ドラゴンブレス
ドラゴンが擦りつけてくる頭を押さえる。
ぐいぐいっと押しても動かない。
流石はドラゴンだ。ちっちゃいからってパワーはある。
「くあ〜」
無視して俺は背中を向けさっさと歩く。
ドラゴンはちょこちょこ後をついてくる。
「ついてくるんじゃあない、お前がいたら100%トラブルになるだろうが……!」
「くあ〜っ! くああ!」
異世界に関して無知な俺だがコイツがやばいのはわかる。
圧倒的なやばさだ。もし俺が街の外でばったり会ったとしても、やばさしかない。まず見た目がやばい。だってドラゴンだもん。ちっちゃいけど。
より具体的なトラブル臭は兵士に追いかけ回されていたことだ。
「俺はこの目で見たぞ、お前がめちゃ追われてるのをな」
「くあー」
「なんだその目は。『そっちも追われてたくあー?』みたいな目をするんじゃあない。俺とお前じゃわけが違う。こっちは4人のチンピラで、そっちは大量の兵士だ。グラセフの指名手配度だったら★1と★4くらいは違う」
「くあ〜」
スネをまた擦ってくる。
心が揺らぐ。あーもう、なにそれ、かあいいなぁ。
「ってダメだ! ええい、やめろ、俺の心を誘惑しようとしてくるな。無駄だ無駄だ、その可愛い仕草してもダメなものはダメなんだ」
「くあ〜♪」
歩いて引き離そうとしても、ドラゴンはついてくる。
早歩きしても、ドラゴンはついている。
走っても、ドラゴンはついてくる。
「ウアァァア!?」
路地裏にも人間はいる。
小汚い格好をしたホームレスっぽいやつは、ドラゴンを見るなり、俺を指差して驚きおののいた。騒ぐんじゃあない。俺は反射的に拳を突きだしていた。
ホームレスは仰向けで地面のうえに伸びて沈黙する。
「悪く思うなよ。いってぇ……」
膝を折って、拳を押さえる。
ジンジンする。人間殴るのってこんな痛いのか。
「くあ〜」
ドラゴンは心配そうに近づいてきて、俺の拳を気にしはじめた。
申し訳なさそうな顔してる気がする。
弱々しく「くぁ〜」と鳴きながら、俺の拳をぺろぺろ舐めはじめた。
ドラゴンの舌はざらざらしていた。猫にぺろぺろされてる気分に近い。
「申し訳なく思ってるのか?」
「くあ〜」
「自分がトラブルを招いてることがわかってる、のか。頭がいいんだな」
「くあ〜」
ドラゴンはたしかに聡明な怪物として描かれることも多い。
人間より長い時間を生きていたり、高度な文明をもっていたり、あるいは強大な魔法の力を操ったり、そういう風に前世の物語では描写されていた。
言葉は通じなくても、雰囲気で場の空気を読めるのだろうか。
「……俺たち一緒だな」
「くあ?」
「誰にも言葉は通じず、雰囲気で乗り切るしかない」
ドラゴンの頭に手をおいた。
鱗が硬い。立派な鱗だ。
ぽんぽんっと撫でると、心地よさそうに目を細める。
安心したのか、大きなあくびまでしている。
「呑気なやつだな。お前さっきまで兵士に追われてたのに」
「くあ〜」
「…………」
だめだ。俺は負けそうになってる。
このドラゴン、なんか知らんがやたら可愛い。
俺は猫好き猫狂いの類だが、しかし猫アレルギーだった。
猫をモフりたくても、代償を支払わないといけなかった。少なくない代償を。
ドラゴンは猫に似ている。
だからきっと心が揺らいでいるのだ。
「俺は負けない。確かにお前は可愛いし、ちょっと同情するが、だからといって俺は感情などには流されない。こう見えて博士課程をやり遂げてるんだ。論理の塊だ。だからどれだけかあいい鳴き声でこすってきても無駄なんだ」
俺は俺のためだけに生きると決めた。
可哀想なんて感情で、トラブルの塊を連れあるくことはない。
どんなに可哀想なやつがいても、平気で見捨ててやるのだ。
しばらく後。
気絶したホームレスを横目に眺めながら、俺はしゃがみこみ、股の間にドラゴンを座らせ、撫でていた。
これは別に負けたとかではない。
かあいいに負けて折れたとかではない。
論理的に考えれば、そもそも負けるという発想が間違いだった。
冷静に考えてみてくれ。
もしこのドラゴンをこの場で見捨て恨みでも買ったらどうする。
チンピラや、兵士よりも恐いことになる。
ドラゴンに命を狙われる恐怖なら体験済みだ。あんな思いは二度と御免だ。
だから俺は不本意ながら、仕方なくドラゴンと一緒にいてやることにした。こいつと一緒にいることで、俺自身の安全が保障されるのなら、それは結果的に『自分のためだけに生きる』という二度目の人生の戒律に反することではない。
「これからどうやって生きていけばいいんだ」
「くあ〜」
「うまくやれたらいいんだが」
前世、俺は人間と関わるのがうまくなかった。
就職先が見つからなかったのも、思えば俺の人間性が問題なんだ。
バイトがみんな辞めたのだって、俺の関わり方が悪かったからだ。
同じ言語を話せても、社会でうまく生きられなかったのに、どうして言葉もわからない世界でうまくやっていくことができるんだ。
「塞ぎ込んででも仕方ない。俺はやり直すって決めたんだ。苦しい状況でももがいてやる」
「くあ〜」
ドラゴンの呑気な鳴き声は、俺を応援してくれている気がした。
「しかし、お前ちいさいな。城にいたドラゴンとは全然違うじゃないか」
「くあ〜」
「まだ子供、ってことか? それじゃあどこかにお母さんとかいるのか?」
思えばこいつも不思議な状況だ。
こんな街中にひとりぼっちなんて。
兵士たちに追いかけられていたことをから察するに、きっとドラゴンは子供であろうと危険な存在で、街に紛れ込んだら、全力でしばき倒さないといけないような怪物なのだろう。
だから追われてたんだ。
そう考えるのが自然だ。
「全然、危なくないのにな」
「くあ〜」
「すぐ懐くし、呑気だし、足は俺より微妙に遅いし」
「くあー!」
ドラゴンは瞳をキリッとさせ鳴く。
怒ってる。侮られていることがわかるのか。
やっぱり賢いんだな、ドラゴンって。
「ん」
ドラゴンが大きく口を開いた。
変な顔してる。これは鼻がムズ痒いやつの顔だ。
「くあ〜……くしゅん!」
ぼわ! 燃えあがる炎煙。
くしゃみなんだと思う。
でも火がでた。
「ど、ドラゴンブレス……っ」
「くあ〜、くあ〜、くしゅん!」
今度のくしゃみはデカかった。
強力な火炎は路地裏に充満し、壁も地面も焦がしてしまった。
「あっちぃい!?」
火炎の余波だけで顔が焼けるようだった。
瞳の水分が蒸発しかけて、思わず目をつぶってまるくなる。
「こいつは炎を吐くドラゴンなのか……! お前、俺を殺す気か!」
「くあ〜……っ」
ドラゴンは申し訳なさそうに翼をしおれさせて、頭をこすってくる。
わざとじゃないってことだろうか。
「くしゃみすると炎がでちゃうのか?」
「くあ」
「厄介な仕様だな。自分の意思で吐けないのか?」
「くあ」
「まだ子供なのか?」
「くあー!」
怒ってる気がする。
子供っていうと怒る。
おませドラゴンなのかな。
俺は思案する。
察するに、このドラゴン、自分の意思でドラゴンブレスをコントロールできないんだろう。子供だからかな? 城にいたデカいのは明確な殺意をもって俺に凍てつくドラゴンブレスを浴びせてきていたしな。
的外れな推測ではないと思う。
「だとしたらなおさら危険なやつだな。トラブルメーカーとしても、焼き殺されるという意味でも。近くに置いておくメリットが一個もないじゃないか」
「く、くあ〜! くあ!」
「冗談だ。そんな顔するなって」
よしよしっと角を撫でる。
「とにもかくにもお前を連れて歩くのは危険だ。どこかいい感じの住処が見つかればいいが」
空を見あげると、日が傾き始めていた。
どうすればいいかわからず、長いこと路地裏に潜伏しているが、いつまでもこうしてはいられない。
殴って眠らせたホームレスだってそろそろ起きてもおかしくない。
「いくぞ、ドラゴン」
「くあ〜」
なにから手をつければいいかわからないが、とりあえずは衣食住くらいは確立しておきたい。
はぁ、これからの苦労を思うとうんざりする。
おかしいよ、こんなの。スローライフの予定だったのに。
どうして生活基盤の土台の土台から組み上げていかないといけないのだ。
俺とドラゴンは夜まで試行錯誤し、結果、街を出た。
理由は俺一人ならわりとなんとか出来る気がしたが、ドラゴンが一緒だとどうしても活動範囲が制限されすぎるからだ。
ドラゴンを犬のように連れて街を歩くわけにもいかないし、かといって路地裏に置いておくこともできない。この街、治安がよくないのか、路地裏にも住民がたくさんいるのだ。表通りより物騒な雰囲気もぷんぷんしていた。
俺は言葉が話せないし、文字も読めない。
だから街のなかで仕事を見つけることもできない。
街という概念が、俺とドラゴンにもたらすメリットとデメリットを差し引きして計算した結果、街のなかに無理してい続ける意味がなくなったのだ。
そうして俺たちは居場所をなくした。
だから開き直って街を出て、渓谷から離れて森にいくことにした。
「まさかサバイバルをするハメになるとはな……」
「くあ〜」
「お前は苦に思ってなさそうだな」
「くあー」
「森に慣れてるのか」
俺たちは大きな木に登った。
異世界の樹だからというわけではないだろうが、なかなか丈夫そうな1,000年級の屋久杉っぽい大木を見つけられたので、そこを異世界転生初夜の寝床とした。
「腹減ったなぁ……寒さは感じないけど……こんな場所で眠ったら身体バキバキになるなぁ……」
「くあ〜」
不満はたくさんあったが、一緒に眠ったドラゴンの体は温かかった。
翌朝。
俺はドラゴンにぺろぺろされて目覚めた。
「くっさ! うわ、まじでくせぇ……なんだ、これ、生臭せぇ!」
強烈な匂いに、鼻が曲がりそうだった。
瞳を開ければ、ドラゴンがくるくる回って、嬉しそうにしてるのが見えた。
人間だったら小躍りしそうな勢いだ。
「くあ〜!」
俺の足元に魚が転がっていた。
噛みついた歯痕がある。
「お前が捕ってきたのか?」
「くあ〜」
もしかして俺が腹減ったって言ったからだろうか。
こいつ……俺のために魚を?
「自分で食べろ。俺はいらない」
「くあ〜!」
「いいや、いらない、本当にいらない。気持ちは嬉しいんだ。でも、俺の衛生観念がわりと厳しい感じになってるんだ」
俺は潔癖症ではない。
潔癖症だったら森で一晩明かせない。
魚を拒否するのはもっとシンプルな理由だ。
ドラゴンの口内の衛生状況が怖すぎるからだ。
「やめろ、舐めようとするじゃあない! お前の口やばい匂いしてるからな!」
「く、くあ……ッ」
ドラゴンはショックを受けたような顔をして固まった。
「お前の気持ちは嬉しいが、病気になったら大変なんだ」
この世界、昨日見た感じだと医療を期待できなそうだった。
科学が発展していない雰囲気がひしひしとしてる。
きっと抗生物質も存在しないだろう。罹患したらゲームエンドだ。
「人間は弱い生き物なんだ。ドラゴンなら耐えられるものでも、人間には致命的になる可能性がおおいにある。だから、気持ちだけは本当に嬉しいけど、それを食べるつもりにはなれない。悪いな」
「くあ〜」
俺はドラゴンをわしわしっと撫で、真摯に気持ちを伝えた。
言葉は伝わっていないが、雰囲気で察してくれたのか、自分で魚をぱくっと一口で平らげてしまった。ぺろりと舌なめずりしてる。いい食いっぷりだ。
「本当に猫みたいだな……あぁそうだ、魚はどこで捕ってきたんだ。川か、湖があるなら俺もいきたい」
顔に皮脂が溜まってる感じがして気持ち悪いからはやく顔洗いたいし、喉乾いたし、魚がとれるなら自分でうまいこと捕獲してそれを食事にしたい。
水辺を確保できれば、生存日数は飛躍的に伸びるだろう。
「くあー!」
大木を降りて、ドラゴンについて行く。
ドラゴンはちいさくダッシュしながらも森をいき、時折、俺のほうをふりかえってちゃんと付いてきてるか確認しながら進んでくれた。
このドラゴンは足が速くないので、置いてかれる心配はないが……なかなか優しいやつだ。
「やっぱ獣たちが逃げていくな……」
みんなドラゴンの気配を察知するなり姿を隠している。
昨夜、森に宿泊しようと思った時点で、ある程度の確信はあった。
森のなかではドラゴンが最強の生物なんだ。
だからこいつがそばにいれば、どんなやつも襲ってくる心配がない。
ドラゴンがいる世界観だと、ほかにも恐ろしい怪物がいそうなので、油断はできないが、ある程度は虎の威を借る狐として気楽にしていても大丈夫だろう。
「川の流れる音……?」
目的地に到着。左右に流れる川を発見した。
俺は川に駆けより、トランクを置いて、水面を覗きこむ。
「澄んでる……透明だ、綺麗な水だ。助かった!」
川の水をすくい、顔をばしゃばしゃ洗って、手で救って喉に流しこむ。
「ぷはあ! 生きかえった!」
昨夜はあんなに走ってのに、水すら飲めてなかった。
喉が張りついた感じがしてずっと気持ち悪かった。
身体を抜けていく清涼感に、気分がだいぶ良くなった。
「くあ〜! くあ〜っ!」
ドラゴンも水遊びで楽しそうだ。
「綺麗な水、そしてこの川に魚がいることもわかってる。うん、いいんじゃないか、もうここで。ここを生活拠点にしちゃっていいんじゃないか」
社会との繋がりを捨てるともはやスローライフは望めない。
それはもう異世界サバイバルなんだ。楽な生活ではない。
俺だって街のなかで文明人っぽく暮らしたい。
でも、読み書き話しさえできない俺にとっては、街は危険がたくさんあるように思えてならない。ドラゴンと一緒に暮らしていくのなら尚更に。
「言語がわからないと何も始まらないんだよな……トラブルが起こった時にすぐに詰むし……」
さんざん思案した挙句、俺は問題を先置送りすることにした。
一旦、街のことは忘れて、森のなかで暮らすことに集中しよう。
今、この瞬間、今日や明日、生きていることが大事なのだから。
「そういえば、このフラスコって……」
トランクのフラスコを手に取り、思いつきのままに水面につっこんだ。
フラスコは凄まじい勢いで川の水を受け止めて、吸引しはじめ、しばらくして吸引はとまった。
謎アイテムすぎるだろ。天使のやつ、こんな謎アイテムを俺によこしてなんのつもりなんだ? もっとわかりやすく便利なのあっただろう。
「昨日は忙しくてそれどころじゃなかったが……フラスコについてちょっと調べておくか」
俺は川の水をつかってフラスコの調査を行った。
これまでの異世界生活と調査により、フラスコの能力がだいたい把握できた。
1.ドラゴンブレスを封入できる
2.水を入れた場合めっちゃ入る
3.栓を開けたら入れたものが溢れだす
4.制御はできそうでできない
ドラゴンブレスは昨日の現象からの推測だ。
水の容量に関しては正確な数値は不明だが、とりあえずたくさん入る。100リットル、200リットルではきかないと思う。もっと入る印象だ。
栓を開けたら一気に飛びだしてくる。
フラスコを割ったほうがより激しい勢いで飛びだしてくる。
これらの現象はフラスコから手に伝わってくる奇妙な手応えを頼りに、ある程度操作することができる。ただし非常に難しい。
以上のことから、フラスコの性質は収納と解放にあると思われる。
それも見た目を遥かに上回る質量を収納できる。
加えて、通常なら収納できなそうなものも━━ドラゴンブレス━━収めることができてしまう。
まさに魔法のフラスコだ。
「いろいろ出来そうだな」
「くあ〜くしゅん! くあ〜くしゅんっ!」
水辺でくしゃみし続けてるドラゴンを見やる。
火炎がブワーっと噴きでては、消えて、噴きでては、消えて。
たまにすごい勢いの火炎が10mくらい先まで焼き尽くしていた。
俺はコルク栓を開けて、そっとドラゴンに近づき、大きく口を開けた瞬間を見計らって、サッとフラスコの口を突きだした。
ドラゴンは遠慮ないご機嫌なくしゃみをし、火炎を吐きだす。
フラスコは真っ赤な火炎をすべて吸いこんだ。
コルク栓を閉めれば封入完了だ。
「うまくいったか」
「くあ〜?」
ほんのり温かいフラスコのなかに赤い火炎が揺らめている。
「ありがとう、ドラゴン、お前は天才だ!」
「くあ〜♪」
よくわかってない風だが、嬉しそうに尻尾で地面を叩いている。
たくさん撫でてあげる。ヒコーキ耳をして自慢げな表情をしてる。かあいい。
よし。
これで火と水を手に入れることができた。
サバイバル術なんて修めてなかった俺にとって、何の道具もなしに、このふたつを入手することは非常に難易度の高いことだった。
不幸中の幸い。
魔法のフラスコが役にたった。
これで川魚を生で喰わずに済みそうだ。
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