第十六話 底なし沼

 あれからずっと、学校に行けない日が続いた。一日経って、二日経って、段々こっちの生活の方が僕の心にすとんと定着していくような感覚を覚え、同時に焦りに駆られた。こんなに欠席日が多くなってしまえば、受験にも影響が出てしまう。

 僕は学校に行かない間、ずっと問題集の世界にのめり込んでいた。あの日の夕食前、読み損ねてしまった優の書いた小説の存在を拒むかのようだった。優は小学校の頃から、作文などで賞を取るような人で、趣味としてノートに小説を書いているのだ。今は優の書いた小説を借り、勉強机の上段の本棚に入れている。

 僕は、優のことを考えたくなかった。

 優が無痛無汗症という、現実離れした病気を持っているということを忘れたかった。これが、このことが現実なのだということを認めたくなかった。

 間違いなく少年の流血に興奮する自分は異常で、優の持つ疾患だって遺伝子の異常からくるものだ。

 時が進むにつれ、僕の持つ異常な感情への解像度が高まっていった。僕が一体何に興奮するのか、知りたくもないのに頭が勝手に性的対象を細分化してゆき、僕の中へと定着するように、僕は僕の底なし沼を探ってしまっていた。

 血を流す少年に興奮すること。対象となる人間は同年代の女性でも大人の男性でもなく、少年だということ。それに、苦しい表情や、悔しがる表情も僕の脳を刺激させるということ。出血量が多ければ多いほど良いというわけではなく、血の流れ方、勢い、色合い、様々な演出を含めて僕が興奮できるかどうかが決まっているということ。

 そんな一つ一つの嗜好を知ってゆくたび、僕は絶望した。自分はこんな人間なんだということ、それから逃れられないのだということを知り、自分が一つの形に収まっていくのが恐ろしくなった。

 

 昼ご飯は母の作ったお弁当だった。かにクリームコロッケに唐揚げ。普通なら、母は僕のために昼食を作ることなんてなかったんだと思うと、脂っこい料理がさらに重たく感じられた。

 母はあの後、僕の心に負担がないようにしてあげたいと言ってくれた。何か学校で嫌な目に遭ったり、何か悩んでいるのだとしたら、できるだけのことはしてあげたい、と。だけれど、僕は何も母に伝えることが出来なかった。母は優しく接してくれているが、僕が本当のことを話さないせいでストレスをためてしまっているのかもしれないと思う。だけど、ただ何もできない、何も話せない状況が続いてしまった。

 言えるわけない。分かってもらえるはずがない。

 僕のことを話してしまったらきっと、母は僕のことを人間として見なくなってしまうのではないか。そう思うと、僕の居場所なんてどこにもないのではないかとさえ思えてしまった。

 昼にあっている明るいテレビ番組は僕の気分を沈めるだけで、一人になった僕は部屋の中で、誰ともつながれなくなってしまうのではないかという虚脱感に苛まれていた。

 どうしてベットの上で横たわっているときでも、窓から見える空はこんなにも明瞭に、はっきりと僕の目に映ってくるのだろうと不思議に思い、考えるのも嫌になってくる頃、僕は目を閉ざしてしまった。


 僕を夢から現実に引き戻したのは、耳障りなインターホンの音だった。


 


 

 

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