第三十二話 ごめんなさい
何台もの車が通り過ぎ、子供たちが囁き合うような喧騒の中に混じっていく。
「私は同性愛者です、ってみんなの前で言ったことは、覚えてるよね」
全ての想いを言葉にして放ってしまった梓は、刑事ドラマに出てくる、追い詰められて独白を始める犯人みたいに俯いて話し始めた。僕は小さく頷いた。
「こんな歳になって言うのも変だけど、小学生の時に好きになった女の子がいて、その時に私は、女性の人を好きになる人間なんだって分かったの。勿論辛かったし、誰にも言えなかったし、皆とは感覚がずれてるんだって思って生活するのは苦痛だった」
梓、それは、僕も一緒なんだよ。梓だけのことじゃない。分かっていても、何かに駆られる思いがこみ上げてくる。
「中学三年生になって、身も心も強くなった気がして、あの時に意見文でカミングアウトしたの。あの時はみんな優しくて、いつも通りに接してくれたけど、高校じゃそうはいかなかった。詳しくは言いたくないけど、ほら、高校までいくとさ、これまで以上にいろんな価値観の人と関わることが多くなるじゃない? 高校でもカミングアウトしたんだけど、そこで痛い目見ちゃってね。自分を肯定してたものが、全部崩れちゃったような気がして……」
梓は、僕とは違う。隠している部分があったとしても、それも本当の自分だと思って誰かと接している僕とは、まったく違う。
「でもね、意見文でカミングアウトしたことは、後悔はしていない。人生で一番と言っていいくらい、勇気を出してやったことなんだから、後悔なんてしたくないでしょ? それに、理解して寄り添ってくれる人だっているし……。ちゃんと私は、自分のことを幸せな人間だって思ってる」
いろんな価値感。後悔はしていない。理解して寄り添ってくれる。幸せな人間だって思ってる。
あまりにも前向きで、純粋で、分かりやすくて、それでもどこか自分を、そして僕を納得させようと必死な言葉が、僕にとってはただただ耳が痛い。
梓は深呼吸をして、頭の中に書き留めてあるのだろう稚拙な言い訳を唱え始める。
「でもね、実は、中学を卒業するちょっと前から、自分に違和感があったの。私、本当に同性愛者なの? って。その頃は受験だったり卒業式の準備だったりでバタバタしてたから、自問自答してる暇なんてなかったし、まだ頭の中がもやもやしてたから。でもね、高校に入って長い間を過ごして、光基君のことを忘れられない自分に気づいて、私はやっと確信したの」
ああ、うるさい。
「私、男性も女性も好きになる人間なんだって」
部活帰りなのだろうか、体操服姿の髪を染めたガタイのいい学生たちが、自転車で通り過ぎていく。
「でももう、それに気づいた時には心がぼろぼろになってて……。今は大学に行かずに、ずっと実家で静養してて。心が落ち着いてそれで、やっと、言えたの……」
梓は目元にせき止めようのない涙を溜め、力が抜けるように、笑みを浮かべながら言った。
「だから、お願い……。私を、自由にして……」
梓の自分勝手で精一杯な言葉を、僕は受け取る。僕は心を鬼にする。僕が言わないといけない言葉は、たったこれだけ。
「ごめんなさい」
梓は胸を抑えて泣いていた。膝から崩れ落ちて、わんわんと泣いていた。年老いたおばあさんが通り過ぎて、この男に泣かされたのか、なんて言われて、梓は、違います、誰も悪くないんです、とくしゃくしゃに大声で言い返した。小さな混乱が起こったこの橋の上で、僕はただ、俯いて立っているしかなかった。
やがて梓は立ち上がり、ありがとうとお礼を言い、花火の上がる方へと去っていった。
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