が当てないでくれて良かった。しかし、そんな喜びの感情と同時に、負の感情も湧き起こる。

--ダメだ。短剣を貯める前に当てられたら、終わりだ。

 さきほどの恐怖が思い返される。短剣が樽に刺さる瞬間が、自分の生き死にを決める。そんなのを毎度やられては、精神が堪える。

 そんなのを何度も味わうのは、ごめんだ。そう思った松本は、半分残っていたカツ丼を一気にかきこむ。これ以上受け入れられないと胃が警告を発しているものの、松本は食べ続ける。

 身体の抵抗を受けながらも、松本は完食した。そして、空になった器を高く掲げる。

『松本様、短剣獲得です』

 アナウンスが流れたと同時に、松本は数字を宣言する。

「6」

 松本の宣言を受け、マネキンが動き始める。

「頼む…。当たってくれ…」

 松本は顔を強張らせながら、必死に祈る。マネキンが樽に短剣を刺した瞬間、目を閉じる。

「頼む…」

 か細い声で祈る。しかし、彼の祈りは届くことなく、無情にも沈黙が訪れる。

「…っ、くそぉ…」

 ゆっくりと目を開き、嘆きを呟く。その瞬間だった。

『ボーナス、"削除"を獲得しました。これを使えば、ハズレの穴を一つ潰すことができます」

「削除?」

「なんでお前ばっかなんだよ…」

 堀田が恨めしげに、松本を睨みつける。彼の視線に一瞬慄くも、松本は宣言をする。

「"削除"を使う」

『"削除"が使われました。それでは、外れの穴を一つ潰します』

 そうアナウンスが流れると、マネキンが樽に短剣を突き刺した。

『外れの"12"が無くなりました。これにより、残りの穴は6つになりました』

「あと6つ…。でも、俺にはあと一回しかチャンスがない!」

 堀田が悔しそうに叫ぶ。それから、机に顔を再び伏せると、啜り泣く声が聞こえてきた。

 憐れな彼をよそに、小川が空になった器を掲げていた。

『小川様、短剣獲得です』

「…」

 小川は、苦しそうな表情を浮かべたまま咀嚼をしている。飲み込んだのを見て、このまま数字を宣言すると思いきや、彼は黙ったままでいる。

--すでに2本の短剣を持っている。…まさか!

 そう思った時、松本は小川に注意を向ける。3杯目から短剣を使わないでいるのは、残りの穴があとわずかとなった瞬間のために残しておいたのではないか。そうなればまずい、と焦燥感に駆られる。そう思った時だった。

『残り時間、5分。現在刺さっている穴の数、9つ。残りの穴、6つ』

 タイムリミットを告げるアナウンスに、焦燥感が大きくなっていく。

 残り時間がわずかしかない。ぐずぐずしてはいられないと、気を取り直した松本はあることを考える。

--"強奪"。これを使えば、チャンスが増える。

 そう考えたまま、小川へ視線を向ける。彼には、あと1杯のカツ丼が残されている。おそらく、残りの1杯を食べて、3本ある短剣を使う。そこで、一気に勝負を仕掛ける気でいると、松本は思った。

 ここで小川に"強奪"を使えば、当たりを引かれる確率は低くなる。だからこそ、ここで使うべきだと思った松本は、ボーナスの使用を宣言しようとする。

「"強奪"を…」

「なあ、幸太」

 突然の呼びかけに、松本は言い止まる。さっきまで黙ったままでいた小川が、松本をじっと見つめていた。

「何だよ、急に」

「覚えてるか?」

「は?」

「去年の夏、河川敷の花火大会に行ったろ?」

「…何だよ、急に」

 松本は、戸惑いを見せる。すると、小川がなぜか柔らかい笑みを浮かべた。

「そこで花火見ながら、「俺たちは、ずっと親友だー!」なんて言ってたの思い出してよ。…何なんだろうな。ゲームの途中で急に思い出したんだ」

 そう言う小川の姿は、悲しげに映る。すふと、堀田がゆっくりと顔を上げた。その顔は、涙と鼻水だらけだったが、どういうわけか笑みを浮かべていた。

「…ずっと忘れてた。焼きそば食べながら言ったら、咽せたなぁ…」

「そしたら、鼻から焼きそば出てきたもんだから、大笑いしちまったよ。ははは」

 小川が声を上げて笑い始める。

「止めてくれよ。恥ずかしかったんだぞ」

 鼻を啜りながら、堀田が照れくさそうに笑う。

 二人のやり取りを見ていた松本は、呆然とする。そして、歯を食いしばる。

-さっきまで殺し合ってたのに、なんでそんな笑っていられるんだよ。

 心の中で、彼ら二人にぶつける。そんな時、松本の頭にさまざまな光景が蘇ってきた。

 小学1年生の時、彼ら二人と初めて会った時のこと。それから仲良くなって、毎日のように放課後に3人で遊んだ日々。

 中学に入ってからは、別々のクラスになったり、部活やらで会う頻度は減った。しかし、それでも時間が合えば、遊園地やら川に遊びに行っていた。

 喧嘩する日もあったし、一緒に泣いた日もあった。そんな思い出が次々から蘇ってきて、松本の目から涙が出てくる。それから、嗚咽を漏らし始める。

「…っぐ、俺は、お前らといた時が、一番楽しかった…。それなのに…、俺は…」

「俺もごめんな…。今更、何言ってんだって思うけど…」

 松本の後悔を聞いた堀田も、後悔を口にする。すると、小川がぽつりと呟いた。

「俺は、お前ら2人を殺してまで生きたくない」

「和也?」

 反応を見せたのは、松本だった。

「あともう一杯食って、短剣3本を幸太か一にやる」

「…何を言って!」

「和也。それなら、幸太にやってくれ」

「一!?」

 堀田の申し出に、松本は戸惑う。困り顔の松本を見た堀田が、歯を見せて笑う。

「俺はもう無理だ。チャンスはあと一回しかない。だけど、幸太にはまだある」

「何言ってんだよ!お前ら、勝手に話進めんなよ!!」

「今更だけどさ、俺も和也と同じ気持ちだ。幸太、生きてくれ」

「一、すまねぇな。よしっ!とっとと食うか!」

「和也!?」

 難色を示す松本をよそに、小川がカツ丼を食べ始める。

「…なんで。なんで、俺を…」

「幸太。お前、中学の時、辛い目にあったよな」

 小川が食べながら、話し始める。彼の言葉を聞きながら、松本は思い出す。中学生の時味わった苦痛を。

「頭良くて、部活でも優秀。そんなお前を、みんなが妬んで虐めてたな」

「…」

 返す言葉がなく、黙り込む。松本の頭に、嫌な記憶が呼び起こされていく。

 教科書に落書きをされる、上履きに画鋲を入れられるといった嫌がらせを受け続けた日々を思い出す。そのことがきっかけで、松本は目立たないように生きていくことを決めた。

「日に日に暗くなっていくお前に、俺は何もできなかった。ごめんな」

「別に…、お前のせいじゃないだろ…」

「こんな俺が言うのもなんだけど、そんな奴らに怯えず、お前の能力を存分に出せ」

「…和也」

「すげえやつなんだからよ、お前は。音楽室のゲームも、お前がいなかったらどうしようもなかったかんな」

「そんな、違う…。お前らがいたから…」

 松本がそう言うと、小川が空になった器を掲げた。

『小川様、短剣獲得です』

「…"譲渡"を使う。幸太に3本与えてくれ」

『"譲渡"が使われました。それでは、松本様に短剣3本が与えられます』

「…和也」

「当てろよ。当たんなかったら、残ったカツ丼全部食えよ」

 小川はそう言うと、優しげな笑みを浮かべた。

 親友の犠牲によって上げられた生存への確率。小川から渡された3本の短剣を使いたくない気持ちに駆られる。しかし、彼が命を捨ててまで渡してくれたものを無駄にするわけにはいかない。苦渋の決断だった。

「…10」

嗚咽を漏らしながら、数字を宣言する。宣言を受けたマネキンの腕が動き、樽の後ろに突き刺す。しかし、何の変化もない。

「ほら、次行け」

「…11!」

 小川の促しに答え、数字を宣言する。マネキンの腕が動き、樽の後ろに突き刺す。剣が刺さった瞬間、黒ひげが飛び出した。

「あっ…」

 松本の口から、呆気ない声が漏れ出る。勢いよく飛び出した黒ひげが、宙を舞う。そして、地面に落ちると同時に、バキッと割れる音が響いた。

『松本様が黒ひげを飛び出させました。松本様以外のプレーヤーは、ゲームオーバー』

「嫌だ…」

「幸太!」

 堀田の呼びかけに、松本は反応する。彼は、もう死ぬと分かっているのに笑顔を浮かべていた。

「バカな俺に勉強教えてくれて、一緒につるんでくれてありがとな!」

「一!!」

「幸太」

 今度は、小川の呼び声に反応する。彼も堀田と同じく、穏やかな表情を浮かべていた。口角を上げ、微笑みながら告げる。

「今まで楽しかったぜ。ありがとな、幸太」

「和也!待ってくれ!!行かないでくれ!!」

 松本は、必死に叫ぶ。しかし、次の瞬間だった。堀田と小川が座る調理台の真上から、無数の包丁が落ちてきた。それらの包丁が、頭、肩、脚と二人の全身を容赦なく突き刺していく。

「あああああ!!」

 松本は、絶叫し続ける。降り注ぐ凶刃に身体をボロボロにされていく二人。彼らは呻き声を発することなく、ただ刃の雨を受け続けている。

 すべてが降り注ぎ終わると、二人の身体は、事切れた人形のように机に倒れ伏した。

「あ、ああ…」

『おめでとうございます。ゲームクリアです』

 アナウンスを耳にした直後、松本はゆっくりと立ち上がる。そして、教師用調理台の前に落ちている黒ひげの元まで行く。

 黒髭の全身は、粉々に割れていた。そして、ひび割れた全身の中に、小さな鍵が入っていた。それは、音楽室で手にした鍵と同じ形と大きさで、「肆」と違う数字が彫られている。

 松本は、その鍵を握りしめる。ゲームをクリアした。しかし、喜びや達成感なんてものはなかった。

 松本は、顔を上げる。そこには、数十本もの包丁に刺され、血の海に伏している小川。そして、左方面には堀田が机に倒れ伏している。

「ぐっ、ううう…」

 松本の口から、くぐもった声が漏れ出る。そして、それは慟哭へと変わる。

「和也…、一…。ごめんなぁ…、ごめんなぁ!!」

『ゲームをクリアされた方には、別の場所へ移動してもらいます』

「あああああ!!」

 松本の慟哭が、室内に響き渡る。

 アナウンスが流れてから数秒も経たない内に、松本は家庭科室から姿を消した。そして、終わりを知らせるように電気が消えた。

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