第四十話 反省文
「その子、凄い喜んでたよ。『パラフィリア』に、自分の事が全部書かれているみたいだったって。自分を見つめられるきっかけをくれたことに、感謝してるって言ってた」
僕は、優にそう言った。
「そう、なら良かった」
優はベッドテーブルに膝を置いて、ずっとスマホの画面を眺めている。ぶっきらぼうにそんな言葉を放っていはいるが、口元が緩んでいるのがバレバレだ。
優は今、僕が教えた司の小説を読んでいる。司にサイン本を渡した後、僕は帰って勉強の休憩に五話ほど司の小説を読んだ。小学校で上手くクラスに馴染めない少年の話で、どう考えても主人公のモデルは司自身だった。理科の授業で言った意見が周りから馬鹿にされるシーンから始まり、一瞬で僕は、これは司自身のことを綴った話なのだと分かった。
優は「なるほどね」とか呟きながら、画面をゆっくりとスライドしていく。
どんな気持ちで、優は司の小説を読んでいるのだろう。
司の文は、少し稚拙な部分がありつつも、純粋な言葉に重みが含まれている。現実的な小学校の描写とその文がうまく噛みあい、まるで一人の人生を霞んだ画面を通して見ているような気分になった。
「まあ、文はいいんじゃない? たまに突っかかる部分があるけど」
優はスマホの電源を切って言った。
「それよりさ、人のこと言えないけど、結構暗い話書いてるね。なんか、反省文みたい」
「反省文……。どういうこと?」
僕は訊いた。
「読んでてさ、この話多分実話だろうなーって思って。昔の自分が嫌いな人間が、衝動に任せて書いた文章のように見えるんだ」
分からないこともないような気がした。思い返してみれば、自分を責める描写だったり、文章がすべて過去形だったりしていて、反省文みたいに抑揚がない。
「一般の人に受ける作品か、って言ったら、そうでもないよね」
「まあ、そうかも……」
そのあと、僕達の間に沈黙が訪れた。僕はこれ以上話したら、司の昔の痛々しい出来事に切り込んでしまいそうだったし、優もそんな気がしていたんだろう。僕は何とか話を切り替えたくて、口を開いた。
「ねえ、そういえば、前に夜野先生とどんな事話したの」
明るい雰囲気に切り替えるには、丁度いい話題だと思った。だけど、僕の想像とは違って、優の表情にはさらに影が落ちた。
「え……」
戸惑っている様子ではなかった。突然の話題に、優は思考がついていけていないように見えた。そして、何かを取り繕うとしているようでもあった。
「別に、話すことでもねえよ……」
優は引きつったような顔で口角を上げ、明るい外の方へと目を逸らした。
僕は一瞬、それがどういう意味なのか、分からなかった。だけれど、また沈黙が流れて、分かった。優は、僕に何か嘘をついている。隠し事を、している。
優はきつく口元を結んだ。優の瞼が、悔し涙を流しているような子供みたいに下がった。
***
「あああああああああああああああああああっ!」
ずっと、店内ではゆったりしたピアノの曲が流れていた。僕はお客さんに頼まれた在庫検索の最中だった。書店内で喧騒ができる時と言えば、漫画の新刊コーナーで子供たちがはしゃいでいる時くらいだ。
突然、書店のどこかから悲痛な叫び声が聞こえたのだ。
すぐに、声の主は司だと分かった。パソコンの画面から目を離して、今すぐ駆け付けたい衝動に駆られたが、僕はとにかく目の前の仕事を片付けることにした。レジで待っているお客さんに本を二日後に取り寄せられる旨を伝えると、視界にバックヤードに向かう司の姿を捉えた。
傍には表情の曇った店長が歩いていて、目のやり場に困っていそうに見えた。
司の目は、まるで電源が切れてしまったロボットのように生気がなかった。この場から逃げるように、足早でバックヤードへと入っていった。
一通りやることを終わらせると、僕は店長の元へと駆け寄った。
「何があったんですか」
声が震えていて、威圧的になっているのが、自分でもわかった。
店長は困ったように、責任逃れするような口調で言った。
「いやさ、お客様に本の案内をしていたら、ジャンル違いの本が棚に入っているのを見つけてね。後で近くで品出ししてた司に注意したんだけど、そいつ、固まっちゃってな。和ませようかなって思って、少し司のことを弄ってやった、みたいな……。そしたら、しゃがんで叫び出して」
「司は、大丈夫ですか」
「ああ、とりあえず裏で休んどけって言ってる」
「弄ったって、どういうことですか」
言いづらそうに、店長は答える。
「普通、常識的に分かるだろって言っただけ。それだけで、どうしてあんな風になるのかね」
最後の言葉は、完全に開き直って出てきたものだった。でもこの件に関しては、店長は悪いわけではない。この原因の発端は、司が品出しを間違えたことだ。司はきっと、失敗してしまった自分に、嫌気がさしているのかもしれない。
「若い奴ってさ、どうしてちょっと注意されただけで、全部否定された気になっちゃうのかね」
店長はそう言った。
「その言い方は、ないと思います」
僕はきっぱりと言った。品出しのミスをした司を擁護する気はない。だけれど、店長の最後の言葉には腹が立った。
あの叫び声には、後悔とか、自己嫌悪とか、トラウマの想起とか、普通から離れてしまう恐怖とか、そんなものが混ざっているように思えた。「僕はここまでうまくやれていたのに、どうしてまたやらかすんだ」と、司は叫んでいるような気がした。
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