第二十九話 蟠り

「じゃあ今日はありがとね!」

 駅前で梓はそう言い、身を翻して踏切を渡りながら、僕と友樹に振り返って手を振った。梓が渡り終え、踏切が鳴り始めると、僕達は改札を通った。ちょうど電車の到着時刻だった。

 僕達は改札を抜け、乗車する。電車の中の空気はどことなく乾いていて、ほとんどの座席が空いていた。

 僕は座席の一番端に、友樹はその隣に座った。ドアが閉まり、電車は走り始める。

「ちょっとさ、ここじゃないとできない話、していいか?」

 そう友樹が切り出したとき、何気ないゆったりとした意識が、一気に張り詰めた。今まで感じていた後ろめたさが形になって表れる。そんな予感をはっきりと感じ取った。

「うん。いいよ」

 きっと、友樹が今からする話題は、僕が今まで避けてきたものだ。

 電気のついていない車内が一層うっすらと影を落とし、また別の駅に到着する。ドアが閉まるまで、僕達は黙って待った。誰も乗車する人はおらず、また進み始めると同時に薄暗い膜は剥がれ、友樹は切り出した。

「光基もさ、あの時のこと、覚えてるよな。梓が意見文で、クラスの前で言ったこと」

 声に出すのが精いっぱいだったのか、電車の音にかき消されそうな声で言った。

「うん。覚えてるよ」

「そうか。あの、ありがとう。そのことを話題に出さないでいてくれて」

 やはり、友樹も気にかけていたのか。

「言ったらいけない気がしたから」

 窓から入る明るさが、じんわりと汗ばむような錯覚を僕に与える。コーンポタージュの濃い風味が、まだうっすらと僕の口の中を支配している。

「……今さ、梓はああ見えてちょっと疲れてるんだ。心の傷を癒してるっていうか……。まあ、少し昔の友達に会って、発散したい気分なんだよ」

「何か、あったの?」

 不穏な声色を感じ取ってしまったが、訊かずにはいられなかった。

 返答に詰まっているのか、少しだけ間があったから、

「あ、話せる範囲でいいよ……」

 と付け足した。少し踏み入れたらいけない気がしてしまった。

「梓さ、大学生とかじゃないんだ。実家暮らしで、バイトしながら過ごしてる」

「……」

「高校でいろいろあったみたいなんだ。詳しいことは言いたくないし、梓も言ってほしくないと思うからこれ以上は言わないけど、とにかく高校時代に色々相談されてさ……。梓にとってそのことがトラウマになってるんだ。自分のことを張り切ってみんなに打ち明けたことでさえも、彼女にとっては忌わしいものなのかもしれない。……だから、これからも話さないでもらえると助かる」

「うん。わかった」

「……そこでさ、こっからは俺の勝手な感情なんだけど」

 自虐的な笑みの含まれた声色で、投げ捨てるように友樹は切り出した。肘を膝の上に預け、少しだけ友樹は前かがみになる。


「俺さ、梓のことが好きなんだよね」


「……」

 考えもしなかった言葉が飛んできて、僕は何も言えなかった。友樹は馬鹿馬鹿しいという風に口角を上げ、視線を床に向けている。電車が駅に到着し、ドアが開いても友樹はそのまま話を続ける。

「色々協力していくうちにさ、梓のこと、守ってやりたいって思うようになって……」

 ドアが閉まる。駅に並んだ広告が加速度的に通り過ぎていく。

「俺は感情を抑えてたけど、もう隠しきれないって気づいたんだよ。でもさ、光基も分かるだろ?」

 友樹は諦めた顔で、力のない笑みを僕に向けた。僕は何も答えられなかった。

「好きになっても仕方ないのに、俺ってバカだよな」

 バカ。疲れ切ったときに、床にバッグを放り投げるみたいに力なく、友樹はそんな言葉を放った。だんまりでいるのも違うと思った。そうじゃないよと変に励ますのも違うと思った。心の中にあったのは、だから、僕にどうしろっていうんだよ、という自分勝手な気持ちだった。

 気まずすぎる時が流れ、電車が到着する。

「じゃあ僕、ここだから」

 僕は逃げるように、それでもゆっくりと立ち上がる。

「ごめん。こんな話に付き合ってくれて」

「ううん」

 僕は電車から出る。カラッとした熱い空気の中放り出され、インクが水の中で拡散されていくみたいに、僕は虚しくなっている。電車は加速し、繋がれていた糸を強引に断ち切る。

 きっと、受け止めるだけで良かった。聞いているだけで良かった。でも、どうしようもないくらいのわだかまりが心の中に残っていた。

 優に早く会いたくて、僕は階段を登った。

 

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