第6話

 ―――自分を価値のある人間だと思ったことがない。生まれたことが罪、存在自体が罪、それでいて死にたくないと思っていることが罪。そんな、大罪を犯してばかりの人間だ。

 だから、価値のある人間であろうと思った。勉強ができて、運動ができて、人に優しくして、正義感を持つ……そんな「良い人」であろうと思った。

 その努力もあって、私を邪険に扱う人はいなかった。「八方美人」と言われることもあるが、むしろそれで良かった。自分を曝け出さず、全員から「良い」と思われる存在で良かった。「親友」も「恋人」も必要ない。深く知られれば私の価値は嘘だとバレてしまうから。

 周囲から嫌われず歓迎される―――それでも、罪悪感が消えるわけではなかった。


「…………マノセ君」


 稀歩が呼びかけるが、真信乃は眠ったままだった。病室に再び静寂が訪れる。真信乃以外の患者はおらず、それ故、稀歩は彼の手を握りしめた。


「ごめんなさい……」


 あれから三日、返事はない。傷は癒えたが、魔力の使いすぎだろうと医者は説明した。これ以上使っていれば、命を落としていたかもしれない―――そう付け足され、稀歩の罪悪感はいっそう強まった。

 ―――私のせいで。私が生きているせいで。私がマノセ君と出会ったせいで。


「ごめんなさい……」


 稀歩は病室に泊まり、謝り続けていた。本来宿泊は許可されていないが、「団員故に命を狙われている」と言って承諾してもらった。そこまでする理由が彼女にはあった。

 訓練生が洗脳されていた―――その事実は、騎士団員全員を疑うには充分な証拠だった。見舞い、事情聴取だと言って真信乃に近付き、洗脳しようとする輩がいるかもしれない。今の真信乃は無防備だ。抵抗されずに魔法をかけるなら今がチャンスだと思っても不思議ではない。

 ―――これは、せめてもの罪滅ぼしだった。真信乃が回復するまで、彼を守り切る。これしかできないから、これを無理矢理罪滅ぼしにする。


「………ごめんなさい」

「どうして謝っているの?」


 稀歩は急いで振り向いた。真後ろに、見知らぬ金髪の女が立っていた。


「あっ……あなたは?」

「騎士団員の能条執月。真信乃の同僚」


 稀歩は慌てて立ち上がった。真信乃を庇うように、執月と向かい合う。


「な、何の用ですか?」

「同僚としてお見舞いに来たんだけど。ダメなの?」


 紫色の瞳に見下ろされ、稀歩は身震いした。童顔で可愛らしい造形なのに、威圧感は大人のそれだった。日頃から命を張っているとこのようになるのだろうかと、稀歩は騎士団に畏怖を覚えた。


「どいて」

「っ……そ、それはできません」

「は?」


 ぎろりと睨まれる。敵意を向けられていることは、素人の稀歩でも分かった。恐怖で足が震える。それでも逃げず、稀歩は留まった。


「ま………真信乃先輩が回復したら、また来てください」

「どうして?」

「っ………」


 団員のあなたが疑わしいから―――などとストレートには言えない。稀歩はあらかじめ考えておいた言い訳を嘘だと悟られぬよう、堂々と告げた。


「真信乃先輩にそう頼まれているからです」


 沈黙が流れる。執月は伸ばしかけていた腕を下ろした。

 これが一番最適だと稀歩は確信していた。団員でもない自分の考え・思いを言ったところで無視される。しかし同じ団員の真信乃の頼みだったら、何かしらの理由があると納得されるし、その理由を団員でない稀歩が知らされていなくても不自然ではない。勝手に真信乃のせいにするのは心が痛むが、話せば分かってくれるだろうと稀歩は期待していた。


「……真信乃が、どうして?」

「そ、それは私にも分かりません。とはいえ真信乃先輩のことですから、理由もなくそんなことを言うとも思えません」

「…………へえー」


 執月が不敵に笑う。不可解な行動に、稀歩は顔を青ざめた。


「な……なんですか……?」

「いつ、そんなこと言われたの?」

「へ……?」

「真信乃に、いつ、言われたの?」


 質問の意図が分からない。そんなことを聞いてどうするのか―――返答に迷ったが、はぐらかす言葉も見つからなかった。


「ま、真信乃先輩が気絶する直前……ですが……」

「へえー」


 突如、執月に腕を引かれて稀歩は床に投げ飛ばされた。起き上がろうとする彼女の腹を、執月は勢いよく踏みつける。


「ガッ……!」

「嘘吐かないでよ」


 紫色の瞳が見下す。冷たく、強烈な殺意のこもった視線だった。


「そんな素振り、なかったじゃない」

「…………え……?」


 腹を圧迫されるその一方で、稀歩は思いがけない言葉に動揺した。


「ど、どういうことですか……?」

「真信乃とあんたが話したのって、たしかに気絶する直前だったけど、そのときもう真信乃はフラフラだったじゃない。すぐに倒れちゃったし、尺が合わないと思うんだけど?」


 ―――何を言っているのだろうと、稀歩は理解に苦しんだ。たしかに真信乃はそんなことを言っていない。気絶する直前に彼が放った言葉は、使命を全うできた安堵だった。命懸けで守ったことへの、喜び。

故に、執月が言っていることは正しい―――しかし、だからこそ、稀歩の頭が混乱していた。


「どうして………そんなに詳しく知っているんですか……?」


 ――――――あの場には、私とマノセ君と転生士、洗脳された人々、そして仲斗しかいなかったのに。


「だってあたし、見てたもん」


 ―――どうして? そう問うと、女は足元の肉を思いっきり踏みつけた。


「あんたが死ぬのを見届けるためだよ」


 ――――――自分以外から殺意を向けられたのは、初めてだった。



「あ、起きた」


 まぶたを開いて一番に見えた顔を、真信乃はまじまじと見つめた。「それ」が「人」であると理解したが、そこで思考が止まってしまった。しばらくそのまま時が流れ、ようやくじわじわと「感情」が漏れ出す。


「…………なかと、か。いやだな」

「ん? なんだその低能な感想は?」

「…………ああ……違う」


 むくりと起き上がり、真信乃は頭を押さえる。仲斗を改めて見つめ、「感情」を探し当てた。


「………不愉快。そうだ。仲斗、不愉快だ」

「お前、大丈夫か? ただでさえ馬鹿なのに、さらに馬鹿になってないか?」


 答えることなく、真信乃は記憶をたどった。真っ先に思い出したのは、田口や二岡との戦闘―――そこからひと通りの顛末を思い出し、彼は辺りを見回した。


「今日何日だ? あれから何日経った?」

「三日だよ。真信乃、寝すぎ」

「三日……」


 真信乃は布団を剥ぎ、身体を伸ばした。眠り続けていた骨がボキボキと鳴り、全身が覚醒を始める。ベッドを降りて軽く体操するうちに、真信乃はようやく元の「感情」を取り戻した。


「よし………戻ってきたな。仲斗、相変わらず腹立つ顔してるな」

「なんだあ? 真信乃、さっきから言動が変だぞ?」

「どこがだ? 仲斗が腹立つのはいつものことだろ」

「んん? 今は普通だな? もしかして真信乃、さっきは寝ぼけてたのか?」

「まあ……そういうことでいい。ところで……」


 真信乃は棚を開け、自身の服を引っ張り出した。しかし、血で真っ赤に染まったそれを着ようとは思えず、困ったようにため息を吐く。


「稀歩が来なかったか?」

「あの女? いたよ、ずっと。泊まってやがったから近寄れなくてさあ」


 やっぱりと真信乃は呟く。眠っている最中、彼女の声が聞こえていたような気がしていたのだ。真信乃は棚の別段からインカムを取り出し、耳に装着する。


「今日は来てないのか?」

「僕が来たときにはいなかったな。ついさっきだけど」


 やっと見舞いに来れたと、仲斗は嬉しそうに真信乃の肩を抱いた。それを無視し、真信乃は通話を始める。少しして、相手が応答した。


「晋也? オレだ」

「あれ、真信乃?」


 相手は正団員同期の水上晋也。気が置けない間柄であることともう一つ、彼に連絡を取った理由が真信乃にはあった。


「大怪我して入院してるって聞いたけど?」

「さっき目が覚めた。それより確認したいことがあるんだけど」

「相変わらず仕事馬鹿だね。あと一ヶ月くらい休めばいいのに」

「そんなに休んでられるか」

「ま、どうせ休暇中でも真信乃はしゃしゃり出るもんな。で、なに?」


 くすくす笑う晋也の声に、真信乃も僅かに顔がほころぶ。しかしすぐ真剣な表情に変わった。


「一週間近く前、本部にうちの学校の訓練生が呼ばれたらしい。誰が呼んだか分かるか?」

「訓練生が本部に? そんなカリキュラムあったっけ?」

「オレの頃はなかったな」

「そうだよなあ……俺も覚えがない。ちょっと待ってろ。今確認してみるから」

「訓練生の一人は、田口行雄」

「オッケー」


 雑音が次々通り過ぎていく。晋也が移動しているのだと分かると、真信乃は隣の仲斗を睨み上げた。


「離れろ、仲斗」

「話し相手、誰?」

「同僚だ」

「へーえ、随分仲良さそうだなあ」

「当たり前だ。お前みたいに人をからかって遊ぶ人間じゃないからな」

「僕がいつ、誰をからかって遊んだ?」

「本気で言ってるのなら、ここで治してもらえ」

「真信乃。病院っていうのはな、病気を治すところだぞ?」

「だから勧めてるんだが?」

「仲良さげな会話が聞こえるなー」


 晋也の言葉に、思わず「仲良くないっ!」と真信乃は怒鳴ってしまった。


「ああっ……ごめん。ついカッとなって」

「いいよ。でも、端からはそう聞こえる」

「勘弁してくれ……」

「僕と真信乃は仲良いぞー。なんせ親友だもんなー」

「ふ、ざ、け、ん、な!」


 首を掴もうとした真信乃の手を、仲斗は華麗に避けて飛び退いた。どうにか捕まえて、にやにや笑うその顔を歪めてやりたい気分だったが、晋也に呼ばれてぐっと衝動を抑えた。


「どうだ? 分かったか?」

「うん。入場許可書を確認した。田口行雄と一緒に許可書を出してる人間が何人もいるな」

「それで、訪問先は?」


 正団員以外が本部に入場するには、入場許可書を提出しなければならない。そこには氏名、連絡先、訪問先、そして訪問理由を記入する必要がある。

 田口が訪ねた相手―――それはおそらく、洗脳者。それを確認するために、真信乃は晋也に連絡を取った。

 考えなしに彼を選んだわけではない。彼ならば、洗脳をかけられていても問題無い―――「魔法を無効化する」魔力の持ち主だったからだ。


「へー、珍しい。この人に用があるなんて」

「なに? 誰だったんだ?」


 真信乃が食い気味で尋ねる。仲斗も近付いて耳を澄ませた。晋也の声を聞き逃さぬよう、二人はスピーカーに集中する。


「あの人だよ。ほら、真信乃にいつもくっつこうとする……」



 ――――――能条執月。



「………………え……?」


 真信乃は耳を疑った。身近な同僚が、害の無さそうな女が突然浮上したことに、動揺しないはずがなかった。


「ほ、本当なのか?」

「本当だよ。他の連中も彼女を訪問先にしてる。何の役職も無いのに、変だなあ」


 晋也の言う通りだ。何かしらの役職持ちならまだしも、そうでない団員を訪ねることなどまずあり得ない。それも大勢でなど、あまりにも不自然―――だからといって、受付が許可を出さないわけではないが。


「………晋也、執月の現在地を調べてくれ」

「え? 急になんだ? そんなの許可が出ない」

「正当な理由ならある………いや、オレが交渉するから晋也は本部を見回ってくれ。被洗脳者が潜んでいる可能性がある」

「どういうことだよ?」

「詳しくは後で話すが―――執月が洗脳者かもしれない」


 返事を聞かずに通話を切り、真信乃は別の人間へ着信する。すぐに応答した相手は、真信乃のずっと上の先輩に当たる女だった。


「はいはーい、こちらシステム課の襟原でーす」

「神崎です。友梨さん、頼みたいことがあります」

「あらー真信乃くん! もう具合はいいの?」

「はい。すみません、急いでるんで」

「ああごめんね! それで、どうしたの?」

「能条執月の現在地を教えてくれませんか?」


 突然の無茶な要求に、友梨は困ったように唸った。


「ごめんねー。そういうのは、余程の事情が無いと……」

「あります。余程の事情」

「………そうなの?」

「はい。彼女には洗脳者の疑惑がかけられています。今は憶測ですが、疑うだけの理由があるんです。終わったら必ず提示します。友梨さんが責められることになってもオレの責任にしてください。だからお願いします」


 電波越しに、真信乃は頭を下げた。目に見せられない緊急性を何とか伝えようとした故の行為だった。これでダメなら団長に話して命令してもらうしかない。いつもチャラチャラしているが、「聞いてほしいこと」は必ず真剣に受け止めてくれる。きっと団長になら伝わるだろう。それでも伝わらなかったら―――しかし、真信乃の懸念はすぐに消え去った。


「分かったわ。すぐ調べる」

「ありがとうございます!」

「真信乃くんがここまで言うんだもの。最もな理由があるんだって誰だって思うわ」


 キーボードの鳴る音がしてすぐ、友梨の返答が聞こえた。


「出たわ。彼女は今、一般道で南へ向かってる。速度からして、車に乗ってるわね」

「分かりました。ナビゲーションしてもらえますか?」

「任せて」


 真信乃は血濡れた制服に着替え、仲斗の腕を掴んで引いた。病室を去る最中、隣で仲斗がにやにや笑う。


「なんだ? 珍しく僕に助けてほしいのか?」

「そんなわけあるか。仲斗、お前はオレのエネルギー源だ」

「そんなに僕のこと好いててくれたのか? 嬉しいなあ」

「………もう今はそれでいい」


 空返事をした真信乃は、真剣な表情で足を進める。緊張も含んだその顔を、仲斗は物珍しそうに眺めた。


「真信乃、緊張してるのか?」

「……当たり前だ。洗脳者ってだけで厄介なのに、よりにもよって執月だなんて……」

「でもまだ、そいつと決まったわけじゃないだろ?」

「……間違いだったら良いんだがな」


 病院を出ると、真信乃は全身を強化して仲斗を脇に抱えた。友梨のナビゲーションに従って、家々の屋根やマンションの屋上を跳び跳びに移動していく。


「おー! 気持ちー!」

「仲斗、お前重いな」

「真信乃と違って、僕はちゃんと身体を鍛えてるからな。何なら筋肉、見せてやろうか?」

「違う、そうじゃない」


 ビルの屋上に飛び乗ったその一瞬、真信乃は仲斗を見下ろす。


「お前の〝思い〟、いっつも重い」


 ―――まるで転生士のように。


 風を切って先へ進む真信乃。魔力の底が一切見えないことに、彼は改めて驚く。

 仲斗の〝思い〟が多いことは分かっていたが、こうしてちゃんと向き合うと、まるで底なし沼だ。転生士なら納得できるが、生人のままこの量なら、一体どんな人生を歩んできたのだろうか―――真信乃は僅かな興味と恐怖を抱く。


「そんなこと、どうだって良いだろ?」


 仲斗を一瞥すると、彼は他人事のように笑った。


「転生士か否かなんて関係無い。問題なのは、そいつが罪を犯した悪か否か……真信乃の正義はそこだろ?」

「………まあ、そうだな」

「だろ? その点、僕は何の罪も犯していない善良な一般市民だ。だったら、たとえ転生士でも問題無い。今まで通り、これからも、真信乃と一緒に転生士を処置するだけだ」


 色々と訂正したい箇所はあったが、真信乃は納得せざるを得なかった。仲斗は乱入してくるが、転生士を守っているわけではない。手段が違うだけで、目的は二人とも同じ。それを罪だと切り捨てることは、真信乃の行為そのものも否定するのと同義だった。


「でも……以前のオレだったら、殺そうとしてたかもな」


 真信乃ははるか先を見据える。


「転生士ってだけで危険人物だとみなしてただろうな」

「今は違うのか?」

「ああ」

「……それって、あの女のせいで?」

「せい、じゃない」


 屋根から道路に飛び降り、仲斗を降ろして小さく笑う。


「稀歩のおかげで、〝思い〟を思えるようになったんだ」


 真信乃は街を駆け抜けた。



 車から降ろされ、両腕を後ろ手に縛られた稀歩は河原を歩かされる。執月を先頭に、数人の男女が稀歩を囲うようにつき、逃げられる状況ではない。立ち入り禁止の看板を通り過ぎ、人目のつかないところへ行くのだと稀歩はすぐに察した。


「あーあ。あたしが真信乃とタメだったら、こんな女が寄り付くこともなかったのに」


 執月の言葉に連動するように、男が稀歩の腹を蹴った。よろめく彼女を休ませることなく、無理矢理歩かせる。


「ずるいよねえ。同じ学校の生徒ってだけで、真信乃と一日中一緒にいられるんだから」


 今度は尻を蹴られる。女は、倒れた稀歩の髪を引っ張って立ち上がらせた。


「しかも、真信乃と一緒に旅行までして! ほんっとムカつく!」


 くるりと執月が振り向き、稀歩に詰め寄った。小さな手のひらが、彼女の頬を叩く。


「真信乃はあたしのものなの! あんたみたいなブスで低能なガキなんか相手にするわけないでしょ!」


 何回も頬を叩いて痛んだ手を握り、執月は稀歩の胸を殴った。


「ふざけんな! ふざけんな! あたしの真信乃を返せ!」


 怒りのままに殴り続ける執月に、稀歩は何もできずに倒れた。痛みで悶える彼女を見下ろし、執月はにたりと笑う。


「はっ……あんたはそういう姿がお似合いよ」

「……………」

「ねえ、何か言ったら? もっと泣き叫ぶ姿が見たいんだけど」


 顔を踏みつけられ、稀歩はぎゅっと目をつぶる。抵抗も懇願もしない彼女に、執月の怒りが煽られた。


「何か言えッ! このブスッ!」


 何度も何度も踏みつけるが、稀歩は一切の声を出さなかった。ひたすらに耐え、合間に見上げる緑色の瞳は――――――僅かに笑っていた。


「はあ…………………もういい。殺そ」


 疲れたように執月が呟く。被洗脳者達が稀歩を引きずり、川へ近付いた。執月は満面の笑みで手を振っている。


「じゃあね、勘違い女」


 男に担がれるその間も、稀歩は満足したような表情をしていた。


 ――――――当然の報いだ。「多くの人に迷惑をかけた罪人」なんて、生かしてはおけない。天罰だろう。

 これでやっと、つらい思いをしなくて済むのか。私はやっと自由になれるのか。

 嬉しいけど―――ちょっぴり怖い。


 ――――――マノセ君、悲しんでくれるかな?


 そんなこと………あるわけないか。私、マノセ君の役に立たなかったもん。むしろ、巻き込んで怪我させた。死んで清々したって言われるかも。

 それはちょっと………いや、かなり悲しいな。せめて少しでも、寂しいって思ってもらいたいな。死ぬなよって、少しでも泣いてほしいな。


 ――――――それは贅沢なお願いなのかな。私なんかが思っちゃいけないのかな。

 ああ、涙が溢れてきた。泣く資格なんか無いのに。散々人に迷惑をかけた人間が、なんて厚かましい。



 でも―――最期くらい、わがまま言わせてよ。



 ――――――――――――誰か、私を悼んで。死んだ私のこと、思ってよ。

 ――――――――――――それだけで、私は救われるのに。



 ――――――ねえ、誰か。





「稀歩ッ!」


 川へ投げ捨てられる瞬間、稀歩の視界は勢いよく流れた。風景が止まると、どうやら誰かに横抱きにされていると分かった。その「少年」は自分よりも大きな身体を軽々と持ち上げ、黄色い瞳は穏やかな光を放ち、あどけなさの残る顔は安堵したように笑った。


「よかった、間に合って」

「…………マノセ君」


 緑色の瞳に涙が溢れる。そっと降ろされた稀歩は、脱力してその場にへたれこむ。彼女の拘束を解くと、真信乃はインカムから友梨に伝えた。


「やっぱり執月が犯人だ。応援求む」

「分かったわ」


 真信乃は稀歩の前に立ち、執月と向き合う。彼女は拳を震わせ、ギッと睨み付けた。


「どうしてそんな女を助けるの!? 真信乃!」

「被害者だから。当然だろ」

「違うよッ! そいつは真信乃に付け込もうとした卑怯な女ッ! 卑しい女なのッ!」

「………本当に、執月なのか?」


 真信乃は信じられなかった。目の前で怒号を飛ばす女が、自分に懐いていた女だと思えなかった。もしかして、彼女すらも洗脳されているのではないかと疑ったほどだった。どちらにせよ、捕まえないことには始まらない。


「真信乃ッ! 今助けてあげる!」


 被洗脳者達が駆け出す。真信乃は稀歩から〝思い〟を吸い取り、彼らに立ち向かった。敵は五人、そのうち一人が強化魔力のようで、彼の連撃を避けることに真信乃は集中した。その隙を突いて女が真信乃の脇腹に触れると、そこが凍りついた。すぐに女を殴り飛ばし、真信乃は距離を取る。


「マノセ君!」


 不安そうな稀歩の声が響く。真信乃は一瞬視線をやって、大丈夫だと笑いかけた。そこへ男が飛びかかるが、真信乃は後方へ跳んで避ける。彼のターゲットは執月へ移された。


「執月! やめろ!」

「やめない! 真信乃の洗脳が解けるまで!」

「オレは洗脳なんかされてない!」

「されてるよ! その女に!」


 説得など無意味だろうと真信乃は悟った。強化魔力の男が追いかけてくるが、それを掻い潜って執月へ近付いた。彼女は無防備だ。体術も真信乃が勝る。彼女の懐に入ればこっちのもの、被洗脳者達も鎮まる。


「執月―――」


 目の前に迫った真信乃。刹那、彼はスローモーションのように、「それ」が構えられるのが見えた。


「目を覚まして! 真信乃!」


 ―――パンッ、と発砲音が鳴り響く。執月が撃った銃弾は、虚空を流れるだけで終わった。彼女も稀歩も、次の瞬間にようやく彼の姿を発見する。


「目を覚ませ、執月」


 真信乃は、執月の背後に回り込んでいた。執月は完全に背を向けている。ここから防御するのは不可能だと、誰もが認識できる状況だった。真信乃は躊躇なく彼女の首筋へ手を伸ばす。


「――――――ッ!?」


 ―――その途中で、止まった。執月の向こう、真信乃を見守る稀歩へ、大勢が襲いかかろうとしていた。真信乃と戦っている五人ではない。隠れていたのか、茂みや廃棄物の山から現れた者達が、稀歩へ一直線に向かっていた。


「まッ――――――!」


 真信乃は気を取られた。あまりに突然で、ここからでは間に合わなくて、それでも稀歩へ注意が向き、手が止まった―――それが、致命的だった。


「ッ――――――!」


 執月が真信乃に抱きついた。両腕で小さな身体を強く抱擁した。


「やめッ―――」

「真信乃………やっと捕まえた」


 真信乃が苦しそうに頭を押さえる。その一方、執月は嬉しそうだった。愛おしく抱きしめる女の腕の中で、少年は次第に力を失っていった。


「やッ―――めッ―――」

「マノセ君ッ!」

「ッ――――――」


 稀歩が叫ぶ。その瞬間、真信乃の腕がぶらんと下がった。執月がゆっくりと離れる。


「やった………やっと真信乃が手に入った……!」


 涙ながらに、執月はもう一度少年を抱きしめた。彼は抵抗せず呆然と立ち尽くしている。


「やっとだよお……! もう……真信乃、本当に苦労したんだから!」


 執月が頬を膨らませ、人形のような少年を眺める。何の反応も示さない人形でも、執月は満足そうに笑った。


「で、も! これからはずっと一緒だよ!」

「それが目的だったんですか……?」


 紫色の瞳がぎろりと動く。被洗脳者達に取り押さえられた稀歩と目が合う。


「マノセ君を手に入れることが目的だったんですか!」

「やだなあ、真信乃は過程だよ。魔導士の世界にするために必要な人材なの」


 少年の手を握ると、執月は頬を赤らめた。


「真信乃の魔力、すっごく強いじゃない? あたし一目惚れしちゃって! だから何とかして手に入れたかったの!」

「マノセ君……じゃなくて、魔力が目的……?」

「真信乃も、真信乃の魔力も好き! 真信乃、可愛いじゃない? お馬鹿なところとか! でも、仕事になるとカッコ良くて……もう本当に最高!」


 胸に押し付けるように、少年を抱きしめる執月。


「もっと早く手に入れたかったけど、真信乃ったら全く隙が無いんだもの。隠れて狙ってるところを見られたら不審に思われちゃうし、だからって正面から狙っても捕まえられないし……」


 執月の瞳が涙で潤む。


「でもこうしてあたしのところへ来てくれた。あの女なんかより、ちゃんとあたしを選んでくれた。ありがとう、真信乃」


 穏やかな視線が、少年から少女へ―――殺意に満ちた視線へと変化した。


「――――――あの女、殺して?」


 少年は駆け出した。稀歩は突き飛ばされて倒れ伏す。周りの者達は数歩下がり、執月は期待に胸を膨らませていた。


「…………ごめんなさい」


 緑色の瞳は涙した。迫りくる死に恐怖し泣いているのではない。

 最期まで、彼の役に立てなかった―――それが悔しくて悔しくて、仕方がなかった。


「ごめんなさい、マノセ君」


 せめて、あなたを解放して死にたかった。それだけが心残りだ。

 ―――ああ、きっと転生士はみんな、こうして未練を残したんだろう。

 私も転生するのだろうか。もしそうなったら、洗脳されたマノセ君を救うために宿主を殺すのだろうか。

いいや―――そんなことはできない。

 だってそれは、マノセ君が最も嫌う「悪」なのだから。



 ――――――羽石稀歩、お前はここで終わらねばならないの。

 潔く死になさい。





「どうして謝る?」





 ―――そっと、頭に触れる手。次の瞬間、勢いよく何かが通り過ぎる風を稀歩は感じた。起き上がり振り向いた先、全てを諦めた瞳が映したのは。

 ―――被洗脳者達を蹴散らす真信乃の姿だった。


「え………?」

「まっ真信乃!? 何してるの!?」


 執月の声が響くが、真信乃はお構いなしに敵を下していく。一般人はあっという間に気絶し、魔導士達と真信乃は対峙する。


「真信乃! 殺すのはそこの女だよ!」


 真信乃は女の魔導士へ迫った。女が地に手をつけると、そこから真信乃へ向かって凍りついていく。真信乃は跳躍し、その勢いで女の顎を膝蹴りする。


「違う! 真信乃! やめて!」


 執月の叫び声など聞こえないかのように、真信乃は戦い続ける。複数人の被洗脳者相手でも真信乃の動きは機敏で、しかし気を遣った一撃だった。手探り状態で困惑する横顔だった以前とは違い、確信を持った真剣なそれを、稀歩はただ呆然と眺めていた。


「どうして! なんでなの真信乃!」


 怒声の直後、真信乃は残り一人の敵を執月の方へ蹴り飛ばした。沈黙が流れる中、真信乃はくるりと踵を返して歩く。唖然とする稀歩の前で跪き、手を差し伸べた。


「今度はちゃんと守れたでしょ」


 稀歩はぽろぽろと涙を流した。


「今度は………じゃないです。今度も、です」


 稀歩がそっと手を乗せる。彼女の〝思い〟はいつも多量だが、今はこれまでで一番多く、真信乃は申し訳ない気持ちになった。


「………また、オレのせいで怖い思いをさせたな」

「いえ……マノセ君のせいじゃないです」

「いいや、オレのせいだよ―――これも」


 真信乃は立ち上がる。執月は般若のような恐ろしい顔で怒号を放った。


「真信乃ッ! どうして言うことが聞けないのッ!? 早くその女を殺せッ!」

「断る」

「どうしてッ! どうして洗脳が効いてないのッ!?」


 わけも分からず執月が怒鳴り散らす。稀歩も不思議に思っていた。たしかに真信乃は執月に触られて、洗脳にかかったような素振りを見せていたのに―――彼の後ろ顔を見上げる。


「あんまり種明かしはしたくないんだけど……ま、いいか」


 真信乃は辺りを見回し、投棄されていた空き缶を見つけて拾いにいく。


「オレの魔力は『変換』。触れた相手の〝思い〟を吸い取って、それを変換する」


 空き缶を持って戻ってきた真信乃は、それを見せつけるように握った。

 ―――次の瞬間、空き缶は凍りついた。


「変換先は、魔力。どんな魔力にも変換できるんだ」


 稀歩も執月も絶句した。

 普通、魔力は一つにつき一種類、つまり一人につき一つ。それが当たり前であり、疑問を持つ者も異議を唱える者もいなかった。

 しかし、真信乃の魔力はその制約を破っている。〝思い〟さえあれば、彼が使用できる魔法は無限大。そんなとんでもない魔力が存在してもいいのか―――稀歩の不安は、真信乃の説明で解消された。


「もちろん、能力上そういうことができるだけで、実際やろうとすると頭も体力も使う。普段変換してる強化魔法や、今みたいな氷魔法は比較的簡単に習得できたけど、一切できない魔法だってある。簡単に言えば、宝の持ち腐れ、器用貧乏ってとこかな」


 だけど―――真信乃は口元で指を立て、悪戯を企てる少年のように笑った。


「魔力を無効化する魔法は、とうの昔に習得してる。こういう厄介な敵がいるからな」


 ―――この子は、強い。稀歩は純粋に憧れた。自分のできることを最大限に行い、どんな事態にも対応する。諦めてしまった私と違って、彼は抗っているんだ。強敵にも、逆境にも、制約にも。


「すごい………すごいよ真信乃!」


 呆気にとられていた執月は、敵だというのに―――みるみるうちに目を輝かせた。


「そんな強い魔力だったなんて! 真信乃、やっぱりすごい!」

「執月の言うことは聞かないぞ」

「ううん、絶対聞かせる! 真信乃の魔力で魔導士の世界を取り戻すの!」

「そしたら成仏するのか?」


 ―――背後から伸びた手は、執月の両手首を掴んだ。その手は大きくごつく、彼女の知るものではない。その声も、聞き覚えがない―――注がれる魔力もだ。


「なっ………!?」

「もしそうなら、お前は一生成仏できないってことだな」


 執月は顔だけ振り向く。彼女を掴んでいたのは仲斗だった。突然の刺客に驚く間もなく、彼の魔力によって死を突きつけられる。


「離せッ!」

「真信乃おー、やっぱりこいつ転生士だぞ。それも、ビックサイズ」

「言ってることはよく分からないが、転生士なら早く処置してくれ」

「はいはい」

「待って! 真信乃、助けて!」


 執月が泣き叫ぶ。動揺した瞳は揺れ動いていた。


「真信乃、転生士を成仏させるんでしょ!? あたしこのままじゃ殺されちゃうよ! あたしの〝思い〟、抹消されちゃうよ!」

「……たしかに、〝思い〟を消し去ることは良くない」

「なら早く!」

「だけどさ……執月」


 真信乃はゆっくり歩み寄る。執月の手が届かない距離で立ち止まり、冷たく彼女を眺めた。


「どうして、魔導士の世界を取り戻したいんだ?」

「だってムカつくじゃない! 魔力も無いくせに我が物顔で蔓延る人間ども! 弱いくせに偉そうに! 生前も酷かったけど、この時代も最悪! ねっ、真信乃もそう思うでしょ!?」

「…………そうか」


 悲しいのか? 同僚がこんな人間だったことが? いや―――違う。この〝思い〟は、オレが抱いたこの感情は。


「お前、最低だよ」


 ――――――怒りだ。


「えっ……? 真信乃……?」

「お前の身勝手な〝思い〟で、洗脳された人間が大勢いた。お前の身勝手な〝思い〟を強要されて、人を殺した人間が大勢いた」

「だって……それはっ……!」

「オレは、悪意のある人間が大嫌いだが、それ以上に許せない……」


 ――――――それに巻き込まれて、不幸になった人間がいることが。


「真信乃っ……」

「進んで人を不幸にさせる人間なんて、罰せられて当然だ。未練だというなら尚更……」


 真信乃は、目の前にいる「悪」を蔑んだ。


「大人しく眠りにつけ」

「いやっ……! 真信乃っ! いやあっ! 助けてっ!」


 執月の〝思い〟が叫ばれる。これほど助けを求める人間を前にしているのに、真信乃は一切動じなかった。ただじっと、泣き叫ぶ彼女を眺めている。


「真信乃っ! どうしてっ!? 一緒に魔導士の世界作ろうよおっ!」

「………あのさ。そう言うんなら、なんで田口や二岡まで洗脳した? 執月の嫌う、『魔導士じゃない人間』なのに」


 何を思ったのか―――執月は涙を流しながらも、期待に満ちた目を見せた。


「あいつら真信乃に付き纏ったんでしょ!? だから洗脳してやったの! 一般人に襲いかかった犯罪者にすれば、真信乃はあいつらを悔いなく殺せるでしょ!? あたしは真信乃のためにあいつらを送り込んだの! それなのに真信乃ったら、どうして殺さなかったの!? 鬱憤を晴らす絶好のチャンスだったのに! でも分かるでしょ!? あたしの気持ち、伝わったでしょ!?」


 真信乃のためなの―――そう何度も訴えるたびに、真信乃の心中では嫌悪感ばかりが大きくなった。苦しそうな呼吸の合間に、自分の正当性を主張し続ける執月を、真信乃はもはや同僚とは思えなかった。


「―――オレのため、を言い訳にするな」


 ――――――虫唾が走る。


「そんなっ……真信乃……っ!」


 嫌だ、嫌だと執月は泣く。次第にその声は小さくなっていき、途切れ途切れになっていく。真信乃は沈黙のまま眺めていた。目の前で消えていく〝思い〟が、多くの人間を不幸にした〝思い〟が消えるのを見届ける。


「………静かに眠れ。能条執月」


 執月は唇を震わせ、声にならない何かを訴える。次の瞬間、彼女は光を放って消えた。跡形もなく、彼女の〝思い〟はなくなった。それを確認すると、真信乃は深いため息を吐いた。


「………執月があんな人間だったなんて」

「人なんて裏表があって当然だ」


 仲斗が手を払ってにやりと笑う。


「お子様の真信乃にはつらいか?」

「お子様じゃないが、つらいよ。仲間だと思ってたんだから」


 ふと振り向いた真信乃は、驚いて一瞬うろたえた。


「稀歩? どうしたんだ?」

「え? な、なんですか?」

「いやだって……」

「神崎ー!」


 真信乃の言葉を遮るように、彼を呼ぶ声が河原に響き渡る。騎士団員の応援がやっと到着したようだった。真信乃は彼らへ駆け寄り、状況を説明する。その背中を眺めながら、仲斗がぼそりと呟いた。


「お前、何が目的なんだ?」


 それが自分に向けた言葉だと、隣にいた稀歩は一拍遅れて気が付いた。


「……目的? 何のことですか?」

「転生士を無理矢理引きずり出す目的だよ」


 稀歩の表情が固まった。仲斗は真信乃のもとへ向かいながら、わざとらしく大声を上げる。


「お子様な真信乃に朗報だぞー」

「だからお子様じゃないって言ってるだろうが!」

「この女、しょっちゅう引っ越してるぞ」


 仲斗が指差した先には稀歩。真信乃は沈黙し、ジト目で仲斗を睨んだ。


「……だからなんだ?」

「え? 分からないのか? 真信乃はやっぱり鈍いお子様だな」

「分かるわけないだろ。稀歩が引っ越してるからなんだ。ていうか、どうやって調べた」

「身辺調査なんて簡単だよ。僕には心強い仲間がたくさんいるからな」

「記憶処置賛同者達か……」


 警察や救急隊も到着し、気絶する被洗脳者達が運ばれていく。騎士団員も現場の処理を行う中、真信乃は稀歩を呼び招く。彼女は言うとおりにするが、その足取りは重かった。


「で、仲斗。何が言いたい?」

「普通、しょっちゅう引っ越してるって聞いて、どう思う?」

「……何故、か?」

「ああ、そうだよなあ。気になるよなあ」


 深紅の鋭い視線に、稀歩の足が止まった。緑色の瞳は不安と困惑で満ちている。何故そんな顔をするのか、真信乃はそちらの疑問の方が強かった。


「稀歩? どうしたんだ?」

「えっ……えっと……」

「別に戸惑うことじゃないだろ? 進学のために家を出たことは」


 こいつ、本当に調べ上げたのか―――仲斗に呆れる一方、予想外の理由に真信乃は感心した。


「へえ、進学のため。ああ、だからあの高校にも入れたのか」

「え、ええ。まあ」

「……で? これが何だって?」

「真信乃は本当に察しが悪いな。人に裏表があるように、言葉にも裏表があるんだよ」

「言う気が無いなら帰るぞ」

「ああ分かったよ。真信乃は短気だな」


 稀歩が胸に手を当てる。鼓動が速くなる。仲斗の口元を凝視し、声に耳を澄ます。彼女の緊張している様子は、真信乃にも伝わってくる。どうしてそんな態度なのか―――仲斗の答えで、ようやく悟った。


「この女がいた街では、ことごとく事件が多発してたんだよ」





 転生士が意図せずに宿主を支配する、あの事件がな。





 ――――――言われたくなかった。せめて、自分で言いたかった。





「稀歩!?」


 突然、稀歩は駆け出した。不思議そうに眺める視線の中、河原から逃げ去っていく。真信乃が追いかけようとするも、仲斗に腕を掴まれた。


「真信乃、僕が言いたいことは分かったよな?」

「……稀歩が犯人だって言うんだろ。転生士に宿主を支配させる事件の」

「そうだ。あいつが無実の宿主も転生士も殺したんだ」


 仲斗の手を振り払い、真信乃はぎろりと睨み付けた。


「お前に言われて信用できるか」

「逃げ出したのが答えだろ。それでもまだあの女を庇うって?」

「稀歩はそんな人間じゃない!」

「ついさっき裏切られたくせに」


 ぐさりと言葉が突き刺さる。紛れもない事実に、真信乃は反論が思い浮かばなかった。


「ッ……いや、稀歩はそんな人間じゃ………そうだ。それならなんで成仏なんて提案した? 性悪ならそんなことせずに団員に処分させるだろ」

「真信乃に怪我させることが目的だったんじゃないか? お前は一応トップレベルの実力者だからな。弱らせてから何か仕出かすつもりだったんだろ」

「……たとえ、そうだったとしても」


 真信乃は仲斗の手首を掴み上げた。底無しの〝思い〟を吸い取りながら、黄色い瞳を強く光らせる。


「オレは稀歩の〝思い〟を直接本人から聞きたい。お前に引けを取らない、あの巨大な〝思い〟の所以を知りたい。何か理由があるはずだ」

「それを聞いてどうするんだ?」

「もちろん、解決させたい」


 ―――助けたいと思ったから。

 乱暴に仲斗の腕を振り落とし、真信乃は駆け出した。真っ直ぐな〝思い〟を、自分には一切向けられたことのない〝思い〟を見せつけられ、仲斗は僅かに物寂しそうに少年の背を眺める。


「真っ直ぐだな、お前は」


 青年の声は喧騒に紛れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る