第四十八話 僕と同じ
弁当の蓋を開ける手がぴたりと止まった。いや、食べる気が失せたと言った方が正しいのかもしれない。
不知火築は購買で買ったのであろうチーズベーコンの菓子パンの袋を開け、僕の方を向きながらがつがつと齧りついた。
「うっまこれ。やっぱ間違いねえわ」
正直言って、不潔感のある食べ方だった。人のしぐさに一々難癖をつけるようなことはしたくなかったから、僕はただ黙っていた。
脂っこい匂いが鼻につく。
「ん。光基、食べないの」
「いや、食べるけど……」
僕は弁当の蓋を開け、容器から箸を取り出した。
「弁当、親に作ってもらってんの?」
「そう、だけど……」
「唐揚げうまそーじゃん」
「う、うん……」
一言で言ってしまえば、これがだる絡みというものなのだろう。一方的に質問してきて、馴れ馴れしく接して、あたかもコミュニケーションがうまい人間かのように自分を演じて。そんなタイプの人間と接することは、今までの人生で一度もなかった。
「昨日の話だけどさ」
「ここではやめて」
上っ面で何とかやりくりするのは気が引けたから、僕はそう言った。教室内で、昨日の話ができるわけない。僕は、「ここは公共の場だぞ、弁えろ」といった感じで、不知火築に僕の言葉を受け取って欲しかった。
不知火築は菓子パンを食べる手を止め、ふひっと笑った。
「なに……」
僕はそう訊いた。
「いやあ、弁えてんなーって思って」
お前の心は見透かしていますよ、全部わかっていますよ、と言った表情が癪に障った。どうして、不知火築はこんなに人の神経を逆なでするようなことが簡単にできてしまうのだろう。
「じゃあさ、放課後なんか用事ある?」
「……ない、けど」
図書館に残ってまで消化したい課題はなく、今日は自室で読書でもしようと思っていた。嘘をつけばよかったのかもしれないと、答えた後に思った。不知火築の適当な言葉に正直に乗っかる必要なんて、ないのかもしれなかった。
「今日さ、お前の家寄って行っていい?」
「……え」
一瞬、不知火築の言葉を簡単に飲み込めなかった。不知火築とは、二年生で初めてクラスメイトになって、昨日のあの時まで特にこれといった会話は交わしてこなかった。不知火築が僕の領域を土足で躊躇もなく汚しているような感覚に不快感を覚えるのと同時に、僕はこうも思っていた。
――今日は、人の言葉を否定してばかりだな。
と。
僕の中で、気持ちが少しだけ揺らぎ始めていたのだ。
もしかしたら、本来友達というのは、こうやってお互いに言葉を交わしてみて、初めてなるものではないのか。なのだとしたら、僕と友達になろうとしている不知火築に対して、冷たくあしらおうとしている僕の方が失礼なのではないか。
そんな僕のことを考えすぎだと指摘する人は、誰もいなかった。
「考えさせて」
今まで親しく接してきた人、また、親友とか幼馴染とかで言い表せる人と言えば、優のたった一人だけだった。でも、僕を取り囲む環境がころころと入れ替わっていく中で、昔からの関係に固執するのは違うと思った。もっと誰かと、僕は関わるべきなんじゃないか。そう思った。
僕と優の距離が、少しずつ離れていくような、そんな気がした。
***
放課後、僕と不知火築は同じバスに乗り、同じ電車に乗り、その中で色々と話をした。お互いの好きなキャラクターとか、好きな場面とか、そういったごくありふれたことを話した。その漫画の話題を通しては、僕と不知火築は驚くほどに繋がることができた。どこにでもいそうな高校生同士の会話の中に僕が混ざっているのだと気づいて、一瞬、僕はこうやって人とやり取りできる自分がいることに驚いた。居心地の悪さは並行してそこに存在していたが、不知火築との会話が楽しいと、僕はしっかりそう思った。
不知火築は、ただ不器用なだけで、仲良くなればとてもいい人なんじゃないか。バスや電車の窓から差し込む明るい夕焼けの中で、僕はそう思った。
僕達は電車を降り、僕の自宅へと向かった。
僕の家を見た不知火築は、「めっちゃ庭豪華じゃん」とか「いいとこに住んでるじゃん」とか品定めるように言った。確かに僕も、僕と母の二人で暮らすには上等すぎる一軒家だと思った。
玄関に上がると、お母さんは僕が友達を連れてきたことにとても驚いていた。「お邪魔します」と邪気のない笑みで挨拶する不知火築には、バイトや部活で難なくやっていけそうな処世術が身についているような気がした。
「昨日の話なんだけどさ、やっぱりさ、お前も俺とおんなじなわけ?」
互いに同じベッドの上で、僕は胡坐をかいて、不知火築は足を組んで座って話していた。
「え、えっと……」
逃げ場なんてなかったし、僕も、こうしてみたいと思ったことが何度もある。でも、僕が今からすることは、なにか今までの人生の中で保ってきたものを一気に崩してしまう、一線を超える行為のような気がしてならなかった。
血液が酸素を求め、心臓の鼓動が早まる。
大丈夫だ。
相手は同じ、少年の流血を性的対象とする人間だ。僕と同じ、同類なんだ。
誰にも共感されない快感を共有できる幸せを、僕は手に入れられるんだ。
いつかの中学生の頃の、エロ本を拾ってきた男子に群がる人たちのことを思い出す。
自分の性的嗜好を受け止めてくれる。共感してくれる。
話せばきっと、楽になれる。
「そう、だよ。僕も、そういう、グロいのとか、好き、かな……」
頭の中で必死に言葉を選びながら、僕はそう言った。
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