第二十六話 意見文
中学生の文化祭に向けたイベントの一つに、意見文というものがあった。クラスメイト一人一人が主張したいことを作文に起こし、教室の前で発表し、文化祭での意見文の代表を選ぶというものだ。
基本的に真面目に聞く者もいたが、作文を読み上げるだけの時間に退屈していたり、現実逃避的な妄想に浸っているのか仏頂面をしている者もいて、教室の緊張感はどことなく弛緩していた。しかし、梓由香のスピーチが始まると、一気に雰囲気は張り詰めたものになったのだ。
中学三年生のその日、梓由香は、自分が同性愛者であることを意見文でカミングアウトした。
彼女の声色は誰にも分かるほどに、胸が張り裂けそうなほどに悲痛で、真っ直ぐで、切実だった。彼女は、普通じゃない価値観の人間がすぐ近くにいること、そして同性愛者である自分を隠さずに生きたいということを、真っ向から主張した。
当時の僕は、彼女が同性愛者であることよりも、彼女の思い切った行動に驚愕した。それと同時に、同性愛者なのならカミングアウトが可能なのだというショックも味わった。何故なら彼女は、周囲が同性愛者というマイノリティーなら受け入れるという事を分かっていたと思うからだ。僕の性嗜好を誰かに明かしたところで、僕は誰にも理解されないし、僕という存在を受け入れられず排除しようとするものまで出てくるかもしれない。
だから僕は、その後の梓の立ち振る舞いに、少なくとも妬みを覚えてはいた。
梓はその後も自分は平気だという態度を周りに見せつけ、女子や男子とも対等に接し、クラスのリーダー的存在であり続けた。クラスメイト達も彼女を受け入れ、いつか誰かが言った、協調性のあるクラスの雰囲気を深めていった。
高校卒業後、梓はどうなったのか、僕は知らない。
カフェと話した時の梓は、どこか表面の自分を演じているような気がした。変に明るい人格を作っているように思えたのだ。
ふと、まるで僕みたいだなと思ってしまったのだ。
***
「光基ー。帰りおせーよ」
共同の自室に入ると、優はチェアーを回し、肘を掛けながら不満そうに言った。
僕は一瞬優の体の全体を見回し、傷が付いていないかという事をチェックしてしまった。室内には小説や参考書などの本が入った突っ張り棒のついた背の高い本棚が立て掛けられていたり、パソコン用のコードが引かれていたりするから、どこかで怪我をしないか心配なのだ。彼も気を付けているから、怪我をすること自体はあまりないのだが。室温も常温を保っているようだ。優の体温も、きっと正常だろう。
「ごめんごめん。ちょっと用事が入っちゃって。あ、今日はさすがに時間ないから、弁当だけどいい?」
僕は片手で背負ったリュックを勉強机の隣に置きながら言った。
機嫌を戻してもらえないかとちょっとした希望を抱き、僕は弁当屋さんのレジ袋を掲げた。中にはハンバーグ弁当が二つ入っている。テイクアウトだから、今頃は丁度常温だろう。
「ハンバーグだよ」
「……まあ、許してやろう」
そう言いながら優はチェアーを立つ。
バカ舌め、と心の中でちょっかいをかけながら、僕達はリビングへと向かった。
「で、なんで遅れたの」
隅っこにちょこんと添えられたポテトサラダを口に運びながら、優は訊いた。
食事の際はテレビをつけないようにしているから、僕達の食卓はどこか静かだ。
「えっと、なんていえばいいのかな。梓由香さんって覚えてる? 中学の時の」
優は急に話題をすり変えられたと思ったのか、箸をくわえた後に訝し気な表情を浮かべた。僕は慌てながら話を続ける。
「あの人と大学前で会ってさ、久しぶりだねってカフェで雑談してたんだよ」
「ふーん」
ポテトサラダを噛みながら優はそう返した。飲み込んで、その後少し考えるようなそぶりを見せ、はっとした顔になって、優は僕に訊いた。
「あ、あの人か、私は同性愛者です! って堂々とカミングアウトした」
「そうそう。その人。そんなに声張って言ってなかったと思うけど」
そういえば、優も三年生の時はクラスが同じだった。
僕は優の棘のある口調が気になり、訊いた。
「もしかしてさ、優はあの時の事、あんまり良く思ってなかったりする?」
僕がそう訊くと、優はピタッと箸の動きを止めた。優は若干理論的なところがあるけど、表情は結構分かりやすいんだよな、と心の中だけで思う。
「良く思ってないっていうか、勇気あるなって思ったんだよ。自分をさらけ出すって、相当体力のいることだし、それが変えようなのないキャラクターとして自分にも周囲の人間にも定着するじゃん」
優の言わんとしていることは、分かる気がした。
自分の性質をさらけ出してしまえば、隠していた自分、どんなイメージでも塗り替えられる自分に戻ることはもうできない。どれだけ馬鹿にされようと、嫌われようと、ゆるぎない自分を信じる道を選ばざるを得なくなる。
「梓にはその覚悟があったんだなって思っただけ」
その言葉は冷たく、皮肉のようにも思えてしまった。
「本当に、あったのかな」
「梓はなんて言ってたの?」
「別に、何も言ってないよ」
「意見文のことも?」
「言ってない。楽しく話しただけ。久しぶりに会って暗い話題を持ち込みたくないし、してほしくなさそうだったから」
「それもそうだな。でも、そういう雰囲気だったら、逆に何かありそうとも思える」
「別に、詮索しなくてもいいよ」
そう言って、僕はハンバーグの端っこを箸で切って口に入れた。閉じ込められた肉汁の旨味が、疲れた僕を励ましているみたいだった。
「まあ、それもそうだな」
すると急に、横に置いてあったスマホのバイブレーションが鳴った。
待ち受けには、梓からのラインの文章が表示されていた。
「あ、梓さんからだ」
「え、連絡先交換したんだ」
「うん。あ、『優君の小説買ったよ! 今から読むとこ!』だって」
「え、光基、俺の小説の事話したの?」
「うん、だめだった?」
「ダメじゃねえけど。なんか恥ずいな……。『パラフィリア』とかじゃなかったらいいけど」
優はちょっとだけ頬を赤らめた。確かに『パラフィリア』は性的嗜好がテーマの小説だから、梓に読ませたくない気持ちは分かる。
「あ、『痛みをおしえて』の方だ」
ラインの画面には、梓の撮った『痛みをおしえて』の表紙の写真が載っていた。
「ああ。あれなら大丈夫かな」
『痛みをおしえて』は最近刊行された、痛みを知らない少女と自分を傷つける癖がついてしまった少年の話だ。概要に反したラブコメディーのような二人の関係が人気を博し、どこか不謹慎で癖になる会話のブラックジョークさが人気なのだ。
「まあ、内容はぶっ飛んでるけどね」
「俺の小説にぶっ飛んでないやつないでしょ」
優はふふっと笑ってから言った。
「確かに。でも自分で言う?」
「いいじゃん別に。あ、梓にありがとって送っといて」
「うん」
僕はそう返した。『優がありがとうって言ってたよ~』という文を送信し、『わ~い』とミニキャラが喜んでいるスタンプが返ってきた。
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