第5話

 真信乃が編入して一カ月が経とうとしていた。稀歩や仲斗、訓練生に毎日絡まれ、真信乃は暇することがなかった。嫌だと言っても引き下がる連中ではないし、そもそもそれほど邪険にもしていなかった。暇を持て余すよりマシだと思い、真信乃は現状に不満爆発することはしなかったのだ。

 しかし最近になり、ある変化が起こった。


「今日もあいつらは来てないんだな?」


 仲斗に問われ、真信乃は二人きりの屋上を見回す。いつもなら放課後は、訓練生が真信乃のところへやってきて指導を受けている。いつも全員いるわけではないが、田口と二岡は欠かさず訓練に来ていた。それ故、伸びしろも二人が最も長かった。

 そんな彼らが、ここ数日来ていない。「本部の人に呼ばれた」と言ったきり、訓練どころか登校すらしなくなったのだ。


「来てないな。学校にも」

「へえー。本気で団員を目指す気になったのか?」

「どうだろうな。急な実戦テストもあるし、単純に訓練が忙しくて来てない可能性もある」

「そんなことあるのか? たかが訓練生なのに?」

「オレのときにも一回だけあったよ。そのとき、才能がありすぎて早く正団員にさせたいって教官に褒められまくったな」

「真信乃ー、盛りすぎだって」

「本当だから!」

「思い出は美化されるもんだが、加工しすぎて原形保ってないぞ」

「知ったような口をきくな!」

「真信乃のことなら何でも知ってるって」

「気持ち悪い嘘吐くな!」


 仲斗がいつものようにからかい、真信乃もいつものようにイラつく。屋上の扉をチラチラと見ながら、真信乃は稀歩が来るのを待っていた。

 彼女が来ると、仲斗は興味を無くしたように去っていく。何故だかは分からないが、努力無しに仲斗を遠ざけることができるため、真信乃は彼女を心待ちにしていた。


「なー真信乃ー」


 一方の仲斗は、それを察知して口をとがらせる。


「あんな女なんかとは手を切れよ」

「なんだ急に。あんな女って誰のことだ?」

「稀歩とかいうやつ! なんであいつの言うことは聞いて僕の言うことは無視するんだよ!」

「日頃の行いってやつだよ」

「僕が何したって言うんだよ! 転生士を殺す手伝いまでしてるのに!」

「お前のそれは手伝いじゃなくて邪魔だ! そのせいで被害が増えるって何回言えば分かる!」

「それ言うなら、成仏させる方がよっぽど時間かかるし危険だろ? 転生士が嘘を吐いてないってどうやって証明できる? 隙を見て殺されないと言い切れるのか?」

「ぐ………」


 真信乃は言い返せなかった。健太の件はたまたま運が良かっただけと言われれば、そうかもしれないと言わざるを得ない。転生士は未練でできているとは言うものの、嘘を吐かないとは言い切れない。彼らの言葉が本心か否か、真信乃は経験値で判断するしかないのだ。


「あの女は、自分が戦わないからって綺麗事を言ってるだけだ。それに付き合って怪我するのは真信乃なんだぞ?」


 深紅の瞳が、本気で心配しているように真信乃を見つめる。こいつに人を気遣う気持ちがあったのかと、真信乃はほんの少しだけ彼を見直した。だが、せっかくの言葉は切り捨てるしかなかった。


「綺麗事でも関係ない。結局はオレが決めたことだ。それで怪我しても、たとえ殺されたとしても、それはオレ自身の責任だ。稀歩を恨んだりしない」

「そんなんで本当に良いのか? 本当にちゃんと考えたか? 成仏させるなんて、わざわざそんなことをしてやる理由があるのか?」


 ―――転生士は、存在自体が悪。転生した時点で迷惑をかけている。だから、たとえどんな〝思い〟を持っていても、殺されて然るべき存在だと思っていた。

 しかし―――あの一件で、真信乃の〝思い〟は変化を始めていた。


「………転生は抗えない事象だと思った。何かに対する〝思い〟が溢れたとき、人は〝未練〟として転生する。それを止めることは誰にもできない」

「だから転生士は悪じゃないって? 未練を晴らすために他者を傷付けても咎められないって?」

「違う。人を傷付けたら、転生士であろうがなかろうが関係ない。人に迷惑をかけないといけない未練は消し去るべきだ。ただ……」


 曇り空を見上げる真信乃。今にも雨が降り出しそうな、よどんだ雲が視界に広がった。


「そうじゃない〝思い〟は、せめて救ってやりたいと思った。宿主を殺したことは看過できないが、そういう悪意ない〝思い〟が再び未来の宿主を殺さないために、成仏させてやりたいと思ったんだ」

「それじゃ、記憶処置でいいじゃんか。早いし確実だぞ」

「〝思い〟をなかったことにさせるのは非情だと思ったんだよ」

「………それは本心か? あの女が言ったからじゃなく?」


 黄色い瞳が、訝しげな深紅の瞳を見据える。強い光を放つそれには、迷いが一切なかった。


「健太を送り届けて思ったんだ―――あんな純粋な、綺麗な〝思い〟があるんだなって」


 ―――少し、羨ましいと思った。


「だから、これからも続けようと思う」


 真信乃の意志は確固たるものだった。これ以上の説得は無駄だと仲斗は悟り、つまらなそうに屋上の柵に寄りかかる。


「後悔しても知らないぞー」

「後悔なんかしないよ。『やらなきゃよかった』なんて言葉は、オレの一番嫌いな言い訳だ」

「全部自分が選択したこと、全部自分のせい………立派なことだけど、そこに付け込むやつもいるからな。気を付けろよ?」

「なんだ? 今日は妙に気を遣うじゃないか。仲斗もついに常識をわきまえるようになったのか?」

「真信乃に常識が備わってきたんだろ。だから、僕の言葉の印象が変わった」

「オレは最初から常識人だ!」

「非常識なやつは、自分を常識人だと思ってるんだぞ」

「それじゃあその言葉、そっくりそのまま返す」

「僕は自分を常識人だなんて思ってない。まともだとは思ってるけどな」

「寝言は寝て言え」

「寝言だと思ったのか? 真信乃、頭大丈夫か? 僕、今起きてるぞ?」

「ふざけたこと言うなって意味だ!」


 怒る真信乃の背後で、屋上の扉が開かれる。二人がそこへ注目すると、稀歩が息を切らして現れた。表情が明るくなる真信乃と、暗くなる仲斗。


「稀歩! やっと来たか!」

「チッ………まーたあの女か」

「ほら仲斗、さっさと帰れ!」

「真信乃………随分嬉しそうだな」

「当たり前だ! 早く帰れ!」

「マノセ君!」


 稀歩の声色は、授業終わりにやっと会えたそれではなかった。真信乃の喜びも緊張に変わっていく。彼女へ歩み寄ると、泣き出しそうな瞳を見上げた。


「どうした?」

「また………現れました」


 稀歩が声を落とした理由を、真信乃はすぐに察した。背後の仲斗を一瞥し、同じように声を落として指示する。


「全員帰宅させたら呼ぶから、それまでどこかで待機しててくれ。なるべく人目につかないところで」

「………分かりました。お願いします」


 小さく頷き、稀歩は来た道を戻る。その背を見送り、真信乃は振り向いた。勘付かれないよう緊張する真信乃の顔を、仲斗は訝しげに覗く。


「あれ? あの女、帰ったのか?」

「お前がいるせいで怯えて行っちゃったんだよ。どうしてくれるんだ」

「急に? 今まで普通にしてただろ。むしろ僕を威嚇するように睨んでただろ」

「お前の魔力を話したんだよ」

「へえー。まあ、そりゃ怯えるか。誰だって記憶は消されたくないもんなあ」

「誰彼構わず襲うやつだと思われてたぞ、仲斗」

「失礼な女だな。僕は善悪をわきまえた紳士なのに」

「自分を紳士と言う人間ほど紳士じゃないって知ってるか?」

「残念ながら、紳士の場合はその逆なんだよ」

「そんなわけあるか! 都合よく解釈するな!」


 それから誰も訪れることなく、全校生徒・全職員が帰宅するまで仲斗は居座っていた。さらに一緒に帰るつもりでいた彼を学校から締め出し、真信乃は疲れ切ったため息を吐く。


「ほんっと……あいつといると疲れる……」


 暇よりはマシと言ったけど、毎日あいつと二人きりは勘弁してほしい―――早く訓練生が帰ってこないかと期待しつつ、真信乃は校内を回った。


「稀歩ー、どこだー?」

「――――――………マノセ君!」


 中央校舎の一室から、稀歩が顔を出した。真信乃も教室に入ると、二十代ほどの女が座っていた。稀歩は彼女のもとへ行き、肩を抱く。


「この方が………転生士です」


 真信乃と目が合うと、女は緊張したような、しかし強気に彼を睨みつけた。


「あ……あたしは無実よ。出てきたくて宿主を支配したわけじゃないわ」

「それじゃ、誰かにそうさせられたのか?」

「そうよ! 突然背中を触られたと思ったら………気付いたときには、宿主………加奈子はもう……」


 健太の件から事件は起きず、自分の存在が抑止力になったのかと真信乃は分析していたが、再び起こってしまった。やはり確実に犯人を捕まえないと、犠牲者が増えてしまう―――潜ませた拳銃の感触をたしかめ、真信乃は女を問う。


「それで、お前の未練はなんだ?」


 女は稀歩を見上げる。不安そうな瞳に、「大丈夫ですよ」と稀歩は優しく語りかけた。


「マノセ君は、成仏に協力してくれる紳士ですから」

「………本当に?」

「ええ。ね、マノセ君?」


 真信乃が力強く頷くと、女はしぶしぶ口を開いた。


「……………完成させたかったの」

「完成? 何を?」


 訊かれても、なかなか答えようとしない女。言おうという意思は見えるが、今更何を躊躇うのかと、真信乃は首を傾げた。


「何? 早く言ってくれない?」

「あ………………え……っと…………」

「私に話してくれたように言ってもらえれば大丈夫です」

 稀歩に小さく頷き、女は再度声を絞り出す。

「あ………あたし…………その………」

「……………」

「………えっと…………だから……その………」

「……オレに言いたくないってことは、良からぬことでも考えてる?」

「ちっ、違うわ!」


 ばんと机を叩いて立ち上がる女。その頬は、みるみるうちに赤くなった。


「は、恥ずかしくて………」

「稀歩には教えたんだろ?」

「そうだけど……」

「それに、今更だよ。どうせもう死んでるんだし、これから死ぬんだし」

「それはそうだけど!」

「大丈夫です。マノセ君は絶対に笑ったりしませんから」


 二人の真剣な眼差しに、ようやく女は意を決して深呼吸した。夜の静寂に包まれる教室で、小さな未練が吐露される。


「……………………………………漫画」


 沈黙が流れた。その展開に、女は再び赤面する。


「何よっ! 悪い!? どうせ大した評価もされない、趣味で描いてる底辺漫画家志望女よっ!」

「そ、そんなこと言ってないだろ」

「あーもう! だから嫌だったのよ! ネットに細々と上げてるだけの素人のくせに未練残して転生するなんてって絶対言われるからずーっと黙ってたのに!」

「も、ものすごい早口になってますよ」

「だから、そんなこと言ってないって」

「良いのよ! その通りよ! 大衆に好かれない、流行りにも乗ってない、そんな作品ばかりが好きなあたしがそんな作品ばっかり描いて、無駄に大作作っちゃって、途中でころっと死んじゃって!」


 聞くまでもなく全てぶちまけてくれたおかげで、真信乃は容易に女の生前を想像できた。しかし、未練を残すほどのものなのだろうか―――女の瞳に浮かんだ涙に、真信乃は視線を奪われた。


「完成させたかったのよ………駄作だって言われても、誰に見向きもされなくても」


 ―――あたしは、あの作品が好きだったから。

 真信乃には、クリエイターの気持ちは分からない。彼はそういったことに興味がなく、生み出したこともない。消費者ではあるが、生産者の〝思い〟を考えたことはなかった。

 しかし、彼女の〝思い〟は見て分かる。転生するほどに、涙ながらに訴えるほどに、彼女は自分の作品を愛していた。完成させたいと強く願っていた。

 そんな〝思い〟を見せつけられ、真信乃の答えはすぐに決まった。


「分かった。協力しよう」


 その言葉に、稀歩が満面の笑みになった。女の手を取ってぎゅっと握り締める。


「良かったですね!」

「あ……ありがとう」

「稀歩が一番喜ぶのかよ」

「あ、すみません。でも嬉しくて!」

「まあいいけど……でも、オレに協力できることってあるか? 漫画なんて描いたことないし」

「マノセ君って絵、上手いんですか?」

「さあ? 後輩に指導するとき、たまに描くくらいだから」


 真信乃は黒板へ向かい、チョークで何かを描いた。人のような造形が二つ、片方は両手を挙げ、もう片方は手に何かを持っている……ことしか、稀歩には分からなかった。


「あの、マノセ君、それは何の絵ですか?」

「暴れる転生士と、それに応戦する騎士団員」

「ああ………そうですか」

「なんだその全てを悟ったような返事は。下手なのか?」

「絵が描けなくても生きていけますからね」

「無駄に気を遣うなよ。いいよ、ストレートに言ってくれて」

「幼稚園児より下手くそ」


 女のどストレートな評価が、真信乃の心に突き刺さった。許可はしたが、だからといってショックを受けないわけではない。


「子供より下手くそ……」

「ひっ人の適正はそれぞれですから!」

「だからってここまで絶望的な絵、ある?」

「マノセ君は団員としての才能に秀でているので、そのぶん絵が壊滅的なだけですよ! 戦闘面では才能に満ち溢れてますって! ね!」


 落ち込む真信乃を必死に励ます稀歩。そんなに下手だったのかと改めて思い知らされるが、真信乃は無理矢理気持ちを切り替えた。


「そ………それより。どうやって協力するかを早く決めるぞ」

「そうですね。マノセ君の画力ではお手伝いどころか邪魔ですもんね」

「そんなに言わなくても……」

「とんでも画力を披露してもらって申し訳ないんだけど、協力してほしいのは描きかけデータの発掘だから」

「なあんだ。良かったですね、マノセ君」


 たしかにその通りなんだが、じゃあ一体何のために画力を披露したのだろうか―――真信乃は虚無感を覚え、机に座った。


「データ探しか……一人でできないか?」

「急にやる気無くしてない?」

「マノセ君、もしかして拗ねてます?」

「拗ねてない」

「本当ですかあ? 拗ねてますって顔に書いてありますよお?」


 にやける稀歩の背後には、闇が広がっている。夜空には小さな満月が雲に隠され、ぼんやりと輝いていた。これから雨が降りそうだと、そういえば洗濯物を干しっぱなしだったと思い出し、真信乃は場違いな不安を抱いた。


「からかうのも―――」


 ―――いい加減にしろ。とは言えなかった。絶句したからだ。気配も殺気も全く感じ取れず、突然の展開にただただ驚いてしまったからだ。


 ――――――そう。窓の外に、突如多くの人間が現れたから。


「稀歩ッ!」


 叫びながら、真信乃は二人の腕を引いた。両方から〝思い〟を吸い取ると同時に、窓ガラスを割って大勢が飛び込んでくる。全身を強化した真信乃は、向かってくる者達を殴り飛ばし、背後に回って二人を狙う者達も蹴り飛ばした。


「マノセ君!」

「動くな! かたまれ!」


 教室の中心で、稀歩と女はぴったり寄り添う。彼女らを守るように、真信乃は敵襲をあしらう。敵の一人を掴まえて〝思い〟を吸い取ろうとするが、それは叶わなかった。


「やっぱり……!」


 一瞬動揺した真信乃に、一人が飛び蹴りを食らわす。机を巻き込んで倒れる真信乃の横で、残りの敵が稀歩と女に向かった。すぐに起き上がり、真信乃は二人に飛びつく。


「ぐっ―――!」


 二人を庇ったせいで、真信乃はもろにダメージを食らった。殴られるだけならまだしも、そのうち何人かは刃物を持っていたようで、真信乃の背に刃が突き刺さる。痛みを堪え、真信乃は二人を抱えて外へ跳んだ。校庭に二人を投げ捨て、追っ手を迎え撃つ。


「マノセ君!」

「稀歩、通報! 洗脳されてる!」

「わ、分かりました!」


 稀歩が急いで携帯を取り出すが、真信乃の傷を見て指が震え出した。


「まっマノセ君……そんなっ……傷が……!」

「今は早く助けを呼ばないと!」


 女に促され、稀歩は我に返る。必死に携帯を操作する稀歩を守りつつ、真信乃は敵と………被洗脳者と戦う。狭い室内では戦いにくいと外へ出たが、明かりがないため不利な状況は変わらなかった。その上、被洗脳者には感情がなく、殺気や気配を察することができず、〝思い〟を吸い取ることもできない。応援が来るまでどうにか守りきらないと―――そう思っていた真信乃は、目の前に迫った敵によって思考停止させられた。


「田口―――!?」


 その動揺した一瞬で、真信乃は少年―――田口行雄に肩を抉られた。彼が持っていたのは、訓練生に支給されるナイフ………田口を蹴飛ばし、真信乃は間違いないと確信する。

 ナイフを抜き、稀歩に襲い掛かる少女に飛び掛かった。腕にナイフを突き刺し、その顔を確認する。


「にっ………二岡!?」


 相手は二岡雫だった。彼女を投げ飛ばし、続く敵襲を迎え撃つ。

 二人だけでない。真信乃が指導していた訓練生が全員いた。全員が洗脳され、敵として立ちはだかっている。その他の中にも、見たことのある同僚が数名いた。


「なんで……!? 一体何が……!?」


 この状況から推察できる事態―――それはおそらく、最悪だ。

 訓練生は数日前、本部に呼ばれていた。それから登校しなくなり、今に至る。そのうち誰か一人や数人だけが洗脳されていたなら、可能性は無限にあったかもしれない。

 しかし現実は、本部に呼ばれた訓練生全員が洗脳にかかっている。

 ということはつまり―――本部で洗脳された可能性が高いということだ。


「騎士団員の中に………洗脳者がいる……!?」


 今すぐ知らせねばと真信乃は焦る。しかも、田口と二岡は魔導士ではない。これまでの、「魔導士だけを洗脳し、魔導士だけの世界を目論む」という事例から外れている。何かイレギュラーなことが起きているのかもしれない。兎にも角にも、まずは現状をどうにか打破しないと―――血とエネルギーが減っていく中、真信乃は必死に対策を考える。

 稀歩を通じてのエネルギー補給をする間がない。だからといって、応援が来る可能性も低くなった。仮にも騎士団員、そう簡単に洗脳されていないとは思うが、無防備な状態で魔法を防ぐのは至難の業だ。「敵がいない」という大前提の環境で、常に警戒している人間は少ない。最悪、半数以上が既に洗脳されているかもと、真信乃は頭の片隅で推測した。


「ッ―――!」


 二岡の振るうナイフを避け、真信乃は彼女の首を掴む。反射的に力を加えようとして、彼ははたりと止まった。その隙に、訓練生が真信乃の脇腹にナイフを刺した。彼に二岡を投げつけ、真信乃は稀歩の元へ舞い戻る。


「マノセ君! 傷が……!」

「大丈夫だ……」


 魔力の補給を試みたが叶わず、出血する腹を押さえ、真信乃は再来する敵に立ち向かう。ただ見守ることしかできない稀歩は、ぎゅっと拳を握った。


「私のせいで……」


 その言葉は、女には聞こえなかった。彼女の視線は、次第に動きが鈍くなっていく真信乃を追っている。


「ねえ、あの子……どんな魔力を持ってるの?」

「マノセ君の魔力は、吸い取った〝思い〟をエネルギーに変換するものです。おそらく、私とあなたの〝思い〟を変換していますが……」

「それじゃ、長期戦は圧倒的に不利よね」


 稀歩は小さく頷く。それは真信乃にも分かっているはずだ。しかし、そうせざるを得ない。それは相手のせいだ。

 敵が顔見知りの訓練生……それだけでも真信乃が殺せない充分な理由だが、それ以外の敵すらも殺せない理由がある―――よりにもよって、洗脳されているなんて。


「マノセ君は、真に悪い人しか殺さないんです。本当に悪さをしている人………だからマノセ君は、この場の誰も殺さないつもりなんだと思います。みんな洗脳されているだけで、本当に悪い人間は洗脳した犯人ですから」

「でも、このままじゃ殺されちゃうわよ。殺さずとも、気絶させればいいのに……」


 稀歩も、何故そうしないのか疑問だったが、問う間はない。それよりも、どうすれば彼の力になれるかを彼女は考えた。


「今、私達ができること………それはきっと、マノセ君に〝思い〟を渡すことです」

「どうやって動き回る彼に渡すの?」

「それは……」


 ―――分からない。何も思いつかない。戦ったことなど一度もない稀歩が策を立てることなどできなかった。

 その間にも、真信乃の動きはどんどん鈍くなっていく。比例して傷も増えていく。しぶとく起き上がる訓練生達に、真信乃は心を砕かれそうになっていた。


「なんでっ……」


 ―――気絶しない? 気絶させられない? 一撃が弱いのか? どこまでなら耐えられる? 間違って殺してしまわないか?

 命を懸けた戦闘は、数え切れないほど積んできた。それ故、真信乃は「相手を殺す方法」しか知らなかった。以前のように、一対一ならなんとか手加減が間に合う。しかしこうも大人数相手だと、力加減を考える間が無い。何も考えずに戦えば殺してしまうと、真信乃は確信していた。


「あッ―――」


 足が絡まりふらつく真信乃。そこへ田口の拳が一発、真信乃の腹に撃ち込まれた。傷と相まって全身が痛み、受け身も取れずに倒れる。その横を通り過ぎ、稀歩の方へ向かう訓練生達。


「ッ……!」


 すぐに起き上がったが、魔力が枯渇していることに真信乃は気付いた。このままじゃ助けが間に合わない。訓練生達が稀歩を殺せば、洗脳が解けたとしても確実に処刑される。

 それだけはダメだ。どうにか魔力を生み出さないと―――真信乃は一瞬で決心し、胸をわし掴む。

 ―――「これ」は、過去一度だけやったことがあった。まだ訓練生だった頃。自分の弱点を克服するために行った試験運転。

 だがその試験を終えて、真信乃は二度と「これ」をやらないと決めた。たしかに弱点は克服するが、無視できない新たな問題が発生したからだ。それさえ無ければ、最強の魔力だと自負できたのに―――真信乃は何度思ったことか。

 それでも今、真信乃は迷わなかった。迷わず「これ」をやると決めた。この場にいる全員を守るためなら、躊躇などというくだらない感情は生まれなかった。


 ――――――その代わり、全ての感情を失うって?

 ――――――そんなの構わない。全員が助かるのなら、感情くらい捨ててやるよ。


 思考が霞んでいく。感情が吸い上げられ、ただのエネルギーとして右手に蓄積していく。魔力となった膨大なそれは、真信乃の全身を強化するのに十分だった。

 大勢が、身を寄せる稀歩と女へ襲い掛かる。真信乃は地を蹴り、一瞬で間合いを詰めた。敵の頭を掴み、別の敵へ投げつける。敵を蹴り飛ばし、別の敵もろとも吹っ飛ばす。さらにやって来た増援も、機械的に処理して蹴散らした。その動きは俊敏で、ノーダメージだと錯覚させるような、傷を全く庇わない反応だった。


「マノセ君! 傷が……!」


 何度も起き上がる敵を、何度も蹴散らし疲弊させていく。一撃が弱いため、その応戦は数え切れないほど連続した。その度に傷口から血が溢れ出し、傍から見ても血色が悪くなっていく様子が分かる。しかし真信乃の動きは鈍くならず、稀歩の呼びかけにも一切応じなかった。


「マノセ君! 体っ……」


 傷を抉られても痛がる様子はなかった。否、意識を痛みにフォーカスしないよう必死だった。次第に敵の数は減っていくも、機敏なまま、身体を休ませることなく動き続けた。田口を殴り飛ばしたところで、ようやく敵全員が気絶した。立ち尽くす真信乃の背は血だらけで、足も腕も深手を負っている。


「マノセ……君……?」


 稀歩が呼びかけると、彼はゆっくり振り向いた。腹からは流血し続け、顔面も蒼白している。黄色い瞳から徐々に光が失われていく中、少年は震える唇を動かした。


「…………まもれて……よかった………」


 その直後、真信乃は倒れた。全身から流れ出る血が土に染み出していく。


「マノセ君! マノセ君!」


 稀歩は泣き叫ぶ。気絶した真信乃の冷たい手を握ると、絶望を突き付けられた。


「そんなっ……! 嫌です! マノセ君! 死なないでっ!」

「泣いてる場合じゃないわ! 早く救急車を呼びましょう! 貸して!」


 女は稀歩の携帯を抜き取り、救急車をコールした。女が通話中、稀歩は影が差したような気がして顔を上げた。その緑色の瞳が見開かれる。


「えっ―――」


 ―――目の前に、仲斗が立っていたのだ。


「あーあ。だから忠告したのに」


 仲斗はしゃがみこみ、真信乃の顔を覗き込んだ。あまりに「普通」な行動に、稀歩は動揺を隠せない。


「な………どうして……ここに……」

「真信乃は嘘が下手くそだからな。こんなことだろうと思ったよ」


 仲斗は立ち上がり、通話中の女へ手を伸ばした。

 ―――その行為を止めなければと、稀歩は一瞬遅れて気が付いた。


「ッ―――!?」


 仲斗が女の首筋を掴んだ。刹那、女の顔が歪む。彼女からは仲斗が見えず、突然襲い掛かる「死」に恐怖した。


「なッ―――に―――ッ」

「聞いてたぞ。お前、転生士なんだってな。だから殺す」

「や―――ッ―――」

「やめてくださいッ!」


 稀歩が仲斗の腕にしがみついた。だが、女子が男子を力でねじ伏せることなど不可能だ。それでも稀歩は引き剥がそうと躍起になっていた。


「この人は無害ですッ! 記憶処置なんてしなくても大丈夫なんですッ!」

「無害とか有害とか、関係ない。転生士だから殺す」

「やめてくださいッ! マノセ君がッ………真信乃先輩が命懸けで守った方なんですッ!」


 稀歩が泣き叫んで訴えるも、仲斗の手が緩められることはなかった。女は何もできずに死へ向かっていく。それを見ていることしかできない稀歩。ぽたぽたと、仲斗の腕に涙が落ちる。


「お願いしますッ! やめてくださいッ! この人が死んだら……マノセ君の努力が……!」

「お前のせいで無駄になるな」


 稀歩が固まった。その瞬間突き飛ばされ、彼女は力なく倒れた。

 目の前で〝思い〟を潰そうとしている仲斗、〝思い〟を潰されようとしている女―――彼女はただ、自分の作品を完成させたいだけだった。自分の創った世界が好きなだけだった。

 その〝思い〟を、どうして消せるのか。この男に情は無いのか?


 ―――違う。私がいけないんだ。私に戦える力があれば。私に強固な精神があれば。


 ――――――私が生まれてこなければ。

 ――――――私のせいで殺されずに済んだのに。



「…………ごめんなさい……ごめんなさい……」


 懺悔を聞きながら、女の姿が消え去ったのを仲斗は見届けた。振り向くと、稀歩はうずくまってずっとぶつぶつ呟いている。そんな彼女の頭に、ぽつぽつと雫が落ちる。見上げると、小雨が降り始めていた。


「一体お前は、誰に謝ってるんだ?」


 仲斗の問いに答えず、稀歩は懺悔を続ける。ため息を吐いた彼は、サイレンの音が近付くのを確認し、その場から離れた。


「お前に会わなければ、真信乃はここで襲われることもなかったのになあ」


 仲斗の捨て台詞は、稀歩の心に重たくのしかかった。

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