【おふたりさま】前編

 何か知らんが、一方的にフラれた。


「今夜は飲むか」


 居酒屋ののれんをくぐる。いらっしゃいませ、と女性店員。


「お二人様ですか?」


 は、嫌味?


「一人ですけど?」

「……えっ」


 クソ、ふざけやがって。


「あの。一人じゃダメなんですか?」

「い、いえ。そちらの方はお連れ様ではないのですか?」


***


「そ、それではごゆっくり~」


 女性店員は僕、いや、僕らをテーブル席へ案内し、水を置いて去って行った。

 僕は今、見知らぬ女性と相対している。


「さて、説明してもらおうか」

「……」


 飲み屋の入り口で女性店員に指摘されるまで気がつかなかった、この女の存在。


 うつむきがちに顔を伏せ、そのうえ墨を垂らしたようなロングヘア―はその顔全体に暗い影を落としており、表情が読みづらい。


 着ているのは白いワンピースで、どことなく既視感を覚えた。そう、これは例えて言うなら、ホラー映画に出てくる幽霊みたいな雰囲気である。


「君は、僕のストーカーか何かか?」

「……」


 問いかけにも無言を貫いている。


「なんとか言ったらどうなんだ?」

「は、はい」


 つい口調が荒くなる。

 今の僕は、理不尽にフラれたばかりで苛立っているのだ。


「わ、私は、あなたの守護霊なんです」

「……は?」


 想定外過ぎる答えに固まる。

 もっとまともな言い訳は無かったのか。


「ウソだ。君は、ただのストーカーだろ!」

「ち、違いますっ」

「なんで黙ってたんだ? 何をでっちあげるか考えてたんだろ?」

「緊張していたんです。……恥ずかしくって」


 ……いや、恥ずかしいってなんだ。なんで恥じらう乙女のように髪の毛をくるくるといじりだしたんだ!? 

 どうでもいいけど、髪の毛めちゃくちゃ綺麗だな。


「僕は今日、フラれてしまったんだ。……浮気を疑われてね」

「……はい」


 他の女の影を感じる。

 そう言われ、すぱっとフラれてしまった。


「君、僕の元カノに何かしたのか?」

「……いえ、してません」


 でも、と自称守護霊は続ける。


「心当たりならあります。私、あなたのことが好き過ぎて、徐々に実体化していってしまったんです」


「好き過ぎると実体化するの!?」


「はい。どうやらそうみたいです」


「それで彼女が、君を僕の浮気相手と勘違いしたって言うのか?」


「多分、そうです」


 じゃあこの状況は……


「徐々に徐々に、君の影が濃くなって、ついぞ実体になって僕の前に現れてしまった、というわけなのか?」


「はい。そうみたいです。すいません……」


 恭しく頭を下げられた。申し訳ない気持ちを持っているのは分かるけど、まだストーカー疑惑が晴れた訳ではない。


「いくつか質問をしようと思う」


 僕は改めて、彼女に向き直る。


「……っ、はい」


 自称守護霊も僕を見る。よく見るとすごく可愛い。

 もっとその顔が良く見えるような髪型に切ってやればいいのに。どこの美容師だ、こんな優良素材を台無しにしてしまっているのは。


「そ、そんなに見つめられちゃうと……」

「ああ、いや、すまん」


 なんでこの子は照れてるんだ。そして、なんで僕も謝っているんだ。


「……こほん。気を取り直して」


 いかんいかん。こういうのはちゃんとしよう。


「君は、僕にいつからとり憑いているんだ?」

「あなたが6歳くらいの頃からでしょうか」


 そんなに前かよ。


「なんで、僕にとり憑いたの?」

「実はですね。私、元々人間だったんですよ」

「ほう」

「病院で入退院を繰り返す病弱な子どもでした」


 そう言えば僕も、小さい頃に入院していたことがあったなあ。骨折したかなんかで。


「辛い入院生活の最中で出会ったのがあなただったんです」

「へえ?」


 そういやあ、同い年くらいの女の子と同じ病室だったかな?

 ……昔過ぎて記憶が曖昧だ。


「その時、あなたが一生懸命リハビリする姿から勇気を貰いました。

 それから、私と沢山、お話してくれて。すっごく励まされたんです」


「そんなことがあったような無かったような」

「……でも、私はあなたが退院してすぐ、亡くなっちゃいました」

「そっか……」


 作り話の体で聞いているが、彼女の口からはウソっぽさを感じない。


「だけど、私はめげませんでした!」

「……え?」


 いや、今亡くなったって言ったよね? めげないも何もなくない?


「あなたともっと一緒に居たい。お話しできないのなら、せめて守ってあげたい。そう思った私は、霊界で守護霊試験合格を目指し、日々精進しました」


「守護霊に試験とかあるの?」

「はい。等級もあって、私は最上位の1級です」

「最強じゃん!」


 なんだ、その設定。


「それでですね。私、歴代最年少で試験突破したんですよ。これも愛の力ですかね?」

「そ、そうだね」


 あざと可愛く笑った守護霊。

 可愛いけど愛が重い!


「それで、6歳の頃にはあなたに憑くことができました」


 亡くなってから1年足らずということだ。相当頑張ったんだろうな。


「君がすごく頑張ったのも、嘘ついてなさそうなのも分かった」

「え、じゃあ信じてくれるんですか!?」

「いや。まだだ」


 さすがに守護霊だなんて非現実的だ。まだ信じるのは早い。


「僕とずっと一緒だったというのなら、僕について色々知っていてもおかしくないはずだ。僕に関していくつか質問をしよう」


「はい、なんなりと!」


 なんで楽しそうなんだよ。


「小さい頃に好きだった生き物は?」


 ニッチな生物だ。すぐには回答できま――


「ダイオウグソクムシ!」

「はや!」


 クイズ王もびっくりのスピードだった。


「ちなみにダイオウグソクムシは深海に住む巨大なダンゴムシのような海生甲殻類の一種で、中には体長50センチ程になる個体もいます!」


「僕より詳しいな!」


 ツッコむも、「い、いやあ、それほどでも……」と身体をよじらせている。褒めているというよりも、詳し過ぎてちょっと引いているのだが……。


「まあ、ダイオウグソクムシなんてみんな好きだろ」

「それはたぶん偏見ですよ!?」


 知らん。これしきで守護霊認定なんてするか、と強がってみる。


「ダイオウグソクムシと言えば、思い出す出来事があります」


 聞いてもいないのになんか語りだしたぞ?


「小学校の校庭で、ダンゴムシをいじめている男子を追い払ったことがありましたよね」

「あったなそんなこと」


 ダイオウグソクムシに似ているから、という訳でもないが、生き物全般が好きだった僕は、小さな虫をいじめる男子を見過ごせなかったんだ。

 でも、なぜかやんちゃっ子達は、僕が声をかけただけでひどく怖がって逃げ去った。


「あの姿に感銘を受けて、私、うっかり加勢しちゃいました」


 なるほど、彼女の仕業だったのか。


「何をしたんだ?」

「あなたの後ろで鬼の形相を作ったんです。……こんな感じで」

「ひい!?」


 突然、自称守護霊がリアルな鬼の形相に変化した。

 そういえばあのやんちゃども、僕を見るたび何かを思い出したかのように逃げていくようになったな。

 この鬼の形相に、トラウマ植えつけられたんだろうな……。


「ごめんなさい、怖がらせちゃって」


 一瞬で元の可愛らしい守護霊の顔に戻った。


「懐かしいですね~。昼休みにダンゴムシにばかり話しかけている時はちょっと心配しましたけど……」

「やかましい」

「まあ、お友達いなくても、私が憑いて」

「次の質問」

「はい!」


 なんとなくヤンデレ路線に彼女が突入しそうだったので、いそいで次の質問をすることに。


「中学生の頃に拾った猫の名――」

「こめたん!」

「……正解」


 早いんだよ。


「車に轢かれそうなところを、助けたんですよね。め―――っちゃかっこよかったです!」


「聞いてもいないことまで言わなくていい」


「こめたんに言った言葉、今でも覚えてますよ。『大丈夫? ケガはないか? 僕が守ってあげるからな』……って。きゃ―っ! 尊い―!」


「一言一句とも言った覚えが無いんだが!?」


 記憶を美化し過ぎだろ! 

 ……しかし、あの時は子猫ともども轢かれそうな体勢だったのだが、不思議と車が避けてくれて無事だったんだよ。


「……あの時も助けてくれたのか?」


 車に轢かれそうなところを助けるとか、守護霊っぽい。


「ふふふ。何もしてませんよ。私はただ、車の運転手に視えるように一瞬だけ実体化して睨みつけただけです。急ハンドル切ってもらえて助かりました!」


「やり方が守護霊っぽくないんだよなあ」


 どちらかというと怨霊だった。


「でも、ありがとうな」

「……ふぇっ!?」


 しまった、うっかりお礼を言ってしまった。

 まだ彼女を守護霊と断定していないのに。


「そ、そそそ、そんな、お礼言われる程のことじゃないですよ!? いや、ほらね、守護霊ですから? それくらいとーぜんってゆーかー」


 感謝されるのに慣れていないのか、突然壊れたかのように挙動不審になった。

 端的に言うと可愛かった。


「次の質問に行こう」


 彼女へ対する何かが目覚める前に、次の質問へ。


「どんどん答えちゃいますよっ!」

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