第16話 「あっつー! 何よこの部屋? エアコンとかないの?」

期末試験までの間、放課後は部室に集まり試験勉強することにした俺たち。さっそく今日も部室に集まり教科書を広げるわけだが……


「あっつー! 何よこの部屋? エアコンとかないの?」


下敷きをうちわにパタパタ胸元をあおぐ朱音の姿。我が妹ながらにはしたないとは思いつつも、仕方がないとも思える程度に今日は暑い。


「7月だからな。昨日はたまたま曇り空。風も吹いて涼しかっただけだ」


元々この部屋は資料室。中にたいした資料もないとあって冷暖房も必要なかったわけだが……


「集中するには無理がありますね」


そもそもが地球温暖化の進む現在。昭和とは違うのだから冷暖房もなしに勉強するのは無理である。


「良いことを思いつきました」


そう言うと東堂さんは椅子を立ち上がり、ドアの前で立ち止まる。


「少し出ます。しばらく待っていてください」


氷姫といえど夏の暑さには勝てないというわけで、ドアを開けると部室を出て歩いて行った。


良いこととはいったい何なのか? どちらにしろ勉強するために集まったのだから勉強するだけ。


「おにい。あおいで」


俺は朱音の差し出す下敷きを片手に風を送りつつ、そのまましばらく勉強を続けていたところ……


ガラリ。部室のドアが開かれ東堂さんが戻って来る。


「おかえり……って、え……」


部室に入る東堂さんの背後、東堂さんは1人の男を従え戻ってきていた。


「ふん。なんでワシがこのようなボロい部室に……ぶつぶつ」


つい先日。クラブ新設のお願いに訪問した際に見知ったばかりの人物。


「理事長先生。その、こんにちは。ですが、どうして部室へ?」

「え?! 理事長先生? アタシ初めて見た……」


東堂さん。何を考えて理事長先生と一緒に部室へ戻ってきたのか?


「どうしてじゃと? クラブとして活動するには顧問が必要じゃが、平良。お前は自分のクラブの顧問が誰か知っとるのか?」


うむむ……確かに言われてみれば顧問がいないのではクラブとしては成り立たない。となると、このリラク部の顧問はいったい誰なのか……?


「突然ゴリ押しされたクラブに顧問となる先生がいるわけないじゃろうが。じゃからワシが顧問じゃ。まったく良い迷惑じゃわい……ぶつぶつ」


そういえばニュースで教職員の不足が深刻と見た覚えがある。激務で薄給なのが教職員だから当然ではあるが、まさか理事長先生が顧問になってくれたとは……


「理事長先生。顧問の件ありがとうございます」

「あ、ありがとうございます」


ペコリ。俺と朱音は並んで理事長先生へ一礼する。


「ふん。生徒の薄汚い頭など下げられても迷惑じゃ。まったく何で理事長であるワシがこのように面倒な……ぶつぶつ」


どうやら理事長先生。この暑い季節、エアコンもないボロイ部室に連れて来られ機嫌が優れない模様である。

そもそもが東堂さん。何を考えこのような暴挙を?


「お兄さん。理事長もお年です。身体にあちこちガタもきているようですから、一度その老体を揉みほぐしてあげればどうですか?」


うむむ。確かに理事長先生も良いお年であるが、ガタがきているだの老体だの失礼ではないだろうか?


ただでさえ機嫌の優れない様子である理事長先生。東堂さんのあまりの物言いにハラハラする俺であるが……


「いやはや。ワシのような老体の身体を気遣ってくださるとは、さすがは東堂先生の娘さんじゃ。まったくもってありがたいことじゃて。たはは」


俺の心配は必要なく、まいったまいったとばかりに薄い頭にペチリ手をやる理事長先生。


ふむむ? これまでの様子からおっかない印象のあった理事長先生であるが、実際は生徒思いの好々爺。そういうことだろうか?


とにかく。せっかく部室にまで足を運んでいただいたのだ。


「理事長先生。えーとそれじゃその、どこか身体の調子が悪い所などありますでしょうか?」


リラクゼーション研究部の部長として、顧問となってくれた理事長先生を揉みほぐすべく声をかけるが……


「なんじゃ貴様! いったい誰の身体が調子悪いじゃと? ワシは毎朝5時から30分の乾布摩擦を60年かかさず行っておる。そのワシが老体でガタが来ておるじゃと!? たかが生徒がふざけたことをぬかすでないわ!」


哀れにも俺はもの凄い剣幕でもって怒られていた。


うむむ……俺は何も言っていないはずが……

理事長先生の俺に対する態度。東堂さんに対するものとあまりに違いすぎる気がしないでもないが……


「理事長。もうお年なのですからあまり怒鳴られては脳溢血で倒れますよ。理事長が亡くなられては多額の寄付が台無しとなるので気を付けてください」


「たはは。これはお恥ずかしいところを……年を取ると気が短くなりましてのう。申し訳ないですじゃ」


東堂さんが引く椅子へと、理事長先生はぺこぺこ頭を下げつつ腰かける。


(うっわー。露骨に態度が違うじゃない。あれで本当に教職員なの?)


朱音は俺に囁くが、ここ江ノ山高等学校は私立学校。

俺と東堂さん。納める授業料は同じでも学校に対する貢献が……寄付金の額に大きな差があるのだから理事長先生の対応が異なるのも当然。


資本主義社会において、より良いサービスを受けるにはより多くの代価が必要。納得いかないなら公立学校へ転校するしかないというわけで……


つまりは何が言いたいのかというと、俺には東堂さんのような寄付金を払う力はない。だがその代わり──


「理事長先生。恐れながら1年E組 平良 比呂。僭越ながら理事長先生のお肩をお揉みさせていただきたく存じます」


膝をつき頭を下げた俺は椅子に腰かける理事長先生の背後へ。理事長先生が怒鳴るより先、その両肩に手を置き一息に癒し魔法を発動する。


「なんじゃ貴様! ワシはな? 東堂くんが揉みほぐしてくれると言うから来たのじゃ。東堂先生の娘さんがワシのためにじゃぞ? それを何じゃ! 貴様のように寄付金も払えぬ貧乏家庭の生徒が軽々しくワシの身体に……んほおおおっ?!」


ここ江ノ山高等学校というピラミッドにおける頂点が理事長先生。


ここで理事長先生の身体を癒すなら……寄付金の代わりに俺の癒し魔法で貢献するなら、俺は高校生活における最強の後ろ盾を得ることになるというわけだ。


「なんじゃこれは?! たかが貧乏生徒が、いかにも素人丸出しの手つきで肩を揉んでいるだけのはずが……んほおおおっ!」


絶叫の後、放心したかのようにぐったり椅子に崩れ落ちる理事長先生。最後にその肩をパシンと叩いた所でリラクゼーションの終了である。


「はっ?! な、なんじゃこれは……ワシの六十肩が、動かすたびにあった肩の痛みがまるでなくなっておるぞい!?」


勢いよく立ち上がると理事長先生は肩を回して確かめる。


「理事長先生。確かに俺はたかが貧乏生徒。だが、そんな俺であってもリラクゼーションにはいささかの自信がある。理事長先生の肩。若い頃と同じに動くようになったのではないだろうか?」


「うむ……ワシは理事長。金持ちじゃ。整体院にも毎週通っておるが、これ程に肩が軽くなった経験は初めてじゃ。どうみても素人の手つきのはずがプロのマッサージを越える腕前とは……いったいどういうことじゃ?」


驚愕の眼差しで俺を見る理事長先生だが。


「どういうことも何もない。ここは理事長先生が顧問を務める名門、私立 江ノ山高等学校のリラクゼーション研究部で俺は部長。理事長先生の日頃の薫陶のおかげである」


まさか魔法であると言うわけにもいかず、勢いで押し通すべく俺はまくしたてる。そもそもが設立したばかりにして部員3名のリラク部。名門も何もあったわけではないのだが……


「そうか……分かった。クラブの予算を増やしてやろう。これまでの倍じゃ!」


癒し魔法のもたらす快楽。まるでヤクを決めた直後のごとく脳みその高揚する理事長先生が、そのようなでまかせに気づくはずもない。


だが、そんな俺の前。


「……エアコンを取り付けるには、まだ足りませんね」


割り込むように身体を乗り出す東堂さん。


「理事長。経過観察もかねて平良くんには月に1度、授業を抜け出し理事長室で揉みほぐしを行うよう手配します。それでどうでしょう?」


いやいや。いったい何を言い出すのか?


「なんじゃと!? いや、たしかに有難い申し出じゃが平良は学生でその本文は勉強。授業を抜け出してまで使役しては、ただでさえ留年する彼の勉学に支障が……」


思ったより常識ある回答。寄付金に弱いとはいえ、さすがは理事長先生である。


「理事長。たかが生徒の勉学と理事長の身体。どちらが大事かを考えれば悩むまでもないと思いますが……いかがです?」


「うむ……確かにのう」


いやいや。確かにではないと思うのだが……何を説得されているのか?


とはいえ癒し魔法の効能を考えれば説得されるのもいたしかたない。21世紀の医学をもってしても再現できないのが癒し魔法。神の奇跡に匹敵する力なのだから。


「分かった! 予算は10倍。部室へのエアコンも手配する。これでどうじゃ?」


「はい。十分です」


笑顔の東堂さん。どうやら交渉は成立したようである。


「良し。ワシはさっそく業者へ連絡するぞい。明日の日中には工事も終えるだろうから、それまで辛抱してくれ。東堂くん平良くん。またのう!」


それだけ言うと理事長先生は部室を出た後、元気に理事長室へ走り出して行った。


「うっわー。すごい。全然元気になったじゃない」

「本当、お兄さんの揉みほぐしは凄いものですね」


可能であればじいさんの肩を揉みたくはないが、嫌だ嫌だで乗り切れるのは学生まで。これも予算のためエアコンのため。少し早い社会勉強と割り切るしかないというわけだ。

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