ゲーム:『階段』

 2023年7月7日午後7時27分


 一人の少女が不敵な笑みを浮かべる。

「あなたたち二人には、ここでゲームをしてもらうの」

 少女の言葉に、立花は唖然とする。

「…どういうことだよ」

「まあ、とりあえず踊り場に降りてちょうだいな」

「だから、さっきから何言ってんだよ!」

「あー、うるさいなぁ」

 少女が呆れたような声を漏らす。いい加減な態度を見た立花が、さらに不満をぶつけようとした時だった。

「あなたたち、まさか私に助けてもらったなんて思ってる?」

「は?」

 予想外の言葉に、立花は口を噤む。

「そんなわけないでしょ。私が考案したゲームに誘き寄せたかっただけよ」

 少女が歯を見せて笑う。彼女の笑みには、邪悪な雰囲気が込められているように見え、立花と流川は背筋が凍る感覚に襲われる。

「ゲーム?じゃあ、あの骸骨も…」

 流川が推論を述べると、少女は表情をパッと明るくした。

「その通り!察しがいいね!あの骸骨を倒すっていうゲームなんだけど、それだけじゃなくてね…、あっ、これ以上はやめとこ」

 少女は話の途中、左手で口を塞いだ。余計なことを言わないように、という意味を込めての行動だったのだろう。しかし、その行動がかえって立花に興味を引かせる。

「これ以上って、何が」

「そこは置いといて、ね?あっ、ここのゲームをクリアしたら教えてあげる」

 そう言うと、少女は階段の手摺りに寄りかかる。こちらの困惑している気持ちなど知らず話を進めていく少女に、立花は苛立ちを募らせていく。

「ゲームなんてやるわけないだろ」

「それでもいいけど、やらなきゃここから出られないわよ?」

「出られないって、どういうこと!?」

「文字通りの意味よ」

 流川の問いに、少女が冷静に答える。

「そんなわけないだろ。ここのドアを開ければ…」

 立花は、避難扉へと向かう。ケースハンドルを握り、必死に押すもびくともしない。

「くそっ!なんで!?」

「ちなみに、下の階の避難扉も開かないから。これで分かったでしょ?あなたたちはもう、このゲームに参加するしかないの」

 少女が浮かべる笑みに、立花は呆気に取られる。彼の真後ろにいる流川は、戸惑いの表情を見せる。そんな彼女に、なんて声をかければいいのか分からず押し黙る。

 こんな不気味なところから出たい焦燥感に駆られる。しかし、そうはいかないことに気づかされた。扉が開かないようにしているのは、恐らく少女の仕業。超能力を持っている、なんて空想じみた考えに呆れるも、これだけは分かる。

(この女の言うように、ゲームに参加しなくてはいけない)

 自分たちにはその選択肢しかない、そんな考えを持つ。そのことにもどかしさを感じながらも、立花は少女に尋ねる。

「…何のゲームをするんだ。」

「やっと分かってくれたわね。ルールの説明をするわ。とりあえず、二人とも踊り場に降りてちょうだい」

 少女の指示に、二人は嫌々ながらも従う。

「ゆー君…」

 階段を降りる最中、流川が立花に顔を向ける。今にも泣きそうな表情を浮かべる彼女に、立花はふっと笑みを浮かべる。そして、彼女の頭に手を置く。

「大丈夫。俺たちならなんとかなる」

「ほんと?」

「ああ」

 そう言うと、立花は流川の手を握る。彼女が彼の返事に答えるように、手を握り返す。

 机上に振舞っているものの、立花は不安で落ち着かなかった。それでも、彼女の前では情けない姿を見せまいと、自身の考えを貫く。

  立花と流川が踊り場に着く。二人が着いたのを見て、少女が呼びかける。

「着いたわね?じゃあ、そのロープを自分の首にかけてー」

「はっ?」

「いいから、早くー」

「こんなもんつけられるか!」

 明るい声で催促する少女に、立花は怒鳴る。しかし、少女は怯えることなく、立花たちに告げる。

「さっきも言ったでしょ?ゲームをクリアしないと、ここから永遠に出られないって。同じこと、二度も言わせないでくれる?」

 威圧感ある少女の言葉に、立花は怯む。少女は口角を上げているものの、内心は怒りを抱いている。柔らかい物言いから、そんな感情が読み取れて何も言い返せなくなる。

「くそっ…」

 立花は不満をこぼしながらも、ロープを自身の首にかける。ロープの繊維がチクチクと皮膚を刺激し、不快感をもたらす。それだけでなく、もう少し押し込めば息を止められるという圧迫感が恐怖を与えてくる。

 立花がロープをかけたのを見ると、流川もおそるおそる自身の首にロープをかけた。

「よし!じゃあ、ルールの説明をするね。ルールは簡単よ。ただじゃんけんをするだけだから」

「じゃんけん?」

 立花が聞き返すと、少女はゆっくり頷いた。

「重要なのは、その時に出したお互いの手なの」

「手?」

「そう。例えば、チョキとパーだったとする。勝ち負けは、本来のと同じだよ。だけど、今回は出ている指の本数の差だけ、敗者には階段を上ってもらう。この場合だと、パーを出した人が、3段分上がることになるね。どう、分かった?

 少女の確認に、二人は静かに頷く。

「一度のジャンケンを1周として、10周行う。この階段は13段あってね、10週の間に13段目に達したらゲームオーバー。首にかかっているロープが上に引っ張られて、絞首刑に処される」

「何!?」

 予想だにしない言葉に、立花は驚愕する。黙って聞いていた流川が震える唇で尋ねる。

「それって、死ぬってこと?」

「うん。そうだよ」

「そんな軽々しく言わないで!何だと思ってるの!」

「美緒!」

 怒りの感情をむき出しにする流川に、立花は制止を呼びかける。瞳孔が開いた目で、彼を非難するように見つめる。

「こいつには何を言っても無駄だ」

「何言ってるの!?こんなのどうかしてるよ!」

「さっきも見ただろ?一人でに動く骸骨を。ここはもう、イかれた世界なんだよ。生きて帰るには、ゲームに参加するしかない。だから、やるしかない」

 立花は語気を強めず、冷静に流川を宥める。彼女は何か言いたげだったが、彼女の目から涙が流れた。それを機に、泣く時の表情へと変わった。

 言っていることがどうかしてるのは、自分でも分かっている。一人でに動く骸骨といい、急に閉じられるドアと不可解な光景を何度も見てきた。認めたくないが、そう思わざるを得ないと立花は自分に言い聞かせる。

 立花は、流川から少女へと視線を変える。

「気になることがある」

「なーに?」

「もし、お互い同じ手を出したらどうなる?」

「いい質問ね。その場合、お互いその場でストップ。だけど…」

「だけど?」

 立花が聞き返すと、少女は中指と親指で音を鳴らす。それが合図かのように、踊り場に突如マネキンが現れた。突然現れたことに、二人は目を瞬かせる。

「そこにいるマネキンにお仕置きされるの」

「お仕置き?」

「30秒受けてもらうんだけど、それは受けてからのお楽しみ」

 楽しげに語る少女に、立花はイラつきを覚える。しかし、彼はそれを表に出すことなく、次の質問をする。

「もし、10周以内に俺らが13段目に達しなかった時はどうなる」

「その場合は、2人ともゲームクリアだよ」

「何?本当だろうな?」

「私は嘘つかないよーん。ルールは絶対だし」

 少女の言葉に、立花は一縷の希望を抱く。少女の言う通りなら、2人で生きてクリアできる。

 流川も同じことを思ったのだろう。彼女の表情が、少し明るさを取り戻したように見える。しかし、希望を見出した彼らを嘲笑うかのように、少女が不敵な笑みを浮かべる。

「そういくかなぁ?」

「どういうことだ?」

「さっき言ったでしょ?お互い同じ手を出せば、マネキンにお仕置きされるって。それがどんなものでも、あなたたちは意思を貫けるかしら?」 

 少女の悪意ある笑みに、立花は背筋が凍る感覚を覚える。

 少女の言うように、うまくいかないかもしれないという恐怖はある。彼女が言う、マネキンによる罰が何なのか分からない。しかし、怯えていてもしょうがない。立花は気持ちを切り替え、少女に鋭い目を向ける。

 覚悟を込めた彼の視線に、少女はニヤリと口角を上げた。

「大いに結構だわ。言い忘れたけど、考える時間は30秒ね。流石にないとは思うけど、じゃんけんで手を出さなかったら、ペナルティーで5段上がってもらうから」

「そんなアホ、いるわけねぇだろ」

「…そう願うよ。あいこを出し合って、頑張って生き残りなよー。それじゃ、頑張ってねー」

 少女の合図を機に、立花たちは1段目の蹴上けあげの前に立つ。

「考える時間は、30秒。それでは、第1週目行ってみよう!」

 少女の快活な呼びかけに、立花たちは無視する。

 ゲームが始まった。そう思った途端、大きな不安がのしかかってくる。

--大丈夫だ。俺たちにはできる。

 暗い感情に負けまいと、立花は勇気を振り絞る。そして、流川へ視線を向ける。今にも泣きそうな顔を浮かべた流川が、助けを求めるかのようにじっと見つめてくる。

「ゆー君、どうしたらいいの?」

「美緒。グーを出せ。俺もグーを出すから」

「えっ?」

 流川がキョトンとした顔を浮かべる。そんな彼女に対して、立花は耳元で囁く。

「お互い何を出すのかを言ってはいけないと、奴は言っていなかった。お互いに何の手を出すのかを確認しあって、そのまま出し続ければ2人とも生き残れるだろ?」

「そっか!それなら…。でも、お互い同じ手だとお仕置きが待ってるって言ってなかった?」

 流川が背後を振り返る。そこには、何の感情も見えない無表情のマネキンが立っている。光のない目が自分たちに向けられているのが、不気味だった。

「怖いだろうが、やるしかない。いいな?」

 立花はそう促すも、流川は渋々といった様子で小さく頷いた。

「はーい!時間だよ!それじゃ、ジャンケーン…」

 少女の合図に、立花と流川は互いに見合う。

「ポン!」

 少女の掛け声で、立花たちは拳を出す。立花が出したのは、グー。そして、流川が出したのはグーだった。お互いの手を見た二人は、安堵の笑みを浮かべる。

「おおー!さすが」

 少女が拍手を送る。

「美緒。あと9回。こうやって同じのをを出し合えば」

「うん!」

「お互い階段を上らなくてもいいけど、お仕置きを受けてもらうわ。あっ、ちなみに拒否したらゲームオーバーになるから」

 少女がそう告げると、マネキンが突如動き出す。関節をゆっくりと曲げながら、緩慢な動きを見せるマネキンに、立花たちは目を見張る。

--一体、どんな罰が。

 固唾を飲みながら、立花はただマネキンの動向を見る。すると、マネキンの口から何かが出てきた。

 それは、受話器くらいの大きさの黒い機械だった。それが二つ出てくると、両手に一個ずつ持った。すると、その物体の先からバチバチっと激しい音を出しながら、光が放たれる。それを見た立花は、顔を青ざめる。

「まさか、スタンガン…?」

 そう恐る恐る呟いた瞬間だった。背中にピリッとした痛みを感じるとすぐさま、それが全身へと広がっていく。

「があああああ!!」

「あああああ!!」

 立花たちは、悶えながら絶叫する。思わず声を上げるほどの肌を突き刺す痛みと震えに、二人はただ叫びながら耐える。

-どれくらい経った?早く終わってくれ!

 痛みに耐える立花は、ただそう願うことしかできない。すると、少女が手を二回叩いた。

「よし!終了!」 

 少女の言葉とともに、電流が止まった。そして、マネキンもピタリと動きを止めた。

 電撃から解放された立花たちは、その場で両手をつく。そんな彼らを見た少女は、悪魔のような笑みを浮かべる。

「これが罰よ。2人生き残るつもりみたいだけど、これでもまだそんな考えでいられるかなー?」

 嘲笑う少女に、立花は鋭い眼光を向ける。立花は怒りの感情を目に込めるも、少女は怯むことなく笑顔のままでいる。

「いや…。こんな痛いの…、もういや」

「美緒…。これを耐えれば…、俺たちは生きて帰れる。だから…、頑張ろうな?」

 涙を流す流川に、立花は励ましの言葉をかける。しかし、彼女は何も返事をしない。ただ嗚咽を漏らす彼女に、かける言葉が見つからない。

「それじゃあ、第2週目!よーい、スタート!」

 少女は、勝手に進行していく。こちらの事情など知らずに進めていく彼女に怒りを抱くも、立花は心の中に留めておく。

 立花たちは、痛みが残る身体を無理矢理起こす。そして、互いの顔を見合わせる。

「美緒…。チョキだ。チョキを出すぞ」

「でも…、またあの電流が…!」

「耐えるんだ!俺たちが生き残るには、それしかない。俺は、お前と殺し合いなんてしたくない。そうだろ?」

 立花の問いかけに、流川は静かに頷く。

 それから、2人の間に言葉が交わされることはなく、制限時間切れを知らされる。

「時間切れー!じゃあ、行くよ!最初はグー!ジャンケン…、ポン!」

 少女の掛け声に合わせて、立花たちが手を出す。立花がチョキ、流川がチョキであいことなった。

「わぁお!2回目も同じなんて、すごいね!」

 少女は手を叩きながら、称賛の声を送る。しかし、立花たちはそれに何か反応を示すでもなくじっとしている。立花たちにそんな余裕はなかった。先ほど味わった災いが頭の中で浮かび上がってきて、それに怯えることしかできないでいるからだった。

 罰に怯えているのが顔に出ていたのか、少女が歯を見せて笑う。

「だけど、ざんねーん。お仕置きの時間だよ」

 少女がそう告げると、マネキンが再び動き出した。ガタッと動いた際に発せられた音に、立花たちは身体を震わせる。

 マネキンの口が再び開かれる。口から出てきたものを見て、立花たちは目を見張る。それは、2つのフォールディングナイフだった。1回目の罰とは違うものが出てきたことに、立花たちは驚きを隠さなかった。

「おい!ちょっと待て!罰はさっきの電流のはずだろ!?」

「罰が一つだけなんて、言った覚えないけどぉ?」

 少女は、首を傾げる。彼女の反応を見た立花は、血の気が引いていく感覚に襲われる。

「動かないでね。30秒間受けられなかったら、ゲームオーバーになるよ」

 少女がそう忠告すると、背中に鋭い痛みが走った。そう知覚した瞬間、その痛みがゆっくりと広がっていく。

「ぐううぅ!」

「痛いぃ!お願い、止めて!!」

 立花は呻き声を、流川は悲痛な叫びをあげる。マネキンが持つナイフが、お互いの背中を浅くではあるがゆっくりと裂いていく。刃の硬い冷たい感触、皮膚を裂く鋭い痛みと後からやってくるズキンとした痛みがずっと続く。

 早く終わってくれと必死に願いながら、立花たちは耐える。 

 痛みに耐えていると、硬い感触が消えた。やっと終わったと見た立花たちは、またその場で両手をつく。痛みに悶える彼らをよそに、少女が冷徹に告げる。

「じゃあ、3週目、よーい、スタート!」

 少女の合図を耳にしながら、立花は背中に手を当てる。尻の真上辺りが濡れていて、温もりを感じる。手の平を見ると、血まみれになっていた。

(まさか、違う罰が来るなんて…)

 予想外の出来事に、立花は落胆する。それと同時に、その可能性を考えなかった自分が情けないと屈辱感を覚える。

「美緒…」

 弱々しい声で、流川を呼ぶ。血まみれになった背中に手を置きながら、啜り泣いている。

「何なのよぉ、これ…」

 悲痛な声を呟く。彼女の顔は髪に隠れていて、はっきりと見えない。しかし、髪の隙間から見える口元が歪んでいるのは見えた。苦痛に悶え、歯を食いしばっている彼女に、立花は呼びかける。

「美緒…。次は、グーだ…。いいな?」

「…」

 立花の確認に、彼女は黙ったままでいる。返事がないことに焦りを募らせ始めた時だった。

「タイムアーップ!それじゃ、いくよ!」

 少女の呼びかけに、立花はたじろぐ。流川の返事をまだ受けていないことに不安を覚えたからだった。一方の流川は、ゆらりと身体を起こした。立ち上がった彼女は、俯いたまま何も言わない。

「最初はグー!ジャンケン、ポン」

 掛け声に応じて、お互いが手を出す。そこで立花は、強い衝撃を受けた。

「…美緒?」

 震える唇で彼女を呼ぶ。すると、彼女がバッと立花に顔を向けた。その顔は怒りを表しているようで、眉が深く寄せられ、鋭い目つきをしている。

「ごめん…。私はもう、嫌!」

 彼女の訴えに、立花はショックを受ける。自分の手と彼女の手を見比べる。グーの形をした自分の拳に対して、彼女のはパーの形をしている。立花の負けだった。

「おーっと!ここで裏切りだぁ!」

 少女は、興奮したように叫ぶ。パーの形をしている流川の手が、小刻みに震えている。立花と目を合わさず、ただ「ごめんなさい」と呟いている。

「そんな…」

「それじゃあ、ゆー君。5段上がって」

 ショックを受けている立花に、少女が指示する。すると、立花が怒りを込めた目を少女に向ける。

「俺を名前で呼ぶな」

「もう。そんな怖い顔しないでよ。ゲームなんだから、笑顔でいなくちゃ」

「…」

 立花は黙りを決め込む。そして、ゆったりとした足取りで5段分上がっていく。

 5段目に達した時、今まで考えもしなかった死のカウントダウンに怯え始める。あと8段上がったら、首を吊られて死ぬ。そう考えた途端、身体が震え始める。

「では、4週目スタート!」

 少女が開始の合図を出す。それと同時に、立花は流川に鋭い目を向ける。視線を向けられた彼女は、一瞬怯む。

「美緒。なんでだ…」

「だって…、もう痛いのはやだよ!」

「俺だって嫌に決まってんだろ!!それでも、2人で生き残ろうって言っただろうが!!」

「うるさい!!」

 流川が逆上し、叫ぶ。怒鳴り声をあげているのを見たことがなかった立花は、目を瞬かせる。

「痛いのがやだのは、みんなそうでしょ!?あんなのに10回も耐えるなんて考えがおかしいのよ!!あんたの言うことに従うと、ろくなことがない!!」

「今更何言ってんだよ。テメェだって、足りてねぇ脳みそでなんとか考えろよ!!このバカ女!!」

「ひどい…。私のことそんな風に思ってたの!?私だってね、随分と偉そうにしてるあんたの態度が前々から気に食わなかったのよ!!」

「テメェ…」

「はーい!タイムアーップ」

 激昂した立花を遮り、少女が告げる。

「盛り上がるのはいいけど、ゲームの最中だって忘れないでね。でも、見てるこっちは面白かったよ」

 少女が下卑た笑みを浮かべる。しかし、今の立花たちにとって、彼女の感情を逆撫でする仕草はあまり気になっていない。恋人に対する怒りが、頭を埋め尽くしているからだ。

「それでは、最初はグー!ジャンケン…、ポン!」

 少女の掛け声に合わせ、立花たちは手を出す。

立花がグー、流川はチョキで流川の負け。立花の手を見た流川は、彼を睨みつける。

「なんで私が3段分上がんないといけないのよ!!」

「うるせぇ!!5段に比べたら、全然マシだろ!!」 

 立花たちは、またもや激しい口論を繰り広げる。そんな彼らを見ている少女は、ニタニタと卑しい笑みを浮かべている。

「この調子でどんどん行っていこー!!」

 少女の快活な声が、階段中に響き渡る。


 続いて5週目。立花がチョキを出し、流川がパーを出した。これにより、立花が勝利し、流川が3段分上がることになった。

 それから、6週目。立花がパーを出し、流川がグーを出した。流川が5段上がることになり、11段まで上がった彼女は、あと2段でゲームオーバーの状況に立たされる。

 そして、7週目が始まった。死が目前に迫っているのを見た流川が、泣きじゃくり始める。

「嫌だ…。死にたくない…」

「今更何言ってんだよ。さっさと死ねよ!」

 立花が追い討ちをかけるように叫ぶ。恋人の裏切りを味わった彼にはもう、彼女を救うという考えはなかった。

 お互いの間に、流川の泣きじゃくる声だけが流れる。そのままの状態でいると、少女が時間切れを知らせる。

「タイムアーップ!さて、このターンで美緒ちゃんは死んじゃうのかな?じゃあ、行くよ!最初はグー!ジャンケン…、ポン!」

 少女の掛け声で、立花たちは手を出す。この結果次第で、流川の死が決まる。緊迫感が張り巡らされた空気の中、お互いの手を見る。

 立花はパーを出し、流川はパーを出していた。あいことなったのを見た立花は、後ろにいる存在に目を向ける。それは、しばらくの間動いていなかったマネキン。マネキンの目がこちらに向けられていて、恐怖を抱き始める。

「おっと!まさかのあいこか。美緒ちゃん、良かったね。でも、二人ともお仕置きを受けてもらうからね」

 そう言うと、少女は指を鳴らした。それを合図と受け取ったマネキンが、再び動き出した。そして、ゆっくりと階段を上がってくる。

「もう嫌ぁ!なんで、私がこんな目に!!」

 流川はただ泣き叫ぶ。一方の立花は、歯を食いしばって、時が来るのを待つ。

 マネキンが立花の背後に立った時、カチッと音が聞こえた。その後に、タバコの煙の匂いが漂ってきた。

--まさか…。

 恐ろしくなった立花は、振り返る。左手にタバコを持ったマネキンが突然、立花の右手首を掴み、後ろに回す。そして、二の腕にタバコを押し当てた。

「ぐああああ!!」

 立花は声を張り上げる。腕を後ろに回されているため、抵抗のために暴れることを許されない。ジュウゥゥゥとタバコの火が皮膚を焼く音、痛みに立花は叫び続ける。

 火と痛みに耐え続けていると、腕からタバコが離れた。拷問から解放された立花は、荒い息を吐きながら自分の二の腕を見る。小さな円形の赤黒い傷に残る痛みに、蹲って《うずくまって》耐える。

「じゃあ、次はミオちゃんの番ね」

「いやぁ!もう痛いのは嫌なの!」

「ダーメ。やっちゃって」

 少女の指示を受け、マネキンが階段を駆け上がっていく。怖がる流川の左腕を取ると、背中に回した。そして、立花と同じように二の腕にタバコを押し当てた。

「いやあああ!!」

 流川の絶叫が響き渡る。ジュウゥゥゥと肌を焼く音が拒絶を示し、立花は両手で耳を塞ぐ。しかし、耳で塞いでいようとも彼女の悲鳴が完全に聞こえなくなったわけではない。わずかに小さく聞こえてくる。

 彼女の苦しむ姿に、立花は胸を締め付けられる感覚に襲われる。今更ながら、なぜこんな感情を抱いているのか。立花自身も不思議だった。そんな時、立花の脳裏にいくつかの光景が浮かび上がる。

 彼女との出会い、告白。そして、遊園地や互いの自宅で楽しいひと時を過ごした数々の記憶。

 それらが浮かび上がってくると、自然と涙が出てきた。

「なんで…、いまさら…」

 立花は嗚咽を漏らしながら、呟く。すると、マネキンの拷問が終わった。左の二の腕を抑えながら、流川はその場でうずくまっている。そんな彼女に駆け寄ろうとするも、身体が動かなかった。「今更何を」、そんな感情が邪魔するからだった。

「それじゃあ、8週目。行ってみよー!」

 少女が開始の合図を出す。蹲り《うずくまり》、泣きじゃくっている流川を、立花はただ見つめる。そんな立花の気持ちは、変わっていた。


 彼女を助けたい。


 そんな気持ちが、頭の中で大きくなっていく。それは、彼女が死ぬ可能性が高い状況下と苦しむ姿を見たからだった。苦痛に呻く流川の姿を見て、彼女を助ける方法はないかと考える。

--今の状況でどうすればいい?

 必死にそう考えている時だった。立花は、あることに気がついた。そして、それと同時に、立花は後悔の念に苛まれ始める。

「…そうか。もっと、早く気づいていれば…」

 絶望のあまり、その場で膝から崩れ落ちる。

 立花が気づいたのは、ジャンケンの組み合わせだった。グー、チョキ、パーと3つある中で、1番段数を上らなくていいのは、どの組み合わせか。グーとチョキの組み合わせだ。この組み合わせなら2段で済む。これを1週目の時から繰り返していたら、10週目の時の二人が上る段数は10。"同じ手を連続で出してはいけない"、なんてルールでは言っていなかった。それなら、あいこになんてしなくてもよく、罰を受けることはなかった。

 これらに気づいていれば、お互い傷をつけることなく、ゲームオーバーにならずクリアできた。

--なんで、こんな簡単なことに気づかなかったんだ。

 自身の思考力の無さに絶望し、頭が真っ白になる。「突然、奇妙なゲームに巻き込まれたから?」、「負ければ死ぬと言われ、動揺したから?」、色んな言い訳が頭を埋め尽くしていく。

 そんな暗い感情に支配されていく中、立花はもうひとつのことに気づいた。気づいたと同時に、小さな可能性を見出す。

--今からでも、まだ間に合う。

 立花は、思考を整理し始める。

 自分がチョキを出し、流川にグーを出させる。そしたら、自分が2段上がることになる。これを残り2週したとしても、まだ5段しか上っていない立花には問題ない。そこまでまとまったところで、流川を呼びかける。

「美緒!今までごめん!今からでも…」

「タイムアーップ!!それじゃあ、行くよー!」

「待ってくれ…」

 突然の宣言に、立花は唇を震わせる。しかし、少女は止まらない。

「最初はグー!ジャンケン…、ポン!」

 少女の掛け声に合わせ、立花はチョキを出す。しかし、流川は何も出さなかった。蹲ったまま啜り泣いている彼女に、立花はおそるおそる声をかける。

「…美緒?」

「…」

 流川は、何も答えない。

「ジャンケンの手を出さないってことは、分かってるよね?」

「…」

「ゲームオーバー!!ミオちゃん、サヨーナラー」

「おい!待ってくれ!!」

 立花が制止を呼びかける。しかし、もう遅かった。

 流川の首にかかった紐が、真上に引き上げられる。地上から5メートルくらいの高さに達した時、ロープの上昇が止まった。

「ぐっ…、あ、ああ…」

 流川が呻き声を上げる。助けを呼ぼうと口を大きく開くも、声が出せないでいる。

「ああ…、美緒…」

 立花は、その場で膝をつく。彼はただ、真上で悶え苦しむ彼女の最期を見ることしかできない。

 しばらくすると、彼女の動きが止まった。全く動かなくなった彼女は、ロープの動きに合わせて身体を左右に揺らす。

 彼女が死んだ。それを認識すると、なぜか笑いが込み上げてきた。

「はは…。ははは…」

 立花の口から、乾いた笑い声が漏れ出る。そんな彼の元に、少女が駆け寄ってきて、目の前で屈む。

「ユー君。クリアおめでと。これ、あげるね」

 少女は、立花の前に小さな鍵を置いた。その鍵には、"伍"と彫られている。

「クリアおめでとう。でも、これは君にとってはバッドエンドだね」

 追い打ちをかけるような言葉でも、立花はなんの反応も示さない。

「楽しかったよ。じゃあねー」

 少女が別れの言葉を告げると、そこからいなくなった。

 一人残された立花は、その場で膝をついたまま黙っている。階段に静寂が訪れる。しかし、その静寂はすぐさま破られる。

「…ふふ、ふふふ」

 笑い声が大きくなっていく。それは、どんどん大きくなっていく。

「ははは!あっははははは!!」

 立花の絶望に満ちた笑い声が、階段に響き渡る。

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