ゲーム:『大鏡』

 2023年7月7日(金) 午後19時


 空がオレンジ色と黒色に染まっている。すでに黒の比率が大きくなっているものの、完全な黒一色ではない。冬に比べると、夏の空は、黒一色に染まるのが遅い。しかし、この時間はすでに夜で、生徒はもう学校にいないはずだった。そんな時間にも関わらず、松本はまだ校舎に残っていた。彼だけでなく、小川と堀田、そして4人の男女も共に、2階と3階の踊り場にいた。

 彼らは、踊り場にある大鏡の前に立ち、時が来るのを待っている。

 額縁に嵌められた2メートル近くある大鏡。いつから使われているものなのかは分からない。しかし、塗色がところどころ剥げた額縁といい、鏡の表面に浮かぶいくつもの小さな傷から、年季の入った代物だと、松本は思った。

 普段何気なく見る光景なのに、この時はどういうわけか不気味に見える。それは、普段大勢の人がいる校舎に全然人がいないという状況に加え、夜だからというのが原因かもしれない。

 松本は左右を見る。彼の右には、小川と一人の女子生徒が立っている。自信なさげに俯いている彼女を見て、松本は10分ほど前のことを思い出す。


 それは、10分前の18時50分に松本たちが一年C組に集まって自己紹介をし合った時の光景だった。

 彼女の名は、西野希にしの のぞみ。小川と堀田と同じ一年D組の生徒。顎までの長さで左右均等に整えられた横髪に、眉より4、5cm上に切り揃えられた前髪のおかっぱ頭。一重ながらもパッチリとした目に、両頬にあるそばかすと、特徴が多い子だった。

 そんな彼女は、人と話すのが苦手だという。実際、小川と話しているのを見ていたが、目はずっと下に向けられ、つっかえながらも小さな声で頑張っている姿が印象的だった。


 松本は自身の左側を見る。自身の隣から順に堀田、女子生徒、男子生徒に女子生徒と並んでいる。

 堀田の隣に立つ女子生徒の名前は、栗花落愛美つゆり まなみ。松本と同じ1年C組の生徒。背中まで伸びた艶のある黒髪に、肉付きがあまりないモデルのような華奢な身体といい、顔のパーツどれもが美人と思わせる女子生徒。

 彼女は美しさに加え、表情を変えないクールな一面がある。男に尻尾を振らず追い払う、そんな言動が近寄りがたい雰囲気を常に出している。そんな彼女が、今どうして自分たちと一緒にいるのかが不思議でしょうがなかった。ここで、松本の頭に昨日の光景が蘇る。


 昨日の7月6日の午前12時。校舎一階の廊下にいた彼女に、松本は話しかけた。その時には、松本はすでに覚悟を決めていた。どうせ断られると。しかし、返事は予想だにしないものだった。

「いいよ」

「えっ、いいの?」

 まさかの結果に驚きつつ、松本は問い返す。

「いいよ。家にいても退屈だし」

--そんな理由で?

 心の中で、そんなことを思う。しかし、松本は、それを口に出そうとはしなかった。

「ありがとう。助かったよ」

「うん」

 彼女が素っ気ない返事を返す。それでも、松本は嬉しかった。親友の頼みを叶えることができたのだから。


 松本は、栗花落の隣にいる女子生徒と男子生徒を見る。中肉中背で、ウェーブのかかっている肩まで伸びた黒い長髪の女子生徒の名前は、流川美緒るかわ みお。スポーツマンのような細く仕上がった身体に、髪型がマッシュである男子生徒の名前は、立花悠人たちばな ゆうと

 彼らは、松本と同じく一年C組の生徒でバスケ部に入っている。そして、彼らは男女の仲としてクラスメートに知られている。

 本来だったら、彼らに声をかけるつもりはなかった。しかし、廊下で栗花落と話していた時に、立花が偶然通りかかった。そして、松本の話に興味を示し出した。

「面白そうじゃん。俺も混ぜてよ」

 立花の申し出に、松本は逡巡する。小川たちと相談してからという考えが浮かび上がったからだった。しかし、1人くらい増やしても怒られることはないだろうという考えが浮かび上がる。そう考え、しばしの時間を置いた後、松本は了承した。

「マジで?やったー。あっ、美緒も連れてきていい?」

「えっ?あ、ああ。いいけど」

「サンキュー!」

 立花が嬉しそうな声を上げる。その時、松本の視界に小川が入ってきた。廊下の途中にある階段から降りてきた彼が、松本と目が合うと手を振った。

「おお、幸太。お疲れ」

「ちょうど良かった。この2人…、あともう1人も来てくれることになったぞ」

「おおー!マジか!予定より2人多いけど、いいか」

 小川の言葉を受け、松本はほっとする。相談もなしに勝手に人数を増やしたことを怒られなくて良かったと。

「あっ、俺、1年D組の小川和也って言います」

 小川が遅れながらも、自己紹介を始める。

「栗花落愛美。松本君と同じ1年C組。よろしくね」

 栗花落が自己紹介を終える。すると、自分の番だと見た立花が手を上げる。

「じゃあ、次は俺ね。俺は立花悠人。俺もC組で、バスケ部に入ってる。まあ、よろしく」

 立花が自己紹介を終える。すると、小川が何やら険しい表情を浮かべ始める。

「…んん?」

「何?そんな顔して」

 立花が眉をくの字にする。初対面の人にそんな顔をされたら困る、そんなことを思いながら松本は様子を見ている。すると、小川が急に目を大きくし、納得したような声を出す。

「ああ。そうだ、そうだ」

 呟きながら、小刻みに何度も頷いた。

「思い出した。昨日、肩ぶつかっちまったよな?あん時は悪かったわ」

「はっ?」

 立花は分かっていないようだった。そんな反応を示す立花に対して、小川は冷静に話を続ける。

「昨日の朝さ、ここ一階の廊下でさ、肩ぶつかっちまっただろ?覚えてねーの?」

「人違いじゃね?」

「いーや。やけにぼーっとして歩いてたから、印象に残ってるよ。まあ、スマホ見ながら歩いてた俺が悪いんだけどさ。鞄の中身ぶちまけた時、一緒に拾ってくれたろ?」

「んー。悪い、全く覚えてない。その時、勉強で疲れてたんかもな」

「そうか。んー、まあ、いいか」

 小川が納得の声を上げる。しかし、彼の表情は、そう言っていなかった。

--一体、何だったんだ。

 妙な空気に包まれながら、松本は不思議に思った。しかし、深く言及しようとは思わず、その場を後にした。


 大鏡の前に立ち、どれくらい経ったのだろうか。気になった松本は、ズボンのポケットからスマホを取り出す。電源ボタンを押すと、画面が明るくなり、待ち受け画像と共に"19:15"と時刻が表示される。

 もう時間だ、そう思った矢先だった。

「みんな、もう時間だ。心の準備はできているか?」

 彼の呼びかけに、6人が静かに頷く。頷いたものの、松本は不安げな表情を浮かべる。そんな彼をよそに、小川は続ける。

「合言葉は覚えてるな?あと10秒だ」

 その言葉を機に、沈黙が流れる。心の中で、カウントを始める。

 9、8、7、6、5、4、3、2、1、0。松本は、口を開く。

「中に入れてください」

 松本たち7人の言葉が重なる。

 これで何か起きるはず。そう思っていたが、何の変化もない。いくら経っても変化は起こらず、場がシーンとする。

「なーんだ。何にも起きなかったなぁ」

 堀田が残念そうに呟く。松本は、堀田と小川の顔を交互に見合わせ、苦笑する。

「やっぱ、何にも起こらなかったな。さっさと…」

 話の途中で、松本は呆然とする。それは、目の前の鏡に、異様な光景が見られたからだった。

「一体、どうなって…」

 松本は唖然とする。鏡の中心が少しずつ歪み始めている。歪みながら、渦の形へと変化する。渦の中心は真っ暗で、とても不気味だった。

「おい、何だよ。これ」

 堀田が戸惑いの声を上げる。彼だけでなく、他の6人も困惑の表情を浮かべている。

「なんで動けないんだ!?」

「私も!なんで!?」

 立花と流川が悲鳴のような声を上げる。

「お、俺もだ…」

 松本は呆気に取られる。彼らの言うように、松本も身体を動かすことができなかった。

 目の前の黒い渦が、鏡全体にまで広がっていく。そして、鏡全体にまで大きくなると、身体が突如、吸い込まれ始める。

「うああああ!!」

 松本は必死に抵抗しようとするも、身体を動かせなかった。そんな状態では、どうすることもできない。松本を含めた7人は、そのまま真っ暗な渦の中へと引き摺り込まれていってしまった。




「〜!〜!」

「〜!」

 何やら、声が聞こえてくる。しかし、あまりに小さく、くぐもっていて聞き取ることができない。

「…い!…ろ!」

「…た!」

 声が徐々に鮮明になっていく。それと同時に、意識が徐々に醒めていく。ゆっくりと瞼を開くと、ぼやけた視界の中で何かを捉える。

「おい!起きろ!」

「幸太!」

 聞き覚えのある声。そして、鮮明になっていく視界に映った人物達を見て、松本は目を素早く開ける。その正体は、心配そうな表情を浮かべている小川と堀田だった。松本が目を開けたのを見て、彼らは笑みを浮かべた。

「和也?一?」

「はあ、やっと起きたか。このまま目が覚めないかと思ったぜ」

「良かったぁ」

「一体、何が」

 松本は疑問に思いながら、身体をゆっくりと起こす。周りを見ると、栗花落と西野、そして、立花と流川がすでに起きていた。皆が松本に目を向けている。皆の視線を受けながら、松本はあることに気がついた。

「あれ、何だよ」

 松本は、正面にあるモノを見る。それは、黒い扉が付いた鏡だった。それだけでなく、扉の取手には5つの南京錠が付けられている。そして、鏡の上には時計が置かれている。その時計の針は、7時16分を指したまま動いていない。

 松本は辺りを見渡す。そして、混乱し始める。今いる踊り場といい、階段、そして、廊下はいつも見慣れたもの。しかし、ここは自分たちの学校だと思うはずなのに、どうして鏡だけが異なっているのか。

 戸惑っている松本を見て、小川が目を細める。

「ここの踊り場といい、階段の中央に貼られている白テープと全く同じ光景。けど、こいつだけは違う。さっき、俺たちを襲ったあの現象から、ここは鏡の向こうなんだろうよ」

「…はは、マジかよ」

 突拍子のない話に、松本は思わず苦笑する。

「行けたのはいいけどさ。向こうの世界が自分たちの世界と同じなんて、がっかりだな」

「それな」

 肩を落とす堀田に、立花が同意を示す。

「てか、どうすんのこれ」

「ねぇ、ゆーくん。私、怖い」

「大丈夫だって。俺がいるからよ」

 そう言うと、立花は流川の頭を撫でる。頭を撫でられた彼女は、安心したようにゆっくりと頷いた。

「いいなー。俺も青春してぇ」

 堀田が立花たちに羨望の目を向ける。

「んなこと言ってる場合か。とにかく、校舎を回ってみよう。何かあるかもしれない」

「何かって?」

 提案した松本に、栗花落が尋ねてくる。

「ここから出るための…、何かだよ」

「答えになってない」

「…すまん」

 彼女の鋭い眼光に、松本は萎縮する。すると、彼女は鼻で笑った。彼女の態度に、松本は羞恥心を抱く。

「気になることがあるんだけど」

「何だよ」

 小川が応じると、栗花落は南京錠に手を触れる。

「なんでか、番号が振られてる」

「番号?」

 小川は聞き返すと、鏡の前に立つ。松本と堀田もそこへ向かう。そして、5つの南京錠を見る。

 栗花落の言ったように、5つの南京錠には番号が彫られていた。上から順に"壱"、"弐"、"参"、"肆"、"伍"と漢数字が続いている。

「でも、何で漢数字?それも、昔のやつだし」

「さあ?」

 小川の問いに、松本が適当に返す。その時だった。

 ピンポンパンポーン。アナウンスの予告音に、皆が驚く。

『皆様、ようこそ。皆様がお目覚めになられましたので、ゲームを開始します』

 若い女性の声のアナウンスに、皆が困惑の表情を浮かべる。

『ゲーム、「勝者を迎える鏡」。クリア条件は、制限時間内に5つの鍵を開けることです」

「おいおい。どうなってんだ、これ」

 小川が困惑の表情を浮かべる。

『この校舎内で、5つのゲームが開かれます。それらをクリアすると鍵が手に入ります。その鍵で、踊り場の鏡に取り付けられた南京錠を開けることができます。午後9時までに、5つ全ての鍵を開けることができたら、元の世界に帰れます』

「元の世界!?」

 一番に反応したのは、流川だった。彼女は何かに期待しているように、目を大きくして聞いている。

『それでは、ゲームスタート』

 開始の合図が告げられる。それと同時に、学校のチャイムが流れ始める。

 校舎内に流れるチャイムを、皆が黙って聴いている。そして、チャイムが鳴り終わった時、大鏡の上にある時計の針が動き始めた。

 皆が固まっている中、堀田がおそるおそる尋ねる。

「ねぇ、どうする?」

「んなもん、決まってんだろ。帰るんだよ」

「帰る?」

 堀田が不思議そうに聞き返す。そんな彼の反応を見た立花が、鼻で笑う。

「これ、テレビのドッキリだろ?」

「ドッキリ?」

 そう問い返したのは、松本だった。

「ああ。まあ、YouTubeかもしんないけど。訳分かんない状況にパニクってる俺らを楽しんだんだよ」

「ドッキリにしては、手込みすぎだろ」

「そうとしか思えねぇって。誰もいないなんておかしいだろ。とにかく、俺は帰るからな」

 そう言うと、立花は流川の手を引き、階段を下りていく。彼の行動を見た小川が、松本たち4人に目を向ける。

「まあ、俺たちも行ってみるか」

 小川の提案に、首を横に振る者はいなかった。


 校舎は、不気味なほどの静かさだった。明かりが一つも点いていない校舎は暗く、廊下の窓ガラスから差す月明かりだけが頼りになる。そんな光景を見た松本が、今抱いた疑問を口にする。

「てか、外はもう真っ暗なのか。俺らそんなに気を失ってたのか」

「さあな。とにかく、校舎を出てみよう」

 小川が適当な返事をする。松本は、自分たちに降りかかっている疑問が解決できないことに、少しイラつきを覚える。

 松本たちは、1階と2階の踊り場にまでおりてきていた。そのまま階段を降りようとした時、松本はすぐさま足を止めた。彼の後ろにいた小川が、慌てた声を上げる。

「何だよ急に止まって」

「何か聞こえる」

「ああ?何がだよ」

 松本の隣にいた立花が、聞き返す。松本はそのままじっとし、耳を澄ませる。 

…ガシャ、ガシャ。

--何の音だ。

 松本は疑問に思いながらも、音に集中する。

 その音は、下から聞こえてくる。何かに例えづらい音に困惑しながらも、松本はゆっくりと階段を降りる。

「幸太?何してる」

「ちょっと待ってろ」

 背後にいる小川に振り返ることなく、返事をする。松本はこの時、得体の知れない不安を抱いていた。

 階段の壁から顔だけを覗かせ、1階の廊下を見渡す。左側には昇降口。そこには、何もない。そして、右側には1年生の教室が並んでいる。その廊下の先を見た時だった。

「っ!」

 思わず出そうになった悲鳴を押し殺す。そこには、得体の知れない存在がいた。それは、一人でに動いている骸骨。2メートルを超えてそうな巨体で、左手には草刈りで見られる鎌が握られていた。そいつが歩くたびに、ガシャと音が鳴る。その音は、松本がさっき聴いたものと同じだった。

「幸太。どうしたんだよ」

 背後から小川が囁き声で尋ねる。松本は顔を強張らせたまま、小川に振り返る。

「あれ…、見てみろ」

「あれって?」

 小川が怪訝な顔を浮かべると、松本は廊下の先を指差す。

 怪訝な表情を浮かべたまま、小川が壁から顔を覗かせる。彼の顔が右に向いてから、数秒も経たないうちに、ばっと顔を引っ込めた。小川の顔も、松本と同じように強張っていた。

「何だよ、あれ」

「何なんだよ、さっきから」

 黙って見ていた立花が、苛立たしげに階段を下りていく。そして、壁から顔を覗かせ、右側を見る。その時だった。

「あっ!」

 立花の口から、悲鳴が漏れ出る。立花がすぐさま自身の口に手を当てる。自分が何をしてしまったのか、咄嗟の判断での行動だったのだろう。

 まずい、バレた。そんな不安を抱いたまま、松本と小川は、壁から顔の半分だけを出す。

 廊下の先を見ると、骸骨の動きが止まっていた。そのままじっと見ていると、頭蓋骨がぐるっと左に向いた。あまりの速さに反応しきれなかった松本と小川は、顔を引っ込める時間すらなく、骸骨と目が合ってしまった。

 眼球のない眼窩がじっとこちらに向けられている。すると、身体の向きがこちらに向く。そして、顎を開けるとゆっくりと閉じる。カチっと硬いもの同志がぶつかり合う音が生じる。それがゆっくりとした動きから、素早い動きへと変わっていく。

 カチ。カチ。カチカチカチカチカチ!

 不気味な音が廊下中に響き渡る。そして、だらんと下げていた左腕を高く上げると、こちらに向かって走り始めた。それを見た小川がばっと後ろに振り返る。

「みんな!逃げろ!」

 小川の合図で、松本と立花が一斉に階段を駆け上がる。踊り場にいた4人は、キョトンとした表情を浮かべている。

「一!早く!みんなも!」

「う、うん」

 松本が警告を発すると、堀田が呆気に取られたような返事をする。栗花落や西野までもが、そんな返事をすると、階段を上がり始めた。

 皆が階段を上っていく中、流川はその場で呆然としていた。そんな彼女を見た立花が、声を張り上げる。

「何してる!早く行くぞ!」

「えっ?あ、うん」

 流川は、立花に手を引かれると階段を登り始めた。

 7人全員が一斉に階段を駆け上がっていく。先頭は、小川。彼の後に松本、栗花落、堀田に西野。そして、立花と流川の順になっている。

 階下から、ガシャガシャと不気味な足音が近づいてくる。その音に、栗花落が尋ねる。

「ねぇ!この音、なんなの!?」

「下から鎌持った骸骨が来てるんだ!」

「骸骨!?本気で言ってるの!?」

「本当だ!きっと俺たちを殺す気なんだよ!」

 栗花落の問いに、松本が声を張り上げて答える。

「もしかして、さっきのアナウンスで言ってたゲーム!?」

「そんなん知るかよ!とにかく、逃げるぞ!」

 堀田の呟きに、小川は声を張り上げて答える。

 7人全員が3階に到達する。この校舎は3階までしかない。階段を上がった先の左手には、何もない。逃げるなら、右手にある廊下しかない。皆が廊下を走り始める。

「なあ!こっからどうするんだよ!」

「分かんねぇよ!とにかく、逃げ…、ん?」

 松本の問いに、小川が投げやりに答えている時だった。彼は何かを見つけたように、途中で言い止まった。

「おい!あれ見ろ!」

 小川が指差す方を見る。その先は、廊下の奥。そこには、明かりがついている部屋があった。

「音楽室!?なんであそこだけ?」

 堀田が、荒い息を吐きながら言う。

「とりあえず、中に逃げ込もう!」

 小川の提案に、松本は黙って付いていくことにする。それ以外に、何も方法が浮かばなかったからだ。

 ガシャ、ガシャ。

 骸骨の足音がまだ聞こえてくる。背後がふと気になった松本は、走りながら首を後ろに向ける。その先には、鎌を持った左手を高く上げながら、近づいてくる骸骨の姿があった。

「っ!やばい!もう上がってきた!」

 松本は、注意を呼びかけるように叫ぶ。それを聴いた6人が、後ろを向く。そして、骸骨を初めて見た流川が目を大きくする。

「いやぁ!何、あれ!」

「美緒!いいから、走れ」

 彼女の横に並ぶ立花が呼びかける。恐ろしさのあまり、流川は涙を流していた。

 一方の堀田と栗花落、西野も、流川と同じく目を大きくしていた。

「ひい!マジかよ!」

「な、何ですか!あれ」

「嘘…。本当だったのね」

 3人は驚きながらも、すぐさま前を向く。

 7人は、音楽室の前まで達していた。一番に着いた小川が、2枚の引き戸のうち、左側を右に引く。すると、ドアは簡単に開かれた。

「こっちだ!」

 小川は中に入るとすぐに、後ろにいる6人に大声で呼びかける。すると、松本の隣を走っていた栗花落が、何かに気づいた。

「あれ、何だろ」

「えっ?」

 松本が応じると、栗花落が右のドアを指差す。そのドアのガラスには、赤いペンキのようなもので"4"と書かれていた。

 確かに気がかりだったものの、松本は気にしてある場合ではなかった。とにかく、今は室内に入ることを優先する。

 松本が中に入ると、栗花落、堀田と順番に入っていた。中に入った松本が、背後を振り返る。後に続く者たちを誘導しようとした時だった。突然、目の前のドアが勝手に閉まった。

「はっ!?」

 突然の出来事に、松本は困惑する。ドアの上部に嵌められたすりガラスに人影が映ると同時に、ドアを激しく叩かれる。

「おい!開けろ!」

 立花の怒号が聞こえてくる。しきりに何度もドアを叩いているのを見て、松本はすぐさまドアに駆け寄る。

「何閉めてんだよ!開けろ!」

「俺たちじゃない!勝手に閉まったんだよ!」

「嘘つくな!さっさと開けろ!」

 立花の怒号を耳にしながら、松本は引き手に手をかける。そして、全身の力をこめて横に引こうとする。しかし、びくともしなかった。

「早く開けてくれ!」

 立花の悲痛な叫びが聞こえる。それだけでなく、女子2人の悲鳴も聞こえた。

「くそっ!どうなってんだ!」

「幸太!」

 小川が松本の元に駆け寄ってきた。そして、引き手に手をかけ、松本と共に開けようとする。しかし、二人がかりでも結果は変わらない。それでも、必死に開けようと踏ん張っていた時だった。

「うあああ!!」

 男と女の悲鳴が、ドア越しに聞こえてくる。

「立花!?流川さん!!西野さん!!」

 松本が大声で3人に呼びかける。しかし、彼らから返事が返ってこない。その時だった。

「ダメだ!一旦、逃げるぞ!」

 立花の叫びが聞こえると同時に、すりガラスから人影が消えていった。

「立花!?」

 松本が呼びかけるも、向こうから返事はない。ドアに耳を近づけると、複数人の足跡が遠ざかっていくのが聞こえた。それを聞いた松本は、すぐさま理解して願う。

--どうか無事でいてくれ。

 そう希望を託した時だった。

 ガリッ!

「うおっ!」

 突然の音に驚き、松本は体勢を崩す。そして、その場で尻餅を着く。一方の小川は、瞬時の反応で、ドアからすぐさま離れていた。

 一体、何の音だと不思議に思いながら、上を見上げる。見上げた先のドアのすりガラスに、骸骨のシルエットが浮かび上がってくる。その光景に、松本はゾッとする。

--頼む。このまま開かないでくれ。

 松本は目を瞑り、必死に願う。すると、その願いが通じたのか、骸骨のシルエットが消えていった。

 ガシャ、ガシャ。

 足音が再び聞こえてくると、徐々に遠ざかっていった。聞こえなくなったのを機に、松本は安堵する。

「どっか行ったか…」

 ため息を吐くと、松本はそのまま背中を地面に預ける。

「とりあえず、ここは安全みたいだな」

「うん。でも、幸太。何で急にドアが閉まったんだろ」

 堀田の問いに、松本は頭を悩まさせる。すると、そこへ栗花落が何やら呟き始めた。

「もしかして、あれは人数だったんじゃない?」

「人数?」

「松本君も見たでしょ?ドアに書かれてた"4"の数字」

「…あっ」

 松本は、すぐさま思い出した。その時は、逃げることに必死だったから、頭の隅に置かれていた。

「じゃあ、俺ら4人が入った時点で、ドアが自動的に閉まったってことか?」

 小川の憶測に、栗花落は静かに頷いた。確かにそれなら辻褄が合うと、松本は思った。しかし、一方で疑問が生じる。

 なぜ4人なのか、ということだ。この数が意味するのは、いったい何なのか。推測するにも情報が足りない。そうやって頭を悩ませている時だった。

「それに、まだ気になることがある」

 栗花落の突然の言葉に、松本は応じる。堀田と小川も同様に反応を示すと、松本が尋ねる。

「どうしたんだ」

「この音楽室の光景、私たちの学校のと同じだのね?」

「…確かにそうだな」

 松本は、彼女に同意を示す。

 入り口から見て、すぐ右には黒いグランドピアノがある。そして、少し離れたところに黒板がある。黒板の前には教卓。教卓から教室の端までは机と椅子が並んでいる。その光景は、松本がいつも授業の時に見ているものだった。

 しかし、そんな光景の中に、違和感を抱くものがあった。松本は、それを指差す。それは、教卓の上に置いてある薄型テレビだった。

「あんなの、なかったよな?」

「そう。私も気になってた」

 松本の指摘に、栗花落が頷く。4人が訝しげに、そのテレビを見ていた時だった。

 ピンポンパンポーン。

 アナウンスの予告音が室内に響き渡る。その直後だった。

『音楽室へようこそ。人数が揃いましたので、ゲームを開始します』

 アナウンスを受け、松本は不安げな表情を浮かべる。これから一体、何が始まるのかと。

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