第二十五話 繕い
カフェの店内はそこまで混んでおらず、僕は通路を歩く人々の流れをなんとなく目で追っていた。
「今は何してるの、大学?」
向かい合って座る梓はそう訊いてきた。梓が久しぶりに話そうよと言って来たので、近くにあるカフェに入ったのだった。試験も終わって、特に用事もなかったので、僕は梓の提案に乗ることにした。優には、僕の帰宅を少しばかり待ってもらうことになるが。
「うん」
興味本位で訊いてくる表裏のない梓の表情は、今になっても変わらない感じがした。中学生の時は、梓と関わることはほとんどなかった。学校を休んだ日にプリントを届けてくれたり、委員会の活動で共同作業をすることになる程度だったが、僕の中では梓由香という人物は、中学生時代を共にした人物の中では結構強烈な印象を残した人だったのだ。
だから、先ほど久しぶりに大学前で会ったとき、僕は純粋な意味で動揺した。
それは、僕が梓に対して好意を抱いていたからという理由ではない。どう接していいのか分からなかった、ただそれだけの理由が、あそこで僕を動揺させたのだ。しかし、その理由が、ある意味女性とカフェに行く、ということを実現させたのかもしれない。
もしこの場を和也に見られていたら、勘違いを起こして嫉妬のあまり先を越されたとかほざくのかもしれないと、珍しくのんきなことを思った。
「もしかして、やっぱり医学部?」
「そうだよ」
「えー凄い! めっちゃ頭いいとこじゃん! 中学の時成績良かったもんね!」
梓が、解剖実習とかあるの、とか、レポートとか忙しいの、とか、一方的に質問してくるのに対して、僕はただその応答をするだけだった。何かこちらから訊いてもいいのかもしれないと思ったが、彼女の触れられたくない部分に触れてしまうことを恐れ、僕は何も訊かなかった。
きっとそれが、この場においての一番の最適な対応だったのだろう。
梓はきっと、一方的に質問をするだけで満足だったのだ。
店員がアイスコーヒーと抹茶ラテを運んできて、僕はアイスコーヒーを、そして梓は抹茶ラテを受け取った。正直味付きの飲み物は飲みたくないのだが、この場で何も頼まないのは憚られた。
「そういえばさ、他の人とは連絡とってる? 優君とか、凄い仲良かったじゃん」
そう言って梓は抹茶ラテの温度を確かめるように、ゆっくりと両手で優しい黄土色のマグカップに触れ、一口飲んだ。
優、という言葉が出てきて、僕はルームシェアのことを打ち明けるのを一瞬だけ
「ああ、ルームシェアしてるよ」
「え」
すると、梓はマグカップを置こうとする手を止め、一瞬だけ固まった。好奇心を含んだ瞳の光が止まった。消えるのではなく、不意に動きが止まったのだ。
「え?」
まずいことでも言ってしまっただろうかと思うと、梓はマグカップを置くと同時に声量を上げた。
「ええええっ⁉」
腰を上げて、オーバーに驚く梓。僕は声が出なかった。店内にいる人々が一瞬だけこちらを向いて、梓は、あ、すみませんと小声で言って椅子に座りなおした。
「え、ホントに? なんでなんで?」
「うーん、まあ、色々あって……」
色々という単語に含みをあまり持たせないように、僕は言った。話せば長くなるし、ここで話す必要もない。
「別に、友達同士って感じだよ。ほら、優くんは、あんまり一人で生活するのとか、難しいでしょ? だから、お互い助け合ってる的な……」
言ってしまって、これはもしかして女性にとってはかなりホットな話題になるものだったのではないかと冷や汗をかいた。それに、同性同士、というワードで話を展開させたくなかった。
白い天井から吊り下げられた電球の光が、僕の額を照り付け、余計熱くなる錯覚に陥る。
するとどこか安心した顔つきで、梓は納得したように言った。
「そうなんだ。ねえ、ルームシェアって大変とか聞くけど、実際どうなの?」
いったん平静を保ち、僕はありのまま答える。
「うん、まあ、家賃とか光熱費とか……。色々あるけど、そこらへんは何とかなってるんだ。優くん、実は結構売れてる小説家でさ」
「え、そうなの⁉」
梓はまた驚く。梓になら、ここまで言ってしまっても問題はないだろう。優は覆面作家ってわけでもないし。
「でも確かに、優君作文で、毎回終業式とかで賞状もらってたかも。それが今は小説家か~」
梓は懐かしそうに、それでも明るく話す。
「あ、そうだ。優君の小説家での名前教えて! 私読みたいかも! 電車で帰るから、駅の書店で買おうかな」
「あ、うん」
僕はその名前を言うと、梓はくすっと笑った。
「ほぼ本名じゃん」
その後も、僕達はたわいもない会話をした。今でも仲良くしているクラスメイトの事や、共同でやった委員会の仕事のことなど。逆に、お互いマイナスな話題は出さなかった。僕が一時期学校に通えなかったことや、梓が今、何をしていて、どういう経緯でこの市に来て、僕を見つけたのかということなどは、話さなかった。お互いにどこか取り繕った会話は、仄かに明るく、温かみを含んでいた。
「それじゃ、今日はありがとね。あ、そうだ、お互いに連絡交換しとこ。同窓会とかやりたいし、ライングループ、そういえば入ってなかったよね」
「うん」
「はいこれ、私のQRコード」
僕は梓の出したQRコードを読み取る。プロフィール画像とアイコンが表示される。プロフィール画像は、僕の住んでいた地域の夕焼けの景色。アイコンには、中学の時からの友達であろう、男性とのツーショットが載っていた。僕も見知った人であった。
「じゃあ、後でグループに入れとくから」
「うん、ありがと」
そうして僕達はカフェを出て、バス停で別れた。優にはラインで、ちょっと帰り遅れるねと送った。
***
河川敷の堤防の道路を、僕は走る。人々の流れに合わせ、僕はハンドルを掴む。車内は暗く、道路に沿って等間隔に電灯の明かりが灯っていた。近くも遠くもない山脈の上からは少しだけ星空が顔を見せ、その前ではビルや野球ドーム、マンションなどの都会の明かりが灯っている。
口の中に、少しだけ甘い感覚が残っているのが分かる。この感覚は、何気に久しぶりな気がした。あまり好みではない感覚だったのだが、僕はそれを水で流す気にはなれなかった。
頭の中では、梓のことを考えていた。
別に、ロマンチストな回想が始まるわけでもない。これといった、甘い思い出があるわけでもない。それに、梓自身が、そういった想いをしてこなかったのだ。
どうしてそんなことが言えるのか。
僕は、知っているのだ。きっと、優にも話せば覚えていることだろう。
梓は、同性愛者なのだ。
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