第27話 ガキが……おめーの肉にヤクが入ってるから何だってんだよ?

「ガキが……おめーの肉にヤクが入ってるから何だってんだよ? 俺が入れたと決まったわけじゃねーだろうが!」


そう言う秘書は、近くに立つ使用人の襟首をつかみ引き寄せる。瞬間、秘書の腕が素早く動き使用人のポケットへ。


「ヤクを入れたのはこの使用人や! こいつを身体検査してみろや!」


おそらくは今の瞬間。咳止め薬の入った瓶を使用人のポケットへ入れたのだろう。


予想以上の早業。思わず油断するその隙に証拠品をなすりつけたというわけだが……そもそもの話。


「氷香さん。警察に連絡してもらって良いだろうか?」


「んなにい?!」


俺たちがいるのは日本国は高級タワーマンションの最上階。電話が通じず助けを呼ぶことのできない嵐の山荘ではないのだから、犯罪となれば警察を呼ぶのが法治国家として当然の流れである。


「てめー……まさか鑑識を呼ぶつもりか?!」


当然。21世紀の科学捜査でステーキソースに入れられた咳止め薬が何であるのか分析、特定する。そうなれば後は人海戦術。該当する咳止め薬を購入したのは秘書か使用人のどちらか?


「写真を片手に聞き込み調査をすれば、咳止め薬の真の持ち主が判明する」


今は真夏。咳止め薬を買う者は珍しく、特定に時間はかからないだろう。


「出来れば警察沙汰としたくない。刑事訴訟となる前、秘書の方には自分の罪を認めてもらいたいのだが……どうだろうか?」


「……ふっ。ぶははっ。」


だが、絶体絶命の危機にも笑い声を上げる秘書の女性。


「なーにが刑事訴訟やねん? ああ? 訴訟してみろや?」


あろうことか目つきも狂暴に俺を挑発する。


「お前アホやろ? 俺が買った咳止め薬がステーキソースに入ってたから何やねん。うっかり俺がこぼしただけやろがい。それとも何や? 日本じゃ料理に咳止め薬を入れただけで逮捕されるんか? おおん?」


おのれ……残念ながら秘書の言うとおり。市販薬である咳止め薬を料理に入れたからといって犯罪でもなければ罰せられることもない。


「なーにが氷香さん。警察に連絡してもらって良いだろうか(キリッ)じゃい。警察を呼んだところで意味ねーっつーの。お前、俺を笑わせてどないすんねん?」


むぐぐ……だからこそ警察ではない。秘書が自分から罪を認めるよう勧告したわけで……そんなんお前。警察が逮捕してくれるなら最初から110番しとるわいアホボケカス。と言いたいところである。


だとしても……普通は自分に後ろめたい行為がある場合、それを指摘されれば驚き委縮するもの。例えはったりであろうとも警察を呼ぶと言われれば罪を認め謝罪一択となるのが普通であるはずが……


「ふーむ……秘書よ。確かに君を罰することはできないだろうがね……私は君の雇い主。君を懲戒解雇することは出来るのだよ」


「おいいい!? ジジイてめええ! ここで解雇されたら俺がお前の後妻になってウハウハ議員の妻生活が台無しじゃねーか!」


重大な職場規律違反を犯した従業員に対する制裁となるのが懲戒解雇。退職金の支払いはなく、今後の就職にも大きな悪影響を及ぼすことから、労働者にとっての死刑宣告にも例えられる。


すくなくとも今後、議員の秘書となることは無理だろう。逮捕。罪を償わせるまではいかなくとも、十分なダメージを与えたというわけで。


「あーあ。ジジイ先生と結婚、俺が後妻となった後にジジイ先生と娘は事故死。俺が遺産を丸々いただき乗っ取り完了っつー穏便な計画が、何でこうなったんや……」


「秘書よ。どうして弥美くんとその息子くんのステーキにヤクを入れたのかね?」


「そんなん俺がジジイ先生と結婚するのに邪魔やからや。ババアとそのクソガキが無様にヤクでラリる姿を見たら、ジジイ先生の恋も1発で目が覚めるやろ?」


それで咳止め薬を入れたというわけか。俺と母の頭をハイにする程度なら本格的なヤクは必要ない。咳止め薬で丁度良いというわけだ。


「秘書よ。お前がお金にがめついのは気づいておったが、帳簿を誤魔化す位ならと目を瞑っておったが……まさかここまでドス黒い本性であったとはのう……」


「俺かて今まではちゃんと猫を被って地道にやってたんや。それがこの部屋のこの匂い。こいつを嗅いでから何や調子が狂うんやが……なんでやろ?」


もしかして俺の焚くアロマセラピーを言っているのだろうか?


部屋に充満するのは癒し魔法の魔力を含むアロマの蒸気。疲労回復、体調が良くなることはあっても、調子が悪くなることはないはずだが……


「まあ。ええわ……ほなな! こいつは最後の置き土産や!」


そう言う秘書は目の前。俺の皿に乗っていた松阪牛シャトーブリアンを手に取ると──


「おめーの自慢の娘さん。顔に傷が残らなければええけどなあ!」


秘書には野球の心得でもあったのか?

女性とは思えぬ見事な投球フォームから放たれるステーキ肉。その向かう先は氷香さんの顔であった。


ビターン


豪速球と化した焼きたて熱々のヤク入りステーキが顔面に直撃する音。


「ひ、氷香あああ!?」


絶叫する東堂先生だが……ステーキが直撃したのは氷香さんではない。


「うぐう!? 熱くて痛い……ぐふぅ……」


氷香さんを庇いステーキを顔面に受け止めるのは使用人の女性。

衝撃に口から歯をまき散らして地面に倒れ込むその身体。


「癒せ。神の奇跡。メジャーヒーリング」


俺は即座に抱え、癒し魔法で治療する。


「むう?! まさか使用人。氷香の身代わりに!? ……と驚いたが、まるで怪我がないようだね?」


顔面に直撃したとはいえ元々が柔らかさに定評ある松阪牛シャトーブリアン。たいした怪我がないのもそれが理由かと納得する東堂先生だが……


実際は俺の癒し魔法が無ければ、鼻骨骨折に歯の数本を失う大惨事。まあ俺の癒し魔法は誰にも内緒の能力であるのだから当然、話す必要もない。


「使用人。どうしてこのような無茶をしたのだね?」


「ご主人様。すみません……私は、私はご主人様に一服盛ってしまいました……」


「どういうことだね? ヤクを盛ったのは秘書ではなかったと言うのかね?」


「いえ。私が盛ったのは媚薬。媚薬をご主人様のお皿と、そちらの平良の奥様のお皿に……」


「媚薬だと? どうしてそのような真似をしたのかね?」


「ご主人様への恩返しを……ご主人様がそちらの平良の奥様を好いておられるようでしたので、発情、同衾させようと……差し出がましい真似を申し訳ありません」


ヤクではないにしろ媚薬を盛ったのは事実。その後ろめたさから東堂先生の問いかけに、紛らわしくも顔を青く身体をガタガタ震わせていたというわけだ。


しかし媚薬か……どうりで東堂先生のお肉を食べたマメチャン。今も俺の足にしがみつき腰を振るわけだ。


「使用人。まさか私の娘を守るためステーキを自分の顔面で受け止めるとは……しかも今まで気づかなかったが、なかなか可愛い顔をしておるではないか」


床を起き上がろうとする使用人の身体を支える東堂先生。どうやら独り身であった東堂先生にも新たな恋が見つかったようで……


「これからも我が家の使用人として。いや、これからは秘書として私を手助けしてくれないかね?」

「恐れ多いお言葉……ありがとうございます」


2人がくっつくなら東堂先生の母に対する執着も消え失せる。母が寝取られ我が家が崩壊する恐れもなくなったというわけで、めでたしめでたしな結末である。


唯一めでたくないことといえば、ステーキを投げつけた元秘書の姿。すでに部屋を飛び出し、タワーマンションから姿を消していることである。

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