第四十七話 贈り物

「俺達さ、きっとこれから、会える回数が少なくなっていくと思うんだよ」

 賑わう書店の中を歩きながら、優は何でもないことのようにそう言った。

「高校も、やりたいことも違う。書籍化が決まって、これから馬鹿みたいにやることが多くなるだろうし、前みたいに遊ぶ暇もなくなるよな」

「うん」

 僕はただ頷くだけだった。でも、優のその言葉が、僕の胸に重く圧し掛かった。僕を取り囲む環境が、スイッチを切り替えるみたいに、それか、紙芝居で新しい場面に紙を差し替えるみたいに、こんなに簡単に変わってしまうのだと、僕は漠然と思った。

「だからさ、今日は俺が奮発して、光基の誕生日を祝ってやるよ」

 優は僕の方を向いて、歯を見せて笑った。優の口から見える歯並びは決して良いとは言えなかったけれど、優の笑顔は優なりの輝きを纏っているように見えた。痛みを知らない病人の笑顔だとはとても思えなくて、僕の胸はずきずきと音を立てた。僕は、この優の笑顔が続いて欲しいと強く思った。

 

 高校に入学してすぐの僕の誕生日に、優は光基の欲しいものを何か買ってやると言ってくれたのだ。行きたい学校に入学できて、欲しいものはすべて手に入れたような気持になっていたからか、すぐには欲しいものが思い浮かばなかった。だから僕は、とりあえず書店を歩いてみて、その中で買いたいものを見つけたいと言った。

 書店へは、優のお母さんが車に乗せて連れて行ってくれた。

 他人の車の独特な雰囲気や、僕の親の車とは違う座席の座り心地や芳香剤の匂いなんかを感じ取りながら、僕は中学時代の時に優を送り迎えしていた優の母のことを思い浮かべた。そして同時に、優のお母さんがストレスで倒れてしまったときのことを思い出した。それと比べて、今の優のお母さんの表情には、疲労のサインを浮かべるものが一つもなかった。

 僕は県の中でもトップレベルの高校に入学し、優は通信制の高校に入学した。通信制の高校では、実際に登校する日数は少なく、基本的に自宅で学校側から送られた課題をこなすのが日常らしい。優の母が送り迎えをする必要がなくなり、優は母の重荷が一つ減ったと喜んでいた。


「あ、これ欲しいかも」

 書店の大学入試のコーナーで、僕は数学の問題集の前で立ち止まった。

「ええ、大学入試とか相当後の話だろ? よりにもよって問題集って」

 優はつまらなさそうな顔をして、大学入試のコーナーの前でぼやいた。僕はそれを無視し、手に取った問題集をぱらぱらとめくってみた。基礎問題と応用問題がちょうどいい配分で載せられていて、僕にとっては理想の問題集だった。

「よし、これにしよう」

 にやにやと僕は言った。

「これだから勉強ガチ勢は……」

 優は腰に手を当てて、やれやれという感じでため息をついた。

「まあいいや、なんか他に欲しいものある?」

「いいかな。これくらいで」

「そう。じゃ、レジ行こっか」

 優はそう言い、レジの方へと歩みを進めた。僕もそれについて行った。

 レジへ行く途中に、雑貨コーナーがあった。シックな色のブックカバーや、『今年の始まりに!』と帯に書かれた手帳などが並んでいた。

 雑貨コーナーを歩いていた優は、とある商品の前で足を止めた。

「優、どうしたの?」

 僕も歩みを止め、優に訊いた。

「いや、光基に似合いそうだなって」

 ちょっとからかうような微笑みで、優は言った。優の眼前に並んでいるのは、三千円程する腕時計だった。優は一つ腕時計を手に取った。

「光基にはゆるい感じの色が似合うんじゃない? ほら、腕上げて」

 優は茶色のベルトを広げ、僕の上げた腕に時計の部分をちょこんと乗せてみた。急に僕は、何だか書店内で男二人でこんなことをやっているのが少しだけ恥ずかしくなった。

「よし、これに決めた!」

 僕の腕から腕時計を上げながら、優は言った。

「え?」

 優の潔さに、僕は少し戸惑った。

「だって、光基の誕生日プレゼントが数学の問題集とか、味気なさすぎるだろ? それにさ、俺からも選びたかったし」

 優は少し不服そうに言った。でも、優の言葉には、少しだけ質量のある寂しさが含まれているのを、僕は感じ取った。僕と優の距離が遠くなってしまわないように。離れていかないように。優はこの腕時計を選んだのかもしれない。


 ***


 昼休み。腕時計を外しながら僕は、優との書店のことを思い出していた。

 腕時計のベルトを丸め、固定して机の上に置き、机に掛けたバッグの中から弁当を取り出す。

 あの日の優の表情は、今とは考えられないくらいに明るかった。あの日のことを思い出すたびに、記憶の中の優の表情が誇張されて明るくなっているように思えた。きっと今の優は、小説家としての日々の中で忙殺されているに違いない。ある程度の余裕はあるのだろうが、簡単に遊びに誘うようなことはできない。元々、遊びに誘うような関係でもなかったような気がする。

 そう思うと、僕はふと、思考が言葉にできない何かに引っかかった。

 ――あれ。僕と優の関係って、一体……。

 そう思った瞬間、目の前でどさっという音がした。

「よっ、みーつき」

 その声に、僕は一瞬、背筋が凍った。一瞬で昨日のことが鮮明に蘇り、ぼやけていた昨日の記憶が一気に現実味を帯びてクリアになっていくような感覚がした。

 不知火築は、二つ菓子パンを手に持ちながら、にやにやとした顔で僕の前の空いた席に座ってきた。




 

 

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