第十二話 性差

「ねえ、優くん……」

 駐車場周りの、いつものベンチで僕達は優のお母さんが来るのを待っていた。

 この季節になると、五時になっても外はまだ明るかった。放課後の学校に響く声は活発で、その声が聞こえる度に僕の心は沈んでいった。

「なに」

 優は空を見上げながら返した。

「あのさ……。僕、おかしいのかな?」

「なんでそう思うんだよ」

「最近、悠斗とかの言ってる話題についていけなくてさ……」

「というと?」

 うーん、と、僕は頭を捻りながら今日のことを思い出す。こういった性的な話題を優に振ったことがなかったから、どのように要約して話せばいいのか分からなかった。

「なんか、やたらと変なこと訊いてくるって言うか……」

「あー、そゆこと」

 言いづらそうにしている僕の心境を察したのか、優はそう言った。

「あれだろ? 女子の胸が~とか、お前の何センチだ~とかだろ? ん、それだと小学生だな」

「え、ちょ、優くん?」

 僕は左に座っている優の顔を見た。優は平然な顔をしてごくごくと水筒の中身を飲んでいる。

 そんなわかりやすい単語を躊躇も恥ずかしげもなく、むしろ皮肉的に言い放つ優に戸惑ってしまった。読書量が多く、文章力に長けた優のことだから、そんなことも俯瞰的に見ているのかもしれないと、僕は勝手に想像した。

「どうせ時間が経ったら収まるだろ」

「そうなのかな」

「そうだよ。楽しいと思う話題なんて、飽きたらすぐにゴミ箱にポイしたがるのが人間だから。それが思春期の男子がする話題だったら尚更じゃん」

「……なんだそれ」

 僕はふふっと笑う。優も自分で言っておかしくなったみたいで、僕と一緒に少しだけ笑った。

「でもさ、僕、このままだと仲間外れにされるんじゃないかって気がして、なんか怖くて……」

「ん、仲間外れ?」

「うん……。友達の言ってることに共感できなくて……。女性に興奮するとか、よくわかんなくて……」

「ふーん。あ、だったらさ、あれじゃね? 今日俺んとこの支援の先生が光基の教室に来て道徳の授業したじゃん。俺も来てたやつ」

「あ、ジェンダーのやつ?」

 僕はその授業の内容を思い出す。確か、先生は親しみやすそうな、二十代くらいの女性の先生だった。授業を受けるのは初めてだから、新鮮な感覚だった。

 内容はジェンダーについての事だった。男性が男性を好きになったり、女性が女性を好きになったり、どちらの性別も好きになったり。そんな人たちがいることを教える授業だった。

 ジェンダーという言葉は、僕は以前に調べたことがあった。

 ジェンダーというのは社会的・文化的性差を表す言葉で、我々は、男性は青、女性はピンクというような、身近なところで固定概念を生んでしまっている、ということが調べたサイトに書かれていた。知的好奇心は湧いてきたのだが、そこまで検索結果が多いというわけではなく、僕は調べるのをやめてしまったのだ。だから、今日の道徳の授業は興味を持って聞いていた。

「その授業の中にさ、男が男を好きになることもあるってあったじゃん。光基、それじゃね?」

「えっ?」

 優がそう言葉にしたとたん、僕は顔を真っ赤にして、純真な目で見つめてくる優の方を向いた。

「ちょっと、それがほんとかどうかは、分かんない……」

 僕は俯いて、膝をついた両脚の間へ俯く。

「優のこと見ても、そんな感情湧かないし……」

 おどけてそう言うと、優はがははっと笑い出した。

「え、やっぱ光基が女になって彼氏選ぶとしたら俺?」

「は、どういう話?」

 僕は優のことをじっと睨む。優はまた吹き出した。

「はは、やっぱそうだよなー。俺達は普通に仲のいい友達ってことだ」

 優は嬉しそうに、夕焼けの気配がする空を仰ぐ。ぎざぎざとした無邪気な髪型が揺れ、少し口角の上がった優の、思考を巡らせる横顔を僕は見た。

「実はさ、あの授業終わった後、悠斗から『光基とよく一緒にいるけど、お前らだったりする?』って言われてさ、そんな簡単に道徳の授業で聞きかじった言葉使うなよって思ったんだよねー。あと普通に失礼だと思った。授業の意味あったのかね」

 笑い混じりで話しているけれど、きっと優は怒っているのだろう。僕も同じことを言われたら腹が立ったはずだ。

「なんでだろうね。僕達、一緒に居るのが落ち着くだけなのに」

 僕はぽつりとつぶやいた。

「そうだな……」

 優はそう言って水を飲む。五時のチャイムが聞こえてくる。その時、僕はとある違和感に気づいた。

「あれ、優のお母さん、まだ来ないね」

「え、ホントだ。なんでだろ」

 二人でこの事態を怪しんでいると、昨日来た車とは別の、黒い車が校門の前に止まったのを僕は目にした。緑色の網越しに、誰かがドアをゆっくりと開けて車から降りてくるのが分かる。

 校門に入って来たのは、一人のおばあさんだった。白髪が生えていて、カジュアルな服装で杖をついて歩いている。車の方には、男の人が残っている。

「あれ、俺のばあちゃん……。なんかあったのか?」

 優はそう言い、さっとベンチから降りて優がおばあちゃんだという人物へと駆けていく。優の表情は必死そうで、僕も優の背中を追いかけた。

「ばあちゃん、どうしてここに? 今頃はもうお母さんがとっくに来てる時間帯だろ?」

 おばあさんの所へと走った優は、何とか自分を保とうとしているみたいに、強い語気で訊いた。優は先ほどのおちゃらけた様子とは違い、焦りに駆られている。僕はそんな優を心配して、隣で眺めていた。

 優のおばあさんは、言いづらそうに応える。

「優……。えっとね……。お母さん、会社で倒れちゃったみたいで……」

 

 


 

 

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