第26話 「……これ。ヤクです」
俺は母の差し出す松阪牛シャトーブリアンを噛みしめ喉奥へと飲み干すと、ポツリ呟いた。
「……これ。ヤクです」
俺の口内に残るのは強烈な肉の旨味ではない。シビれるようなヤクの苦みであった。
「……ふむ。
衝撃の報告にも冷静に聞き返す東堂先生だが、どういう意味も何も。
「ヤクは麻薬のヤクです。何のヤクかは分かりませんが明らかに肉ではないこの味。ヤクの味です」
異世界は剣と魔法のファンタジー世界。モンスターと戦う際、精神を落ちつけるべくヤクを利用する者も大勢いた影響。薬物中毒を癒す流れでヤクに触れる機会も多く、俺はその味についても知っているというわけだ。
「まあ! ヒロくん吐き出しなさい。すぐによ!」
「大丈夫。この感じ、毒物ではないから平気だ」
幸いにも俺の身体は高LV。多少のヤクでどうこうなるものではない。仮に毒であっても浄化魔法もあるのだから、まるで平気である。
惜しむらくはヤクの種類までは俺にも分からないことであるが……
「ステーキソースに、オピオイド系の鎮痛薬が入っています」
断定する氷香さんの口調。そうか、PSYアナライズは鑑定魔法。相手の心を読み取るだけではない。対象の物体が何であるかをも鑑定する。
さらに詳細を調べようというのだろう。ステーキソースを指ですくい上げる東堂さん。
「オピオイド系の鎮痛薬にはアヘン、モルヒネ、フェンタニルなどありますが……今回、入っているのはコデインです」
「アヘン、モルヒネ、フェンタニルといえば麻薬か……だが本当にそんな麻薬が入っているのかね? 食事を準備したのは……」
訝しむ東堂先生の目は夕食を準備した者。使用人へと向けられる。
「どうなのかね? 娘はこれに麻薬が入っていると言うが、君に心当たりはあるかね? 出来れば騒ぎを大きくしたくない。正直に話して貰えると助かるのだが……どうかね?」
「わ、私は知りません。そんな麻薬なんて……私はただ……」
東堂先生が使用人を疑うのは当然。そして使用人が犯人であろうとなかろうと、知らないと答えるのもまた当然。
だが、使用人が何と答えようとも無駄というわけで……
PSYアナライズ。俺は氷香さんを振り返る。
だがそれより前。盛大な反応を示すのは秘書の女性。
「使用人! あんたあ! 恩ある先生になんて真似を! あんたのその顔を見れば誰がやったかなんて一目瞭然ですよお!」
何も知らないといいつつも真っ青となる使用人の顔。その身体は大きくガタガタ震えていた。確かにPSYアナライズなどなくとも使用人を見れば何かを隠していることは明白である。
「まさかな……使用人として採用してから5年の付き合い。残念だよ。家族も同然に思っていた君がそのような真似を……」
「先生を裏切るなんて許せませんよこいつはあっ! 先生。後の処理は俺に任せてください。こいつはソープにでも沈めてやりますから!」
秘書が使用人の腕を掴み取り引きずり出そうとする。そんな最中。
「……本当にそうでしょうか? 事前に料理へ薬を入れるなら他の者でも……秘書の貴方にもできますよね?」
ようやく口を開いた氷香さん。丸く治まるかに思えたヤク騒動を余計に引っ掻き回しただけに思えるが……
PSYアナライズを持つ氷香さんがそう言うなら、そうなのだろう。
そもそもが秘書の女性。まるで使用人を追い出すことで、ヤク騒動を打ち切りたいといわんばかりの騒ぎよう。
「はあ? ちょっとお嬢さん。いったい何を……麻薬が入っているのは料理で、その料理を準備したのは使用人なんですよ? 事前にキッチンで麻薬を入れたに決まっているじゃないですか?」
「はい。そして秘書の貴方がキッチンにいる姿。私と彼とで見ています」
さりげなく俺を巻き込むのは止めてもらいたいところであるが、確かに氷香さんにトイレを案内してもらうその際。秘書と使用人の2人がキッチンで話す声は俺も聞いている。
「ふーむ。そういえば秘書は料理の準備を確認すると、幾度もキッチンを出入りしておったな……」
「いやいや。先生! 何を絆されてるんですか!? 俺は秘書なんですから料理の段取りを確認するためキッチンを出入りするのは当然ですって!」
お客さんへ料理を出すにもタイミングがあり、調整のため秘書がキッチンを出入りするのも、もっともな話である。
「それに何ですか麻薬って!? 俺はそんなものは持ち歩いていません。仮に身体検査をしたって麻薬なんざ出てきやしませんから! 言い掛かりもはなはだしいっすよ?!」
大声で抗議する秘書の剣幕にも。
「私は麻薬とは言ってませんよ? 料理に入っていたのはオピオイド系鎮痛薬のコデインで、コデインには咳を抑える作用があります」
変わらず無表情で答える氷香さん。
「貴方……夏風邪だと言っていましたよね? 今も咳止め薬を持ち歩いているのではないですか?」
「ごほおっ?!」
そうか。
市販薬に入っているコデインは微量でも、大量に摂取するならヤクにも似た効能を発揮する。俺がヤクの味に気づいたのも、大量に入れられた咳止め薬がステーキソースの味を変化させたのが原因というわけだ。
「し、知らねーよ。なんすか咳止め薬って? いくら先生の娘さんだからって、変な難癖つけるなら許せませんですよお?!」
秘書として人前に出る以上、咳を抑える必要があるというわけで、懐を庇う秘書の女性。まだそこに咳止め薬があるのだろう。
「なるほどのう。オーバードーズ。確かトー横の若者がどうのといった議題で聞いた覚えがあるな……」
「ちょっと先生! いくら自分の娘だからって、そんな出鱈目な詭弁に騙されるようでは次の選挙ヤバイですよ? 目を覚ましましょうよ?!」
「あらまあ。でも自分の子供のいうこと。親なら信じたくなるのは当然ですわよねえ」
「あらまあじゃねーんだよ! てめーババアのくせに先生に媚びうりやがって、お前も容疑者の1人ですからね? つーか冷静に考えれば部外者であるお前ら親子2人が一番怪しいじゃねーかこのヤロー!」
ふむむ。どうやら今度は俺と母さんに疑いをなすりつけようという、この流れ。実際に部外者なのだから疑われるのも無理はないのだが……
口角泡を飛ばす秘書の勢い。黙ってこのまま犯人とされてはたまらない。
「秘書の方。ステーキソースへの大量の咳止め薬。つまりはヤクを入れた犯人がいるとして、その犯人は自分の料理にもヤクを入れるだろうか?」
そんな俺の疑問。
「ふむ。息子くんの食べたステーキは羨ましくも
「ヤクが入っているのは平良お母さん。平良お兄さん。この2人の料理だけです」
答えるのは氷香さん。PSYアナライズで調べたのだろうから間違いはない。
「うむ。犯人は自分の料理にヤクは入れない。となると弥美くんとその息子くんは無関係ということか……」
「ちょっ待てや先生?! そもそも先生の娘さんに何でヤクが入ってるかどうかなんて分かるんすか?! このアマ、議員の娘だからって適当ぶっこいてるだけやろ!?」
形勢不利となり焦るのか。まるで秘書とは思えぬ乱暴な言葉遣いとその目つき。
「ふーむ、だがのう。氷香には不思議と勘の鋭い面があってのう? 5年前からだったか……親の私も幾度も驚かされているものだが……」
「馬鹿か! んなもん詐欺師の手口やないけ! 本当にそんな勘が良いなら宝くじで億万長者になってるわい!」
遂には仕えるはずの東堂先生にも向けられるその暴言。
大丈夫か? 仮に今回のヤクに無関係だったとしても、秘書をクビになるのではと心配にもなるその態度。
「だいたいよお? 料理にヤクが入ってるとかガキども2人が出鱈目言ってるだけやろ? 嘘を嘘と見抜けねーと議員になれねーぜ先生?」
秘書の言うことにも一理あり、氷香さんの言う内容。PSYアナライズを知る俺には事実と分かるが、当然、他者にはそれが分からない。
となれば、他の料理にはヤクが入っていないその証拠。
「目に見える形で証明する。マメチャン!」
「わんわん!」
俺の呼びかけにマメチャンは全速力で俺の元まで走り寄る。
「先ほど東堂先生の放り投げる松阪牛シャトーブリアンを食べたばかりにも、元気いっぱいのマメチャン。つまりは東堂先生のお肉にはヤクが入っていないという証拠だ」
「ふーむ。なるほどのう……」
というより元気を越えて精力一杯のマメチャン。俺の足へと4つ足で抱き着き腰を振っているが……まあ元気なのは良いことであるというわけで。
「続いて……そら! マメチャン! 松阪牛シャトーブリアンをもう3枚だ!」
俺は氷香さんの皿。秘書の皿。使用人の皿から続けて松阪牛シャトーブリアンを取り出し、マメチャンへと放り投げる。
「わんわん!」
大喜びでお肉にかぶりつくマメチャン。全てのお肉を食べ干してなお元気いっぱい。その身体に何の異常もない。
「これで、これらのお肉にヤクの入っていないことは分かって貰えただろう。そして最後に残るは俺の皿に乗ったお肉だが……」
氷香さんが言うにはヤクの入った俺のお肉。
「秘書の方。これを食べる勇気が貴方にあるだろうか?」
「なっ?!」
俺の指摘にプルプル震える秘書の女性。食べられないのも当然。何せヤクを入れたのは自分なのだから、食べられるはずがない。
「つまりは秘書であるお前の身体の震え。それこそが俺の料理にヤクが入っていると示す何よりの証拠である」
これにて氷香さんの言った内容。俺と母の料理にヤクが入っていたことが証明され、俺と母の無実が証明されたというわけだ。
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