第25話 俺が行方不明から戻ったことを祝ってのお茶会。
東堂さんの高級タワーマンション。その一室で行われるのは、俺が行方不明から戻ったことを祝ってのお茶会。
「その。トイレをお借りして良いでしょうか?」
贅を尽くしたお茶菓子とお茶に少し飲み食べしすぎたか。俺は席を立つ。
「ヒロくん。トイレの場所は分かる? ママが着いて行こうか?」
「私が案内します」
そう言って立ち上がるのは東堂さん。先導しようというのだろう。さっさと歩いて部屋を出るのに続いて俺も部屋を出る。
「にしてもさすがはタワーマンションの最上階。部屋の数が凄いな」
「それよりお兄さん。東堂さんという呼び方。父も居て紛らわしいので止めてもらえます?」
確かに父も娘もどちらも東堂さん。いや、だが父の方は東堂先生と呼んでいるので間違えないとは思うが……
「紛らわしいです」
「分かった。それでは、ひょ、
うむむ。女性を下の名前で呼ぶなど、まさにリア充そのもの。さすがの俺でも少し緊張するというものである。
「いつも朱音さんのこと呼び捨てですが?」
あれは妹だからノーカウントなのである。
そんなこんなでトイレへ向かうべく廊下を歩く俺たちの耳に聞こえるのは、キッチンから聞こえる女性2人の話し声。
「はあ。なんなの? あの平良とかいうおばさん。ババアの癖に俺の先生に色目を使いやがって……」
「そうですか? あれはご主人様の方がご執心のように見えますけど……」
「ええか? 妻を失った先生の後妻になるのは俺。お前はただの使用人なんやから立場をわきまえろや? あ?」
「そ、そんな……私は何も。それに貴方も秘書なんですからご主人様に言い寄るような真似は……」
「アホか。言い寄るも何も俺があんな色ボケオヤジの秘書やってるのは後妻になって遺産を分捕るためや。お前も本当はそうなんやろ?」
「い、いえ。私はご主人様にお世話になったその恩返しで……わ、私はそろそろお茶の交換に行ってきますので……」
2人の声は止まり、客室へ向けてワゴンを押す音が遠ざかる。
ふむむ。さすがは議員先生。お金と権力のある場所には、腐臭を狙った獣も集まるというわけで。
「なかなか大変そうだが、大丈夫か?」
「心配無用です」
まあ、PSYアナライズ。相手の心を読むその能力。確かに心配はいらないだろう。
その後。
「
「そうですねえ。貯蓄も無くなりましたし、また仕事を始めようかと考えていますわ」
貯蓄がなくなったのは俺が原因。行方不明となった俺の捜索。色々とお金が必要だったと聞いている。
「うむ。それならどうかね? 私の秘書でもやらないかね?」
「あら? ですが東堂先生。もう秘書の方がいらっしゃいますよねえ?」
東堂先生は周囲に秘書の姿がないことを確認すると声を潜める。
「うむ。彼女、なかなか優秀なのだが……少しお金にがめついというか帳簿に不審な点がな……」
「あらあ? 東堂先生、大丈夫なのですかあ?」
「うむ。議員となれば多少の賄賂やキックバックは必要。だとしても彼女は少しやり過ぎに思えてね……」
さすがは東堂先生。海千山千の議員だけあって秘書の怪しい動きに感づいているというわけだ。
「お誘いは嬉しいのですが東堂先生。実は私、またデパートの仕事に戻ろうと思いまして」
行方不明となった俺の捜索のため仕事を辞めていた母だが、俺も見つかり落ち着いた今、仕事に復帰しようというのだろう。
「そうか。デパートでは化粧品フロアを担当。確かネイルサービスだったかね?」
「ネイルサービスといってもマニキュアご購入のお客様に使い方をお教えする程度ですよ。ヘルス&ビューティー。美容と健康用品の担当です」
何と?! 以前の俺は母の仕事。それ程に興味もなかったため知らなかったのだが……
「化粧品はもちろん、健康サプリやアロマにお香なんかも取り扱っているのですよ」
アロマといえばつい最近、俺が購入。リラクゼーションに活用を始めたアイテムがアロマディフューザーである。
「それなら平良さんのお母さん。デパートではなくてご自宅で商売を、ネイルサロンなど初めてみてはどうです?」
などと2人の会話に割り込むのは氷香さん。
「あらまあ。そうですねえ。自宅でネイルサロン。興味あるのは確かなんですけど……先立つものがねえ」
「お父さん。出してあげたらどうです?」
「む? うむ……」
うむむと腕組み。悩んでみせる東堂先生。
自宅でネイルサロン。俺は詳しくはないが、爪を化粧するようなもので上手く営業するなら婦女子に人気のサロンとなるだろう。
だが、世にネイルサロンが無数に存在する中、多少ネイルをかじった程度の母が成功するのは難しい。いくら東堂先生であっても、そう簡単に資金を貸し出せるはずがない。
成功するにはネイルだけではない。他に何か付加価値が必要となるだろうが……
「東堂先生。ネイルサロン開業に必要な資金。どうか母さんに貸し出してもらえないでしょうか?」
「まあ?! ヒロくんどうしたの? いきなり」
付加価値が必要だというなら、俺が付加してやれば良い。
「俺も協力する。だから母さん。自宅ネイルサロンをやろう!」
「ヒロくん……分かったわ! 母さんやるわよ!」
「ふむ。盛り上がるのは良いが、個人のネイルサロンなど上手くいくものではない。お金を貸せとは言うが、貸した私が大損する可能性が高いのだがね? もしも返済が滞ったらどうしたものか……」
そう言って母さんの身体をねっとり見つめる東堂先生。最悪、ネイルサロンが失敗したなら身体で返済してもらおうと考えているのだろうが……
「その心配はありません。学校でリラクゼーション研究部に所属する俺のリラク技術と母さんのネイル技術。2つを合わせるなら繁盛は間違いない。少し待っていてください」
俺はリビングを出るとキッチンへ。料理を用意する使用人に話しかける。
「あれ? えーとお客さんの息子さん。何か御用でしょうか?」
「すみません。熱湯を入れたマグカップを貸して貰えないでしょうか? それと冷凍庫から氷を1つ」
マグカップを手に居間へ。東堂先生の前へ戻る。
「何だね? マグカップを抱えてどうするつもりかね? 湯気が出ているということは熱湯を入れているようだが?」
「リラクゼーションの1つとして、アロマセラピーを実演します」
前回、俺は市販のアロマディフューザーを用いてアロマセラピーを実施したが、今回はそのような機械は存在しない。
となれば、熱湯の発する蒸気を利用すれば良いというわけで。
「氷に癒しを閉じ込める。神の奇跡。ヒーリング」
俺は冷凍庫から取り出した氷を握り込み、癒しの魔力を氷塊へと流し込む。その後。
チャプン。
マグカップへ放り入れた癒しの魔力氷がお湯に溶け出すと同時、蒸気となった癒しの魔力が辺りに拡散する。
「ん? 何だこの蒸気? 何か分からんが頭がスッキリするぞ?!」
「んほお?」
混ぜ入れた俺の癒し魔法はAランク。お湯が生み出す蒸気だけでも頭のスッキリ効果は十分に感じ取れるというわけで。
「東堂先生。俺のアロマセラピー。いかがでしょうか?」
母のネイルサロンがオープンした暁にはアロマディフューザーを設置。俺の癒し魔法がネイル中の客の心身を癒すのだから、やみつきとなること間違いない。まさにヘルス&ビューティーを体現したネイルサロンとなるだろう。
「うむ。
こうして母のネイルサロン。その開店資金確保に成功したのであった。
「
「あらまあ。ですが、家では夫と娘がお腹を空かせていると思いますので……」
「そうか……妻を失ってからの5年。我が家は娘の氷香と2人きりの食卓。たまには娘にも賑やかな食卓を味あわせてやりたいと思ったのだが……どうだろうか?」
さすがは議員先生。娘を出汁にしたその説得。大したものである。
「あらまあ。準備していただいた夕ご飯を無駄にするのも勿体ないですしねえ……ヒロくんはどうしよう?」
ネイルサロンの開店資金を貸していただけるのだ。東堂先生にも少しは協力が必要。どうせマメチャンがいるのだから母の心配は必要ないというわけで。
「俺はせっかくだし食事をいただいて帰りたいかな?」
何よりこのような豪邸での夕食。いったいどのような高級料理が出るのか? 興味津々、当然の選択である。
「よし。では秘書よ。使用人へ食事を運ぶよう連絡してくれ」
「かしこまりました……ん? なんや先生!? この部屋くせえ! いえ、少し妙な香りがしませんか……?」
「ん? ああ。弥美くんの息子くんがアロマを使用したからだろうが……臭いかね?」
「そうかあ……いえ、そうですか。料理を運ぶよう使用人に伝えます」
そんなこんなで食卓に着く俺たちの前。使用人により豪華な夕食が運ばれ並べられていく。
「今日はめでたい席だ。お前たちも一緒に。全員で息子くんの帰還を祝おうではないか」
というわけで秘書も使用人も一緒に食事をするべく、卓上に並べられる料理は6人分。いずれもいかにも高級といった料理ばかりであるが、その中でも一際に目を引くのがジュージュー鼻孔をくすぐる音を立てるステーキ肉。
「人数も多いしステーキが冷めては大変です。秘書の私も料理を並べるのを手伝いましょう」
さすがは議員先生の秘書でありその動きは機敏。手早く俺と母の前にステーキが配られる。我が家で食べる物とは見た目も匂いも厚みも明らかに異なるこのステーキ肉。いったい何の肉なのか?
「そーら! ワン公。これが松阪牛シャトーブリアンだ!」
東堂先生が放り投げるステーキ肉。その匂いに釣られたマメちゃん。わんわん母の膝を飛び出し追いかけていった。
マジかよ? マメチャン。お前の母に対する忠誠はその程度であったのか?! お前が母の膝を離れては、いったい誰が母を守るというのか?
だが、よくよく考えればマメチャンが母に忠実なのも毎日の食事をくれるのがその理由。今、目の前に母の食事を越える松阪牛シャトーブリアンを提示されたのでは、裏切るのも無理はないというわけで……
「さあ弥美くん。邪魔者はいなくなった。一緒に食事を楽しもうかね」
ワイングラスを手に、母とグラスを合わせる東堂先生。
むぐぐ。非常に良い雰囲気であるが、俺とて目の前の松阪牛シャトーブリアンに目が釘付けとなる今、東堂先生を制止する余力はない。
哀れ。これでは我が家における父と母は破局。以降、俺と朱音は東堂先生の養子となりその一生を……
待てよ? よくよく考えればその方がお得なのではないか?
哀れなのは母を寝取られる父だけ。俺と朱音は議員の養子として贅沢三昧。毎日が松阪牛シャトーブリアンとなるのだから……
「お父さん、待ってください」
だが、そんな妄想をする俺を他所に、ワイングラスを合わせる母と東堂先生を制止するのは氷香さん。
「今日の晩餐はお兄さん。いえ、比呂さんが行方不明から戻ったお祝いです。まずは比呂さんがステーキ肉を口にしてからが良いのではないでしょうか?」
「うむ。さすがは我が娘。いずれ政界に出るなら気配りは大切だな」
「まあ。母さんとしたことが気づかず……ごめんね。ヒロくん」
そうしてワイングラスを机に置いた母は、自分の皿から松阪牛シャトーブリアンをフォークに1切れ。俺の口元まで運ぶ。
「ヒロくん。はい。あーん」
うむむ。俺はもうあーんしてもらうような子供ではないのだが……目の前にぶら下げられた松阪牛シャトーブリアンの香りには抗えない。
「いただきます。パクリ」
俺は母の差し出す松阪牛シャトーブリアンを噛みしめ喉奥へと飲み干すと、ポツリ呟いた。
「……これ。ヤクです」
俺の口内に残るのは強烈な肉の旨味ではない。シビれるようなヤクの苦みであった。
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