第4話 「あの……東堂さん?」

朱音の部屋での勉強会。

朱音と東堂さん2人がやいのやいのと勉強する傍ら、俺は一人もくもくと勉強を続ける。そんな最中。


「朱音ちゃーん。ちょっとお茶を運ぶの手伝ってくれるー?」


「はーい。氷香ごめん。ちょっと下に行ってくる」


母の呼びかけに朱音は階下へ降りて行った。


「どうやら休憩かな? そろそろ1時間だし東堂さんも少し休もうか?」


「……」


だが、そんな俺の声かけにも東堂さんの返事はない。


「あの……東堂さん?」


「馴れ馴れしく話しかけないでいただけませんか?」


先ほどまで普通に会話していたはずが、いったいどうしたことか? 東堂さんは氷のように冷たい目で俺を見下していた。


「えーと。何か気にさわるようなことをしたかな?」


「何か? 驚きました。まさか自覚がないのでしょうか?」


これまでとは打って変わって氷のように冷たいその言葉。


「いや……何も覚えはないのだが……?」


「お兄さんの噂。朱音さんの前なので詳しくは話しませんでしたが……」


東堂さんは、自分の胸元を押さえるように距離をとる。


「行方不明と言うのは真っ赤な嘘。実際は女性の元に囚われていたと。そしてその間、女性を相手にいやらしい行為をしていたと聞きました。汚らわしい……」


「えーと……そんなガセネタ。いったい誰から聞いたのかな?」


「クラスのみんなが噂しています」


俺を取り巻く噂の1つに行方不明の間、変態に誘拐、監禁されていたのではないかというものがある。


家出少女が男性の自宅に囚われ、数年にわたり性的搾取されたというのはよく聞くニュースの1つ。


そして美人の母がもたらした遺伝子。俺の顔はイケメンといって差支えないレベルにあり、確かに性的搾取の対象となっても不思議はないのだろうが……


「えーと。噂で盛り上がるのは構わないが、その噂は事実無根だからね? それにその噂だと拉致監禁された俺は被害者になるよね? 同情されるならともかく、非難されるのは筋違いに思えるのだけど……?」


「何を言っているのです? お兄さんの肉体は男性ですよ? 女性より力が強いのですから、男女間で性的搾取が発生したなら100パーセント男性が悪いに決まっています」


言わんとすることは分からないでもないが……


「つまり、お兄さんは女性に囚われていたのではありません。いやらしい行為を目的に、あえて女性の元に留まっていた。それが私の突き止めた真相です」


ビシリ。東堂さんは人差し指を突きつけるが、残念ながら1パーセントもかすりもしないその推理。全くのでたらめとしか言いようがないわけだが……


俺は行方不明の間のことは何も覚えていないと警察で証言している。つまりは、でたらめであると指摘することもできないわけで……


「そして、ついには相手女性の身体に飽きたお兄さん。今度は私たち女生徒を相手にいやらしい行為をしようと高校に戻って来たと。そういうわけですね?」


いやはや……その想像力には驚きと言うほかない。


「そうでもなければ、普通は2留などという恥をさらしてまで高校に戻りません。私が貴方なら2留した時点で自殺しています」


確かに高校で2留は決して褒められたことではないが、俺の場合は不可抗力。


「やれやれ……先ほどまでは普通に接してくれていたと思ったものが……その実、ずいぶんと嫌われていたものだ」


俺を気遣い隣に座るよう言ってくれた彼女の姿。いったい何処へ消えたのか?


「朱音さんの前で本当のことを言えるわけがありません。実のお兄さんがこのような変態だなんて……私が朱音さんなら自殺しています」


よく自殺するやつである。しかし、俺の知らないところで妙な噂があったものだが……朱音が悪く言われているのでないのなら。俺が悪く言われるだけなら問題はない。


「ですが……まさか女生徒のみならず、実の妹の身体までも狙っていたなんて……汚らわしい。まさに獣そのものです」


「いやいや……なぜそのような話になるのか?」


「なぜも何も先ほども朱音さんにくっついて、いやらしいことをしようとしていましたよね?」


「あれは朱音が無理やり俺を引っ張ったのが原因である」


「いえ……もしかしたら私たちは勘違いをしていたのかもしれません」


もしかしたらも何も最初から全て勘違いである。


「お兄さんの本当の狙いは私たち女生徒ではない。朱音さんの身体が狙いではないでしょうか?」


なるほど……そういう方向に行くわけか。


「何といってもお兄さんは拉致監禁されて喜ぶ変態。普通の女性が相手では興奮しない。血のつながった実の妹でないと……そういうことですね?」


ビシリ。何やら東堂さんは人差し指を突きつけるが。


「いや。まったく違うと思うぞ?」


そもそもが俺が変態であるという前提が間違っているのだから、出てくる答えも当然に間違ったものとなる。


「ですがお兄さんは私の隣ではなく、朱音さんの隣に座りました。明らかに狙っていますよね?」


「あれは朱音に無理やり腕を引っ張られただけ。まるで狙っていない」


「それならこちらにいらしてください」


そう言って東堂さんは隣の床をぽんと叩いた。


「分かった。隣に座るが構わないだろうか?」


「我慢します。友達として、お兄さんの毒牙から朱音さんを守るためです」


友達思いなのか何なのか。少々おかしな娘であると思いながらも、俺はあらためて東堂さんの隣に腰を下ろした。


途端に何を考えてか俺の首元に顔を近づける東堂さん。ふわりその身体から漂う良い匂い……ではなくて近い。


「くんくん。やはりイカ臭いですね。汚らわしい……」


やはりって何だよ……


「そもそもが学校から帰ったばかり。そのような匂いするはずがない」


「言われてみればそうですね……ですが何か良い匂いがしますよ?」


納得したかに思えた東堂さんだが、いまだに俺の身体を相手にクンクン鼻を動かしていた。だから近いというのに……


「石鹸の匂いでしょうか? 帰ってシャワーを浴びたのですか?」


「まあな」


猫を助けた際、服に付いた血を落とすためクリーニング魔法をかけたその影響。俺の身体からは洗いたての石鹸の香りがしていた。


「いつでも朱音さんとベッドインできるよう身綺麗にしているというわけですね。いやらしい」


汚いならともかく、なぜ身綺麗にして批判されるのか?


「汗をかいたから浴びただけだ。というより、あまり異性の匂いを間近で嗅ぐのは良くないと思うぞ?」


そもそもが東堂さん。いきなり初対面の相手の匂いを嗅ぎまわるのは感心した行為ではない。俺のことを汚らわしいだの、いやらしいだの言うわりには、東堂さんの方がよほどいやらしく思えるのだが……?


「たかが匂いを嗅いだ程度で何を言っているのです?」


そんな俺の言葉にようやく東堂さんは身体を離したと思えば。


「囚われている2年もの間、お兄さんは女性を相手に毎日、舐めたり入れたりしていたのですよね? 今さら騒ぐようなこととは思えませんが?」


……俺が異世界に行っている2年間、近頃のJKはずいぶんと性に奔放になったものである。


「ですので次は舐めます」


いや、奔放すぎるだろう……

彼女の見た目が金髪ガングロうぇーい系ならそんなものだろうと思うのだが、いかにもお嬢様然とした東堂さんの口から聞かされたとあっては何と返答したものか……困ったところである。


「おーい。お茶とお菓子もらってきたわよ」


ガチャリ。お盆を片手に朱音がドアを開けて室内へ足を踏み入れる。


「ちょっ!? この変態バカ兄貴。なに勝手に氷香の隣に座ってるのよ!」


東堂さんの隣に座る俺の姿を見て声を上げた。


「アンタは氷香に近づくなって言ってるでしょ!」


お盆を机に置いた朱音に引っ張られ、俺は再び朱音の隣へ。


「ったく。本当、油断も隙も無いんだから。氷香も気をつけないとダメよ?」


うーむ。俺は東堂さんの誘いで座っただけなのだが……

それでも隣に座ったのは事実。俺は黙って朱音の隣に腰を下ろし座り直す。


「大丈夫です。少し勉強を見てもらっていただけですから」


「それがコイツの手口よ。勉強を見てあげるとか言って、手とか握られてない? 大丈夫?」


「その……少し」


朱音の言葉に頬を赤らめる東堂さん。可愛い仕草であるのは良いが、そのように紛らわしい態度を見せては──


「やっぱりサイテー。ほんとこのバカ兄貴!」


予想どおりのその展開。少しも何も俺の方からは触れてすらいないはずが、理不尽にも朱音はフロントフェイスロックで俺を締め上げようと腕を巻き付ける。


痛い。そういえば朱音は昔からプロレスごっこが好きであった……しかも渋い関節技ばかり。


子供の頃は痛いだけに思えた関節技だが……お互い成長した今となっては痛いような嬉しいような困った気分である。

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