ある思い人の回顧録

かいり

第1話

 ―――人の〝思い〟は重い。

 ダジャレのようなこの言葉をよく口にし始めたのは、彼が家出をした十歳の頃からだった。それまではお遊び程度で使っていた「魔力」を、生き残るために使用し始めたからだ。身を守るために、自らを顧みる―――その過程で彼は自分の魔力を見つめ直した。そうして自然と彼は、ふざけたようで真面目なダジャレを意識するようになったのだ。


「人の思いは重い……そう、heavy」

「あいつまた言ってる」

「放っておけ。絡まれたら面倒だぞ」


 彼の同僚は、足早にその場から立ち去った。通りかかる者達も、彼を避けるようにして歩く。彼はその事実に気付いておらず、自分のデスクで書類の整理をしていた。


「人の思いは重い……so heavy」

「まーしーの!」


 陽気な声が背後から―――刹那、彼は目の色を変えて席を立った。素早く振り向き、向かってくる手を避け、その手首を掴む。さらにもう片方も掴まえると、相手の女はむすっとして彼を見下ろした。


「むう! 真信乃ましの、素早すぎ!」

「当たり前だ。オレを誰だと思ってる? 数々の偉業を成し遂げた天才児、神崎真信乃様だぞ?」

「むー! かっこいいけど悔しい! 次こそは絶対抱きついてやるんだから!」

「はいはい。毎日聞いてるな、それ」


 彼―――神崎真信乃が手を離すと、女は乱れた服を整えた。ブラウスとスーツパンツを手で払い、黄金の長い髪が揺れる。大きな紫色の瞳は視界の端に見つけた書類に向き、長い指が指した。


「それ、編入届?」

「ああ。週明けが初登校日なんだよ」

「そっかあ、本当にやるのかあ」女は書類を取り、まじまじと眺める。

「ここの校長、札束で団長のことを撫でたらしいよ? 特例として通るように、執拗に」

「へえ、それは見たかったな」


 真信乃の脳裏には、庭のプールで優雅に泳ぐ筋肉質の男が思い浮かんだ。美女とじゃれあい、時にはキスをしてイチャついている。そんな姿を見せつけられ、真信乃は幻滅したことをよく憶えている。

 ―――こんな男が「騎士団」のトップだなんて。こんな男が平和を守る「騎士団」のトップだなんて。


「あーあー。あたしも真信乃とスクールライフを送りたかったなー」


 女は書類をデスクに放り、適当な席にぼすんと座る。真信乃も自席に座り直した。


執月しづきはとっくに高校を卒業してるだろ」

「分かってるよおー! もー真信乃! どうしてあと六年早く産まれてくれなかったの! そうしたら真信乃とタメだったのにー!」

「はいはい、ごめんごめん」


 また言い始めた、と真信乃は呆れ顔。ぶーぶー文句を言う女―――執月がどさくさに紛れて伸ばした手も、律儀に全て払い退ける。さらに怒った執月は、「もう! 真信乃の馬鹿!」と吐き捨てて立ち去った。残した椅子がくるくる回る。

 執月の姿が見えなくなると、真信乃は書類の整理を再開する。ある程度机上が片付いたら、鞄を持ってデスクを離れた。数人とエレベーターに乗り込み、十五階から一階まで降りる。

 セキュリティガードを通ってオフィスビルを出ると、夕焼けの下、仕事や学校帰りで賑わう市街を歩いた。金曜日だからか、いっそう人出が多いように感じた真信乃は、周囲を注視しながら進む。時折、怪しい人物が見えると、気付かれないように近付いて観察した。やがて安全と判断すれば、マークするのをやめて先に進む。

 じっと見ていれば不審に思える真信乃の行動も、あくまで通行人のふりをしているからか、疑問を抱く者はいなかった―――ただ、一人を除いては。


「おー真信乃! 今日もやってるなあ!」


 人目も気にせず声を上げる青年を前に、真信乃はあからさまな不愉快顔を見せた。


「用が無いなら真っ直ぐ帰宅しろ、仲斗なかと

「用が無いかは僕が決めることじゃない。お前に用ができたとき、僕にもまた用ができる。そうだろ?」


 にやにやと笑う、深緑の髪をした青年―――仲斗は、真信乃と並んで歩く。彼が離れても足早になっても、仲斗はしつこく付き纏う。もう毎日のことだが、どうにか撒くことができないかと真信乃は模索していた。


「今日も仲良く一緒にパトロールしような?」

「誰が、誰と、いつ、仲良くした?」

「はあー? 僕と、真信乃が、毎日放課後、仲良くしてるじゃんか。真信乃の脳には毎日零時に記憶がリセットされる魔法でもかかってるのか? それとも、三歩歩くと忘れる鳥頭が搭載されてるのか?」

「そんな事実は無いと言ってるんだ! いい加減オレに付き纏うのはやめろ!」

「断る〜」


 怒る真信乃の肩を躊躇なく抱く仲斗。その行為に周囲の人間はギョッとし、二人を避けるように歩く。


「あれ? 今日は逃げないのか?」


 仲斗が不思議そうに見下ろすと、うんざりした真信乃がそこにはいた。


「いちいち対処するのも面倒になった」

「へえー! まさかそんなに信頼してくれてるなんて! 嬉しいなあ」

「お前が魔法を使ったとしてもすぐに対応できるからだ! 決して信頼してるわけじゃない! 自惚れるな!」

「またまた~。そう言って照れ隠ししてるんだろ? 大丈夫、僕は分かってるから」

「ほんっとお前はいちいちめんどくさいな!」


 真信乃が仲斗の手を離そうと力んだ。しかし、彼の握力にも腕力にも敵わず、はたから見ればただ腕を掴んでいるだけになってしまう。


「ん? どうした? 手繋ぎたいのか?」

「気持ち悪いこと言うな! その逆だ! 離れたいんだ!」

「なんだよ〜。あ、もしかして恥ずかしいのか? 真信乃もまだまだ子供だなあ。世界にはキスが挨拶の国もあるんだぞ?」

「不愉快なだけだ! それに周りに不要な不安を与える……ってこれ、毎日言ってるんだが? お前こそ鳥頭か!?」

「周りに不安をばら撒こうが、僕には関係ない。見知らぬ他人は僕の仲間じゃないからな」


 こいつも相変わらずだな―――真信乃は諦めたようにため息を吐き、肩に乗る仲斗の腕を改めて掴んだ。

 ―――そこから〝思い〟を吸い取ると、仲斗を難なく引き剥がした。


「お前は、オレに殺されるかもしれないと思ったりはしないのか?」


 そう吐き捨て、答えを聞く前に先を進む。仲斗は再びにやりと笑い、真信乃についていった。


「思うわけないだろ。殺す動機がない。善良な一般市民なのに」

「どの口が言うか。公務執行妨害で『魔導士』を殺すことは認められてる。知ってるよな?」

「はー? 僕は『転生士』を殺そうとしてるだけだ。そこに偶然真信乃も立ち会っていて、互いに目的を果たそうとしてるだけ。その過程で発生した被害を〝出るはずのなかったもの〟と勝手に評価して勝手に怒ってるのは真信乃だ。これって、真信乃の嫌いな結果論じゃないのか?」

「うぐ……」


 幼子に言い聞かせるようにゆっくり喋る仲斗に、鎮まりかけていた苛立ちが再度沸き起こる。言い方もそうだが、その事実にも反論できないことに、真信乃はあからさまな仏頂面を見せた。


「うわっ、ぶっさいくな顔」

「誰のせいで!」

「そんなぷりぷりすんなよ。怒ると寿命が縮むぞ?」

「じゃあ、オレの死因は仲斗ってことになるな。この人殺し」

「はあー? 人を勝手に死因にするな! 僕は罪無き人間は殺さない善良な一般市民だぞ!」

「善良な一般市民は、特定の人物に付き纏ったり妨害紛いのことはしないんだが………ああっ、もう……お前と話してるとイライラしてくる」

「何がそんなに気に食わないんだ? 僕は怒らせるようなこと言ってないのに」

「そういうところだ!」

「なんだそれ? 曖昧な言い方だな。それに、どうせ本気で怒ってないんだろ? なら馴れ合いのうちだ。こうして友情は築いていくんだよ。学校でもやってみ? すぐにボッチ卒業できるぞ?」

「お前と友達になった覚えはない! それに友達なんていらない! 余計なお世話だ!」

「え? 僕達友達だろ? 毎日こうやって連れ立って歩いてるのに? 特に約束したわけでもないのに毎日ばったり会って、夜遅くまで一緒にいるのに?」

「それはお前がっ……ああっ、もういい!」


 このままじゃいつもと同じだ―――真信乃は無理矢理口をつぐみ、興奮した気持ちを抑えつけた。

 仲斗のペースに乗せられて良い気分になったことはない。こいつはオレを怒らせて遊んでいる。オレが年下だからって馬鹿にしてるんだろうが、いつまでもおもちゃにされるつもりはないぞ。

 強い反抗心のこもった目で仲斗を睨み上げる。しかし、彼の視線は周囲に向けられていた。


「今日は出ないかもなあー」

「それに越したことはない」

「そうだな。何事もない平凡な日々が一番幸せだもんな」

「仲斗が付き纏わなければ、オレも平凡な日々を過ごせるんだが」

「なに? 僕がいると平凡じゃなくなるのか? 嬉しいなあー。そこまで真信乃に特別視されてるとは」

「オレの平和を脅かす要注意人物としてだ!」

「そんな風に言わないでくれよー。僕は真信乃がいると、毎日楽しく過ごせるぞ?」


 そりゃ、おもちゃで遊ぶのは楽しいだろうな―――またヒートアップしそうになったので、真信乃はぐっと言葉を飲み込んだ。仲斗と同様、周囲を注視しながら街を歩く。

 何事もなければ一番良い。ただ仲斗と過ごしたことになるのは癪だが、裏を返せば、彼へのストレスが溜まるほど世間は平和だったと評価できる。そう考えれば、嫌な思いも多少は報われる。まあ一番良いのは、こいつに付き纏われずにパトロールを終えることだが―――真信乃はそんなことを考えつつ、通りかかった路地裏に目をやった。

 ―――まさに、〝その瞬間〟を目の当たりにした。


「ッ―――!」


 突然視界が強い光に包まれる。真信乃は咄嗟に仲斗を捕まえようと手を伸ばしたが、既にそこにはいなかった。

 また先を越される―――若干の焦りを抱きつつ、しかし冷静に、ジャケットに装着したマイクをオンにし、口元に近付けた。


「『転生士』が発生した。至急応援求む。場所は……」


 インカムからの応答を確認した頃には、光は収束に向かっていた。光にやられた目を凝らし、真信乃はターゲットを捉える準備をする。


「やっと……! やっと支配できた!」


 光が消えた頃にこだまする、ハスキーな女の声。周囲の人々は唖然として一点を見つめていた。光の発生源―――路地裏で夕空を仰ぐ、スーツ姿の女を。


「これでやっと未練が晴らせる!」


 叫ぶ女は、ビルの壁を素手で破壊した。轟音と砂煙に紛れ、そこから中へ入っていく。真信乃と仲斗は同時に駆け出し女を追いかける。


「仲斗! 手を出すな!」

「人手は多い方がいいだろ?」

「それじゃあオレの指示に従え!」

「それは断る!」


 ビルの中に入ると、オフィス内には悲鳴と鮮血が飛び散っていた。女に殴り飛ばされた中年男は、壁に全身を打ち付け骨が折れた。女の足元にいた若い男は逃げようとしたが、後頭部を掴まれて床に叩きつけられた。


「やめろ転生士!」


 ジャケットの内ポケットから拳銃を抜いた真信乃は、怒号と共に銃弾を女へ放った。銃弾は女の胸を僅かに掠った程度だったが、彼女はぎろりと真信乃を睨んだ。


「飛び道具なんて卑怯よ!」


 女は真信乃へと一直線に駆け出した。拳銃をしまい、真信乃は女の拳を避ける。その隙をついて彼女の腕を掴むと、そこから膨大な〝思い〟を吸い取った。同時に、もう片手で自身の腕に触れる。


「離せ!」


 掴んできた腕を叩き折るように、女は拳を振り下ろした。しかし彼女の予想に反して、真信乃の腕が粉砕することはなかった。


「なっ……!」

「お前の未練は、快楽殺人か?」


 平気な顔をしている真信乃に、女は僅かな恐怖を感じた。

 私の魔力は「強化」。壊せないものなんてないはずなのに―――手を振り払い、女は真信乃と距離を置いた。


「やっと支配できたと言っていたが……なるほど。お前のような殺人鬼を世に出すまいと、宿主は最期まで抗っていたんだな」

「そっ……そうよ! ムカつくんなら殺してやるって言ってやってんのに、全然聞こうとしなかったのよ! それで傷付いてるのは自分だってのにね!」

「ムカつくからって殺していいわけないだろ!」

「じゃああんたはなんで私を殺そうとしてるのよ!」

「人を殺したからに決まってるだろ! お前は悪だ! 悪は滅ぼす!」

「都合の良いこと言ってんじゃないわよ!」


 怒号を放ち、散在したパソコンを真信乃に投げつけた。魔力で強化された腕力によって、それは豪速球にも近い速さで飛んだ。それでも真信乃は難なく全てかわす。


「はあ!? なんで避けられるのよ!」

「敵に種明かしなんかするかよ」

「ッ〜! なんなのよあんた! ほんっとムカつく!」

「短気は損気だぞ!」


 真信乃が女の眼前まで迫った。彼女は迎え撃つべく拳を振るう―――しかし、肉の感触はしなかった。

 既にその時、真信乃は背後に回っていたために。


「ッ―――!」


 女は死を覚悟したが、それは訪れなかった。真信乃は女の首を狙って手を伸ばしたが、仲斗に蹴り飛ばされたからだ。

 突然の助け舟に唖然とする女だったが、今度は自身の両手首を掴み上げられた。


「ちょっ……!」

「僕は味方じゃないぞ?」


 その意味を女は悟った。仲斗から流れてくる魔力は、自分を含めた「転生士」を殺すものだった。

 早く逃げないと―――そう思った刹那、彼女は仲斗に投げ飛ばされた。直後、女がいたところへ真信乃が飛び込んできた。


「邪魔するな! 仲斗!」

「毎回そう言うんなら、僕も毎回同じ答えをしてやるよ―――それはこっちの台詞だ」


 真信乃と仲斗……黄色と深紅の鋭い視線が交錯する。

 今すぐ仲斗を逮捕してやりたいが、十分な理由もなければ、そんなことをしている時間もない―――真信乃はすぐに視線を移す。女は置かれている状況を理解できていないようだったが、二階へと逃げていった。


「ほら見ろ! お前が邪魔したせいでまた被害者が増える!」


 真信乃と仲斗も駆け出し階段をのぼっていく。


「だからあ、赤の他人がどうなろうと僕には関係ない。真信乃、お前にだって関係ないだろ?」

「関係あろうがなかろうが、彼らが理不尽に殺される状況を作っていいわけがない!」

「相変わらず正義の味方気取りか。とことん真信乃とは意見が合わないな」

「そう思うならオレに付き纏うな!」

「断る~! お前についていれば転生士に遭遇しやすいからな。真信乃は転生士ホイホイだ」

「誰がホイホイだ! いい加減怒るぞ!」

「もう怒ってるだろ」


 二階に到着すると、惨劇は繰り返されていた。無差別に殺される罪無き人々、荒れ果てるオフィス……さっき女を仕留めていれば、この人達は助けられたのに―――真信乃は怒りのままに叫んだ。


「やめろ! 殺人鬼!」

「チッ! また来たわね!」


 女は取り押さえていた男を無造作に投げ捨て、オフィスから逃げた。真信乃と仲斗も廊下に出て追いかける。そこまで広いビルではなく、女が逃げ込んだ部屋は女性用更衣室だった。当然行き止まりで、三人は対峙する。


「もう逃げ場はない。観念しろ」


 真信乃は再び拳銃を構えた。仲斗はフォールディングナイフを開いて見せる。二人は決して味方同士ではなかったが、女にとっては敵が二人であることに変わりなかった。その現実に、彼女は子供のように癇癪を起こす。


「もおおおっ! 何なのよあんた達! どうして私を殺そうとするの!」

「お前が殺人をした悪だからだ!」

「へえ! じゃああいつも殺しなさいよ! 私の宿主の上司! あいつが無茶な仕事を押し付けたせいで過労死した人間が何人もいるのよ!」

「あいにくだが、オレは『転生士』および『魔導士』の犯罪を扱う『騎士団』だ。一般人を裁くのは専門外なんだよ!」

「ああもうっ! じゃああんたもそうなの!?」


 女がぎろりと仲斗を睨む。彼は刃先を女に向けたまま、微笑を浮かべた。


「いや? 僕は転生士が許せないだけだ」


 女は身震いした。口元は笑っているが、目は笑ってなどいない。むしろ、隠しきれないほどの憎しみが溢れている。初めて会ったというのに、「転生士」というだけでこれほどの憎悪を向けてくるなんて―――女は恐怖に囚われた。

 ―――その一瞬をついて、仲斗が女に飛び込んだ。


「なッ―――」


 ナイフは女の左腕に、そして仲斗の片手は女の右手首を掴んだ。再び彼の魔力が流れ込み、女は死に直面する。


「また勝手に!」


 真信乃も怒鳴って駆け出した。

 このままじゃ確実にどちらかに殺される―――女は薄れていく意識の中、ナイフが刺さった方の拳を強く握った。


「殺される……もんかあああああ!」


 女は背後の壁を思いっきり殴り壊した。室内は砂煙に包まれ、真信乃は彼女らの姿を見失う。

 続けて女は仲斗を殴り飛ばした。その体は勢いよく吹っ飛び、女は解放される。破壊した壁の先に床はなく、女はバランスを崩して落下した。


「いたた……外?」


 全身を打ち付けたが、女はすぐに起き上がった。彼女の頭上には、砂煙が上がるビルの一角が見える。そこに目もくれず、夕日の暮れる方へ、女は路地裏を駆けた。


「私は生き残る! やっと転生に成功したんだから! 早死になんかするもんですか!」


 ―――人を殺すことにハマってしまった。これは、「強化」の魔力を持った者の業だと思う。

 簡単に、お金もかからない娯楽……それが、人を殺すこと。小枝を折るように、紙をくしゃくしゃにするように、人を殺した。人を殺せた。あまりに脆くて、神になったような気分になれた。

 音も素晴らしかった。骨が折れる音、臓器が潰れる音、絶望で泣き叫ぶ音……どれも同じようで、人によって全く違う。だから面白い。この人はどんな音を奏でるのだろうと、気になると我慢できなくなって殺した。録音しておけばと今になって思う。

 人をもっと殺したい―――そんな未練を残した結果、私は無事に転生した。

 ―――そこまでは良かった。

 宿主を支配することがなかなかできなかった。正義感に溢れ、意思の強い私の宿主。弱みにつけ込んでも、心が折れることはなかった。

 毎日毎日、退屈でつまらなかった。殺人なんて近くでは滅多に起きない。毎日テレビでは報道されるのに、どうして私の近くでは起きないのか、全く不思議だった。

 でも―――もうそんな心配しなくて済む。だってこれからは、私が手を下せばいいんだもの。昔みたいに、目の前で奏でてもらえばいい。演奏者は腐るほどいる。録音機器も揃えられる。やりたかったことができる喜びに、私は笑わずにはいられなかった。


 さあ、始めよう。私の第二の人生。後悔が無いように。

 みんな―――私のために、美しい音を奏でて?


「――――――ガッ」


 あと少しで路地裏から出る―――その瞬間、女の背に真信乃が勢いよく飛びついてきた。反動で二人は吹っ飛ぶが、真信乃の腕はガッチリと女の首に回っていた。


「ッ―――!」


 何をされるのか瞬時に理解した女は、真信乃の腕へ手を伸ばそうと―――だが、遅かった。

 そう認識したときには既に、女の首は折れていた。


「キャアアアアアッ!」


 突如路地裏から吹っ飛んできた真信乃に、見物人達は驚いて後退した。彼はガードレールにせき止められて道路に飛び出ずに済んだが、ガードレールは思いっきりへこんでしまった。野次馬は彼を遠巻きに囲むが、彼が抱えている女が屍だと分かると、驚愕と悲鳴があちこちから上がった。

 全身の痛みをこらえ、真信乃はすぐにジャケットを遺体に被せる。合掌した後、こちらへ駆けつける同僚達を怒鳴りつけた。


「遅い! もう終わったぞ!」

「仕方ないだろ! 警報出してたんだから!」

「その割には野次馬だらけなんだが?」

「すぐ言うことを聞く社会ならこんな事件とうに無くなってるよ! ほら離れて離れて! 死人の写真なんて撮るな!」


 野次馬を遠ざけ、現場には規制線が張られた。続々と警察、救急車、そして真信乃の同僚―――「騎士団」の人間がやって来て、事件の後処理を進める。女の遺体は死亡を確認され、警察が引き取った。

 真信乃は警察に事の顛末を聴取された。顔馴染みの警官が相手だからか、あっという間に話し終えて解放される。

 ふう、と真信乃がひと息吐くと、筋肉質な腕が彼の肩に回った。


「今回も勝てると思ったんだけどなー」


 その発言とは裏腹に、仲斗は愉快そうに笑った。真信乃は彼の全身を眺め、むっとして睨む。


「なんだ、無事だったのか」

「あれ? 嬉しそうだな?」

「そう見えるのなら、幻覚が見えてるんだな。さっさと帰って寝ろ」

「え? 真信乃も一緒に帰るだろ? 昨日も一昨日も一緒に帰ったじゃないか」

「お前がついてきてるだけだろ。それに今日は事後処理で忙しいんだ。無職のお前と違ってな」

「無職だけどな、僕の活動に賛同する心強い仲間がたくさんいるんだよ」


 仲斗はおもむろに自身の服をめくり、身体に巻かれた黒い包帯を外し始めた。


「これ、知ってるか?」

「魔力を吸収するってやつだろ」

「そ。外からの魔力を吸収して無効化してくれる、スグレモノ」

「どこが優れものだ。使い切りのくせに馬鹿みたいな値段するだろ」

「そうなんだよ。一ロール二十五メートルなんだけど、いくらしたと思う?」

「さあ……一万くらい?」

「その十倍だ」


 絶句した真信乃。巻くだけでどんな魔法も無効化される―――人によってはたしかに買いだが、如何せん値段が高すぎる。しかも頑丈でも防水でも何でもないので、事あるたびに外す必要があり、使い勝手も悪い。それなのに十万も出したのかと、真信乃は仲斗の執念に初めて恐怖した。


「そこまでして転生士を処置したいか……」

「当たり前だろ。そうしなきゃ本当の意味での解決にはならない。それに、処置も案外大変なんだぞ? 人の記憶を消すっていうのは、人の〝思い〟に立ち向かうってことだ。真信乃も一回やってみ? コツは、ひたすら手を伸ばして心を鷲掴む感じだ」

「分からないし、オレにはできないから。それに何度も言ってるけどな、その処置を待ってるせいでさらに被害が大きくなったら本末転倒なんだよ。なんでお前は、未来の他人を気遣って目の前の他人を見捨てる?」

「転生士に不幸にされる人間を増やしたくないからだ。真信乃こそ、どうして賛同してくれないんだ? 僕の処置こそ本当の正義だと思わないのか?」

「処置したとしても、また新たな転生士がどこかで生まれる。いくら処置しても、転生士の発生自体は防げない。だったら意味がない。諸悪の根源が無くならない限り、処置には反対だ。つまり、仲斗には未来永劫賛同しないということだ」

「相変わらず屁理屈ばっかりだな。そうやって問題を先送りにして偽善気取って」

「オレは天秤にかけた上で判断してるまでだ。偽善じゃなく、最善を尽くしている」

「真信乃の短所は、考えが浅はかなところだな」

「仲斗の短所は、理想を振りかざして被害を増やすとこだ」


 二人は睨み合った。事件の後はいつもこうした口論になる。そして「こいつとは分かり合えない」と改めて認識する。それがルーティンの一部となっており、ここへきてやっと仲斗が帰路に就き、真信乃は一人になることができるのだ。


「真信乃、聞き忘れたんだが」


 先ほど真信乃を聴取した警官が戻ってきた。彼は辺りを注意深く見回し、真信乃に耳打ちする。


「洗脳は、されてなかったんだよな?」

「ああ。ちゃんと自我があったし、オレの魔法も使えた。今回は洗脳されてない」

「そうか。不幸中の幸い……とでも言うべきかな」

「どっちだとしても、大して変わらないだろ」

「ま、そうだな。ああ、ちゃんと報告書書けよ。事件後二十四時間以内に提出だからな!」

「分かってるって!」


 現場へ戻る同僚を見送り、真信乃はその場を立ち去った。

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