第2話 いわゆる異世界転移というやつである。
今より2年前のこと。通学のため満員電車に乗っていたはずの比呂は、いつの間にか見知らぬ平原に立っていた。
いわゆる異世界転移というやつである。
なぜそのようなことになったのか? 一介の庶民である比呂に分かるはずもない。分かったのはそこが剣と魔法の異世界ファンタジーで、自分に治療と浄化。2つの魔法があったということ。
右も左も分からない異世界。生きていくため冒険者となった比呂だが、使えるのは治療と浄化の魔法だけ。魔王を倒すような大それた力もない。それなら危険なモンスターを相手にするより怪我人の治療に専念しようとAランクとなった時点で冒険者を引退。以降は治療院で怪我人の治療をすることで生計を立てていた。
手に職もあり生きるだけのお金にも苦労しない。このまま異世界で生きるのも悪くないと覚悟を決めたころ、比呂は唐突に現代日本へ帰り着いていた。
白衣をまとい怪我人を治療していたはずが、いつの間にか満員電車の吊革を握り立っていたのだ。
驚きこそしたが異世界における日常はスキルや魔法、モンスターなど驚きの連続。いちいち驚くよりも、まずは現状確認が優先されることを学んでいた比呂は即座に現在の状況を確認する。
白衣は異世界で着ていたそのまま。手荷物は何もなし。そして自分の身体は異世界で暮らし成長したままの姿。
つまりは魔法もふくめて肉体、精神、記憶。全て異世界での2年間そのまま地球へ戻って来たのであった。
その後、警察に保護された後の健康診断。もしかしたら何か異常が見つかるかと危惧したが、特に何の異常もなかったことから比呂は全て「何も覚えていない」の1点張りで通すことにした。
無論、比呂の外見は学生服から白衣に変わっており、肉体的にも16歳から18歳に成長している。明らかに何かあったことに間違いはなく警察からは特に服装について問い詰められたが、比呂の心の中。この2年間の記憶など誰にも覗くことはできないのだから、わざわざ話す必要はない。
比呂が異世界で習得した治療と浄化、2つの魔法。もしも地球に存在しない奇跡の力を公表しようものなら、比呂の自由は奪われ一生を研究対象として過ごすことが想像できるのだから当然の自衛策。
もちろん世間に公表することで救われる者も多く存在するだろうが……残念ながら比呂は自分の一生を犠牲にしてまで他人のために尽くすような聖人ではない。
他人の幸せと自分の幸せ。どちらか選べというなら迷わず自分の幸せを選ぶ程度の俗人が、比呂であった。
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「それじゃ俺は帰るから。お前もご主人の所へ帰るんだぞ?」
ニャンニャンまとわりつく白猫を何とか引きはがした後、俺は自宅へ帰り着く。
「ただいま」
「わんわん」
玄関を入る俺の足元に駆け寄る1匹の小型犬。
「おー。マメチャン。ただいま」
平良家の飼い犬で犬種は豆柴。名前を「マメチャン」という。
2年前は居なかったマメチャン。俺が行方不明となって以降に飼い始めた番犬であるため当初は噛みつかれたものだが、今ではすっかり仲良しとなっていた。
「ヒロくーん! おかえりなさい」
続いて俺を出迎える母の姿。それは良いのだが……
ギュー。走り寄る母は俺の身体に飛びつき抱きしめる。
「ヒロくん。いつもより遅かったけど、どうしたの? 大丈夫だった? 身体は何ともない? お腹へったでしょう? ご飯の前におやつにしようか?」
2年もの間、行方不明となっていた息子がようやく帰ってきたのだ。心配するのも仕方のない話であるが、少し過保護ぎみなのが困りものである。
「母さんただいま。でも、もう子供じゃないんだから心配いらないって」
俺ももう18歳。母親に抱き着かれて恥ずかしく感じるのも致し方ない年頃であった。
その後、ようやく母の腕を逃れた俺は自室で制服を着替える。再び戻った居間には甘い匂いが漂っていた。
「はーい。ヒロくん。今日のおやつはドーナツですよー」
夕ご飯も近いというのに、食卓の上には大量のドーナツが並べられていた。
「いやいや。母さん。夕ご飯前にこんなに食べられないって」
「何を言ってるの? ヒロくん。いつまた北の楽園に連れていかれるか分からないのよ?」
俺が失踪した当時。TVでは未だ解決の目を見ない北の拉致事件になぞられた報道も行われていたいう。連日連夜そのニュースを目にした母は、俺が失踪したのは北に拉致された結果であると信じ込むにいたったというそうだが……
「強制労働が出来ないとなったら今度こそヒロくん殺されてしまうじゃない! しっかり食べて体力をつけておかないとダメよ!」
愛する家族の失踪は人を変えてしまうもの。かつては優しかった母は、いや、今も優しいままではあるが……その優しさは病的なまでの過保護に変化していた。
「いや。だから俺は北に拉致されていたわけじゃないって……」
「それはヒロくんが覚えていないだけ! ママは夢で見たもの! ヒロくんが半裸の汚らわしい男たちと一緒に鉱山でつるはしを振って強制労働する姿を……ああ、おぞましい!」
「いや。おぞましいって……」
しかしながら母の言う夢の話。案外、でたらめでもないのが困りものである。
何故なら異世界にたどり着いた当初。生活資金を稼ぐべく俺は半裸のおっさん達と鉱山で働いていた時期がある。
もしかすると母はその光景を夢で見たのだろうか?
何とも不可思議な話であるが、夢にまつわる逸話は古来より多くある上、何より神隠しが実在していたのだから嘘とは言い切れない。
「マメチャン。ヒロくんの匂いをしっかり覚えておくのよ? 今度ヒロくんが拉致されたらママと一緒に追いかけるからね!」
「わんわん!」
毎日の餌付けにより母の忠臣と化しているマメチャン。母の言葉どおり俺の匂いをくんくん嗅ぎまわっていた。
うーむ……いくらマメチャンでも異世界までは追いかけられないと思うが……
2年間の行方不明。家族に大きな迷惑をかけた俺としては、母に意見など出来ようはずがないのであった。
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