フラスコの魔術師
身長高めの黒髪の男。この地方ではあまりみない異邦の風体をしていた。
目は日干しされた川魚のようで、濁っていて、光を宿していない。
不機嫌な顔は、長いことずっとそんな表情をしていたからか、顔に癖となって刻まれており、偏屈そうな印象を見るものに与えた。
本来なら街中にいれば目立つだろう様相だが、しかし、広場のだれもその男がこの1ヶ月以上、フラスクニスの街中をうろついていたとは認識していない。
市民らが抱くのは、うっすらと「こんなやついた気がする」という印象だ。
この大立ち回りでさえ、喉元過ぎれば熱さを忘れる。
「俺がジン・フラスクだ」
マトリはそう名乗りながら、フラスコを取りだし、その栓を開ける。
逆さまにし、火炎を少しだけ取りだし、手元で火球を浮遊させる。
そっとフラスコをポーチに戻す。
マトリはジン・フラスクのネームバリューを信じることにした。
コーリングから聞き及んでいた真実、市井がいだくジン・フラスクへの好感度、ヴァルボッサの言から察する権威関係そのほか。
(いまは冬に閉ざされた俺の城。あれはクソデカだ。比べてこのフラスクニスの中央に聳える城。まあデカいっちゃでかい。でも、俺の城のほうがずっとでかい。おおきさマウントを取りたいわけじゃないが、かつて俺がこの街を治めていたこととか考慮すれば、俺の名前にビビってくれる可能性が十分にある)
マトリがジン・フラスクの名乗りをあげた瞬間、周囲の空気感がかわった。
逃げずに根性のある野次馬を決め込んでいたものたちは、ざわざわと騒がしくなり、マトリのいく手に立ちはだかっていた兵士たちは、狼狽しはじめた。
マトリは必要以上を言葉にださす、兵士たちに向かっていく。
フラスコの魔術師という凄みのまえでは、一介の兵士にその歩みを静止させることを許さなかった。
火と焦げた土の匂いがたちこめるなか、マトリはルニラスタのもとに辿り着き、手元の火球を鋭利なナイフとし、その火で縄を焼ききってみせた。
「バカものどもが! なにをしている、その男を攻撃しないか!」
「し、しかし、ジン・フラスク様を……」
「お前たちの主人は私だぞ。この街の統治者は私だ!」
それでも兵士たちは動かない。
本能的にも、理性的にも動くことができない。
”フラスコの魔術師”でも、”それ以外の魔術師”でも、それを相手にすることはとてもとても恐ろしいことだとみんな知っているからだ。
「誰が主人なのか思いださせてやる」
ヴァルボッサは指をパチンっと鳴らす。
すると、彼の命令に従わなかった兵士のひとりが、痙攣しはじめ、目と鼻と口から血を吹きだして、その場に倒れこんでしまった。
ほかの兵士たちは恐怖に染まり、剣を抜いてジン・フラスクへ立ち向かおうとするが、しかし、足は前へ出ず、板挟みとなった結果、広場からの逃亡を選んだ。
ヴァルボッサは怒声をあげ、逃亡した兵士たちは何人かが痙攣しながら倒れてしまう。
マトリは手元の火炎を球体にして放った。
着弾。ヴァルボッサは火炎に包みこまれる。
「ひぎゃああ!」
苦悶の声が火炎のなかから漏れだす。
土のうえを転げまわり、暴れる。
広場は阿鼻叫喚だ。
おそろしい血の魔術による制裁と、逃げ惑う兵士、悲鳴をあげる市民たち、そして燃える城主と、それを助けようとする従順な兵士たち。
もうヴァルボッサが助かる手段はない。
魔術師といえど不死身ではない。
火に焼かれれば、そのほかすべての生物と等しく焼け死ぬことになる。
そう思われた。そのはずだった。
火に焼かれるヴァルボッサの身体がおおきくなったように見えた。
最初はマトリもルニラスタも気のせいだと思った。
だが、違った。
火炎に包まれたヴァルボッサは、現実にその体積を増していた。
ボキボキッとグロテスクな音をたてて、骨格が変形していく。
噴きだす血の布で肉体を焼き尽くそうとするドラゴンの火を消していく。
「まじかよ」
「ゔぁ、ヴァルボッサ卿……」
広場の混乱のなか、身長4m超の怪物があらわれた。
若さを求め、繰りかえした血飲みの禁忌。
やがて血だけに飽き足らず、若い肉と骨すらを喰らうにいたった。
おぞましい魔術と禁断の技の末、ヴァルボッサは異形に成り果てていた。
全身の至る所から、デタラメに人腕と人足が生え、苦悶の表情をうかべた人面が肉体のあちこちから外側へ逃れようとうめいている。肥大化した筋肉と骨格はアンバランスで上半身だけやたら大きく、下半身は貧弱を極める。
「ジン・フラァアスクぅぅう!」
ヴァルボッサはおののく兵士を巨大な腕で潰し、口元にもってきて、浴びるようにその血を飲んだ。肉体表面の焦げ跡が音をたてて、ジューっと癒されていく。
「ん」
マトリの直感が背後からの攻撃を避けさせた。
見やれば全身にひどい火傷を負ったモルガン騎士隊長がいた。
「フラスコの魔術師め、我が主人の邪魔はさせないぞ!」
「あんたの主人、とんでもない化け物になってるが、それでもまだいうことをきくのか」
「はっ、くだらない、我が主人の所業も、その成れ果ても私は知っていたさ。主人がどんな道をいこうとも、それでも付き従うのが忠臣というものだ!」
「あんたも真面目なんだな……」
モルガンは踏み込んで斬りかかってくる。
動いたのはルニラスタだ。落ちてる剣を拾って、刃をぶつけて受け止める。
「オーフラビア、私に逆らうのかッ」
「マトリを傷つけることは許しません」
「お前は本当にグズだ。呪われの分際で、主人にまで逆らうとはな」
ルニラスタは剣をぐいっと押しかえし、体躯で優れるモルガンをふっとばす。言外に「うるせえ」と告げる攻撃であった。
他方、マトリはステッキをトンっと突いて、異形の怪物とかしたヴァルボッサへ攻撃をしかけていた。
「
爆炎がヴァルボッサを飲みこみ、その体を再び炎上させる。
怪物が悶え苦しむ一方で、城門が音をたてて開いていく。
城門をくぐってでてくるのは、大量の石像たちだ。
人間の騎士を模した石像たちは、鈍重ながらもまっすぐにマトリに向かってきた。ヴァルボッサの背後を通って、目の前に溢れかえらんとする。
(フラスコは4つ。1つは火炎のドラゴンブレスのプール用フラスコ。コップ用は2つだけ。最後のひとつは消火用の『霧のフラスコ』)
マトリは2つの『空のフラスコ』をリロードしてリサイクルすることにした。
すでに2回『
リロードが済んだ瞬間、マトリはステッキで地面を2回突いた。
爆発が2回起こり、石像たちが砕け散る。
砕けた石像は、大量の血と肉をばら撒いて沈黙した。
(石像の中に血肉が? これもヴァルボッサの魔術か。きめえな)
マトリはリロードと攻撃を繰りかえし、近づいてきた石像は
ルニラスタはモルガンが息絶えたのを確認し、大量の石像を相手するマトリに助太刀しようとした。だが、すぐに助けは必要ないとさとった。
マトリの動きは熟達の剣士のそれであった。
動きにひとつも無駄がなく、それどころかルニラスタより遥かに格上の技術を修めているようにさえみえた。
マトリ自身に自覚はない体に染みついたジン・フラスクの遺した戦闘術だ。
まったく危なげなく、マトリは石像を駆逐しつづける。
ヴァルボッサは流血を加速させることで、自身を襲う火炎を鎮静し、焼け爛れた瞳で、マトリのことを睨みつけた。
(ジン・フラスクめ……! 永遠の命をもっているというのは本当だったらしいな!)
ネルドール家にとって、否、この世のあらゆる権力者にとって”永遠の命”をもっていると噂されているジン・フラスクは精神的なコンプレックスの対象だった。
どれだけ素晴らしい領地を築いても、街を築いても、その支配は永遠ではない。権力者はいずれ死ぬ、すべてを失って、最後は忘れられる。
ジン・フラスクという魔術師だけは違う。
長い歴史のなかでずっと存在感を持ちつづける。
伝説の数は膨大で。
英雄譚は数えきれない。
いわく最強の魔術師。
いわく古今において最大の権力者。
いわくこの世のすべてを手に入れた者。
だから、ヴァルボッサは憎くて仕方がないのだ。
(すべてを手に入れていて、私からドラゴンを奪ったのか!? 自分以外には永遠はいらないとでも!? ふざけるな!)
ヴァルボッサは自分の腹の肉を掴んでちぎる。
自傷したかったわけじゃない。
人間サイズだった時に、ふところにアイテムをしまっていたのだ。
ヴァルボッサは汚血と脂肉にまみれた結晶を掲げる。
「呪われ女も、ジン・フラスクも、すべてを灰燼に帰すぞぉおッ!」
生涯でもう使うことがない伝説のチカラを解き放とう。
ヴァルボッサは高揚感のままに、結晶に封印された最大の火を解放する。
「見よ、これが幻の秘宝『
冷たい蒼焔が、湯水のようにあふれだし、石像も家屋も、死体も土もすべてを焼きながら、高い波となってマトリにせまる。
「はははッ! ひゃーははっははッ!」
ヴァルボッサは強大なチカラの奔流に笑いがとまらなかった。
「素晴らしいッ! この魔力の波動! 活力にあふれる人間数千人分に匹敵する凄まじいパワーだッ! これがドラゴンの焔ぉぉおおお!」
蒼焔がマトリとルニラスタを飲み込もうとする。
「封入」
マトリは手を前にかかげフラスコと世界を繋ぎ合わせた。
勢いよく迫っていた蒼焔がマトリの手元に吸い込まれていく。
ぎゅぉぉお! と轟音を鳴り響かせ、やがてすべての炎が収まった。
ヴァルボッサは醜い顔を歪ませ「は……?」と声をこぼす。
マトリはポーチのなかをのぞく。
(蒼焔のドラゴンブレスか。青い色だ。きれいだな)
そんなことを思いながら、ヴァルボッサへ向き直り、指を鳴らす。
「おかえしだ」
蒼焔が爆発を起こし、燃え盛り冷たい炎が異形をつつみこんだ。
広場にはヴァルボッサの聞くに耐えない悲鳴がこだました。
━━マトリの視点
一悶着して、暗い森に逃げ帰ってきた。
ヴァルボッサが死んだのを見届けて、そのあとは周囲の視線がきになったので、走って一目散に逃げた。
荒く息をついて、獣道で腰を落ちつける。
隣にオーフラビアが腰をおろす。
「危ないところだったな。まさか処刑されることになってるなんて」
「助かりました、あなたがいなければ、私はいまごろ殺されていたでしょう」
「どうして逃げなかったんだ」
彼女のチカラを見た。
モルガンとかいう、屈強な大男を軽々と押し飛ばしていた。
この女の子は尋常の力の持ち主ではない。
「すごいチカラを持ってるのだから、嫌だったらどうとでも逃げられたんじゃないか」
「……本当をいうと、まだわからないのです。私は間違えた道をいき、そして主人を裏切った悪い人間になってしまったのか」
「主人を裏切ったって……それはドラゴンを逃したことを後悔してるのか」
「そうじゃないです。でも、私は正しいことをしたと信じてます。でも、主人を裏切ったことは間違いではない。騎士として、主人に仕え続けると誓ったというのに。その道がどんなものであれ、仕え続けるのが正しさだったとも思えるのです」
「正気になれよ、見ただろう、あの化け物。正気じゃない。たぶん血の魔術でああなったんだろう。苦痛、屈辱、怨嗟、そういったものが折り重なってた。あんな化け物に仕え続けることなんてできなくて当然だ。主人は自分に仕える騎士に裏切りだなんだいう前に、自分を信じてくれた騎士を裏切ってないか己に問うべきだった」
いい上司に部下がついていきたいと思うように、悪い上司には部下はついていきたいとは思わないだろう。
上司は部下の裏切りを糾弾するまえに、自分が本当にその部下にふさわしい上司にいたかをかえりみるべきなんだ。
「あれはあんたみたいな人間が仕えるべき器じゃなかった」
「慰めてくれているのですか」
「いや、そういうわけじゃないが」
「でも、こんな優しい言葉をかけてくれるなんて」
「そんな優しくないだろ。別に」
傷ついた人間に言葉を選ぶのはふつうのことだ。
「だから言っただろ。ただ真面目にやってたって報われるわけがない。環境とか、状況とか、もっと柔軟に考えて、軽薄なくらいに立ち振る舞うのがいいんだ。陰でコツコツ頑張ったら、手をあげて『私頑張りました』って図々しく成果を報告するくらいがいい。それでも評価してくれなかったら、もうそこはゴミだ。次にいったほうがいい。見切りつけて、見限って、そうしないとバカを見ることになる」
「あなたの言っていた意味がすこしわかった気がします、ひとつ、学びですね」
オーフラビアは疲れたように少しだけ笑む。
目つきは相変わらず怖いままだが。
「ところでマトリ……やっぱり、あなたはジン・フラスクなのですか?」
「どう思う」
「さっきヴァルボッサ卿がドラゴンブレスを解放した時、正直ダメだと思いました。あの蒼き焔には抗いがたい圧を感じました。強大な力の奔流を。でも、あなたはそれすらフラスコに閉じ込めて……魔術師たちは強い魔力の使い手だと聞きますが、ドラゴンブレスを御するほどのチカラなど聞いたことがありません。できるとしたら、やはり伝説の魔術師ジン・フラスクしかいないと思います」
俺は顎に手をそえて、返答を思案する。
「オーフラビア、あんたこのあとどうするんだ」
「え、私、ですか?」
「身分ある者に仕えないと家名を維持できないのだろう」
「それは……そうですね。貴族家ネルドールの騎士という立場があったからこそ、没落したオーフラビア家の名前はかろうじて残っていたようなものです。ネルドールが滅んだいま、私は騎士ですらなくなってしまった。あれだけの叛逆をしたのです、もう城に戻ることはできないでしょう。それどころか、街にすら」
「ジン・フラスクは身分がある。貴族の身分が。……別に強要はしないが、もし新しい就職先が必要なら、ジン・フラスクの騎士になればいいんじゃないか。そうすれば、オーフラビアはオーフラビアであり続けることができるんじゃないか」
青い瞳が見開かれる。睨んでいるようで恐い。
「前から思ってたんだが、なんでそんな睨むんだ? 怒ってるのか……?」
「いえ、まさか。目つきが悪くて、睨んでしまうのは生まれつきです。私はいま感激しているのです。伝説の魔術師の騎士が、この私でいいのですか? 呪いを受けたこの身で?」
「以前、会った時にその話はしたはずだ。俺は角のこととかで、あんたに嫌悪感を持つことはない」
「マトリ様……いえ、フラスク卿」
「マトリでいい。訳あって、俺もジン・フラスクを名乗るわけにはいかない。さっきは効果的だと思ったから、名乗っただけなんだ。本当は名乗るつもりなんてなかった」
「なにやら理由があるようですね。そうです。マトリ様、あなたも私のことをルニラスタ改め、ルニと呼んでくださいますか」
えぇ、オーフラビア(名字)から、ルニラスタ(名前)を飛びこえてルニ(愛称)までいっちゃてるじゃん。それなんかあれじゃないか。まわりから勘違いされそうじゃないか。ほら、俺がオーフラビアのことを好きみたいなさ。
「それは、なんというか、馴れ馴れしいと思う。あんまり仲良くないし、別に知りあって長いわけでもないし、そういう呼び方は……」
「私とマトリ様は主従の仲になるのです。馴れ馴れしさを遠慮することはありません。むしろ私のことは従者としていかようにも使ってくださっていいのです。私の主人はマトリ様なのですから」
「マトリ様、の様もいらないけどな」
「いえ、必要でしょう。あなたに身分があることを確かにし、他者に軽んじられることを防がねばなりません。マトリ様を、マトリ様と呼ぶことをどうかお許しください」
「そうか…………オーフラビア」
「ルニでお願いします」
「……ルニ」
なんか、俺、馴れ馴れしいな……遠慮とかじゃなくて、なんか、なんか、なんかさ、うーん、俺そこまで偉そうにするつもりなかったんだけど……。
「はぁ、まるで肩の荷が降りたかのようです。体が軽くなりました。マトリ様、ドラゴンに会いにいきたいです」
「あぁ、そうだな、もう息も整った。いこうか」
微妙に悶々とした気持ちをいだきつつ、俺とオーフラビア……いや、ルニは川辺を目指して歩きだした。
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