第2話

 どんな国でもどんな人種でも、人は大きく二種類に分けられる―――魔力を持っている魔導士か、否かである。

 さらに魔導士は、二種類に分けられる―――純粋な魔力を持つか、「転生士」に寄生された「宿主」か、だ。

「転生士」とは転生者……読んで字の如く、転生した者を指す。ここで言う転生とは、「未練を持って死んだ者」が、未来の世界で再び目覚めることだ。当然肉体は滅びているので、彼らは現世の人間を器とし、その肉体に宿る。器にされた人間……すなわち転生士に寄生された人間を「宿主」と呼び、転生士の魂と共に人生を歩むこととなる。

 宿主として生まれた人間は、幸せになれない―――ごく一般的な見解だ。転生士は未練の塊であり、それを解消することが目的だ。その未練が強くなったとき、宿主は転生士に意識を支配され、肉体までも奪われて―――すなわち、死ぬ。

 加えて、宿主を支配した転生士はところ構わず未練を解消しようとする。だから「宿主には未来がない」、「不安因子と傍にいたくない」……そういう風に見られるのが普通だ。

 誰しも、自分の命は惜しい。多数が不幸になるなら、少数にそれを背負ってもらおう―――そんな社会だった。


 さて、ごく一般的な人間は、しばしばこういう問いをかける―――魔法とは一体何なのか?

 詳細は誰にも分からない。ただ、魔力は多種多様にあること、魔導士は手を介してでないと魔法を発動できないこと―――それだけは明白だ。

 たとえば、何かしらの能力を向上させる「強化」の魔力を持っていれば、拳を握ったりその手を身体に触れさせることで、身体能力を向上させることができる。修練度によっては、五感も突出させることができるかもしれない。

 こういったように、魔法発動の普遍は「手を介すこと」だ。それを破った者は、人類史上まだ誰もいない。それ故に、「触れ合う」という行為は、信頼関係にある者同士でないと絶対にあり得ないのである。

 そして真信乃もその一人だ。


「オレの魔力は『変換』。触れた者の〝思い〟をエネルギーに変える。そのエネルギーを身体能力向上に充て、強化魔法と同じような効力にしているんだ」


 騎士団員に問われたとき、真信乃はそう答えた。そして団員は理解した。同期の中でも騎士団全体を見ても突出した、彼の実力の所以を。

 真信乃はその魔力に誇りを持っていた。どのような〝思い〟でもエネルギーに変換できる。それは魔力が無限であることに等しい。感情のない人間などいないからだ。

 幼少期はそれを自慢して優越感に浸っていた―――それ故に、兄は殺されたと責められたが。


 ――――――お前が余計なことをしたせいで殺されたようなもんだ!


 鏡に写った自身の制服姿を見て、真信乃は四年前の父の激昂を思い出した。真信乃も負けじと言い返し、母は泣き喚いた。神崎家はその夜、近隣住民から通報されるほど荒れに荒れまくっていた。

 せっかくの初登校日なのに―――真信乃は苦い思い出を無理矢理頭の片隅に追いやった。スクールバッグを持ち、ワンルームの寮を後にする。記念日にふさわしい快晴の朝だった。

 口論の末に家出したその日は野宿した。翌日、何とか騎士団長を説得し、団員にしてもらった。この寮部屋とは、その日からの付き合いである。


「あれ? 神崎くん、おはよう。いつもの制服じゃないね?」


 玄関先を掃除していた初老の女性は、真信乃の全身を興味津々に眺めた。平日はいつも詰襟の制服を着て登校していたが、今日はブレザーだったからだ。


「おはようございます。別の学校に編入することになりましたんで」

「へえー。大変だろうけど頑張ってね!」


 女性に見送られ、真信乃は通学路を進む。

 近所の住民は、真信乃の寮が騎士団のものであることは知っている。それ故に、余計な詮索などは一切してこない。すれ違ったら挨拶はするし、軽い雑談もする。しかし決して深入りせず、「善良な一般市民」を演じている。有事の際、見殺しにされないために、不当に殺されないために―――庇護される者が行き着く、当然の結論だった。

 寮を出て十数分、真信乃は目的の学舎に到着した。ちょうど多くの生徒が登校する時間であり、校門前では一人の教師が彼らを出迎えている。真信乃も生徒達と同じように門をくぐろうとしたが、突然伸ばされた手に反応し、反射的に横へ飛び退いた。教師も含め、周囲はその動きに目を奪われる。


「いきなり何ですか」


 真信乃が教師を睨むと、彼は我に返り負けじと応戦した。


「お前、どこのクラスだ?」

「予定では、二年一組ですが」

「予定? お前まさか……編入生の神崎真信乃か?」

「そうですが、何か問題でも?」


 周囲がざわついた。あらゆる注目が真信乃に集中する。何をそんなに疑り深く警戒する必要があるのか分からないと、真信乃は小首を傾げた。

 教師は、訝しげな視線をぶつけながらも彼を通した。浴びる視線の中を堂々と進み、真信乃は正門を通る。すれ違うたびに見返されるが、彼はもはや気にすることはなかった。


「あ、君が神崎くんだね?」


 校舎の一角……職員室にいた男が、真信乃を見つけて窓を開けた。彼の背後にいる同僚達は不審そうに男を見て、続けて真信乃を眺める。


「そうですが、あなたは?」

「僕は二年一組の担任、広部泰則だ。とりあえず入り口の方まで来てくれないか? あっちに行けば分かるから」


 広部は窓を閉め、急ぎ足で職員室を出た。真信乃も指示された方へ向かうと、すぐ左手に校舎の入り口を見つけた。生徒に混じって真信乃もそこから中へ入ると、広部もちょうど到着したようだった。


「こっちこっち」


 真信乃が広部のもとへ来ると、何も言わずじっと見下ろされた。


「何ですか?」

「ああ。いや、本当なんだなって思ってさ」

「気持ちは分かります。オレも最初は信じられませんでしたし。でも、こうして制服を着れば違和感ないでしょう?」

「え? あ、う、うん……」


 堂々とする真信乃に、広部は苦笑いを返した。「そうでもないけどな……」と思わず呟いてしまったが、本人には聞こえなかったようでほっと安堵した。


「そうだ。今更だけど」


 聞き返されないよう広部が話題を変える。


「君は嫌じゃないのか? 友達とも会う機会が減るだろう?」

「仕事ですし、友達いないので」

「あ、ああ……そうか……」


 いちいち返答に困るな―――広部は気まずくなって、真信乃から顔を逸らすように彼を先導した。廊下は吹き抜けになっており、中央に階段、その両端に教室が並ぶような造りになっていた。一階から三階まで、生徒が騒がしく往来している。

 二階へ着くと、広部は一番手前の教室……二年一組前で真信乃に学生手帳を手渡した。


「正直、これって偽造のような気がするんだけど……」

「たしかにグレーゾーンとは思いますが、これで身分を証明することはないので安心してください」

「それなら良いんだけどね」


 真信乃は特に中身を確認することなく、学生証をポケットにしまった。


「始業まで少し時間があるから、教室で待機しててくれ」


 広部に連れられ、真信乃は一組の教室に入った。一番後ろの席に座り、急ぎ足で立ち去る彼を見送る。残された真信乃には、当然のようにクラスメイトの注目が集まった。真信乃も教室内を見回す。

 木製の机と椅子が並び、前壁には黒板、後壁には大きな掲示板が掛かっている。特に珍しくもない、一般的な学校の教室そのものだった。

 廊下は吹き抜けてはなかったが、教室自体は彼の前の学校も同じようなものだっだ。過度な期待はしていなかったが、大して新鮮味もなく、真信乃は少しがっかりした―――どこの学校もこんなもんか。

 真信乃は続けて、クラスメイトを見回す。見る限り、男女比は同等、個性が爆発したようなとんでもない生徒はおらず、真信乃と目が合うと逸らしたり、仲間内でこそこそ喋ったりしている。

 この中で、どれだけの魔導士、宿主、そして転生士がいるだろうか。宿主を支配しても、のうのうと生きている転生士もいる。そういった輩……特に魔力持ちなら早々に処分しないと、取り返しのつかないことになりかねない。

 虎視眈々と暴れるタイミングを狙う危険因子……それが転生士だ。この学校に来たからには、絶対に根絶やしにしてやろう―――真信乃が静かに闘志を燃やしていると、広部が出席簿を持って戻ってきた。


「ホームルーム始めるぞ」


 クラスメイトが各々席につき、広部の出欠確認が始まる。二十人の出席を確かめると、広部は真信乃を手招いた。


「今日は予告通り、編入生を紹介する」


 真信乃が広部の隣に立ち、再びクラスメイトを見回した。


「初めまして。神崎真信乃です」

「神崎君は特別編入生だ。よって、基本的に授業は受けないことになってる」

「…………え?」


 クラスメイトは唖然とした。何を言ってるのかと、顔をしかめて担任を見る。ああ、と広部は面白がるように笑った。


「肝心なことを説明してなかったな。神崎君は騎士団員なんだ」

「いや先生、団員なんてこの学校にもいるじゃん。みんな訓練生だけど、授業受けてるよな?」


 クラスメイトからの質問は最もだった。騎士団の訓練生は全国にごまんといる。この学校にも複数人在籍し、正団員を目指して日々訓練を積んでいるのだ。当然、一般生徒と共に授業を受けている。


「ふむ。良い質問だ。では神崎君、回答を」


 生徒達の視線が集中する―――この教室で誰よりも小柄な少年に。


「オレは高校二年生に相当する十七歳じゃないから―――それが理由だ」


 驚きで沈黙する教室内で教師と、そして編入生は不敵に笑った。


「オレは中学二年生―――十四歳の団員だ。しかも、史上最速最年少で正団員になった天才……それがこのオレ、神崎真信乃だ」


 どや顔を浮かべる真信乃に、クラスメイトは呆気に取られていた。彼らの心中では、事実の驚愕よりも際立った感情が浮かんでいた―――なんだこいつ、と。


「通常、一つの施設に騎士団が常駐することはないが、校長の要請で特例として派遣された。よってオレの本分は学業ではなく、この学校の平穏を守ることだ。だから、授業中はいないものと思ってくれ」


 そう説明されクラスメイトはようやく、編入生が「十四歳の騎士団員」であることに驚き始めた。


「そ、そんなことっていいんですか?」

「まあ、普通はありえないな。常駐できるほど団員に数的余裕は無いし」

「いや、そこじゃなくて……」

「ん?」


 じゃあどのことだ? と首を傾げる真信乃に、クラスメイトは一抹の恐怖を覚えた―――もしかして、年齢のことは訊いちゃいけないことなのか?


「とは言っても、神崎君はまだ義務教育の身だから、そっちの勉強を行う。分からないところを教えてやってくれ」

「別にそんなことしてもらわなくても……」

「まあまあ。こんなに先輩がいるんだから、聞き放題だぞ?」

「だからいらないって」


 年相応に不貞腐れたような顔の真信乃を見て、教室内は少し和やかになった。騎士団と聞くと緊張するのが常だが、彼はまだ十四歳。年上として面倒を見てやろう、勉強を教えてあげよう、などと思う者も出始めた。

 しかし、ポジティブな印象だけでない。誰よりも真信乃を鋭く睨む者もいた。教室の窓際後方―――唇を噛み締めていた男子生徒は突然立ち、怒号を放った。


「なにが天才だ……お前は団員なんかじゃない!」


 クラス中の視線が彼に移った。彼は真信乃を真っ直ぐに指差し、真信乃もまた彼を睨み返す。


「お前、何言ってるんだ?」

「神崎真信乃なんていう正団員は聞いたことがない! しかも十四歳! あり得ないだろ!」

「なんでだ?」

「なんで? そんなの明らかだろ!」


 男子生徒は怒りのまま、机を思い切り叩いた。


「騎士団の入団制限は十歳以上だ! そして訓練生から正団員になるには五年必要だ! つまり、十四歳のお前は正団員ではないということだよ!」


 クラスメイトはざわつき、疑念の目が彼と真信乃に向けられる。真信乃は呆れたようにため息をひとつ吐き、ポケットから騎士団員カードを出して見せた。そこにはたしかに、真信乃の名前と顔写真が載っている。


「これが正団員の証拠だ。五年というのは平均年数であり、オレはそれよりも早く試験をクリアしただけだ。十四歳ってだけで言いがかりをつけてくれるな」

「そんなものいくらでも偽造できる! そもそもなんで高校に中学生が派遣されるんだ! おかしいだろ!」

「高校生正団員のうち、全校生徒を守れる実力を持つ者がいなかった。だからオレが選ばれた。そういうことだ」

「意味分からん! それに団員が派遣されるなんて俺は聞いてない!」

「なんでお前に知らせる必要があるんだ? この学校に正団員はいないと聞いてるが?」

「俺は訓練生だが団員だ! 情報を得る権利がある!」

「はあ? そんなことする理由は? 訓練生に現場で働く権限は無いのに、知らせて何になる?」

「それは組織の人間として……!」


 不意に、真信乃の手が上がった。そして次の瞬間には振り下ろされる―――バンッと教卓を叩いて。


「ところでさあ―――お前、誰?」


 真信乃の声色が変わったことに、その場の全員が凍り付いた。


「は……?」

「身分を名乗れって言ってるんだ」

「なんでそんなこと……」


 真信乃は歩き出した。広部が制止しようとしたが遅く、呼びかけにも応じなかった。真信乃の向かう先……男子生徒は警戒心を剥き出しにして待ち構える。


「なっなんだよ! こっち来るな!」

「お前はオレを糾弾した。公衆の面前で、大した証拠も無いのに。だが一般市民が言うそれと、騎士団員が言うのでは言葉の重みも信用度も違う。オレはれっきとした正団員なのに、そうじゃないと信じた市民が、緊急時に言うことを聞かなくなったらどうする?」

「そんなの、信用されないお前の責任っ……」


 真信乃は立ち止まった。男子生徒の目の前で、あと少しで触れそうな距離で―――少年はぎろりと睨み上げた。


「これはれっきとした名誉毀損だ。人を糾弾するくせに、自分は名無しの訓練生なんて許さないぞ」


 男子生徒は恐怖した。自分よりもずっと小さく、あどけなさも残る少年が、得体の知れない化け物のように見えて震えた。黄色い目玉は自分を捉え、少しでも動こうなら手首を折られてしまうだろう―――真信乃の魔力を知らずしても、彼は明白な死を感じてしまった。


「な……七回生の田口行雄だ」


 震える唇で、田口は答えた。ふうん、と真信乃は呟き、一歩後退する。


「七回生ねえ……お前、人のことより自分の心配したら? 訓練生でいられる期間は十年だけど?」


 皮肉でもなく、ただ純粋な感想を述べたつもりだった。しかし、彼の言葉は田口の逆鱗に触れてしまった。


「んなこと俺が一番分かってんだよおおお!」


 田口は突然拳を振るった。もちろん狙いは真信乃だ。彼の拳が真信乃の頬に触れる寸前、クラスメイトが悲鳴を上げる寸前、広部が止めに入ろうと駆け出す寸前―――真信乃は身を屈め、田口の手首を掴んだ。


「ッ―――!」


 掴まれたと認識したとき、既にもう片方の手首も捕まっていた。その力は十四歳のものと思えず、田口は先ほどよりも強い死を感じ取った。


「逆ギレして暴力を振る人間が、正団員になれるとでも?」


 黄色い目玉が光る。今度は化け物ではなく、ベテラン騎士団員のような畏怖、そして羨望を田口は抱いた。命を賭して魔導士と戦い社会の平和を守る、誇り高き騎士―――かつて田口が憧れたその姿が、真信乃に象られているように見えた。


「実力だけじゃなく、精神も鍛えないと正団員にはなれない。短気は最悪だ。それが原因で転生士に殺された団員は何人もいる。何を言われても動じないよう心掛ければ、少しはマシになるんじゃないか?」


 年下に説教されてる―――クラスメイトは田口を哀れんで見ていた。しかし、伸び悩んでいた心に手を差し伸べられたようで、田口の目にはじわじわと涙が溢れていた。さすがにそれは予想外で、真信乃はギョッと頬が引きつる。


「えっちょっと……なんで泣くんだよ」

「俺……全然強くなれなくて……同期にも後輩にも抜かれるし……もうどうしていいか分からなくて……」


 実力勝負な世界で、才能のない者はあぶれていく。何年も続けば劣等感も強くなるが、力が伴わないまま命を懸けた戦いなどできるはずもない。かわいそうだが、そういう者にとっては諦めさせる方が良い―――こいつもその部類だろうと真信乃はすぐに悟った。


「才能ある奴はあっという間に訓練生を卒業するからな」

「そうだよなあ……俺にはやっぱり才能ないのかなあ……」

「そうじゃないか? それで諦めたって誰も馬鹿にしたりしないぞ。むしろ正団員になる方が少ないんだから」

「そうかなあ……諦めよっかな……」

「そうそう、諦めよう」


 田口は茫然と虚空を眺めた。彼の脳裏には、かつてその目で見た騎士団員の勇姿が思い出されていた。それを見て、幼子は騎士団員になる決意をしたのだ。


「無理に命を懸けるもんじゃない。人には向き不向きがあるんだから」

「向き不向き………俺は不向きの方か………」

「そうそう」

「………………いや、やっぱり諦めない! 諦めたくない!」

「いや、今の完全に辞める流れだっだろ! なんで再熱してる!?」


 真信乃が驚く傍ら、田口の心は闘志に燃えまくっていた。


「ずっと憧れてたんだ! 才能なくたってなってみせる!」

「やめとけって! 死ぬぞ!」

「なあ! 俺のコーチになってくれないか! いや、なってくれませんか!」

「は!?」


 予想外の流れに乗れず、真信乃の理解は追いつかなかった。田口が顔を近付けると、思わず真信乃は力んでしまい、骨がみしりと鳴った。


「俺の指導してください! どこが悪いのか教えてください!」

「なんでオレが! そういうのは教官に教われ!」

「俺も中二の勉強教えますから!」

「だからそれはいいって! オレは勉強しに来たわけじゃないから!」

「あなただって馬鹿なままは嫌でしょ!」

「ナチュラルに馬鹿にするな! 人並みの頭は持ち合わせてる!」

「いやいや、名案じゃないか」


 ヒートアップする二人を仲介するように広部が声を上げ、パチパチと拍手した。


「神崎君は騎士団員の先輩として指導する。田口は人生の先輩として勉学を指導する。ウィンウィンの関係、素晴らしい!」

「だから! 勉強はいいんだって!」

「よろしくお願いします! 神崎君!」

「勝手に決めるな! 許可してない!」

「よし! 和解したということで授業を始めよう」

「いやっまだ話は終わって……!」


 広部が教卓に向かい、教科書を広げて授業を始める。クラスメイトも慌ててそれに倣い、机上にノートも広げた。真信乃はまだ言いたいことがあったが、無視して進める広部に諦め、田口を解放した。自席に座り、真信乃はむすっとして頬杖をつく。

 ―――指導しろだと? 絶対嫌だ。そんなの団員の職務じゃない。オレは学校を守るために来たんだ。伸び悩む出来損ないを育てに来たわけじゃない。

 真信乃は苛立ちから、足をぱたぱたと鳴らした。それを広部に注意され、彼は幼子のようにふて寝して授業時間をやり過ごしたのだった。



 授業中、呑気に眠る真信乃に対しクラスメイトは若干の不満を抱いたが、田口とのやりとりを見て文句を言う者は誰もいなかった。年相応の可愛さもあるが、それ以上に、嫌われたら見捨てられる―――そのような評価に塗り替えられてしまっていた。休み時間に見物しに来た他クラスの生徒達も遠巻きに見るだけで、話しかける勇気はなかった。


「神崎君!」


 そんな中、唯一真信乃の前に立ちはだかったのは、やはり田口だった。放課後になったので帰宅しようとした彼を、田口は複数の同級生を連れて引きとめた。


「なに? オレ忙しいんだけど」

「俺達を指導してください! こいつらも同じく訓練生なんです!」

「だから約束してないし。指導が欲しけりゃ教官に頼め」

「教官は個人指導をしてくれないんです!」

「じゃあお前たち同士でやればいいじゃん。訓練生でも客観的指摘はできるだろ」

「プロの意見が聞きたいんです!」

「だから教官に頼め! 図々しいんだよ!」


 真信乃は踵を返して走り去った。田口達訓練生も彼を追いかける。階段は訓練生が先回りして塞いでいた。窓から飛び降りることも考えたが、変換できる〝思い〟がなく、ただの十四歳の身体が耐えられるとも思えなかった。

 それならどこかに隠れよう―――角を曲がった真信乃は辺りを見回し、適当な教室に入った。そこは家庭科室だった。一人の女子生徒がいたが目もくれず、調理台下の棚を開けた。中にフライパンなどの調理器具が入っていたが、真信乃は無理矢理入り込んだ。いくら小柄でも、さすがに狭い―――何とか扉を閉めようとした瞬間、それを外から引き止められた。


「なっ……!」


 犯人は女子生徒だった。彼女は扉をこじ開け、じっと真信乃を見つめる。


「何してるんですか?」

「今忙しいんだ! 後にしてくれ!」

「そこ、器具が入ってる棚ですが?」

「後で綺麗に洗うから! オレがいることは黙っててくれ!」

「…………ふーん」


 力が緩み、真信乃は扉を閉じようとする。が、再度開かれ、女子生徒はフライパンやその他調理器具をいくつか取った。


「何してるんだ!」

「少しスペースが空いて楽になったでしょう?」


 なんだそういうことか―――思わぬ気遣いに、真信乃は呆気に取られてしまった。田口のような迷惑極まりない生徒もいれば、こうして気が利く生徒もいる。今は後者に出会えてよかったと、真信乃は自身の運に感謝した。


「ありがとう―――」


 ついでに女子生徒にも礼を言おうとした刹那、勢いよく棚の扉を閉められた。危うく挟みそうになった指を大事そうにさすり、真信乃は少し不満を抱く―――せっかく礼を言おうとしたのに。気は利くけど乱暴なやつだな。

 やがてバタバタと足音が聞こえ、扉の開かれる音がした。


「ここに男子が来なかったか!? 小さいやつ!」

「あ、来ましたよ。でも私を見てあっちに行っちゃいました」

「まずい! あっちには外階段が……! ありがと!」


 足音が遠のき、静寂に包まれた。女子生徒は教室から少し顔を出して辺りを見回し、静かに扉と鍵を閉める。後方の扉も同じようにすると、真信乃の入っている棚を開けた。


「もう大丈夫ですよ」

「ああ……ありがとう……いてっ」体を何度もぶつけながら外に出ると、真信乃は盛大なため息を吐いた。

「はあ……なんでこんなことに……」

「なんだか大変そうですね。どうして追いかけられてるんですか?」

「面倒事を押し付けるためだよ。全く、あいつらに必要なのは技術じゃなくて礼儀だ」

「よく分かりませんが、災難でしたねえ」

「ほんと、初日にとんだ災難だよ」


 縮こまっていた全身を伸ばし、真信乃はぴょんと調理台に座る。改めて見ると、助けてくれた恩人は桃色の髪をひとつに結う女子だった。身長は真信乃より少し高く、緑色の瞳は不思議そうに彼を見ている。


「あの、あなた何年生ですか?」

「オレ? 二年生だけど」

「えっ……先輩なんですか?」

「つまりお前は一年生ってことか。こんなところで何してたんだ?」

「掃除ですよ。今月は一年二組が家庭科室担当ですから」


 そう言われて、彼女の背後にほうきとちりとりが落ちていることに真信乃は気付いた。彼の前の学校……つまり中学校ではきちんと掃除の時間が設けられていたが、この高校は放課後の時間を潰されてしまうのか―――気の毒だな、と他人事のように思い、真信乃は窓の外を眺めた。


「あいつら、早く帰ってくれないかな……こんなところで時間を潰してる場合じゃないのに」

「それなら掃除、手伝ってくださいよ。助けたお礼に」

「断る」

「なんでですか! なんで即答! 一人でやるの大変なんですよ! ペアの子は急用だーって言って帰っちゃって、孤独で寂しいんです!」

「残念ながら、オレは一般生徒ではないから。かわいそうだけど、一人で頑張れ」

「一般生徒でない?」


 女子生徒はじっと真信乃を見つめ、「ああ!」と目を見開いた。


「もしかして、今日編入したっていう騎士団の方ですか?」

「その通り。オレはこの学校を守るために派遣された、正団員の神崎真信乃だ!」

「へえー! あなたでしたか! 十四歳の小さな団員さんっていうのは!」

「小さいは余計だ!」


 若干余計な言葉もあったが、きらきらと目を輝かせて自分を眺める女子生徒に悪い気はしなかった。


「すごいですねー! 十四歳なのに正団員だなんて!」

「ふふん! そうだろ! 遠慮なく神崎先輩って呼んでいいぞ!」

「えっ? それは遠慮します」

「なんでだよ!」


 急に瞳から光が消え、女子生徒の顔には苦笑が浮かんだ。


「だって、人生の先輩ではないですし……」

「でもお前より学年が一つ上だろ!」

「特別に入れてもらっただけじゃないですか」

「特別でも何でも、この学校ではお前よりオレが先輩! だからほら! 神崎先輩!」

「ええー……」


 真信乃は調理台から飛び降り、女子生徒に迫った。自分より身長も実年齢も低い少年にこうして迫られるなどという経験、彼女には初めてのことだった。だからなのか、彼女はなんだか可笑しくなって―――満面の笑みで答えた。


「それじゃ、『真信乃先輩君』で!」

「〝君〟はいらない!」


 すかさず突っ込みが入ったが、女子生徒が撤回することはなかった。


「いいじゃないですか! 真信乃先輩君! これで決定です!」

「だめだ! 先輩で止めろ! 敬意がこもってない!」

「こめてないですからね」

「はあ!? オレ、先輩だって言ったよな!?」

「人生の先輩は私です!」

「この学校でそれは関係ない!」

「関係なくないですよ! 真信乃先輩君!」

「なんて非常識なやつだ!」


 真信乃は拳を震わせていた。怒りからか、それとも思わず手を出したくなった衝動を何とか押さえつけているのか―――そんな彼とは対照的に、女子生徒は困ったように腕を組んだ。


「でも、さすがに呼び名としては長すぎますね」

「末尾語を外せばいいんじゃないか?」

「そこが一番大事な言葉なのに?」

「一番大事なのは〝先輩〟だろ!」

「そうですねえ……それじゃあ……」


 女子生徒は少し考え込んだ。どうせまた馬鹿にしたような呼び名になるに決まってる。何にしても、もうこいつに構わなければいい話だ―――真信乃は固く決意した。


「『マノセ君』はどうですか?」

「…………マノセ君?」


 あまりの予想外に、固かったはずの決意は呆気なく揺らいだ。真信乃はおもむろに首を傾げる。


「どこをどう取ったらそんなヘンテコな呼び名になる?」

「ヘンテコじゃありませんよ! 私の意見も、先輩の意見も取り入れた素晴らしい呼び名です!」


 戸惑う少年に、年上の少女は得意気に答える。


「〝ま〟し〝の〟〝せ〟んぱい〝くん〟! はい、これで『マノセ君』です!」


 沈黙―――いや、それはほんの一瞬だけだった。真信乃は真っ赤になるほど拳を握り締め、校内中に響き渡るかのような怒号を放った。


「一番大事な言葉を一番省略するなああああああ!」


 女子生徒は耳を塞ぎ、「うるさいですよ!」と真信乃を睨んだ。しかし、彼が怒りを抑える気配は全くなかった。


「なんで〝先輩〟を一番省いた!?」

「だってそれが一番容量を食ってるじゃないですか! 四文字も! つまり九分の四ですよ! 約四十五パーセント!」

「だから! それが最重要視すべき敬称であって! 最も省いちゃいけないんだって! しかも一番いらない〝君〟は丸々残しやがって!」

「略しようがないじゃないですか! それとも『まのせん』でも良いってことですか!? 真信乃の〝ま〟と〝の〟、先輩の〝せ〟、そして君の〝ん〟! それで『まのせん』!」

「いいわけあるか!」

「ん……? 待ってください。『まのせん』なら、先輩の〝せん〟とも取れるじゃないですか! うわあすごい! これなら私と先輩の意見どちらも採用されてますよ! これにしましょうよ!」

「却下だ! それならまだ『マノセ君』の方がマシだ!」

「えーなんでですかあ! まのせん、かわいいじゃないですかあ!」

「馬鹿にされてる気分になる!」

「もお! わがままばっかり! じゃあマノセ君で決定ですね!」

「呼んでも返事しないからな!」


 真信乃は再び調理台に座った。怒り疲れたのか、深いため息を吐いた。そんな彼の疲弊顔を覗き込み、女子生徒はにっこり笑う。


「マノセ君?」

「…………」

「ま、の、せ、くん?」

「………………」

「マノセ君マノセ君マノセ君!」

「……………………」

「もおー、返事してくださいよおー」

「…………………………」

「……分かりましたよ。ちゃんと呼びます」

「分かればいいんだ」


 ふんっと勝ち誇った笑みを浮かべる真信乃に、女子生徒は悔しそうに唸る。


「年下のくせに……!」

「ここでは年上だ」

「はあ……まあいいです。それで、どうするんですか? 見る限り、校門で待ち構えているみたいですが」


 家庭科室の窓からは、校庭の全体が良く見える。サッカー部が部活動をしている奥の正門では、数人の生徒が目を光らせて仁王立ちしていた。先ほど真信乃を追いかけた田口、そしてその他の訓練生だ。


「本当に迷惑な奴らだ」


 うんざりそうに、真信乃は本日何度目かのため息を吐く。


「オレに何のメリットもないのに、図々しい」

「一体何を要求されてるんですか?」

「指導しろってさ。訓練生だから面倒見ろって……あーもう! 教官に報告して減点してもらおう! それでクビになればいいんだ! どうせ才能ない奴らなんだから!」

「マノセ君、訓練生に追いかけられてるんですか?」

「そうなんだよ! 田口ってやつが発端で―――」


 そこまで言って、真信乃ははっと気が付いた。女子生徒の愉快そうな笑顔も見て、やってしまったと確信する。


「……なあんだ! やっぱりマノセ君で良いんですね!」

「ちっ違う! 今のは流れでつい……」

「つい返事しちゃうほど気に入ってくれたんですね! ありがとうございます! マノセ君!」

「だああああっ! やめろっ! もう二度と返事しないからなっ!」

「マノセくんにそんなことできますかね~?」


 クスクス笑う女子生徒に、真信乃の心中は怒りと悔しさで支配された。こいつは仲斗と同じくらい……いや、奴よりもムカつくやつだ。これ以上ストレスの根源を増やしたくない―――真信乃はぴょんと飛び降り、扉の方へ向かう。


「どこ行くんですか?」

「帰るんだよ。お前といるとイライラする」

「えー? 帰れるんですか?」

「校門なんか通らなきゃいい。テキトーに塀をよじ登ればいい話だ。じゃ、もう二度と近寄るなよ」

「いえ、そういうことではないですよ?」


 含みを持たせた言い方に、真信乃は足を止めざるを得なかった。振り向いたそこには夕日をバックに、女子生徒は緑色の瞳を光らせた。


「マノセ君が帰っちゃったら、転生士が現れるかもしれませんよ?」


 それはあまりにも直接的な指摘であり、明白な疑念を抱くに十分すぎた。真信乃は警戒心を強めながら、女子生徒に注視する。


「なんでそう言える?」

「この学校で事件が多発しているから―――マノセ君だって、それがあるから派遣されたんですよね?」


 転生士が宿主を支配して暴れ回る、という事件は日常的に起こる。殺人事件が毎日のようにどこかで起きるように、それも全国のどこかで毎日起こっている。

 しかしここ最近―――具体的には今年度に入ってから、この高校では転生士絡みの事件が多発していた。それも、未練を晴らしたいがために宿主を支配する転生士ではない、特殊な転生士ばかりが現れるという、不可思議な事件だった。


「ここで顕在した転生士は皆、口を揃えてこう言います―――『誰かの魔法のせいで、気付いたら宿主を支配していた』と。つまり、マノセ君はその犯人を捕まえるためにここに派遣されたんですよね?」


 彼女の推察は正しかった。そういった現状と、学校側が支払った莫大な契約料があったからこそ真信乃はここに常駐し、「転生士に宿主を支配させる魔導士」を捕まえようとしているのだ。


「合ってますか?」

「……ああ、そうだ」

「わあい。私、なかなか鋭いでしょう?」

「そうだな………騎士団員でもないのに」


 真信乃は駆けた。魔法を使っていないにしても、突然の行動に女子生徒は対応に遅れ、両手首を掴まれた。驚く女子生徒と―――真信乃本人も。


「――――――ッ?」


 女子生徒から〝思い〟を吸い取った。彼女を力で押さえつけるためで、彼がよくやる行動だ。しかし、吸い取った〝思い〟があまりにも多く、真信乃は僅かに動揺して女子生徒を見上げた。


「なっ……何するんですか?」


 彼女は驚いている。困惑している。それだけでここまで多量の〝思い〟は生まれない。ならばきっと、別の〝何か〟を抱いているんだろう―――真信乃はさらに警戒を強めた。


「お前がその犯人なのか?」

「えっ? まさか! たしかに一年生全体が疑われていますが、私は無実です!」


 女子生徒は必死に首を左右に振って訴えている。疑われて戸惑っているが、それ以外に陰が差していると真信乃は思えなかった。

 人は誰しも不安や悩みを抱えている。四六時中そのことばかり考えて病む人間もいる。表には出さないが、きっとこいつもその類なんだろう―――真信乃がそっと腕を離すと、女子生徒は胸を撫で下ろした。


「信じてくれてありがとうございます」

「だからって、疑わないわけじゃないけどな」

「まあ、それはそうですよね。分かってます。思わせぶりなことを言ってしまい、申し訳ありませんでした」


 律儀に頭を下げる女子生徒に、真信乃は少しばかり罪悪感を抱いた。そこまでやってもらいたかったわけじゃないのに―――そう言ってやろうとした刹那、女子生徒は顔を上げてにんまりと笑った。


「でも、仕事は全うしましょうね? マノセ君?」


 そこには子供に言い聞かせるような、馬鹿にするような思いが込められていて―――「返事をしない」という固い決意よりも怒りが勝り、真信乃は思わず反応してしまった。


「どういう意味だ?」

「事件の犯人を捕まえると同時に、私達全校生徒並びに教職員を守ることがマノセ君の仕事でしょう? なら、全員帰宅するまで残ってなきゃ!」

「ぐっ……」


 たしかにそうだと、真信乃は不覚にも納得してしまった。常駐するからには被害者ゼロにしろ―――今回の業務を説明された際、団長にそう命令されていた。ついでに、特別に高校生にしてやるが恋愛にかまけて怠るなとも付け加えられた。

 そんなことしたことないしするつもりもないと真信乃は即座に言い返したが、高校生活に期待していたことも事実だった。放課後に遊びに行ったり、部活動を楽しみにしているわけじゃない。仕事とはいえ、同い年よりも早く大人になったような気がする―――男子中学生の、そんな単純な理由だった。


「くそっ……仕方ないな」

「それじゃ、私と一緒に掃除しましょ?」

「お前、それが目的だろ!」

「そんなことないですよおー? で、も? 掃除が終わらないと私、帰れませんよおー?」

「うぐぐ……」


 まさか騎士団であることを逆手に取ってくるとは思わず、真信乃は反論もできなかった。仕方なくほうきを受け取ると、非常に不満そうに床を掃き始める。


「なんでオレがこんなこと……」

「いいじゃないですか。中学校でも掃除、やっていたでしょ?」

「でもオレは、騎士団員としてここに来ただけで!」

「掃除まで手伝ってくれる優しい団員さんって、ホームページからメール送っておきますね!」


 そんなことしてもらっても特に嬉しくないが、明らかに善意から向けられた笑みに、真信乃はこれ以上の文句を飲み込んだ。さして汚れてもいない家庭科室を掃いて回る。


「ところでマノセ君、どうして中学生なのにここに派遣されたんですか?」

「適任がオレだけだったから。学生で優秀な人材はほんのひと握りしかいないんだよ」

「へえー。マノセ君、優秀なんですねえ。とてもそうは見えませんが」


 くすくす笑う女子生徒の横顔を、真信乃は物珍しそうに見返した。騎士団と認知されている自分をからかう人間なんて、今まで一人もいなかったからだ。

 訓練生時代はまだしも、正団員になった今、たとえ十四歳でも実力があると認識され、世間は自分の機嫌を損なわないように愛想を振りまく。仕事に私情を挟んだことはないが、庇護される者は「もしも」のことを考えずにはいられない。

 かつて、「ご機嫌とりなんかしなくていいですよ」と真信乃が言ったら、腫れ物に触るような態度になってしまったことがあった。親切から言ったのにさらにひどくなった状況に、彼はしばらく首を傾げていた。その裏で、「小さい少年騎士団員があまりにも怖い」と匿名で問い合わせがきていたことを、真信乃は一切知らないが。

 そんな経緯もあり、面と向かって馬鹿にする女子生徒のことが、真信乃には新鮮に思えた。


「オレは最速最年少で正団員になった天才児だぞ?」

「えー? 本当ですかあー? 騎士団長の息子だから特例で正団員になった、とかじゃないんですかあー?」

「あんなチャラ男の息子なわけあるか!」

「チャラ男って! まあたしかに、あの人は女癖悪そうですよねえ。テレビで観るといっつも女性侍らせてますし………どなたかの隠し子では?」

「絶っっ対ありえない! オレは一般家庭出身だ! 両親とも正真正銘、血がつながってる!」

「そうですかあ、残念」


 つまらなそうに女子生徒は床を掃き、少しのゴミを連れて真信乃の方へ戻った。それをちりとりで集める彼女を、真信乃は観察するように見下ろす。


「お前、怖くないの?」

「何がですか?」

「オレのこと、センスないあだ名で読んだり馬鹿にしたりこき使ったりしてるけど、見捨てられるとか思わないのか?」

「え? 『マノセ君』って、センス輝いてますよね? ネーミングセンスの塊じゃないですか。それに私、馬鹿になんかしていませんよ? こき使ったりもしていませんよね?」

「決して良い輝きではないがな。それに、馬鹿にしたように笑っただろ。こうして掃除も手伝わせてるし」

「えー! 最高に輝いてるじゃないですかー! これ以上先輩にピッタリな名前ないですよ!」

「絶対あるだろ! つか、そういうところが馬鹿にしてるって言ってるんだ!」

「そんなつもりないですよ! まあでも、不快でしたら謝ります。すみません」


 やめないですけど、とにこりと笑う女子生徒にうんざりする真信乃だが、何となく悪い気はしなかった。

 汚した調理器具を洗い終わっても、部活動中の生徒や田口達は一向に帰宅する気配がなかった。時刻は十七時、学生手帳を確認すると、完全下校時間は十八時半と記載されていた。


「あー、暇だ」


 真信乃は嘆きながら調理台に寝そべった。


「マノセ君、調理台は調理する台って分かっていますか?」

「やる前に消毒すればいいだろ」

「そうですけど……」

「それより早く帰れ。お前まで残ってる必要ないだろ」

「いえいえ、付き合いますよ。帰ってもつまらないだけですし」

「友達と遊びに行けば?」

「今日はみんな彼氏とデートだって、楽しそうに帰ってしまったんです」

「へー、お前はいないんだ。ま、人のこと馬鹿にするようなやつだもんな」


 起き上がりつつ仕返しにからかったつもりだったが、女子生徒は予想以上に暗い表情で俯いてしまった。


「そうですね……私なんかと付き合ってくれる人なんか……いませんよね」

「お、おい……冗談だって。そんなに落ち込むなよ」

「冗談? じゃあマノセ君は、私なんかと付き合ってもいいってことですか? こんな私なのに?」

「いやこんな私とか言われても、お前のことそんなに知らないし……」

「………そうですね。私のこと知ったら、きっとマノセ君も私なんか嫌いになると思います」


 先ほど吸い取った〝思い〟の量―――その所以が何なのか、真信乃は少し分かった気がした。いつか彼女が亡くなるとき、未練としてその〝思い〟が残らなければいいと願いつつ、真信乃は腕を組んだ。


「お前のことを詳しく知るつもりはないけど、せめて名乗ってくれないか?」

「え? ああ……そういえば自己紹介がまだでしたね。マノセ君のキャラがあまりにも濃いので、一般人の私は完全にモブと化してしまいました」

「ま、たしかに天才児は人目を惹くよな」

「いえ、そこではないです。小さいし十四歳だし偉そうなのに高校二年生として在籍しているところです」

「小さくないし偉そうってなんだ! オレは普通に接してる!」

「これが普通だったらマノセ君、ちょっと教育が必要になりますねえ」


 くすくす笑いつつ、女子生徒はスカートの裾を少しつまみ上げ、足を後ろでクロスさせた。


羽石はいし稀歩きほ、十六歳の高校一年生です。遠慮なく『きーちゃん』って呼んでくださいね?」

「断る」

「むう……やはり同年代では誰も呼んでくれませんね。何故でしょうか……」

「子供っぽいからじゃないか?」

「お子様のマノセ君に言われたくありません!」

「誰がお子様だ!」


 女子生徒―――稀歩に再びからかわれ、真信乃は反射的に噛み付いた。オレの実力を見れば子供扱いもなくなるだろう。基本的には嫌だが、こいつを黙らせるために都合よく転生士が現れれば良いのだが―――そんな邪な願望が頭をよぎりつつ、椅子に座り直す稀歩に尋ねた。


「ここで現れた転生士はみんな、誰かのせいで宿主を支配してしまったと言っていたが」

「はい、そうです。そんなことができる魔力があるなんて、びっくりですよね」

「洗脳はされていたか?」

「洗脳……ですか?」


 首を傾げた稀歩に、真信乃は声を落とす。


「実は最近この街で、洗脳された転生士が急増してるんだ。公にはなってないが、『魔導士ではない一般人』を恨むような洗脳をされてるみたいなんだ」

「魔導士ではない人を? なんだか不思議な洗脳ですね」


 稀歩の感想は最もだった。普通、力のある魔導士が恨みを買うことが多い。魔力を持たない人間にとっては、一方的に蹂躙されて殺されるからだ。実際、魔導士を恨んで転生士になった者は大勢おり、真信乃も度々遭遇してきた。

 だが、洗脳された転生士もしくは魔導士は、「一般人を恨み、魔導士を崇拝する」ようなことを主張していた。真信乃が対峙した転生士はこう叫んでいた―――「魔導士の世界を取り戻す!」と。


「大昔は魔導士が社会の中心だった。おそらくその時代から転生した者が、現世で暗躍しているんだと思う」


 洗脳された者達は一般人を選んで襲っているため、彼らは騎士団に粛清されてしまっている。襲われた人々を思えば当然の処置だが、洗脳された人々も決して本意ではない。そんな状況を、真信乃は早く何とかしたいと強く望んでいた。


「それって……五百年以上前の話ですよね? そんな過去の人間も転生するんですか?」

「転生士は際限ないからな。『記憶処置』をしない限り、永遠に転生し続けるし」

「記憶処置ですか……なかなか難しいですね。そもそも、『記憶』の魔力を持つ魔導士自体、希少ですもんね」

「……ああ、そうだったな」


 真信乃の脳裏には、毎日毎日付き纏う青年が思い出されていた。団員は他にも大勢いるというのに、何故か自分にだけついてきて戦闘の邪魔をしてくる迷惑者。

 しかし彼こそ、稀歩の言う希少な魔導士―――触れた者の記憶を消すことのできる「記憶」の魔力を持つ者だった。


 転生士の未練は、ただ肉体を滅ぼしただけでは消えない。未練だけが再び来世に転生し、新たな肉体に宿って再来する。

 では、転生士の未練はどうしたら消えるのか―――簡単な話だ。

 未練を解消する、もしくは「記憶」の魔力で未練の記憶を消す―――そうすれば、未練を失った転生士は本当の意味で消え去るのだ。


「未来に転生士を増やさないためにも、記憶処置を施した方が良いのではないか?」


 当然の疑問は、あっという間に論破される―――記憶処置が即座に完遂できるのなら、と。

 記憶処置は、完全に記憶を消すまでにかなりの時間を要する。とどのつまり、現実的ではないので普通に殺してしまおうというのが、騎士団および世間の結論だった。たとえ未来を担う子供たちに苦労を強いても、その場の被害を最小限に留めることを第一に考える―――誰も責めることのできない選択だった。


「どうしたんですか? なんだか疲れきったような顔していますよ?」

「ストレスの根源を思い出してうんざりしてた」

「それは良くないですね。私に何かできることがあればしますよ?」

「稀歩は魔導士か?」

「いえ、残念ながら」


 芽生えた希望は一瞬にして摘み取られた。魔導士でない人間があの迷惑者を排除できるわけがない。それじゃあいい、と真信乃が吐き捨てると、稀歩は彼に迫った。


「魔導士ではありませんが、できることはお手伝いしますよ!」

「だから無理だって」

「いいえ、無力でもできることはあります! 何より、ストレスを溜めるのは良くないことですよ!」


 元気づけるように力強い眼差しを向けてくる稀歩に、真信乃は激しい違和感を覚えた。それは、〝思い〟の量を量れる彼だからこそ抱く―――乖離。


「人のことより、自分を助ける努力をしたら?」


 刹那、稀歩は目を見開いて硬直した。図星なんだと確信し、真信乃は付け加える。


「ああ、勘違いしないでくれ。オレは人の〝思い〟の量が量れるだけで、その詳細は分からないから」

「思い……の量、ですか?」

「そ。お前から感じ取った〝思い〟が多量だったから、何かあるんだなと思っただけだ」

「そう……なんですか」


 すごいですね、と稀歩は苦笑混じりに呟いた。核心を突かれたためか、彼女の表情は先刻までとは様変わりして暗い。少しの沈黙の後、稀歩はスクールバッグを持って席を立った。


「じゃあ私、帰りますね」

「ああ」


 静かに立ち去る稀歩を、真信乃も静かに見送った。扉が閉まる寸前、見えた彼女の横顔はつらく苦しそうだった。一体何を抱えているのやらと、真信乃も人並みの興味を持ち合わせていたが、詮索しようとは思わなかった。

 それよりも、彼の脳内は転生士のことでいっぱいだった。どうやって犯人を見つけ出そう、どうやって被害を最小限に抑えられるだろう―――そんなことを考えつつ、全職員生徒が帰宅した二十時半、ようやく真信乃も帰路につくことができたのだった。

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