邂逅
オオカミ軍団を倒して大木に戻った。
毛皮を奪って住処に敷き詰めて、もっとベッドをふかふかにしようとも思ったが、毛皮の処理には時間がかかるし、疲れてたので、全部後日の俺とドラゴンに任せることにした。
「くあ〜」
「おやすみ、ドラゴン」
ドラゴンの温かい体を抱きしめ、眠りにつく。
目が覚めると陽が昇っていた。
木漏れ日に目を貫かれながら、硬くなった体を動かす。
枕元のステッキに手を添える。
『水のフラスコ』から水を手元に呼びよせ、喉を潤し、ぺっと吐き捨てる。
手元に引き寄せる分には、かなり高い精度を出せるようになってきた。
一度フラスコに入ったものならば、解放時にだいぶ融通を利かせてコントロールすることができる。
「朝飯を食べにいこう、ドラゴン」
「くぁあ〜」
大きなあくびをするドラゴンと一緒に川辺に向かう。
ドラゴンの動きが慎重になった。
鼻をひくひく動かして、遠くを見るように首をもたげる。
こいつの知覚はけっこう鋭い。信頼できる。
きっと外敵を存在を察知したんだろう。
「キャンプになんかいるのか?」
「くあ」
そろりそろりと近づき、普段とは違う道を通って、草むらから様子をうかがう。
貯水池の近く、岩のあたりに人が座っている。
寒空に輝く銀髪に、金色の瞳をした少女だ。
あれ? あの人、城にいた人じゃないか。
俺は草むらから出て、声をかけた。
「あんたか」
声をかける時も不思議と敬語がでなかった。
おかしな話だ。この俺がなぜか対人で敬語がでてこない。
「やっぱり、ここにいたのね、マトリ」
「また会えて嬉しいよ、天使の助手。本当に大変だったんだ」
「くあ〜!」
「……。それはなに?」
少女はドラゴンを見ながらつぶやく。
「ドラゴンだが」
「いや、ドラゴンだが、じゃなくてね……なるほど、だいたい読めてきたわ」
「なにがだ?」
「くあー」
「私をあなたを探して慣れないフラスクニスを何日も探していたのよ。ミディーラのブレスが使われてたから、あなたが街に潜伏しているのだと思って」
「だとしたらアテが外れたな。ずっと前に街を出て、この森で暮らしてる」
「ドラゴンを拾って、隠すために暗い森にきた。どうして気づかなかったのかしら」
少女はこめかみにそっと手を当て、ちいさく首を横にふった。
「気づいてるじゃないか」
「私が気づいたんじゃないわ。たぶんだけど、あなたのことを探している騎士がいるのよ。その騎士の行動を追ったら、この森に……それでハッとしたの」
「騎士がこの森に? 見つかったら大変だ」
「そうね。手短に済ませましょう」
少女は懐から1冊の本を取りだす。
ずいっと差し出されるので受け取る。
薄くはないが厚くはない。ほどほどの重量感。
ぺらぺらとめくると、日本語と英語の記述があることに気づく。
そして俺のまったく知らない言語も並んでいる。
「人間語の教科書よ」
「素晴らしいな。まさにこういうのを求めてたんだ。さすがは天使の助手。でも、最初に渡してくれてたらもっとよかったかもしれない」
自動翻訳とかではなく、自分で学べって部分はシビアだが、まあ完全サポートゼロよりかはずっと嬉しい特典だ。
「しかし、手作り感すごいな。これあんたが作ったのか?」
「私じゃないわ」
少女はそれだけ言い、じーっとこちらを見てくる。
「なんだよ……」
「なんでもないわ。こほん。共通言語を使えないと困るのは推測できたから、教科書はこうして持参させてもらったわ。なにかほかに困ったことはあったかしら。新しい人生をはじめるうえで、困ったこと」
「あぁ……どうだろう、困ってることが多すぎて。ああそうだ、のどかな春の大地。あとスローライフ」
「え?」
「のどかな春の大地とスローライフだよ。転生した時に天使にお願いしたんだ。平和に暮らしたいって」
「考えるわ」
少女は腕を組み、ふむふむと思案する。
「だめね。私にできるのはここまでよ。あなたはあなたの力で生きていかなくていけない。それをあなたが望んだのだから」
妙な含みを持たせた言い方だった。
俺自身の力で生きていく。
それは間違いないのだが、ここまでのサバイバルを望んだつもりはないんだ。天使にはスローライフの意味が正しく伝わっていなかったのかな。
「あっ、そうだ。あのフラスコとステッキはなんなんだ」
少女は「ふむ」と思案げにする。
ちゃんと考えながら喋る人は好きだ。
でも、なんだろう。この人は迷ってる感じがするというか。
「大事にしなさい。フラスコが割れたらもう誰も作れないから」
「まじかよ、もう2つくらい割っちゃったが」
「フラスコを補充したいなら城にいくしかないわね。おすすめはしないけれど」
少女はさまざまな助言を与えてくれた。
生きていくためのコツだとか、フラスコは俺が想像している以上になんでもはいることとか、ドラゴンを連れてると人生ハードになるだとか、認識阻害の外套を羽織っていると他人から顔を覚えられなくなるだとか、いろいろと。
「本当はもっと準備を整えて送りだしたかったのだけど、いかんせんミディーラが暴れていたからこういう形でのレクチャーになったわ」
「ミディーラ?」
「城であなたを殺そうとしていたドラゴンよ」
「あぁ」
あの氷のドラゴンブレスを吐いてきた鬼畜か。
あいつミディーラって言うんだな。
「あの城には近づかないほうがいいわね。彼女はとても執念深いから、きっとあなたを見つけたらただじゃおかない」
「まだ城にいるのか?」
「ええ。たぶん、あなたの帰りを待っている」
「俺の帰り?」
「……。とにかく城にはもう行かないほうがいいわ」
「まあ言われなくてもいかないが。そんな危ないやつのいるところ」
俺は死にたくないんだ。すごく死にたくないんだ。
「そういえば、よくあの地獄みたいな状況で無事だったな。どうやって、その、ミディーラに襲われてる塔から脱出したんだ」
「……。言いたくないわ」
黙秘権使われた。
「これでレクチャーは終わりね」
少女はスクっとたちあがる。
「どんなに困っても、苦痛があったえも、暗い死が待っていようとも、私はこの先あなたを助けることは絶対にないわ」
「いきなり突き放した言い方するな」
「あなたは自分の力で生きなくてはいけない。はぁ……ひとまずは言葉でも練習したらいいじゃないかしら」
「もう行っちゃうのか」
「ええ。そのつもりよ。私の仕事は終わったもの」
「教科書とちょっとしたアドバイスをするためにわざわざ俺を探してたのか?」
「ええそうよ」
少女はどこか寂しげに言って、歩き去ろうとする。
「くあ〜」
「名前とか、聞いてもいいか。まともに言葉が通じる相手は、あんたしかいなくて」
「……コーリング」
少女は言って、ふりかえる。
「コーリング、か」
「ええ。もう覚えても仕方ないだろうけど」
少女━━コーリングはトボトボ歩き去ってしまった。
不思議な少女だったな。この世のものとは思えない雰囲気とか。
俺よりずっと若そうなのに、ずっと大人びてみえたし。
天使の助手とかいう謎ポジションだし、見た目通りの存在じゃないのかもしれないな。なんなら人間じゃないって言われても驚かない。
「よし、異世界語の勉強でもするか」
「くあー!」
朝風呂をしながら言語の勉強をはじめた。
この教科書に載っているのは、異世界語ではなく、厳密には人間語というらしい。この世界には人間以外の知的な種族がいるんですかって感じだ。
英語はわりと得意だったので、それなりに自信を持って、すいすい単語を頭に刻んでいく。文法に関してはかなり特殊で、日本語とも英語ともまるで似つかないものだった。わりと苦労しそうだったが、似てないだけでわりと簡単なものだった。集中して勉強すれば、なんとかなりそうな気がしなくもない。
昼前、俺とドラゴンは昨日倒したオオカミたちのことを思いだし、その巣穴へ向かっていた。
やつらの毛皮を奪おうと思ってたのに、コーリングの訪問を受けてすっかり忘れてしまっていた。
「どれもこれも使い物にならなそうだな」
「くあ〜」
死体はまだ残っていたが、どれも焼けこげていた。
ひどいものは炭っぽくなっている。
気を使って倒してなかったので、当然の結末だが、なにかひとつくらいはいい感じに使えそうな箇所があってもいいのだが。
何の成果も得られずに川辺に戻ってきた。
「くあー」
ドラゴンが警戒するような声を出した。
川辺にまたしても誰かいるらしい。
「今日は来訪者がおおいな」
草むらからこっそりうかがう。
後ろ姿ではよくわからないが……たぶん女だ。
輝く長い金髪なのでわかる。あと体型。
奇妙なのは、こめかみあたりから後頭部側に角みたいなのが生えてること。
「剣と魔法がある世界だし、そういうこともあるか」
わりとすぐ適応できた。
角よりも気になるのはその服装だ。
剣持ってるし、制服っぽい姿をしてる。
どことなく兵士然としてるというか、騎士然としているというか。
「くあ……」
「わかってる。あれは街の人間だな。それも見たところ当局側の人間だ。俺たちが一番会いたくないタイプだ」
不安そうにな顔で鳴くドラゴンの頭を撫でて安心させる。
さっきコーリングがそれらしいことを言っていた気がする。
俺たちのことを探している騎士がいたとか。
タイミングを考えれば、必然とやつがそれだとわかる。
「大丈夫だ、俺が守ってやる」
「くあ〜♪」
女は岩に座りこんで、ごそごそと荷物をいじっている。
横顔がうかがえる。思ったよりずっと若そうな感じだった。
女というか女の子というか。そしてやっぱりあれは角に見える。
「ずいぶん大荷物だな。ソロキャンプでもするつもりかよ」
「くあ? くあ。くあー!」
「あ、あれ? ドラゴン? どうしたんだ? ばか、行っちゃだめだ、いま出て行ったら見つかるぞ!」
なぜかいきなりドラゴンが興奮しだした。
俺は必死になって押さえるが、ドラゴンパワーの前ではそんなもの無力で、ドラゴンはすたたたーっと草むらから飛びだして、出て行ってしまった。
終わり。終わりだよ。
100%見つかる。
俺はどうすればいいかわからず、草むらからドラゴンのことを観察することにした。いや、別に俺だけ助かろうとか思ってるわけじゃなくてだな。
金髪の女はなにか言いながら、ドラゴンを迎え、嬉しそうな顔でその大きな鼻頭を抱きしめた。
飼い主が数年ぶりに愛犬のもとに帰ってくるタイプの動画あるじゃん。
あんな感じだ。ドラゴンのやつ大喜びで少女に撫で撫でしてもらっている。
なんだなんだ。知り合いなのか?
「くあー!」
ドラゴンがこっちに戻ってきた。
俺の外套のすそを噛んでひっぱってくる。
草むらから引きずりだされて、少女と顔があってしまう。
「こら、ばか、何してるんだ、ドラゴン……っ」
「くあ〜♪」
騎士然とした少女は、キリッとした真面目そうな顔で睨みつけてくる。
目つきが悪すぎる。これはいまにも斬りかかられそうだ。
「落ち着け、話をすればわかりあえるはずだ!」
少女はなにかボソボソ言っているが、異世界語もとい人間語なので伝わらない。
俺はさっそく教科書をぺらぺらめくりながら、対応しようと思ったが、勉強して数時間の言語能力でどうにかできるわけがない。
「あー……『私は敵ではありません』」
頑張って絞りだした言葉がそれだった。
『私は敵です』の否定形である。
発音からなにからすべて怪しいがギリ伝われ。
依然として恐い顔の少女。
俺は緊張に生唾をごくりと飲みこむ。
「くあ〜!」
ドラゴンの気の抜けた声。
緊張感がやわらいだ。
少女は依然として恐い顔をしながらも、しゃがみ込んで、ドラゴンを撫で撫でしはじめる。
ドラゴンを可愛がってるってことは、悪い人ではないのかな。
ドラゴンのほうも彼女のことを知ってるみたいだし。
俺も膝を折って、ドラゴンを撫でる。
言葉は通じなくとも、ドラゴンを通じてわかりあえる。
この少女はわかってる。
ドラゴンはかあいいと。
硬い鱗と、温かい体、爬虫類っぽい見たい目も。
加えて猫っぽい仕草も全部かあいいと。
かあいいを共有できるのなら、平和に物事を進めることもできるんじゃないだろうか。
━━ルニラスタ・オーフラビアの視点
ルニラスタは悪魔の獣ヤバイヌを倒した者に会うため、暗い森を進んだ。
初日、川辺に人間の生活の痕跡を発見し、そこで半日ほど張ってみたが、それらしい存在は現れなかった。
翌日、ルニラスタは数日森のなかで張りこみできるだけの装備を整えて、出直してきた。
そして見つけた。
恐らく目的の人物を。
「くあー!」
「よかった、無事だったのですね、ドラゴン」
「くあ〜♪」
ルニラスタは安堵してドラゴンを撫でくりまわす。
ドラゴンが草むらから引っ張りだしてきた男には流石に警戒した。
黒髪に黒瞳、異邦人の風体は、伝承に語られるフラスコの魔術師ジン・フラスクとぴったりと一致していた。
(この男が伝説の魔術師……)
緊張からルニラスタの表情が険しくなる。
彼女の特徴のひとつギンッと鋭い目つきが、さらに鋭く研がれる。
そのさまはもはや相手に殺意を向けているとしか思えないほど。
彼女が周囲に恐れられる要因のひとつであった。
しばらくの沈黙ののち、彼女は均衡を破ることにした。
「あなたがフラスコの魔術師ですか?」
どれだけ問いかけても、男からの返事はなかった。
返答に困っているようだった。
まるで言葉の通じない他種族を相手しているような気分だった。
ただ、敵意はないのはわかった。
そして互いにドラゴンを気にかけていることも。
ルニラスタには目的があった。
それはドラゴンを守ることであった。
(このドラゴンはまだ子供で、とても純粋な心を持っています。邪悪な企みのために死ぬべきじゃない。だから、私はあの時、この子を地下牢から逃した。でも、私にできたのはそこまで。どうにか遠くに行ってほしいと思いますが……)
ルニラスタはフラスコの魔術師と一緒にいる分には、この子供ドラゴンは安全なのだろうと思うようになっていた。
(しかし、伝説の魔術師がこんなところでなにをしているのでしょうか。彼の城が雪に閉ざされているのとなにか関係があるのでしょうか。暗い森にいることはまったく安全じゃないですが……でも、悪魔の獣を倒したのはおそらくこの男です。ならばドラゴンの身の安全という意味では問題はないのかも?)
そんなことを思いながら、ルニラスタはキャンプするために持ってきた食べ物を差し入れとして、岩のうえに並べ、ついでに1枚のメモを書いた。
『ドラゴンを守ってあげてください。よろしくお願いします』
メモを渡すと、男は手にした本をぺらぺらめくって、首をかしげる。
「それじゃあ、ドラゴン、元気にしていてくださいね。この優しい人のところを離れてはいけませんよ」
「くあ〜♪」
(この男もドラゴンを撫でまくっています。優しい手つき。ひどいことされていないのは、ドラゴンの態度からもわかります。この男なら大丈夫。言葉は交わしてないけど、互いにドラゴンを想っていることだけは確かな事実です)
最後にドラゴンを満足いくまで撫でくりまわし、彼女は暗い森をあとにした。
ドラゴンのことはきっと大丈夫だろうと信じて。
━━真鳥真人の視点
女騎士の書き残したメモを解読した。
どうにもあの騎士には敵意がないように思える。
岩のうえに並べられたたくさんの食べ物からもそのことは明らかだ。
「美味すぎる、なんだこの干し肉は」
想像を絶する美味しさだった。
これまで食べていた川魚や獣臭いイノシシ肉が、言っちゃ悪いがゴミにすら思える。
ポイントは味付けだ。
塩の味がするのだ。
細胞の隅々まで塩分が染みわたる。
DNAにも浸透しているに違いない。
「これが文明の味か……素晴らしすぎる……」
「くあ〜!」
めちゃくちゃ街のなかで暮らしたくなった。
一度サバイバルの苦しさを知ったからこそ、社会のなかで暮らすことの快適さ、まともな飯を食うことの幸せを再確認できた。
「女騎士の用意してくれた飯は大事に食べような」
「くあ〜! くっあ〜!」
その日から俺たちの生活は快適なものに変わった。
俺は目標を胸に、人間語の勉強に励んだ。
勉強に疲れれば、ドラゴンブレスの技を磨いた。
森を散策して怪物を倒して、毛皮を集め、住処を豊かにもした。
森を歩くと自然と足腰が強くなっている気がした。
体力づくりもまた暴力の牙の一環だ。
川辺に小屋を建てたりもした。ただ、雨が降って川が氾濫して、流されてからはもう何かを建てることはなかった。
そんなこんなで暴力と言語力を鍛え、1ヶ月が過ぎた。
俺は鬱蒼とした森を出て、街へと足を向けていた。
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