第24話 都議会議員である東堂先生に面会するため。
今日は日曜日。俺は母と2人、お出かけである。
「わんわん」
訂正。マメチャンも一緒にお出かけである。
「ヒロくん。ほらほら。こっちよ」
母に案内された俺とマメちゃんが歩く先には高層マンションが一棟。いわゆるタワーマンションと呼ばれる建物であり、住人全員が金持ちとなる高級物件であるが……
ためらいもなく母はエントランスのインターホンを操作。インターホンの相手と一言二言話した後にドアが開いた。
マメチャンを連れて入室するタワーマンションの1階。いわゆるエントランスの時点ですでに足下はフカフカの絨毯。さらには管理人と思わしき人物がホールに目を光らせる。
うむむ。さすがは高級タワーマンション。念のため俺はわんわん土足で絨毯を踏みしめるマメチャンを抱え上げる。もしもクリーニング代を請求されてはたまらない。
管理人に挨拶した母と並んで俺はエレベーターホールへ。ちょうどタイミングよくエレベーターが1基降りて来るが。
「いらっしゃい。私が案内するわ」
エレベーターに乗っていたのは誰あろう。東堂さん。
エレベーターガールのつもりだろう。ドアを押さえ俺たちが乗り込むのを待っていた。
「あらまあ。東堂先生のお嬢さん。わざわざありがとうございます」
頭を下げて乗り込む母に続いて「ありがとうございます」俺もまた頭を下げエレベーターへ乗り込んだ。
今日。母が俺とマメチャンを連れて高級タワーマンションを訪れたのも、都議会議員である東堂先生に面会するため。
何でも俺が行方不明となった際に捜索に協力してくれたのが東堂先生で、ビラ配りやポスター貼り出し。警察やメディアへの働きかけなどなど、大層お世話になったという。
その時のお礼を述べるため。そして無事に見つかった俺の顔見せを兼ねて今日、自宅を訪れるというわけだ。
エレベーターにも特別なセキュリティがあるのだろう。何やらカードを操作する東堂さんの後ろ姿。最近は見慣れてきたはずの東堂さんだが、こうして見るといかにも議員の娘らしく品よく見え、思わず気おくれしそうになる。
母自身は何度も自宅を訪れ面会しているというが俺自身は今日が初めて。このような高級タワーマンションに入室するのも初めてとあって緊張するのも無理はない。
静かに動き出すエレベーターは高速で最上階へ。
そうして案内された先に待つのはガッチリした体躯を持つ壮年男性。
「あらまあ。東堂先生。お久しぶりでございます」
「おお! これは
頭を下げる母に近づくと両手を広げて抱擁する。
こちらの男性が東堂先生。となればマメチャンを抱える俺も続いて頭を下げて挨拶する。
「初めてお目にかかります。
「ああ。君が弥美くんの息子さんか。無事に見つかり何よりだ」
そんな俺の挨拶。一瞬目を止めるも興味なさげに東堂先生は母へと振り返る。
「さあ弥美くん。どうぞ奥の部屋へ。ちょっとした軽食を用意しているから遠慮なくくつろいでくれたまえ」
母の腰を抱きかかえて部屋へ案内する東堂先生。
うーむ……挨拶の抱擁といいエスコートの仕方といい、堂に入った国際的しぐさ。議員というだけあって海外視察も日常茶飯事。毎日のようにエッフェルポーズを決めたりしているのだろう。うらやましいことである。
マメチャンを胸に母を追いかける俺は奥の部屋へ。客間だろうテーブルには高級お茶菓子が用意されており、傍らには女性が2人。
「彼女は私の秘書だ。今日は仕事ではない。プライベートな上に夏風邪で少し咳もあるのだから来なくて良いと言ったのだがな……」
「ごほごほ。何をおっしゃいます。今日はかねてより先生のご執心だった行方不明の案件が片付いたお祝い。お給料とは関係ありませんわ。ごほ」
スーツを着用したいかにも秘書然としたその出で立ち。仕事がらか母を見つめるその目は一瞬、細められていた。
「彼女は我が家の使用人だ。何かあれば彼女に言ってくれ」
「使用人です。行方不明だったお坊ちゃんが見つかったお祝いの席と伺っておりますので、さっそくお茶の準備にとりかからせていただきます」
割烹着を着用した使用人さん。ティーポットとカップを取り出し飲料の準備を進める。
「いやはや。5年前に妻に先立たれてね。私1人ではお茶も入れられず、それ以来、お手伝いに来てもらっているのだが……やはり娘には母親が必要なのではないかと痛感するばかりだよ」
母に椅子を勧めるその傍ら、ちゃっかり母の隣に腰かける東堂先生。
頭に少し白い髪の混じったその風貌はロマンスグレーと呼ぶに相応しく、何でも主婦層より絶大な支持を得ているというが……
「しかし弥美くんは昔と変わらず美しい。私が高校教師で君が教え子だったあの頃が、昨日のように思い返せるよ」
「あらあら。先生お上手ですわ。私ももう2児の母ですのに」
都議会議員となる前は教職にあったという東堂先生。
なぜ議員先生ともあろう者が、一介の庶民の行方不明に親身となり相談に乗ってくれたのか? 母の高校時代の恩師であったというわけで、その理由の一端が垣間見えたわけであるが……
「東堂さん的に、父親が他の女性に色目を使うのは問題ないのだろうか?」
使用人さんの引く椅子へと腰かける俺は、ちゃっかり同席する東堂さん。娘の方の東堂さんに話かける。
「父もまだ40代。女体が恋しくなるのも仕方ありません」
それはまた物分かりの良い娘で結構なことだが……議員が人妻に手を出しては一般的にマズイだろう。週刊誌に嗅ぎつけられでもすれば票田である主婦層の支持を失い落選する。
「何でも父にとって弥美さんは、BSSだそうです」
「? 何だそれは?」
「僕が先に好きだったのに。の略です。一目惚れしようとも教師である父は生徒に手を出せません。そんな父の目の前で、弥美さんをかっさらったのが当時の同級生。結婚した今の旦那さんというわけです」
寝取られの変形パターンというわけで、それなら東堂先生が母にこだわる気持ちも分からないでもないが……
「だからといってこのまま放置しては俺と東堂さん。お互い困ったことになる」
母を寝取られた我が家はもちろん、票田である主婦層の支持を失った東堂先生の議員生活も終わりとなる。
「選挙に落選。無職となった東堂さん一家はタワーマンションを追い出される。将来は路上でダンボール生活となるわけだが?」
「それは困りますね」
であれば無表情で紅茶を飲むのを止めて、何か対策を考えてもらわねば困るという。
「人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んでしまえと言います。それに恋愛とはお互いの気持ちがあってのもの。お兄さんは、もう少し自分の母親を信頼してはどうです?」
無論、母が寝取られなければ良いだけの話であるが、何せ相手は金と権力を併せ持つ議員先生であるのに対して、こちらは暇と時間を持て余す専業主婦。一般的に考えて篭絡されないはずがなく、このまま攻勢を続けられては我が家の崩壊は待ったなしである。
かといって庶民の息子である俺が恩人である議員先生に意見できるはずもない。となれば──俺は椅子を立ち上がると母の元へ。
「母さん。慣れない環境。俺の膝ではマメチャンが落ち着かないみたいだから預かってもらって良いだろうか?」
「あら? もうマメチャン仕方ないわね。それなら母さんが預かるわ」
そうして俺は椅子に腰かける母の膝へとマメチャンを横たえる。
「ほう? 弥美くん家の犬かね? どれどれ……」
マメチャンを撫でようと手を伸ばす東堂先生。あわよくばこのままムチムチ太ももを、ぐへへという所であったが……
「わんわん!」
ガブリ。
「あ、いたっ。手が! 握手に必要な議員の手がぁっ?!」
母を守ろうというのか、わんわん暴れるマメチャンに噛みつかれ、その手を引っ込めていた。
「あらまあ? 先生。大丈夫ですか?」
「う、うむ。元気なお犬さんで番犬にぴったりですな。わはは」
さすがはマメチャン。ナイスな働きである。
有権者と握手するべき大事な議員の手。これ以上に噛みつかれるわけにもいかず。かといってマメチャンに抗議しようにも、太ももを揉みしだこうという邪な引け目のある東堂先生。笑顔で誤魔化すしかないのであった。
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