第4話 この世界に、魔法は存在しないのですね
○
駅前のマクドにて、少女の陰鬱な叫びがこだまします。
「やらかしたあああああああああああああああ!」
店のテーブルに突っ伏しておめおめと泣く彼女は、当たり前のように
「あの、どうか、げ、元気を出してください……」
臆しながらも声をかけるのは
「うぅ……が、がんばるよ……」
元凶に頭を垂れる様は少し奇妙です。
「わ、私、わかっていますから。先ほどは、その……魔力が尽きてしまっただけ、なんですよね……? 本当なら空間魔法か肉体魔法か……。と、とにかく私、綿貫さんを信じてますっ」
誇大な妄想を信仰する様はかなり奇妙です。
そして口を開いたのは、三人目の少女でした。
「全く、落ち込むくらいならいいですけれど、あまり大声で喚かないでくださいませ。たかがクラスの皆様の前で生き恥を晒しただけでしょうに。ええ、あれはもう生涯忘れ得ぬほどの大スベリでして……くふふっ」
「めちゃくちゃバカにしてんじゃん!」
バカにされている綿貫さんが飛び起きました。
「あら、それだけ元気があれば心配ありませんわね。ごきげんよう」
「ご機嫌はよくない! アホ!」
「何でしたっけ? 『指取れる』?」
「ぐはっ」
綿貫さんは沈みました。
「今日から高校生だというのに、先が思いやられますわね」
様子をうかがっていた成宮はおろおろするばかり。二人のやりとりに割り込むこと叶わず、綿貫さんをまたも見殺しにしてしまいます。
「もう
奈落から響くかのような綿貫さんの呻き声を、鈴鹿井さんという少女は一笑に付します。
「あら失礼な。あなたが今にも路傍で朽ち果ててしまいそうな様子でしたから、こうして慰めに付き合ってあげていますのに」
「じゃあ鈴鹿井の家の前で倒れてやる……」
「迷惑すぎますわ。そこまで来たら自分の家に帰れですの」
これまた適当にあしらって、鈴鹿井さんは成宮に微笑を向けます。
「成宮さん、もっとポテトを摘んでいいんですのよ」
「え、あ、はい」
三人は各々がドリンクを注文して、Lサイズのポテト一つをシェアしていました。放課後の寄り道、夕食前の時間帯でのエコな選択です。
綿貫さんもよろよろとポテトを口に運びつつ、二人に言います。
「ぬるっと入ってきてるけどさ、鈴鹿井のことなんて成宮さん何も知らないんじゃないの」
そうでした。すっかり馴染んでいる新顔の彼女、何者でしょう。
「あら、確かに。隣の席ですのに、まだ丁重にご挨拶できていませんでしたものね。では、改めまして、」
教室の座席配置にて、成宮の右隣には綿貫さん、左隣には鈴鹿井さんが座っています。ちなみに成宮は極度の緊張のせいで鈴鹿井さんのことを全く記憶できていなかったのですが、さすがに口に出すことは自重しました。
「私、鈴鹿井
鈴鹿井さんは明るい色の髪を編んだ少女でした。
すっと背筋の伸びた姿勢と振る舞いには気品が感じられます。マクドのポテトを摘む所作さえも実に優雅でお淑やかです。切れ長な双眸が友愛の弧を描いています。
「昔から綿貫には世話を焼かされておりますわ。粗忽なところが全く治りませんで」
「ふん、私由来のエピソードでしかアイデンティティを出せないやつが何言うか」
綿貫さん、言うときは言いますね。
「あらあら、私はもう三人のご学友とLINEのIDを交換していましてよ」
「う、嘘だッ!」
そんなすぐバレる嘘を鈴鹿井さんがつくはずもなく、スマホの画面にて秒で赤き真実が突きつけられました。ドヤ顔でした。
「ぐぬぬ……」
「綿貫が死に至る余興に身を投じている間のことですわ。明暗ここに分かれましたわね」
「何だと、パチもんお嬢様のくせに!」
「パチもんじゃねーですわ!」
ぐるる、と火花を散らし合う綿貫さんと鈴鹿井さん。相変わらず成宮は蚊帳の外です。ということは蚊ですね。というのは冗談です。
その様子に気づいてか、鈴鹿井さんが冷静な部分で成宮に声をかけました。
「こほん。成宮さんも、よろしければIDを交換してくださいませ」
「っ、はいっ! こちらこそ、です……」
スマホをいそいそと取り出す成宮。
「いいなー。成宮さん、私とも交換しよ」
「綿貫には後で私から教えて差し上げますわ」
「何でそっちに頭下げなきゃいけないのさ」
という具合にして、無事に綿貫は二人とお友だちになりました。SNSの形式上の、と限定して。
「よかったですわね、綿貫。これで当面ぼっちになる心配はご無用ですのよ」
「うっさい。ぼっちになるって決まってないやい」
「意地を張らずともよいですのに」
鈴鹿井さんはオレンジジュースのストローを咥えて、喉を潤します。
「それにしてもあなた、いつの間にあんな芸を覚えましたの? ずいぶんとお盛んでしたわね」
「盛り上がることをお盛んって言うな。春休みにちょいちょい練習してたの」
そこで成宮が、蚊の鳴くような声で呟きました。
「あっ、えと、最近、習得されたんですね……」
魔法を。
「そうだよ! YouTube見ながら適当にだけどね」
手品を。
「ゆ、ゆぅちゅぅぶ……?」
すれ違う成宮を後目に、会話はつつがなく進んでいきます。
しかし、成宮でさえも、徐々に気づくのでした。
この世界における魔法への理解、その違和に。
「そろそろ帰ろっか」
三人はマクドを出ます。
入学初日にしてずいぶんと長く放課後を満喫した彼女たちも、夕暮れを迎えつつある空の下、それぞれの家路に就こうとしていました。
「私と鈴鹿井は電車で上りだけど、成宮さんは?」
「ぁ、私は、このまま歩いて……」
連れ添いを打ち切りたいがための嘘、というわけではありませんでした。成宮の今世での住まいは、駅から徒歩十分ほどの賃貸アパートの一室にあるのです。
「へー、おうち近いんだね。綿貫は成宮さんのツイートにいいねしました」
「スパブロ不可避ですわ」
鈴鹿井さんが横から架空のスパム通報とブロックを行います。
綿貫さんと鈴鹿井さんが向かう私鉄の駅と、成宮の向かう自宅は反対の方角にあるようでした。
「本日はここでお別れですわね。ごきげんよう。どうぞご自愛くださいませ」
「アスタラビスタ~、成宮さん」
「もう、はしたないですわよ。普通にご挨拶できませんこと?」
「お前が言うな」
線路沿いの道にて、それぞれが歩み出します。ここでお別れ。そのはずでした。
「あの、ごめんなさい!」
まるで叫び慣れていない、ぼろぼろの帆を張る幽霊船のような声が響きました。何事かと振り返ったのは、綿貫さんと鈴鹿井さん。
叫んでいたのは、成宮でした。
季節は春。肌寒い風。夕方の陽差し。初めて歩く街の香り。着慣れていない制服の、硬い布の縫い合わせ。教科書やプリント類が詰まって、重く引かれる通学鞄。行き交う人や車により、絶えず振動するアスファルトの地面。
彼女にとって何もかもが鮮やかであるはずの新たなる世界に、余計なものまでも見出そうとします。成宮は声を振り絞ります。
「魔法」
綿貫さんが本日のトラウマを思い出して危うく崩れ落ちかけ、鈴鹿井さんに呆れ顔で支えられます。
「き、今日は店じまいだよ。いつか今度ね」
店ではないですが、先手を打ちました。綿貫さんの苦笑いです。
成宮は首を横に振り、そのまま寄辺を失うかのように顔を伏せます。
「もしかして、なのですけど」
浅い呼吸を幾度も繰り返し、やがて言葉にします。
「綿貫さんは――魔法使いではないのでしょうか」
上目遣いに世界を見ます。対峙というにはあまりに弱々しく、求めれば与えられるはずと信じた一縷の望みに縋る、切なる瞳。
「……!」
綿貫さんは、魔法使いではありません。初歩的な手品をかじっただけの、普通の少女。
だからこそ、心に迷いが生じました。何かはわからないけれど、わからないまま、必死な様子の成宮に手を差し伸べてやること――。
「私は、」
「魔法なわけありませんわ。ただの手品ですわよ」
刃の主は、鈴鹿井さんです。淡々と言って、小首を傾げます。
「ずっとお話していたでしょう。綿貫のあれは手品。少し練習すれば綿貫でさえ習得できる程度の余興に過ぎませんわ」
「ちょっと、鈴鹿井」
「失礼。それなりにお上手でしてよ。けれど、魔法と言うには大袈裟もいいところ。そういうキャラ付けや世界観作りは、もう少し腕を磨いてからにすべきでなくて?」
「いいでしょ別に!」
またもや始まる二人の小競り合いに、成宮が巻き込まれることはもはやありませんでした。
成宮は心を遥か遠くに置きます。やっと見つけたと思った希望が手のひらから零れ落ちていく、同じくらいの虚しい速度で、息を零します。
「……この世界に、魔法は存在しないのですね」
ささやかな言葉でありながら、目の前の二人に聞き逃されることはありませんでした。幸か不幸かは別にして。
「え、当然でしょう?」
鈴鹿井さんが容赦なく、いえ、常人らしく言い放ちます。
「えっと、うん……」
さしもの綿貫さんも目を瞬かせながら頷きます。成宮が誇張や比喩ではなく文字通りの意味で『魔法』という言葉を使っていたのだと、ようやく気づかされたのです。そのうえで、存在を否定せざるを得ません。
だって、この世界では、魔法とは空想の産物なのですから。実在しないのですから。
「……っ!」
悲鳴を胸の中に収めることが、成宮にできた唯一の自制でした。そして、抑えきれぬ激情に駆られ、彼女は踵を返して走り出しました。
「成宮さん!」
追いかけるは、綿貫さんです。
しかし、綿貫さんの足が止まります。線路を横切る踏切があり、耳をつんざく警報を鳴らし出したのです。
先を行く成宮が構わずに飛び込んでいき、綿貫さんは下りてくる遮断器に阻まれて、それ以上追いかけることはできませんでした。
時間が、痛いほどに長く感じられます。
列車が通り過ぎ、視界が開けます。そこに成宮の背中は見えませんでした。
遮断器が上がります。追いかけようとは思えませんでした。
「綿貫」
「……うん」
鈴鹿井さんに促され、ややあって綿貫さんは駅へ向けて歩き出しました。
「ひどいこと言った気がする」
「そうかもしれませんわね。でもあれは、」
「鈴鹿井が」
「私だけですの!?」
「冗談だって」
綿貫さんの乾いた笑いが春の大気に溶けます。おとなしい成宮がいなくなって、より一層静かに感じられる。奇妙な時間でした。
「魔法とかって、成宮さん本気だったのかな」
「中二病でないのなら。知り合ったばかりですし、図りかねますけれど」
まだ半日しか共に行動していない成宮のことを、わかるはずもなく。
「でも、否定したことが間違いだとは思いませんわ」
鈴鹿井さんは表情を引き締めて言い切ります。
「本気なればこそ本心で向き合うべきなのです。綿貫だって、そう。魔法だなんて誤魔化しで虚勢を張ってはいけませんわ。しかと実体で挑みなさい」
綿貫さんはまだ浮かない表情のまま、
「私の手品なんてさ、タネも仕掛けもばりばりあるんだけど」
「いいじゃありませんの。あればあるほどいいですわ」
「えー、そういうこと? でもなあ……」
「喜んでくれる人だって、いるでしょうに」
頭をよぎるのは、成功の手品に沸いていたクラスメイトたち。
「拙くったっていいんですの。そのうえで成宮さんのためを考えて、」
「わかった!」
「早っ」
「言うよ! 私!」
閃きを得た鈴鹿井さんに、もう迷いはないようでした。先ほどまでとは打って変わった晴れ晴れしい表情となって、スマホのメモ帳アプリを開きます。忘れないようにと書き込んだのは、一つの単語。
『トランプ』
気恥ずかしいただ一言を口にするためのアイテムでした。
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