第十一話 乖離(性描写あり)
次の日、教室に入ると、所謂お調子者である生徒の机の周りに男子が群がっていた。ちょっとなんで持ってきてるんだよ。見つかったらヤバいぞ。男子たちはザワザワと後ろめたさを愉しむような声をあげている。
「ん、何してるの?」
僕はただ興味だけでその男子の集団に話しかけた。そのうちの、僕のゲーム仲間の悠斗がこちらを向いて、にやにやとした顔で言った。
「いや、なんか陽介が通学路中でエロ本拾ってきて」
ヘロヘロとした声に僕は首を傾げる。
「エロ本?」
聞きなじみのない言葉に少し戸惑っていると、悠斗は言った。
「見てみる?」
僕の返答を待たずに悠斗は陽介の持つ本を取り上げる。
「ちょっと借りるわ」
「ん」
ほら見て、と悠斗はその本を広げて見せてきた。
悠斗の開いた本の中には、異世界が広がっていた。漫画の大きな枠の中にある、ありえないほど誇大化された女性の胸。快楽に目を細め、口を開けている卑しい女の表情。僕はまるでその様を、見たことのない生物を見るかのように不思議に思った。その漫画には男女のまぐわいの場面が事細やかに描写されていて、僕は、この年齢の人間には秘匿されているはずのものを、なんの躊躇も障壁もなく押し付けられたような気がして、一気に頭の中をがしっと掴まれたような感覚に陥った。
「めっちゃ興奮するよな」
悠斗はにやけながら本を閉じ、ポケットに手を突っ込みながら元の机に本を置く。ポケットに突っ込まれた手は、男性器のあたりにまで伸び、僕は悠斗のズボンに膨らみが生まれているのを一瞬だけ目に捉えた。
「そうかな」
僕はただそう言った。僕は悠斗の、興奮するよな、という言葉に共感できなかった。悠斗のように勃起しかけることもないし、にやけることもない。ただ、こんな感じなんだと思っただけだった。それ以外に何の感情も湧いてこなかった。
だけど、僕の発した短い言葉には、悠斗にとってはかなり強力な意味が込められていたようだった。
「え、マジ、興奮しねえの? へ~」
悠斗はつまらなさそうな顔で僕を見る。その眼には、仲間外れ、というニュアンスが含まれているように感じ、一気に僕は疎外感を覚えた。こんな感覚になるのは、実を言うと初めてではなかった。
中学生になり始めてから、悠斗はおかしな話題を振ることが多くなった。
……おまえ、……ってなんの意味か分かる?
……光基さ、勃起したとき何センチくらいになる?
……したことある?
……何カップくらいの女が好き?
……お前、女バージョンの……の名前って知ってる?
その悠斗の言葉には、お前もそういう話題分かるよな? といった圧が含まれているように思えて、そんな質問をされた僕は、意味の分からない単語に関して次々と質問をした。とにかく悠斗に置いて行かれたくないという焦りに駆られたからというのもあるし、分からないことは解き明かしたいという、僕の性からくるものでもあった。
だけどいつも、悠斗の持つ感情だけは理解できなかった。
いや、ここでは『悠斗の持つ感情』と言わず、『クラスの大多数の男子の持つ感情』といった方がいいかもしれない。僕は、クラスの大多数の男子は、女性の体に興奮を覚える傾向にあるのだと分かり、それと同時に、その興奮を共有して分かち合い、更に男子同士の中を深めているのだということも分かった。
僕は次第に、そんな男子の仲間から外れていくような感覚を覚えた。一回だけ、クラスの男子の言っていた行動を実行しようとしてみたが、上手く行かず、そうなってしまったところでどうしようもなく、僕はそんなとき、優の所へと逃げていた。
だから、今日の昼休みも優のいる支援教室へ行った。
「優くんいるー? って、また血が出てる……」
支援教室の引き戸を開けた瞬間、クーラーの効いた涼しい空気の塊が砕けて僕の肌を撫でると同時に、優の膝小僧からたらたらと流れる流血が目に入った。優は机に膝を預けて小説を読んでいて気づかなかったみたいだった。
「え、嘘……。うっわマジだ……」
優は椅子を後ろに引いて自分の脚を見下ろしてジト目でめんどくさそうな声を出し、文庫本に栞を挟んで机に置いた。
「とりあえず外の体育館の蛇口で足洗お?」
僕と優は周囲の視線を感じながら裏庭から体育館まで歩き、体育館の屋根の下にある蛇口を捻って優の傷を洗った。体育館の中からは籠ったバスケ部の声が聞こえてくる。
「あー、やっぱ油断してるとダメだな……」
赤い液体が荒い速さの水で流されていく中、優はぼそりと呟いた。僕は蛇口を止め、支援室から持ってきた救急箱にあるガーゼを取り出す。ねえ、優はどんな気持ちで日々を過ごしているの? と僕は漠然として思う。優は、何かに興奮して、性的な欲求を満たすことはないのだろうかと。
「なー、なんで俺傷ついちゃいけねーのかな」
優の膝小僧にガーゼを押し付けたところで、優はまた呟く。その言葉に、僕の胸はきゅうっと締められていく。優、怖いよ。僕はそう思う。優が、このままだとどこかに消えてしまいそうで、僕の唯一縋れる存在が何か良くないものに蝕まれていきそうで、怖かった。
「俺は辛くないってのに」
優の言葉には、怒りは含まれていなかった。ただ、めんどくさいというだけの、分かりやすい感情が含まれていた。
「僕は、辛いよ。優には、元気な体でいて欲しいって思ってるよ」
いつの間にか僕は跪いたまま泣いてしまっている。こんなつもりじゃなかったのに、僕はだらだらと涙を流す。
「あ、ごめん! そんなつもりじゃ……」
優は咄嗟にしゃがんで泣き始めた僕の両肩に手を当てる。僕は優に傷ついて欲しくない。精神的な意味でも、身体的な意味でも。でも、それは僕の自分勝手な感情だ。優が傷ついちゃいけない理由になるのだろうか。
優は僕を抱きしめて言う。
「ごめん。光基……。ひでえこと言っちゃったな……。俺が悪かった……」
心が、痛い。
悲痛な声が、優から発せられていることに気づき、僕はさらに視界をぐちゃぐちゃにさせる。
心の痛みは、僕の中にも、優の中にも存在している。優はきっと、人の心の痛みに誰よりも敏感なのだ。
「光基が泣いてると俺もつれえよ。そりゃ……」
優は何とか言葉を絞り出す。
「優、ごめん! 今日は色々考えちゃったっていうか……。心が苦しかったっていうか……」
必死に言葉を紡ぎながら僕は涙を拭う。そうだ。僕はいろんな焦りに心を飲み込まれ、苦しかったのだ。周りに無理して共感しなくても、僕には優がいてくれるじゃないか。
僕は優の方へ顔を上げる。
優は白い歯を見せて、無痛無汗症という言葉が似合わない、にかっとした笑みを僕に向けた。
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