承
動向
2023年7月7日午後7時35分
天井から差す白い灯り。白い灯りの下、楽譜や教科書が詰め込まれたいくつかの段ボールが部屋の端に無造作に置かれているのが見える。そして、埃の被った木琴や太鼓といった光景が、寂しげな雰囲気を醸し出している。
室内の空気は静寂に包まれている。皆がその場で地面に座り、黙り込んでいる。
松本は、右手に持っている小さな鍵を見つめる。"壱"と彫られているその鍵を見ながら、頭の中で、ある光景を思い浮かべる。
階段踊り場にある鏡。その鏡に付いている5つの南京錠。鏡の扉を開けるには、あと4つの鍵が必要だということ。そして、それを獲得するのに命懸けのゲームに参加しなくてはいけないという意味をも指していた。
--くそっ。こんなとこにいたら、頭がイカれちまう。
鬱屈とした感情が芽生える。そんな感情を和らげるために深呼吸をしようとした時だった。
「幸太」
松本の左に座る堀田が、申し訳なさそうな顔をして呼びかける。
「あん?」
呼びかけに応じ、左を向く。堀田は、気まずそうに目線を自分の足元に向けている。
「…さっきは、ごめん」
謝罪を口にすると、堀田がゆっくりと顔を上げた。眉を八の字にし、今にも涙が出てきそうな程細められた目。そんな彼の表情から、松本には心から反省しているように映った。
「俺も悪かった。それに…」
松本は堀田に謝罪すると、視線を右に向ける。その先には表情を曇らせ、俯いている小川の姿があった。松本が見つめていると、小川は視線に気づいたように顔をゆっくりと上げた。その顔には、疲れ切ったような暗い表情が浮かんでいる。
「ん?どうした」
「和也。ひどいこと言ってすまん。いくら感情的になってるからといって、あれは言いすぎた」
「いや。確かに、お前の言うとおりだ。俺が皆を誘ったばかりに」
「バカ!誘ったのは確かにお前だけど、行くって言ったのは俺らなんだし…」
松本がそう言うも、小川の表情は暗いままでいる。すると、小川は自身の斜め右に座る栗花落へ視線を変える。
「栗花落さんもすまねぇな。こんなことに巻き込んでしまって」
「いえ。私も自分で行くって言ったんだから、責められないわ。それに、こんなことになるなんて、誰にも予想できないもの」
「そう言ってもらえると助かるよ」
小川が寂しげな笑みを浮かべた。それは、悪い事をしてしまった人物から許しを得られ、ほっとしているような表情に見えた。
「てか、大体。手紙を書いたのは誰なんだ?」
堀田が何気なく尋ねると、松本は渋い表情を浮かべる。
「さぁな」
「もしかして、幽霊とか?」
「こんなゲームに誘う幽霊とか、タチ悪いな」
「それな」
松本の言葉に、堀田が同意を示す。すると、小川が会話に参加してきた。
「手紙の主は誰かってことより、ここを出るのが先決だろ。それに、逸れた西野たちが心配だ」
「あの骸骨に殺されてなければいいけど」
栗花落の言葉に、3人は口を噤む。重苦しい空気が流れる中、堀田が前向きな言葉をかける。
「大丈夫だよ!きっと上手く逃げ切ってるさ」
「そうだな。それを祈ろう」
松本は、彼の言葉に賛同する。すると、堀田が急に立ち上がってみせた。
「じゃあ、こんな部屋ととっと出よう!」
「…一。忘れてないか?」
「何が?」
小川の問いかけに、堀田はキョトンとする。質問が理解できないでいる堀田に対し、松本と栗花落は理解していた。そして、堀田の代わりに松本が答える。
「隣の部屋は今、毒ガスが充満してる」
「あっ…」
「今出たら、お陀仏だ。しかも、ここには窓がない。おまけに、ここに通じるドアは隣の音楽室に通じるドアしかない。俺たちは、閉じ込められてるんだよ」
「じゃあ、どうすりゃーいいんだ!?」
堀田が苛立ちを表すように、両手で髪を掻き上げる。
「確かにそうだな。このままじゃ、俺たちは何にもできない」
「ああ。だが、あのガスが充満している部屋を突っ切るのは無理があ…」
ピンポンパンポーン。
松本が言いかけた時、天井にあるマイクからアナウンスの通知音が発せられた。皆が一斉にマイクに注目する。
『ゲームをクリアされた皆様には、それぞれ別の場所へ移動してもらいます』
「は?移動ってどういうことだよ」
堀田が聞き返す。しかし、それに答えられる者はいない。皆が黙りこんだところで、室内に静寂が訪れる。
--移動?そんなことどうやって…。
松本はそう疑問に思いながら、瞬きをする。ほんの一瞬だけ、視界が黒くなる。視界に光が戻った途端、松本は唖然とした。
「…一?おい、一!」
松本は、堀田に呼びかける。しかし、そこには彼の姿がない。そこにいたはずの堀田が、瞬きをしている間に、姿を消したのだ。
「どうなってんだ、これ」
小川が困惑する。
「堀田君。一体、どこ…」
栗花落の言葉が途切れた。彼女もまた、一瞬にして、松本たちの前から姿を消したのだった。その光景を見ていた小川が、強張らせている表情で松本を見る。
「幸太。こいつは、一体…」
小川の言葉が途切れた。小川が消えたように見えたが、今回はそうではなかった。
松本自身が、彼の前から姿を消したのだった。そして、たどり着いた先の光景を見て、松本は唖然とする。
目の前には、上と下に続く折り返し階段。斜め左には、職員室につながる廊下。右側には、先にある渡り廊下に続く廊下。
これらの光景から松本は、自分は校舎二階の端にいることを把握する。
なぜ、こんなところに飛ばされたのか。それに、みんなはどこに飛ばされたのか。
次から次へと降りかかる謎に、松本は頭を悩ませる。それと同時に、一人であることに不安を抱き始める。
そんな負の感情を和らげるために、松本は大声で呼びかけようする。大きな声で呼べば、誰かが聞いてくれるはず。そんな希望を抱き、口を大きく開き、息を吸い込もうとした時だった。
脳裏に、ある存在が浮かび上がってくる。その存在の姿が鮮明になると、松本はゆっくりと口を閉ざした。
--ここで大声を出したら、骸骨に見つかる。
そう考えた途端、恐怖が襲いかかってくる。2mを超えてそうな大きな骸骨が、一人で動き回っている光景には、誰もが恐れるに違いない。しかも、鎌を持っているとなれば尚更だ。
そんな奴が校舎に徘徊している状況に、松本は怖じ気づく。しかし、松本はある希望を抱き始める。
--みんなでここから出る。
そう思うと、自然と勇気が出てくる。一人でいるのは怖いが、いずれは誰かと合流できるはず。そう信じた松本は、真下に目を向ける。
「そうだ。一階に降りて、外に出られるか、確認しよう」
今浮かんだ考えを呟く。目の前の階段を降りると、すぐ近くに昇降口がある。そこから出られるか、まずは確認しようと考えを固める。
いつ骸骨に出くわすか分からない。しかし、恐れてばかりではしょうがない。松本は、震える身体に鞭を打ち、足を動かし始める。
2023年7月7日午後7時40分
小川和也は、音楽準備室で信じられない光景を目の当たりにしていた。
その場にいた2人の生徒が、突如姿を消した。「一体何が起きているのか」。その言葉を目の前にいる松本に問いかけた時だった。
突如、彼が姿を消した。彼が姿を消したのではない。自分が彼の前からいなくなったと認識したのは、目の前の光景が変わったことに気づいてからだった。
「ここはどこだ?」
小川は目の前を見る。目の前は、先ほど自分たちがいた音楽室だった。そこで、自分は3階にいるのだと認識する。
「なんでこんな場所に?」
浮かび上がった疑問を呟く。目の前の室内は、明かりが点いたままである。しかし、次の瞬間、突然明かりがふっと消えた。
突然のことに驚きながらも、小川は辺りを見渡す。右側は、明かりのついていない教室。左側には、渡り廊下。そして、後ろにはいくつもの教室がある廊下。
次から次へと降りかかる不思議な現象に、小川は辟易する。鬱屈とした気持ちを落ち着かせようと、深呼吸をする。そして、小川は今浮かび上がった考えを呟く。
「とにかく、幸太と一たちと合流しないと」
小川は、身体を左に向ける。その先にある渡り廊下を歩き、別校舎へと足を踏み入れる。
渡り廊下を渡った先の校舎の右側には、灯りのついていない美術室がある。左側には、卒業記念作品が展示されている。男子、女子と大勢の生徒の顔が彫られた木の彫刻が、今は不気味に感じられる。
普段は何気なく通り、特に感じることもない光景。しかし、今は違う。明かりがついていない校舎という状況下で、掘られた顔にじっと見つめられているのではないかなんて考えが浮かぶと、気味悪く感じられる。小川は作品から目を逸らし、前に進んでいく。
前に進むに連れ、小川は不思議な光景を目の当たりにする。
--なんで、防火シャッターが閉まってんだ?
小川は、そこへゆっくりと近づいていく。銀色のシャッターの向こうには、下に続く階段がある。その階段が生徒に日頃使われているのを見てきている。シャッターが降りているところなんて今まで見たことがなかったのに、今はなぜ閉まっているのかが不思議だった。
小川は、シャッターの隣を見る。シャッターの隣には避難扉があり、そこも閉まっている。
シャッターの向こうが気になり、避難扉のケースハンドルを握る。そして、握ったまま押すと、扉がすんなりと開いた。
扉を潜った先には、いつも見慣れた光景があった。突き当たりには、大きな四角い窓ガラス。右側は壁紙で、左側は下に続く折り返し階段。小川はまっすぐに進み、窓ガラスから外の景色を見る。そこにある光景を見た小川は、目を見張る。
「こりゃ、やばいところに来ちまったな…」
ガラス越しの光景に、固唾を飲む。そこは、校舎一個分はある大きなグラウンド。端っこにはサッカーゴール、そして、野球のベースがある。様々なスポーツをするための場所。そんなところに、あまりに不釣り合いなものがたくさんあった。
それは、月明かりに照らされた数十個もの墓石。一体、誰のものなのかは分からない。しかし、そんなことはどうでもいい。もうこれ以上見ないように、小川は反対方向を向き、壁に凭れ掛かる。ずるずると下に落ちていき、やがて尻餅を着く。
「全く、とんでもないところに来ちまったなあ」
小川が深いため息を吐く。それから、何気なく上に視線を向ける。その時だった。
「ああ…」
小川は唇を震わせる。恐怖のあまり身体が震え始める。
彼が見たものは、死体だった。首に縄をかけられ、天井に吊るされているその死体の表情は、苦痛に歪んでいる。そして、その横には何も引っかけられていない紐がある。
--あの死体は、誰だ。
そんな疑問から、じっと死体を見ている時だった。
「流川…さん?」
その死体の名前を呟く。顔と髪型から、小川は流川美緒だと気がついた。
大きく開かれた目は血走っており、涙が流れている。そして、鼻水が流れ出ており、開かれた口からは舌がだらんと出て、唾液が流れ出ている。かつての可愛い顔は、もうそこにはない。目、鼻、口とあらゆるところから体液を垂れ流しているのを見た小川は、勝手ながらに想像する。
死の恐怖で涙と鼻水を垂れ流し、唾液を撒き散らしながら、助けを求めようと口を大きく開いたまま死んだ彼女の姿を。余計な想像をしたところで、小川は吐き気に襲われ、手で口を覆う。四つん這いになり、必死に抵抗するも無理だった。
「うえええ!」
涙目になりながら、嘔吐する。口の中が胃液の苦味と不快な粘つきで気分が悪くなる。しかし、それよりも彼が気にしていたのは、彼女への懺悔だった。
「ごめん…、流川さん。俺が…、こんな場所に連れてこなければ…」
嗚咽を漏らしながら、小川は謝罪し続ける。小川がいくら言葉をかけようとも、彼女は返事をすることはできない。
小川の嗚咽が階段中に響き渡る。そんな時、階下から誰かの足音が聞こえてきた。その音に、小川は身体をびくっと震わせると、ゆっくりと立ち上がった。手摺から下を覗こうとした時だった。
「おい?誰かいるのか?」
「…一?」
堀田の声を聞いた小川が、手摺から覗き込む。覗きこんだ先の踊り場にて、堀田の姿を捉えた。すると、小川の視線に気づいた堀田が、上を見上げる。
「和也!そこにいたのかぁ。良かったぁ」
小川の姿を見て、笑顔を浮かべる。そして、階段を上がろうとしてくる。
「急に二階の教室の前に来たもんだから、びっくりし…」
「一!来るな!」
「はあ?どういう意…」
堀田が言葉を区切る。彼は、小川よりも上の方へ視線を向け始める。そして、気づいてしまった。堀田の視線を追った小川は、残念そうに目を閉じた。
「流川さん?…嘘だろ」
堀田がその場で膝から崩れ落ちる。小川は階段を降り、彼の元に駆け寄る。すると、堀田が流川に視線を向けたまま呟く。
「一体、どうなってんだよ…」
「分からん。俺たちがさっきやったゲームで死んだのかもしれない」
「ゲームで?そんな…」
堀田が絶望したような声をあげる。
「なあ。俺もあんな風に死んじまうのか?そんなの嫌だよ」
俯く堀田を見て、小川は口を噤む。気持ちとしては、小川も同じだった。しかし、彼は暗い感情に呑まれることなく、堀田を励まそうとする。
「確かに怖いさ。けどよ、生きて帰るには、ゲームをクリアするしかない。そうだろ?」
「うん」
「タイムリミットまで、あと1時間ちょっと。そんなに時間がない」
「でも、またあんなゲームに参加するなんて嫌だよ」
「俺だって、嫌さ。でも、俺はお前たちと一緒に出たい。お前もそうだろ?」
「…うん」
「だったら、行こうぜ。別にお前一人じゃねぇんだから」
「…そうだよな。それしかないんだもんな。すまん、弱気になってた」
「前向きなとこが、お前の良さだろ?」
「まあな」
堀田が笑みを浮かべ、答える。いつもの親友の顔に戻った。そんな姿に安心した小川も笑みを浮かべる。しかし、小川はすぐさま表情を切り替え、自身の考えを語る。
「もしかしたら、明かりがついている部屋がゲーム会場なのかもしれない」
「…明かり?そっか、さっきの音楽室も電気点いてたもんな」
「ああ。三階にそんな部屋はなかった。だから、二階を探そう」
「あっ、そういえば、電気が点いてる部屋あったな」
「どこだ?」
「家庭科室」
「家庭科室…」
彼の返事に、小川は何かつっかかる感覚に陥る。
「どうした?」
「いや、何でもない。とにかく、そこへ行こう」
必死な誤魔化しに、堀田は何も追求してこなかった。頭の中で引っかかることがあるものの、一旦は放置しておくことにし、階段下へ目を向ける。
彼らは、二階へ下りて行く。二階に着き、右側にある避難扉の前に立つ。
「あの骸骨、来ないよな?」
堀田が怯えた表情を小川に向ける。不安がっている堀田に対して、小川は真っ直ぐ目を見る。
「そりゃ来るだろうが、ここでじっとしていてもしょうがない」
小川の言葉に、堀田はゆっくりと頷いた。
小川は、防火扉のケースハンドルを握る。そして、手前に引き、ドアから顔を覗かせる。
左右を見渡し、骸骨がいないことを確認する。小川は、扉を出た先にある渡り廊下へ視線を向ける。そこで、彼はあることに気づく。
「ん?あれは…」
渡り廊下の先を見ながら、呟く。その先の突き当たりの床が、黄色い光で照らされている。暗い校舎の中で目立って見える。気になった小川は、後ろにいる堀田に目配せをし、共に向かう。
廊下を渡り、左側を見る。廊下の突き当たりにあたるその教室は、家庭科室。その教室から、黄色い光が漏れ出ている。
「なんで、家庭科室も明かりが点いているんだろ…」
堀田が不思議そうに首を捻る。彼の疑問に、小川も頭を悩ませる。そして、これまでの状況を振り返る。
異世界につながる大鏡。鎌を持った骸骨。一人でに鳴るピアノ。そして、死体がぶら下がる階段とこれまで見てきたことを思い出した時、頭の片隅であるものが浮かび上がった。
-学校の七不思議?
「どうした?」
堀田が心配そうに顔を覗く。小川は、彼の目を見てゆっくりと話す。
「これまでのゲームは、学校の七不思議がモデルになっているのかもしれん」
「七不思議?」
「ああ。小学生の時によく聞いただろ?"異世界につながる踊り場の大鏡"。"一人でに動く模型"。そして、"勝手に鳴る音楽室のピアノ"。それに、"一つ増える階段"」
「マジだ…。確か、家庭科室にもそんな話あったよな?」
「ああ。有名なのは、"包丁が飛び交う家庭科室"だな」
小川が恐る恐る告げると、堀田の顔が青ざめていく。
「ナイフを避けるゲームとか?」
「かもな。だが、"一人でに鳴るピアノ"に、"塩素ガス"って変な設定があるから、それだけじゃないかもしれん」
小川が憶測を述べる。その時だった。
ピンポンパンポーン。
突然の予告音に、2人は驚く。そのまま立ち尽くしている時だった。
『たった今、"壱"の鍵が開かれました。皆様、あと4つのゲームのクリアを目指してください』
その言葉を機に、天井のスピーカーから何も流れなくなった。
2人の間に、しばしの沈黙が流れる。すると、堀田がゆっくりと口を開いた。
「壱の鍵?てことは、幸太が開けてくれたってことか?」
小川の言葉に、堀田が口角をあげる。
「じゃあ、あと4つのゲームをクリアすれば、俺たちはこの世界から出られるんだな?」
「おそらくな。そうでないと困る」
小川がそう言った時だった。背後から視線を感じた彼は、身体を固まらせる。
--まさか、奴が?
そう考えた途端、恐怖が襲いかかってくる。しかし、このままじっとしていてもしょうがない。彼は勇気を出して、ゆっくりと振り返る。振り返った先にいた存在に、小川は目を大きくする。
2023年7月7日午後7時21分
「ダメだ!一旦、逃げるぞ!」
そう叫んだのは、
このままでは、背後にいる骸骨に襲われる。鎌を持った骸骨は、もうすぐそこまで来ていた。
「くそ!」
悪態を吐きながら、立花はドアから離れる。そして、振り返るとすぐさま、右側にある渡り廊下を走り始める。彼の動きを見た流川と西野も慌てて付いてくる。
渡り廊下の先にある別校舎。その突き当たりには、屋内に設けられた避難階段がある。いつもはシャッターが開いていて、自由に下へ降りられるようになっている。しかし、どういうわけか銀色のシャッターが降りたままでいる。
「なんでこんな時に!」
立花が思わず悪態をつく。その時だった。
「きゃ!」
立花の背後で、悲鳴が聞こえた。すぐさま振り返ると、流川が床に倒れていた。
「美緒!」
すぐさま駆けつけると、流川が苦笑いを浮かべる。
「ごめん、ゆー君。ドジっ子だから転んじゃった」
「いいから、早く!」
立花が流川に手を差し伸べる。流川が彼の手を握るも、なかなか起き上がることができない。恐怖で足が思うように動かせないせいだった。
こうしている間にも、骸骨の足元が近づいてくる。流川の背後へ視線を向けると、骸骨はもう、すぐ近くまで来ていた。
「早くしなくては」。そんな気持ちから焦りが生じ、立花は後ろに振り返る。
「西野さん!手伝ってくれ!」
後ろにいる西野に助けを求める。しかし、その場で呆然と立っているだけで、彼女は近づいてこない。
「早く!」
「ご、ごめんなさい…」
西野が唇を震わせながら、一歩ずつ後ずさっていく。そして、後ろに振り返ると一気に駆け出した。
「西野さん!」
立花は、必死に呼びかける。しかし、彼の声を無視し、西野は走っていく。
自分たちを見捨てて逃げる西野の背中を、立花は呆然と見つめる。西野は防火シャッターの前を左に折れると、そこにある廊下へと消えていった。
西野の足跡が徐々に遠ざかっていく。それに、立花が失望していた時だった。
「きゃあ!」
流川の悲鳴が響き渡る。その声で、立花は我に帰った。すぐさま後ろを振り向くと、すでに骸骨は渡り廊下を通り抜けていた。
「早く!」
立花の呼びかけに応じ、流川がようやく立ち上がる。しかし、その時にはもう、骸骨は目の前にいた。眼前に迫る存在に恐怖し、立花は足が思うように動かせない。
立花と流川は、眼前にある存在から逃れるようにゆっくり後ずさっていく。その姿は、肉食動物に追い詰められた草食動物のようだった。恐怖に慄く彼らを嘲笑うように、骸骨がゆっくりと近づいてくる。
万事休すか。立花がそう思った時だった。
「こっち!」
背後から何者かの呼び声が聞こえた。立花と流川がばっと振り返ると、そこには制服姿の女子生徒がいた。
「誰?」
流川がその少女に問いかける。しかし、黒髪ボブの少女は何も答えず、立花たちをじっと見ているだけだ。そして、どういうわけか不敵な笑みを浮かべた。その意図が分からず、立花たちが困惑していると、左手で手招きをし始めた。
立花は、彼女の右隣りに注目する。そこには、人一人が通れる避難扉がある。すると、少女は扉を指差して見せた。
「こっちにおいで」
少女が手招きを続ける。すると、立花たちの前にいる骸骨が少女へと視線を変えた。視線を変えたと同時に、顎を上下に動かし始める。
カチカチカチカチ!
上下の歯が打ち鳴らされる音。まるで興奮しているかのように見える仕草に、立花と流川は呆然とする。そんな中で、立花は考え始める。
目の前の彼女は、大丈夫なのだろうか。突如として現れた彼女を信用していいのか、そんな不安が押し寄せてくる。
彼女を信じた先に何があるのか分からないことが恐ろしく、判断を迷わせる。しかし、目の前に迫る死を回避できるのなら、信じた方がいいのではないかというかんがえが浮かび上がってくる。
判断に迷いながらも、立花は決心した。そして、流川の右手を取る。
「ゆー君!?」
戸惑いを示す流川。立花はそんな彼女を無視して、防火シャッターへ向かう。
「さあ、こっち」
少女が避難扉を押し、扉の向こう側から中から入るように促す。
「美緒!先に入って!」
立花は流川の背中に手を添え、一気に押し出す。加速した彼女は、ドアの中へと入っていく。
「だあああ!!」
大声を上げながら、立花はドアへと走っていく。中に入ったと同時に、バタンと大きな音と共にドアが閉じられた。
立花と流川がその場にへたり込む。その時、防火シャッターの向こうから、小さな音が聞こえてくる。
コンコンとドアをノックしているような小さな音。剥き出しの骨だから、こんな弱弱しい音しか出せないのだろう。しかし、狙った獲物を逃すまいとするその姿勢に、立花は恐れを抱く。
立花は、身体を震わせる流川へ近寄る。安心させようと彼女の身体を抱擁する。流川の温もりとともに、震えが伝わってくる。身体の震えは、恐怖から来ているものだと分かる。その気持ちは、立花も同じだった。恐怖で押しつぶされ、どうにかなりそうになるも、彼は必死にこらえる。
しばらくすると、音が止んだ。そして、ガシャガシャと何度も聞いた足音が遠ざかっていくのが分かった。
「ようやく諦めた」。そう思ったと同時に、立花は大きなため息を吐いた。
「もう大丈夫そうだな」
「…うん」
「てか、さっきの女の子は?」
流川の疑問に、立花ははっとさせられる。骸骨から逃げるために必死だったことで、すっかり頭の片隅に追いやられていた。
自分たちを助けてくれた女の子を探そうと、辺りを見渡し始める。その時だった。
「ねぇ、あれ…」
「どうした?」
流川の呼びかけに、立花は反応する。流川が右手で、ある方向を指さしている。
「何あれ…」
彼女の指さす方を立花は見る。彼女が指さす方向は、二階と三階の踊り場。そして、そこに奇妙なものがあることに気づく。
「なんだ、あれ…」
目を大きくしながら、立花は呆然とする。上がり階段の一段目の真上の天井から、茶色いロープが2本垂れ下がっているのだ。
「これは一体…」
「ゲーム」
「えっ?」
突然の声に、立花は驚く。「一体、どこから?」。そんな不思議な気持ちで、辺りを見渡した時だった。
「ここよ、ここ」
背後から突然肩を叩かれ、立花は瞬時に振り返る。そこには、先ほどの黒髪の少女が立っていた。突然のことに、顔を強張らせていると少女は口角を上げた。
「あははは!そんなびっくりした顔しないでよ!」
「あなたは、さっきの…」
「そうだよー」
流川の呟きに、少女は手を振って返す。
「さっきは怖かったでしょ?」
「はい…。骸骨が一人でに動くなんて、ありえないですし」
流川の言葉に、少女は何度も頷く。それは、理解を示そうとしている態度だった。
「そう、怖かったわね。でも、残念」
「…どういう意味ですか」
「これからあなたたちには、さっきよりも怖いゲームをやってもらうから」
「えっ?」
流川が戸惑いの表情を浮かべる。立花も彼女と同じ表情を浮かべる。「どういう意味なのか説明してほしい」、そんな意味を込めて、立花たちは少女に目を向ける。すると、少女はニコリと笑みを浮かべて、こう言った。
「あなたたち二人には、ここでゲームをしてもらうの」
少女の言葉に、立花は呆気に取られる。困惑した彼に対して、少女が不気味な笑みを浮かべる。
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