真面目な騎士
翌朝。
冒険者組合に戻ってきた。
今日は昨日の依頼『イノシシの討伐』の報酬を受け取る。
はじめての給料だ。
楽しみだ。
組合の両開き扉をくぐると、赤い髪の受付嬢が「あ」という顔して、ちょいちょいっと手招きをしていた。
認識阻害の外套の効力を一時的に無力化すれば、顔を覚えさせたい相手にはこうして認識させることも自由だ。
「今日もいるんだな」
「私はいつでもいますとも。報酬の受け取りですよね?」
「俺のこと言ってないだろうな」
「いきなり何を言ってるんですか。当たり前じゃないですか。マトリさん」
赤い髪の受付嬢はニカーっと楽しげに笑みを浮かべる。
「昨日のイノシシですが、やはりとんでもない大物だったんですね」
「そうなのか?」
「いやいや、なんでそっちが驚いてるんですか。あんな化け物みたいなイノシシ、まず普通の森ではお目にかかれないです。ヌシでしょう。森のヌシです!」
「そうでもないと思うが。あれくらいのサイズならわりと普通にいる」
「そんな森ありませんよ、冗談もほどほどにしてください!」
やれやれ、というふうに呆れられてしまう。冗談言ってないんだけどな。
「おい、あんたか、イノシシを倒したっていう冒険者は」
隣におっさんが立っていた。
服に血がついている。こわい。
「解体師さん、どうされたんですか?」
「お嬢ちゃん、こいつに話がある」
解体師のおっさんに連れられ、俺と受付嬢は組合の裏手へ。
いくつかある施設のうち、昨日とは違う建物に入る。
そこには宙吊りにされた赤い肉の塊があった。
たぶん昨日のイノシシだろうと薄ら察する。
「こいつをどこで狩ったんだい、旦那」
「どこって言われてもな。森としか言いようがない」
「暗い森、じゃあねえのかい?」
赤い髪の受付嬢はハッとした顔になる。
「暗い森ってなんだ。特別な森なのか」
「……旦那、あんた、とぼけてるのか?」
「?」
「……はぁ、どうやら本当に知らないらしいな」
「マトリさん、暗い森はフラスクニスのある渓谷から南側、ジン・フラスクの孤城方面に広がるやばーい森なんです」
やばい森。つまりやばいってことだな。
あれ? でも、孤城方面って俺とドラゴンが住んでる場所じゃないか。
「その森は冒険者でさえ足を踏みいれることを躊躇する。入ったとしても怪物と戦うなんて論外だ。あまりにも危険すぎるからだ」
「生息する怪物たちが非常に凶暴です。しかし、だからこそそういう怪物からはレアな素材が獲れるのです。レア素材を求めて暗い森に挑む冒険者は少なくはないですが、そこで冒険を終える方たちもまた少なくはありません」
「旦那、あんたはこの化け物イノシシをひとりで倒せるっていうのか?」
「厳密にはひとりじゃないが、実際の戦闘はひとりで足りてるな」
戦闘っていっても、逃げられる前に先制攻撃するだけなんだけどね。
「信じられん……」
「ふえぇ、マトリさん、やっぱりとんでもないんですね……」
受付嬢と解体師は引きながら、呆然と見つめてきた。
驚愕を隠すことができないようで、口をぱくぱくさせている。
「まさか暗い森の怪物をひとりで、余裕綽々と討伐できるやつがいるなんてな。旦那はいったい何者なんだ?」
「ええ、彼はですね、伝説のフラス━━」
受付嬢のケツをステッキで叩く。
「いっちゃあッ!?」
涙目でこちらをギンッと睨みつけてくる。
「なにするんですか!? 彼なら言ってもいいじゃないですか! 城主に密告するわけじゃありませんし!」
「情報の出所は絞っておいたほうがいい。裏切り者がでた時にわかりやすいようにな」
「私が裏切る前提ですか!?」
「解体師のおっさん、悪いが自分のことを話すのはあんまり好きじゃない。俺はマトリという者だ。それ以上でも、それ以下でもない」
「そうかい。なら、それでいい。俺はただの解体師だ。バラすのだけが仕事。詮索はせんよ」
よかった。話のわかるおっさんだ。
それに比べてこっちのやつは危ない受付嬢だな。
そもそも俺がジン・フラスクという考え自体が勘違いだというのに、その誤認情報を堂々と広めようとするのなんて。
「次、妙なことを口走ったら2回叩くぞ」
俺はステッキを素振りして威嚇する。ぶんっ。ぶんっ。
「そんな叩かれたら腫れちゃいますよ。これ以上私のおしりを大きくしてなにを企んでいるんですか!」
A.なにも企んでない。
「このイノシシの毛皮も肉も、骨も爪も、どれも大事に使わせてもらおう。もちろん、組合から相応額の報酬の上乗せがあるはずだ。そうだろう、お嬢ちゃん」
「報酬金額がすごい多いなと思ったら、暗い森のイノシシだったからなんですねえ……いや、これはとんでもない大物が冒険者になったものです」
組合本館に戻り、ずっしり重たい皮袋を受けとる。
袋のなかには銀貨と銅貨がはいっていた。
「めっちゃあるんだが」
「そうなんですよ。
「なるほどな……ところで、この銅貨は1枚でどれくらいもの物が買えるんだ」
赤い髪の受付嬢は「世間知らずさんですね。何世紀も引きこもってれば当然ですか」と間違えた納得をしつつ、ざっくりした物の相場を教えてくれた。
俺はホクホクした気分で礼をいい、カウンターに背を向ける。
「それじゃあ、また来てくださいね、マトリさん。いつでもお仕事お待ちしてます!」
「しばらくはこの金で暮らせそうだけどな」
軽く手を振って冒険者組合をあとにする。
向かうのはパン屋さんだ。
前々からフラスクニスを練り歩いていると、そこら中にパン屋があるのが目についた。お金がなかったので買うことなどできなかったわけだが、今の俺はお金もちなので、食べたいものを買うことができるのだ。
「ん、あれは……」
通りに女騎士の姿を発見した。
相変わらず恐ろしい目つきをしている。
今日もまわりから忌避の視線を向けられている。
俺はパン屋にいく予定をキャンセルし、彼女のあとをつける。
はじめての仕事をこなし、社会復帰も成し遂げた。
彼女についての興味を満たすために時間を使ってもいいだろう。
いまなら言葉が通じるはずだし。
とはいえ、通りで堂々と話しかける勇気はなかった。
どこか目立たないような場所に差し掛かったら声をかけようとか思いながら、あとをついていく。ストーカー、という言葉が脳裏をよぎったが無視する。
俺は不純な動機で尾行してるわけじゃない。
これはセーフだ。そのはずだ。
細い路地に入っていく。
俺も曲がり角をまがって路地にはいり、
「ずいぶん長くあとをついてくるんですね」
曲がった瞬間、腕を組んでムッとしている女騎士と顔があった。
「なにか用ですか……って、あなたは」
向こうも俺に気がついたようだ。
「ジン・フラスク、どうしてここに」
「いや、あんたもかい。俺はジン・フラスクじゃないって言ってるだろう」
「驚きました。話せるようになったのですか」
「一応はな。まずはお礼を言わせてくれ」
「私がなにかしましたか?」
「森に食べ物をもってきてくれただろう」
あれのおかげで俺は生きる希望を抱くことができた。
くそまずいご飯を食べ続ける日々の終わりがあるのだと期待できた。
「あんたのおかげで助けられた。本当に助かったよ」
「1ヶ月も前のことをわざわざお礼を言うためにあとをつけていたのですか? 真面目な方ですね」
くっ、隙あらば真面目扱いされてしまう。なんという失態だ。
「俺は真面目な人間じゃない。すごく不真面目な人間なんだ。そこだけは間違えないでほしい」
「はぁ、よくわかりませんが、そういうのなら。……あなたは私を恐れていないようですね」
「恐れなのか。まわりの人間があんたにいだく感情は」
俺は彼女の角をチラッと見やる。
街での聞き込み調査で、この角がトラブルの原因だと判明してる。
別にそんな恐くないけどな。むしろ、可愛い属性な気がするけど。
「ええ、私はやがて災いになるとみんな言っています」
「……そう、なのか」
これほどまでに目に見える地雷もそうない。
この話題もっと掘り下げるべきなのか、どうなのか……判断できない。
グゥゥウウウ
すごい音がしたな。
女騎士は頬を染め、お腹を手で隠す。
「獣でも飼ってるのか」
「し、失礼な……。こ、こんなところで話すのもなんです。その、もしよかったらなのですが、どこか場所を変えませんか」
「あぁそうだな、どこかお店に……酒場とかになるのかな、この感じだと」
おしゃれな喫茶店とかファミレスはないだろうし。
「ここに誰かと来るのは初めてです、なんだかワクワクします」
俺たちがやってきたのは大きな酒場だ。
すみっこのほうの机が空いていたので、ちょこんと座る。
向こうで酔っ払いたちが朝からぎゃーぎゃー騒いでる。
賑やかな分、こうして端のほうで静かにしてれば全然目立たない。
「あなたはジン・フラスクではないと言いましたが、では、一体誰なのです」
「マトリ、だ。ただのマトリ」
「マトリ。あなたはフラスコの魔術を使っていましたよね。それを使って、あの巨大な氷の華を作りだした」
声をひそめながら、彼女は言った。
「それはまあ事実だが、それでも俺はジン・フラスクじゃないんだ」
この話にはこれ以上の発展性はない。
「そっちの話を聞きたい。あんたの名前はなんていうんだ」
「これは大変失礼しました。私はルニラスタ・オーフラビアといいます」
「オーフラビア、か。どうしてドラゴンを俺に任せたんだ。あんたは見たところ騎士だ。同じような格好をしているやつも見たぞ。あのデカい城の主人に仕えてるんだろう」
「それは違いありませんが、しかし、私の思いはあのドラゴンに生きてもらうことなのです。城主ヴァルボッサ・ネルドールは邪悪な魔術師です。マトリ、あなたとは違う。かの老人はドラゴンを殺し、その血を求めているのです」
オーフラビアは険しい顔で言った。
机に静けさが舞い降りた。向こう側の喧騒が耳に入ってこない。
「お待たせしました、葡萄酒風味の熟成イノシシ肉焼きで〜す!」
ウェイトレスが元気に料理を机に運んでくれる。
彼女が去ったのを確かめてから、俺は声をひそめて訊く。
「ドラゴンの血?」
「血飲みの老醜という言葉をご存知ですか、マトリ」
そういえば昨日、赤い髪の受付嬢がそんなこと言ってたな。
「若い血を飲んでるとか。魔術のために」
「そうです。かの老人はあなたと同じように魔術のチカラを持っています。恐るべき血の魔術です。ドラゴンの鮮血は浴びれば、不死身の肉体に、不老不死の祝福を授かることができると、ヴァルボッサ・ネルドールは信じています」
「そのためにドラゴンを求めているのか。てっきり街にいたら危険な怪物だから、駆除されてるのかと思っていたが」
「私はドラゴンに死んでほしくなくて、あの子を逃したのです。そしてあの子はあなたという信頼できる人間に出会った」
オーフラビアは微笑み、熟成肉をパクパク食べていく。
俺も食べよう。どれどれ、熟成の実力を見せてもらおうじゃ美味すぎるッ!?
「今まで俺はゴミを食べていたのか……?」
美味すぎて震えが止まらなくなってきた。
「ドラゴンは大丈夫ですか? 元気にしていますか?」
「元気そのもの。いつも川で魚をたくさん食べてるぞ」
俺はオーフラビアにドラゴンの近況を話してあげた。
彼女はドラゴンの話をすると、少し穏やかな顔をする。
普段はキリッと張り詰めていて恐い感じだけど……やっぱり優しい人なんだろうな。この顔を見て悪い人間だなんて思えない。
「どうしてなんだ」
「なにがですか」
「訊くところによると城主のやつはだいぶ悪党だ。なのに、なんであんたみたいな人間が、その下で働いてるんだ」
「それが仕事だからです」
オーフラビアはギンッと眼力を強めていう。
「私の父も、祖父も、オーフラビア家は代々ネルドール家に仕えてきました。これでも家名をもつ貴族なのですよ? 魔術は失われていますが」
魔術。貴族の特権。
逆を言えば、魔術がなければ貴族にはなれない。
「魔術が失われたって……どういう意味だ?」
「継承できなかったのです。簡単な話です。私が愚鈍だったから、私の家の魔術は途絶えてしまったのです」
「あー…………そう、か」
地雷、だったかぁ……。
「察するにマトリ、あなたはジン・フラスクの系譜ですね? ふふ、私にはわかりますよ。貴族というものは、血と魔術が完全に途絶えないように、ひそかにその技を残しておくものですから。継承者、弟子、そういったものが著名な魔術師の技を使う事例があると聞いています」
それが違うんですよね。
俺とジン・フラスクさんは無関係なんですよね。
「笑ってください。私はダメな人間だったのです。でも、オーフラビア家を途絶えさせることなどできない。先祖の誇りを失い、生きることは許されない。騎士という身分を保持するためには城に仕えないといけません。城で働きつづけるためには、いまの仕事をやめることなどできません」
「……真面目なんだな」
「それだけが私の取り柄ですから。真面目なことはいいことだと思います」
「どうだかな。俺はそうは思わない。真面目なんてろくでもないものだ」
「真面目な人間が嫌いなのですか。真面目なのに」
「俺のどこか真面目なんだ。いいか、真面目な人間は幸せになんかなれないんだ。仕事なんか捨てて、それこそ没落した家のことなんか忘れて、噂を聞くだけで鳥肌のたつような城主のもとなんか離れたほうがいい。それどころかこの街もでて、偏見のない場所に逃げたほうがいい」
「心配してくれているのですか」
「そういうわけじゃない」
「してくれていますよね」
「いいや、まったく心配なんかしてないが」
「言っていることはわかります。オーフラビア家などもうないのですし、諦めろというのも。でも、私はほら角もあるでしょう? どこに行くこともできませんよ。この土地でしか生きられないんです」
なんということだ。これは重症だ。
頭が痛くなりそうだ。
オーフラビアは真面目病だ。
わかってるはずだ。まわりの悪意に。
俺にはわかる。
その自己犠牲の先で、彼女は壊れてしまう。
別に好きじゃない職場で、望んでいないけど、そうするしかない。
自分を騙しながら、いつしか頑張ってる自分を、悲劇の主人公に重ね合わせて酔いしれる。逼迫した精神で、ひどい状況にまともにたちむかってる。
第三の選択肢、逃走を選べない。
苦しくても遂行し続ける。まさしく真面目病だ。
すでに彼女の終わりははじまってる。
「誰も感謝なんかしないぞ。先祖だってもう死んじまってる。はやく逃げたほうがいい。嫌なことからは逃げたほうが賢い。ここを離れれば事態は好転するかもしれない」
「忠告ありがとうございます。でも、騎士の身分を捨てるわけにはいきません。身分のある者に仕えることは簡単じゃないのです。ここでない土地で新しい主人を見つけることもまた難しい。なによりいつかは変わると思います。無駄なことなんてありませんから」
ちゃんとやれば報われる。
それは幻想だ。
「ありがとうございました、マトリ。私のことを疎まないで接してくれたのはあなたがはじめてです」
俺とオーフラビアは酒場で話しこみ、気づいた頃には昼を過ぎていた。
彼女はよく話すのだ。孤独だったからか、話し相手が不足していたのかもしれない。俺もひとのことを言えた義理ではないが。
「もしよかったら街にきて声をかけてください。あなたとご飯を食べるのは楽しいことなので」
そう言われて嫌な気分はしない。
「あんたは森にはこないのか。ドラゴンもきっと会いたがってると思うが」
「以前は仕事の一環で足を運んだだけですので。今はヴァルボッサ卿に懐疑を向けられ、任を解かれ、別の人員があなたとドラゴンの捜索をしています」
「懐疑?」
「誰がドラゴンを逃したのか、という犯人探しです。私はわりと疑われてしまっているのです」
まずいじゃん。
「なのですでに捜索の任から外されています。なので私は怪しい行動を控えているのです。だから森にはいきません。遠出の行き先を上司に伝える決まりになってるので、それが巡り巡ってドラゴンとあなたの所在地を明かすことになったらいけませんから」
森に来ないなと思ったらそんな理由があったのか。
「それではまたきっと会いに来てくださいね、マトリ」
「あぁ、たぶんまたあとを付けて声をかける」
「ふふ、それがいいでしょう」
一緒にお店を出て、酒場のまえでわかれる。
さてパンでも買って街の散策でもしようか。
そんなことを思っていると、背後からチョンチョンっと突かれた。
ふりかえると、白いマントに身を包んだやつがいた。
フードのしたから冷たい輝きをはなつ黄金の瞳がこちらを射抜く
「ひぇ……」
「なんであの女と仲良くなってるのかしら」
目元に影を落とし、コーリングは不機嫌そうに言う。
圧力を感じる。恐い。なんだこの迫力は。
「あんたは……コーリング? もう姿を現さないとか言ってなかったか?」
チュートリアル係みたいな人なのかなって解釈だったけど。
「そうだ、あんたはいろいろ知ってそうだから、聞きたいことがあったんだ。ジン・フラスクとか、あの城のこととかな」
「……。奇遇ね。私も話しようと思っていたの。少しの長めのやつを」
気圧されながらも、彼女と並んで人通りのおおい道を歩きはじめた。
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