社会復帰

 硬い赤鱗をたくさん撫でておく。

 ドラゴンはお返しとばかりにおでこを擦りつけてくる。

 なんて可愛いやつなんだ。


「それじゃあ行ってくる」

「くあ〜……」

「大丈夫だって。すぐ戻ってくるから」


 ドラゴンを森に置いて、俺は街に向かった。


「ご機嫌よう」

「どうも」


 門の男たちに軽く手をあげて挨拶しながら街のなかへ。

 認識阻害の強度をあげると、いつだって初めましてを体験できる。


 この1ヶ月、俺はほぼ毎日街に出てきては、自分の言語力を試してきた。

 

 言語を身につけるためには、ネイティブに触れるのが一番だ。

 だから人間語の環境下に身を置いて、その力を培った。

 

 最初は人間語を話せないからと怪しいやつ扱いされた。

 何度も追いかけ回されたりもした。


 けどコーリングのくれた認識阻害の外套は多くの問題を解決してくれた。

 認識阻害の外套の効果のひとつ、印象を薄くする効果のおかげだ。


 過去に一度俺に会っている人間でも、時間が経てば、俺の顔も雰囲気も記憶のなかに霞となって溶けてしまう。


 おかげでちょっとしたトラブル程度なら、やり過ごすことができた。

 街でお尋ね者として手配されることもなかった。


 ちなみに街中で何度か、あの女騎士とすれ違ったこともある。

 でも、向こうは俺に気がついていなかった。

 たぶん認識阻害の外套の影響で、すれ違う程度では気づかないのだろう。


 俺から話しかけたことはない。

 彼女、どうにも厄介者のレッテルを持っているらしいからだ。

 周囲の彼女に対する視線とか、雰囲気で察するものがあった。


 あれはなんというか、背中に「バカです」って紙が貼られているのに、そのことに気づかずに校内を歩いてしまっている学生みたいだった。


「どうして彼女はあんなに注目されてるんだ」

「見てわからねえのか? 角ありだぞ? あいつは呪われた魔族の血を引いてるにちがいねえ。みんなそう言ってるから、たぶんそうなんだ」


 一度、街の人間に話しかけたらそんな返事がかえってきた。

 俺の認識が間違いだったことを知った瞬間だ。

 角が生えていることは普通じゃなかったのだ。


 俺はあの女騎士に話しかけるタイミングを失っていた。

 彼女は悪い意味で目立ちすぎる。


 だから、世の渡り方を知らないうちに接触するのは恐かった。


 息を潜めて、俺は街のなかで言語力を高めた。

 おかげでいまではわりと自信がついている。


「あの氷まだ残ってるんだな」

 

 人間語をある程度操れるようになったいま、俺はこの街で仕事を探す。

 美味しいものを食べたいし、ふかふかのベッドでも眠りたい。

 

 森は森で良いところもあるが、やっぱり街のほうが……ね。

 女騎士に干し肉をもらった時に俺の気持ちは決まっていたのだ。


「ここが冒険者組合か」


 仕事を求めて冒険者組合にやってきた。

 装備に身とつつみ武装したものどもが視界いっぱいにいる。


 あまりにも無法地帯。

 でも、これがこの世界じゃ普通なのだろうな。


 そんなこと思いつつ受付へ。

 赤い髪の可愛らしい受付嬢のもとへ。


「こんにちは」

「ようこそ、フラスクニス冒険者組合へ!」

「冒険者組合で仕事をしたいのだが」

「組合ははじめてですか?」


 受付嬢に話を聞いたところ、登録が必要とのこと。

 身分を明らかにせよ、ということだな。


「名前はマトリで」

「マトリさんですね! 男性、30歳っと。では、登録料をいただきます」

「それが、いま手持ちがなくてな。仕事をさせてくれたらそこから天引きというかたちでどうにか……」


 自分でも無理を言っているのはわかってる。 

 本当ならこんなことお願いしたくない。


 相手を困らせてしまうからな。でも、俺のモラルなど関係ない。

 すがりついてでも、頭下げてでも、仕事をしないといけないんだ。


「わかりました! いいでしょう!」


 想像以上にあっさりいった。


「マトリさんは真面目そうな方ですし、なんだか信頼できる気がします!」

「俺はちょー不真面目な男として有名だ。真面目なわけがない!」


 思わず反論したが、どう考えても逆効果だった。


「そんな真面目に不真面目アピールされても説得力に欠けますね!」


 真面目と思われるのは、俺の第二の人生の戒律に違反することだが、まあここは引いてやるか。不真面目認定されて、登録させてもらえなかったら話にならない。ただのバカである。


「よいしょっと!」


 受付嬢はプレス機みたいなものを手でがしゃこんっとする。


「では、マトリさんにこれを差しあげます。これは猪等級ボアランクのメダリオンです! これはあなたが猪等級ボアランク冒険者の証となります!」

 

 銅メダルみたいなのをもらった。

 裏面には俺が登録した身分情報が印字されている。

 いまのプレス機で印字したのだろう。


「マトリさんにはまず登録料を稼いでいただかなければいけませんね。ただ仕事というのも可哀想ですから、報酬高めの依頼をご紹介しましょうか? その分、難易度は高くなりますか」

「なんでもほしい。金がいるんだ」

「その意気やよしです! では、どんなことができるのか教えていただけますか」

「森でイノシシやオオカミを退治したことはある。ある程度なら怪物とも戦えるとおもう」

「怪物退治。花形のお仕事ですね。では、猪等級ボアランクのイノシシ退治依頼『イノシシの狩猟』をまわして起きますね。こちらは各種素材の納品で報酬上乗せとさせていただきます。毛皮の納品はマストです。問題ありませんか?」

「イノシシは丸ごと納品しても問題はない感じだろうか」

「丸ごとですか? そうですね、状態によりますが、依頼主さんが求めているのは毛皮なので、それでも問題はないでしょう」


 気のいい受付嬢のおかげでスムーズに仕事をもらえそうだ。

 俺の言語力も淀みなかった。たくさん練習したおかげだろう。


 俺はその日のうちに暗い森にもどった。

 仕事を手に入れられたウキウキ感と、ちゃんと受付嬢と会話できた達成感に満ち溢れていた。


 マトリ、社会復帰である。

 これまで言葉もわからず、ひたすらに不安な日々を送っていた。

 院卒業後の就職先が決まらない不安にすごく似ていた。


 仕事を手に入れることでこんなにも気が楽になるなんてな。


「イノシシを倒して、お金を手にいれて、ちゃんとしたモノを食べるんだ。ははは、楽しみだな。どんな美味いもんがあるんだろうな」


 川辺に戻ってくると、ドラゴンがお風呂に浸かっているのを発見する。


「ドラゴン! やったぞ、仕事を手に入れた!」

「くあ!」

「待て、そのまま飛び出してくるんじゃ、あっチぃい!?」


 街から帰るといつもこうだ。

 ドラゴンは尻尾でべしべし地面を叩きながら、突撃してくる。

 こういうところは犬っぽい。かあいい。でも危険だ。


「探して欲しいのはイノシシだ」

「くあっ!」


 捜索目標を伝え、俺たちは一緒にイノシシを捜索しはじめた。

 初めての仕事。これを達成すれば社会復帰。

 絶対に失敗できない。


 ドラゴンの優れた知覚を頼りに、森を歩きまわり、イノシシを発見した。


 逃げられるまえに仕留めたい。

 狙うは一撃必殺だ。


 でも、依頼人はイノシシの毛皮を求めているとのこと。

 毛皮は傷つけない方向で倒したいところだ。

 

フラクタルFractal


 ステッキで地面を刺し、地面下から棘を伸ばした。

 イノシシの腹部から鋭利な先端が突きだし、グサグサっと突き刺しながら、その巨大を持ちあげていく。


 火炎は発火しないように気をつかって、あくまで物理的なダメージを意識した。

 表面に爆炎をあてるとどうしても毛皮がちぢれて、ゴワゴワしてしまうが、これなら刺し傷だから、毛皮へのダメージは少ないはずだ。


「それじゃあ、また行ってくるからな」

「くあ〜!」


 夕方、イノシシをフラスコにしまって冒険者組合に戻った。

 赤い髪の受付嬢のいるカウンターを選んで達成報告をする。


「イノシシを倒してきたぞ」

「え? 昼間いったばかりですよね?」

「スピードも売りなんだ。評価に加点してくれるとうれしい」

「そういう問題ではないレベルの迅速さでは……?」

「イノシシはかなり大きいんだが、解体はすごく大変だと思う。本当に大丈夫か?」

「そちらは問題ないですね。冒険者組合には提携している解体師さんがいますので!」


 必要な業務をおこなう体制は整っているわけだ。


「ところで、どこにイノシシさんはいるんですか? 丸ごと持ってくるとかいっていたような、いなかったような」

「いま持ってる」


 俺はフラスコをトランクから取りだして、それをカウンターに置いた。

 フラスコのなかでは横たわっているいるイノシシの姿があった。


「ふえ……?」

「これをどこに解放すればいいのかって話だ」

「ぇ、ぇぇ? い、いや、あの、ちょ……獲物をそのまま持ってくる方はごく稀なので、一応、裏の倉庫に普段は運びますが……」


 冒険者組合の裏手に移動し、大きな倉庫に移動する。

 スペースの十分な場所にイノシシをぽーんと放った。


「うわあああ! なんですかぁああ! この化け物か!?」

「イノシシだ」

「見ればわかりますっ! 大きさの話をしてるんですっ!」

「森にはこれくらいのやつはゴロゴロいるぞ。そんなに驚かないでくれ」

「どういうつもりですか、なにを企らんでいられるのですか、マトリさん!」

「なんの話だ」

「いいえ、マトリさんというか、ジン・フラスク卿!」

「……?」


 赤い髪の受付嬢はビシッと指を突きつけてきて、キリッとした顔をする。

 

「犯人を追い詰めた名探偵みたいな雰囲気出してるところ悪いが、まったく状況が掴めないんだが。あんたはどこに驚いて、なにを言ってるんだ」

「驚いてるのはイノシシの大きさです! こんな大きな化け物さんが森のいたるところにいてたまるものですかっつ! そして、フラスコの魔術! それはあなたが今話題のフラスコの魔術師である動かぬ証拠ではありませんか!」


 指摘されて、俺は『空のフラスコ』を見やる。

 さっきまでイノシシの入っていたそれ。


「……」


 俺はなにか間違えているのか。

 ちいさな疑念は徐々に大きくなり、焦りが生まれてくる。


「確認したいんだが、そのフラスコの魔術って、俺がいま持っているこのフラスコのことか」

「詳しくは知りませんよ。というかあなたなら全部わかっているはずです。フラスコの魔術師ジン・フラスク卿」


 ハキハキと確信した声で赤い髪の受付嬢は話を進めるが、やはり入り口が見えてこない。


「フラスコの魔術は、そのジン・フラスクってやつしか使えないのか」

「? さぁ……そんなことを訊かれましても。でも、あなたが創りだした魔術ならそうなんじゃないでしょうか? 貴族さまたちは、自分たちの魔術を門外不出とし、神秘のチカラを大事に継承するものと聞いていますよ?」


 受付嬢に続けて話を聞いたところ、どうにもこの世界、魔術師という存在はごく一部の貴族たちだけが扱う極めて貴重なものだったらしい。


 俺は勘違いをしていた。

 剣と魔法の世界なら、わりとそこらじゅうで普通に魔術が使われているんじゃないかって……今にして思えば、魔術師という存在に俺は会ったことがない。


 しかし、俺のこれは魔術なのだろうか。

 道具に頼りきりな感じもしなくもないが。


「魔術師の方は、ご自身の魔術をもちいて特殊な力の宿った道具を作りだすと言われております。そのフラスコに特別なチカラを宿したのもきっとジン・フラスク卿ご自身なのですよ」

「へえ」

「……って! なんで私が魔術師に魔術の説明をしているんですか! あなたがフラスコの魔術を使っているということは、フラスコの魔術師に違いないというのに」

「いや、それが違うんだ、これが」

「嘘おっしゃい!」

 

 嘘おっしゃいて。


「俺はマトリだ。ジン・フラスクなんて男は知らない」

「うーむ、信じられませんねえ。それじゃあそのフラスコをどこで手に入れたのか言えますか?」

「城だ。城で拾ったんだ。南にある、城で」

「そこは魔術師ジン・フラスクの孤城で有名な場所です」

「あそこが?」


 あの地獄みたいな城が、か。

 ミディーラとかいうドラゴンにめちゃくちゃされてたけど。


「ジン・フラスクは古い時代、この地域を治めていたと聞いています。なんでも非常に長い時間を生きている魔術師とのことで、貴族社会でも大変おおきなチカラをもっていたとか。この数世紀は統治をやめ、城のなかにこもっていると私がちいさい頃から、いえ、それ以前の祖母の祖母の代からずっと言われていたようですよ」

「はぁ……」


 イメージの湧かないスケールだ。

 数世紀も城に籠るなんて……だから孤城と呼ばれているな。

 

「なんでそんな他人事で聞いているんですか、あなたのことでしょう!」

「いや、それが実はまったく身に覚えがないんだな、これが」

「はっ、もしかして、今は偽名を使って潜伏中とかですか?」

「潜伏?」

「だって、いまフラスコの魔術師さまは城主さまの勅命で指名手配されていますからね! マトリという冒険者は世の忍ぶための仮の姿なんですね!?」

「キラキラと目を輝かせているところ悪いが、違う。それより指名手配の件くわしく教えてくれないか」


 彼女は快く教えてくれた。

 なんでもこの城砦都市フラスクニスをおさめる貴族にして、街のまんなかにそびえるあの城の主人ヴァルボッサ・ネルドールという男に目をつけられているらしい。


 事件の発端は1ヶ月前に、街中でフラスコの魔術が使われたことだ。

 フラスコの魔術を使えるのはフラスコの魔術師だけ。


 いまも街中に咲き誇る氷柱の華は、強い魔力をもっており、周囲一体を凍てつかせてしまっているという。


 つまりジン・フラスクという貴族が、ヴァルボッサ・ネルドールのテリトリーにてメンツを潰すような行動をしたということだ。


 だから、ヴァルボッサ・ネルドールは怒って、血眼でジン・フラスクを探しているのだという。

 

「いやぁやっぱりドラゴンブレスって凄いんだな……1ヶ月経ってもいまだに溶けてないとか。そもそも魔法の力だから溶けるとかの話じゃないのか? あんまり深く考えないで使っちゃってたんだな」

「へえ、あの氷の華はドラゴンブレスなのですか……って、いい加減にしてください! やっぱりジン・フラスク卿ですよね!?」

「いや、違うんだな、これが」


 本日N回目のやりとり。


 しかし、困ったことになるな。

 俺はジン・フラスクではないのに、この受付嬢の目からすれば俺はほぼ確定でジン・フラスク扱いされてしまっている。


「それで、あんたは俺を城主に突き出そうとか考えてるんじゃないだろうな」


 俺は鋭く切り込んだ。

 指名手配されているのなら報奨金とかかけられてそうだ。

 

「通報してお金をもらおうとか考えてたり……」

「しないですよ。そんなこと。どうして私があの最悪な城主のいうことを訊かねばならないのですか!」

「悪いやつなのか」

「人間の心を持ち合わせていないと有名です。まさに鬼畜。なんでも魔術のために若い娘の命をつかっていると噂されているのです。それだけじゃないです。城主はもうずっと血飲みの禁忌に囚われていると聞きます。若い血を飲むらしいです」


 やべえやつじゃん。


「なんでそんなことを?」

「知りません。しかし、そのせいでもう人ならざる姿になっているとか。血飲みの老醜と呼ばれているのは街では有名ですよ。ほかにもひどいことがたくさんです。税に、刑に……あげたらキリがありません。私たちのような市民ではその姿や顔を見ることは叶いませんが、誰も本心ではあの城主のことを好いていないはずです」


 思ったより市民に嫌われてるな、ヴァルボッサ。

 邪悪で、凶悪か。人違いでそんなやばそうな奴に狙われたくない。


「あんた、俺のことは言ってくれるなよ。人違いなんだからな」

「ええ、もちろん言いません。たぶん人違いではないですけど!」

「人違いだって。あぁまあいい。黙っててくれるなら、どのみちトラブルにはならないはずだ」

「はい! マトリさんがジン・フラスクであることは黙っていますとも!」


 本当にわかってるのかな、この受付嬢。

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