第22話 「いったい誰の妹がメスガキビッチか? ビッチは貴様らである」
「いったい誰の妹がメスガキビッチか? ビッチは貴様らである」
俺の耳は地獄耳。妹に対する嫌味を聞き逃すほど、俺の耳穴は詰まってはいないのである。
「ええ? ちょ、ちょっと。朱音ちゃんのお兄さん?」
「おにい?! な、何を……でもまあ相手が相手だし良いか」
「良くねーよ! つーかいきなり俺のダチに何してんだよ?!」
「こんなん暴行っすよ! 泡吹いてるっすやん。停学っすよこれ?」
いきなりだろうが停学だろうが、兄が妹を侮辱されたなら殴る以外の解決法はないのだから仕方がない。
何せ俺が2年を過ごした異世界は貴族社会。平民が貴族を、その家族を侮辱しようものなら打ち首獄門となるのは誰もが知る常識。俺は貴族でも何でもないが、ボロは着てても心は錦。心持ちだけは貴族であるのが俺である。
「そもそもが何が暴行で何が停学か? 貴様らの言う所のメスガキビッチ朱音によれば手越さんの怪我は貴様らに原因があるという。であれば暴行で停学となるのは貴様らの方ではないか?」
「はあああ?! んなわけあるかよ? 手越が勝手に転んだんや」
「アホな妹が勝手に言ってるだけ。何の証拠もないっすやん!」
なるほど。理路整然としたその反論。確かに朱音の言い分と亜空さんたちの言い分。いったいどちらが間違いであるのか部外者である俺に判別することは無理である。となれば当然。
「東堂さん……どうなのか?」
俺の振りむく先にある東堂さんのその姿。
「亜空さんたちの言い分は。嘘。です」
パズルのピースがはまるかの如くしっくりくるその答え。
「はあああ? なんやこの女? メスガキビッチの知り合いか?」
「なーにが嘘っすか! おめーの顔の方が嘘くさいっす。こいつぜってえ整形して……」
ドカーン。
続く言葉の前、女生徒の腹部を殴りつける。
異世界で2年を過ごした俺の膂力。現代日本に換算するならトラック1台分に匹敵するのだから、女生徒が殴られてはひとたまりもない。
「ひいいい?! て、てめぇ?! また俺のダチをいきなり殴るとか……ぼ、暴力は駄目よぉ……」
残る女生徒が1人亜空さん。気丈に声を絞り出すのは良いが、その腰は引けており顔に浮かぶのは明らかな恐怖心。
男女の筋力差。さらには異世界でLVを上げた俺に対する現代日本の女子高生を考えれば、これ以上は過剰暴力となるだろう。
しかしながら誰よりも平和と平等を愛する男が俺であり、すでに3人のうちの2人を殴り倒した今。残る1人を見逃しては公平性が損なわれる。つまりは──
「殴りたくなくとも、殴るしかないのである。許せ」
ドカーン
最後の1人。亜空さんを殴り飛ばして事件は解決。めでたしめでたしである。
「いえ。まるでめでたくありません。明らかにやりすぎですね」
「おにい……これ。さすがのアタシもドン引きなんだけど……」
「え? いえ、あのこれ暴力事件? 大会どころか部活動停止じゃ……あば?」
そんな感慨にふける俺に対する東堂さん。朱音。手越さんの反応。
やれやれ。これが異世界であれば、やりすぎでもドン引きでもない。いつもの日常風景であるというのに……
「ここは異世界ではありません」
「おにい……これ停学、いや、退学だわ」
「あばばばばば……」
何やら1人。意識が異世界に旅立とうとしているが、さすがの俺でもここが現代日本。いきなり殴るのはやりすぎであると理解している。
よって──パチン。俺が指を鳴らす音に反応して俺の目の前。
「はっ?! あれ? 俺ら殴られたと思ったけど……?」
「っす?! 血が、腹に穴が開いたっす……ってあれ?」
「ひぎい? 骨折、胸骨が陥没っす……ってなんともない?」
殴られ血を流し昏倒する3人が目を覚まし起き上がる。
衣服に血の跡こそあるものの、その身体に一切の外傷は見当たらない。
「どういうことです?」
疑問の目を向ける東堂さんであるが、俺は殴るその際、癒し魔法を詠唱しながら殴っていた。つまりは殴るダメージはそのままに、外傷を残さず殴ったというわけで。
「亜空さんと言ったか?」
「ひっ?! は、はい。はいですう……」
俺の呼びかけに背筋を伸ばし答える亜空さん。
「え? はいですう? いきなりどうしたの? コイツ」
まるで態度の変わる亜空さんに疑問の目を向ける朱音であるが、殊勝になるのも当然。身体に外傷が残らないというだけで、殴られた時の痛みと恐怖は3人の脳裏と身体にしっかり染みつき残っている。よって──
「3人とも衣服に血が付いている。俺が拭き取ってやろう」
俺はハンカチで拭き取る体を装い、浄化魔法で血の汚れを消去する。
「あ、あざっす。いえ、あ、ありがとうございます……」
拭き取るその間もガタガタ震える3人の身体。
これが異世界であれば殴り殴られる殺し合いの1つや2つ誰しも経験するものであるが、平和に慣れた現代日本に生きる女子高生。後輩をイジめることは得意でも、思い切り殴られる経験はなかったというわけで。
「平良さん。とても優しくしてくれて感謝します」
「「感謝しまっす」」
これ以上に俺の機嫌を損ねたくないのか直立不動。必死に迎合する言葉をつむぐ3人の姿。
「これは……暴力で女生徒を脅すとは野蛮きわまりませんね」
「嫌な先輩だけど……さすがにちょっとねえ……」
いったい何が野蛮で何がちょっと……なのか?
これが異世界であればこの3人。今頃は奴隷としてメタボ脂ギッシュおじさんに購入されベッドを共にしている頃合い。ここが現代日本で相手が俺であったことを感謝して欲しいものである。
ガチャリ。
「はーい。お待たせ、戻ったわよー。って、あら? テニス部のお友達かしら?」
ドアを開けて薬師寺先生が保健室へ戻って来ていた。
「ん? んん? え? 3人ともどうしたの? 顔が真っ青なんだけど……平良くん。もしかして3人に何かしたの?!」
そう言って薬師寺先生は、3人の前に立つ俺に目線を向ける。
ほんわか傷を癒してくれると優しく人気のある薬師寺先生であるが、さすがは教師であり、いざという目線は鋭く険しいものである。が──
「俺は何もしていません。亜空さんたち3人は手越さんを心配して、どんな感じですかー。大丈夫? 無理すんなよ? と励ましに来てくれただけです。そうだろう?」
促す俺の声に背中を押されて亜空さんが口を開く。
「はい。今日は会えて嬉しかったです。ありがとうございました」
「「ありがとうございましたっす」」
同じ学生同士とは思えない、まるで恐怖に怯えるかのような仰々しい物言いに驚く薬師寺先生。どうやらこの3人。これ以上に話をさせては余計なボロを出しかねない。
「それでは亜空さんたち3人。そろそろ部活に戻ってはどうだろうか?」
「はい。もう皆それぞれ部活に戻ります。ありがとうございました」
「え? ちょっと……?!」
一礼の後、薬師寺先生に背を向けると、一刻も早く立ち去りたいとばかり3人は足早に保健室を後にする。
「……性的被害にあった者が加害者に迎合する態度を取る場合があるそうなのだけど……貴方たち3人は何か知らないかしら?」
今度は東堂さんたち3人から聞き出そうと言う薬師寺先生だが、残念ながら3人は俺の味方であり俺に不利となることを話すはずがない。
「ノーコメントでお願いします」
「ア、アタシは何も知らないし? 何も見てないし?」
「あばばばばば……」
ぐぬぬ。まるで擁護になっていないこの3人。こうなっては俺自身で話を逸らす必要があるわけで……
「それより薬師寺先生。病院へ行かなくて大丈夫しょうか? 先程から手越さんの様子が少しおかしいようなのですが?」
「そうね! 手越さん。車を手配しましたから、さ。先生の肩に捕まって」
「あばばばばば……」
俺の言葉に今は手越さんが優先と、肩を貸して歩き出そうとする薬師寺先生。そのまま車まで行こうというのだろうが……
「薬師寺先生。俺が手越さんを背負いましょうか?」
「え? うーん……でもねえ。平良くんはちょっと……さっきの件もあるしねえ……」
そう言って俺と手越さんを交互に見つめる薬師寺先生。
年頃の女生徒を背中に背負うということは柔らかいということ。セクハラにもなりかねない事案とあって、薬師寺先生がためらうのも分からないではないが……
「手越さんの痛める足首。車まで歩いて今より悪化しては大変だと思うのですが、どうでしょうか?」
セクハラに厳しい現代日本において、その例外となるのが人命に関わる緊急時。保健の先生である薬師寺先生なら当然にそのことも知っている。
「……分かりました。それでは平良くん、車までお願いするわね。手越さんは女性ですから、くれぐれも注意するようにね」
それでも先ほどの3人の様子が影響しているのだろう。薬師寺先生の俺に対する警戒は今も高いままというわけで……
やれやれ。やりたくはないがアレをやるしかないか……
「よっこいしょういち」
俺は掛け声とともに手越さんを背負い持ち上げる。
「ぷっ……うふふっ。よっこいしょういちって……平良くん。まだ若いのに何でそんな親父ギャグを。やっぱり2留で年を取っているからかしら?」
2留といっても高校1年生を2回。年齢的には高校3年生と同じであるため、親父ギャグとはまるで関連性はないのだが……
これまで厳しい顔つきだった薬師寺先生。思わずその顔が緩んでいた。
「……は? 今の何がギャグで何が面白いの? 氷香、分かる?」
「残留日本兵である横井庄一さんの名前と、よっこいしょをかけた昭和に流行したギャグだそうですが……何が面白いのか私にも分かりません」
先導する薬師寺先生に続いて廊下を進む道すがら、後ろを歩く朱音と東堂さんが疑問を浮かべるが……そんなことは俺にも分からない。
だが、年配の先生を懐柔するには昭和の親父ギャグが一番というわけで、どうやら俺に対する先生の警戒心。引き下げることには成功したようだ。
何せ薬師寺先生は保健室を預かる養護教諭。
俺がリラクゼーション部として活動を進めるなら、いずれどこかで接点が生まれるのは間違いない相手である。今のうちから好感度を高めておくに越したことはない。
そうして駐車場の車までたどり着いた俺は、助手席へと手越さんの身体を横たえると、忘れてならないその最後。
「癒せ。神の奇跡。メジャーヒーリング」
小声で癒し魔法を詠唱。手越さんの捻挫を癒したその後、車のドアを閉めて先生を見送った。
これで病院での診察。手越さんの足首に何の異常も見つからないなら、俺の癒し魔法。ここ現代日本でも変わらず効果を発揮すると、医学的証明が1つ成されるというわけだ。
「医学的証明も何も、亜空さんたちを思いっきり殴ってましたよね? あれでもしも亜空さんたちの怪我が治らなかったら、どうしたのです? 大変なことになっていたと思いますが?」
そんな疑問を述べる東堂さんであるが、いったい何が疑問で何が大変なのか?
「その時は退学するだけだ」
兄が妹を侮辱され黙っている方が、よほどに大変というものである。
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