第三十話 延長線

「ふーん。なんか青春小説の延長線上みたいな話だな」

「優ってたまに傍観者気どりするの好きだよね」

「う……」

 痛いところを突かれた顔をして、目の前で座っている優はそんな声を漏らした。

 梓たちとのカラオケを終え、僕と優はマンションの近くにあるカフェに来た。前から気になっていて、ご飯ものもあるから今日がちょうどいいと思ったのだ。

 白と黒を基調とした、少しだけレトロなカフェ。

 少し気怠そうな目をしながら机に肘を預けている優を見ながら、何だかミスマッチだな、と思う。突飛なアイデアを持て余したような優は、少しだけ退屈そうだ。いつも自室ではパソコンとにらめっこしているか、ベッドでスマホを眺めているかのどちらかくらいしか見ないから、優とおしゃれな場所、というのが少しだけ結びつかない。まるでちょっと不器用な合成写真みたいだ。

「てか俺にこんな場所、柄じゃないでしょ」

 本人も同じことを思っていたみたいで、僕はふふっと笑った。

「なに笑ってんの……」

 優は僕を睨みつける。

「いやいや。まあでも、優くんも自発的に外に出ないと。最近外出るの検査とか仕事くらいになってない? 日光浴びないと危ないよ? ビタミンD取らないとね、様々な病気のリスクが……」

「あーわかったわかった」

 そんなこと分かりきっているという風に、優は右手を出して遮ってきた。テーブルに優の腕の影がまっすぐ通る。

「てか、日光なら家で浴びてるし」

「優くんが家で浴びてるのはブルーライトじゃないの?」

「なあ、知ってるか。ブルーライトってのはな、直接人体に悪いってわけじゃないらしいぜ」

「お待たせいたしました」

 タイミングを見計らったかのように、店員が注文したものを運んできた。僕も優もターメリックライスのカレーを頼んでいた。僕達はとりあえずいただきますと声を合わせ、優は温度に気を付けながらカレーを口に運ぶ。

「で、何だっけ。カラオケの帰りに、友樹は光基に、同性愛者である梓が好きだって打ち明けたわけか」

「うん。なんか、他人事だと思っても、やっぱり複雑でさ。なんか、落ち着かないっていうか」

「まあ、気持ちは分からなくもないよ。でも、それはどうしたって他人事だよ。俺らは俺らで大変なんだしさ」

「やっぱり、どうにもできないよね」

「人の悩みに簡単に踏み込んで、変に革新的な言葉残して去っていく方が失礼だ。自分の言葉に責任持てない人間だってこと、簡単に周囲に見せびらかすことになるよ。光基も、嫌って程分かってるだろ?」

「……うん」

 その言葉を聞いて、中学の久保田先生のことが頭に浮かんで、すぐに振りほどいた。トラウマの引き金に指が触れてしまいそうだったからだ。

「光基は、特に何もしなくていいよ。意見文のことを話題に出さなかったのは正解だと思う。連絡が来たら、無理のない範囲で付き合ってやればいい。忘れるな。光基はっていう概念と接しているんじゃない。っていう人間と接しているんだ。履き違えない方がいい」

「……うん。やっぱりそうだよね。ありがと。聞いてくれて」

 心にすとんと、優の言葉がパズルみたいにはまり、自分の思っていることが確かな形へと変わった気がした。優の目はどこか鋭くて重くて、何かを見通している。きっと僕は、優のそういうところが人として好きなのだろう。

 昼食を終えると、スマホのバイブレーションが鳴った。梓からのラインだった。

『今日は付き合ってくれてありがと! そういえば、優君の小説読み終わったよ! 感極まって泣いちゃった……。別の作品も読んでみるね!』

 僕がその文を読み上げると、優は照れくさそうに、

「ありがとうって返しておいて」

 と言った。

『優から、ありがとうだって』

 と送ると即座に既読がついて、返信が返ってきた。

『著者から直接! 今私凄い特別な気分!』

 こんなことで元気をもらえていたらいいなと、心のどこかでそんなことを思った。


 ***


 ああ、またこの夢か。と沼の中を歩きながら思う。幸せなはずなのに、こういった夢を、僕はまた見てしまう。

 赤と白。赤と白。赤と白……。

 この先には、多分出口などない。水平線のように、沼が続いているだけ。いつも真っ暗で、瞬きとか呼吸とか発汗とか、そうしなければいけないという風に、足が動く。

 ピタッと、頭の上をいたずらのように小指で突っつかれるような感触がした。その感覚は小さいながらも回数を増してゆき、雨が降ってきたのだとすぐに理解した。

 すぐに霧が立ち込め、周りが見えなくなる。それでも方向感覚は誰かに守られているかのように狂うことはない。

 ――ねえ私、こんなに辛いんだよ。

 ささやきのような、女性の声が聞こえてくる。僕がすでに通り過ぎた、後ろの方から、ずっと、掠れた声が聞こえてくる。

 ――私、いつになったらおとなになれるのかな。

 うるさい。と思ってしまう。かすれた声なのに、妙に耳障りで、心をざわつかせてくる。あの人はこんな声を発したことすらないのに、どうして、こんな形でここに現れるのだろう。

 ああ、きっと僕は、あの人と接するのが、怖いのだ。

 僕と同じようで、まるで違っている。いつかの僕を見ているような気分になる。どうしていいかわからない人と接する立場に、自分はいつの間にか立っている。

 だけど僕は、あの人とはどこまでも違った場所にいる。声の発生源は、きっと僕と同じ沼ではない。

 僕は一体、どうしたら。

 自分で発した想いがずっしりと心にのしかかる。頭の中で発火したかのような衝撃を受けたとたん、僕は目を覚ました。

 

 



 

 

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