第3話 タネも仕掛けもありません
○
自己紹介や諸々の説明なども終えた頃、折よく鳴りしチャイムが少女たちに一日の終わりを告げました。
ようやっと弛緩した空気が教室を流れ、少女たちは年頃らしいあどけなさを取り戻します。
逸早く帰路に就く者は少なく、多くがまだ教室に残り、共に輝かしい新生活の始まりへ夢を馳せます。まあ、有り体に言えばグループ作りというやつですけれど、有り体に言わなくたっていいのです。
微笑ましい雰囲気が漂うはずの教室の一角に、奇妙な光景がありました。
ええ、
「ま、魔法を……!」
鬼気迫る表情にて、呼吸を荒げながら成宮は言います。
「もっと私に、み、見せてくれませんか? 魔法……」
成宮が他人に何かを求めるなんてことは、前世において数えるほどしかありませんでした。だからこそ、不得手にも挙動不審になってしまうことは避けられません。
そんな彼女を受け入れてくれるとすれば、バックボーンを存じているか、もしくは純粋な優しさを持っている人に他ならず。
幸いにして、綿貫さんは後者に属するようでした。満面の笑みで応えます。
「おお、リクエストありがとう、成宮さん! 任せといて!」
手品を魔法と呼ばれても深く問わないこと、そして成宮の顔と名前を覚えてくれていること。そういう神対応こそがまさに奇跡であり魔法であると言って過言ではないのですが、その真理に気づくレベルに成宮はまだ達していません。
そして綿貫さんの手品ショーは始まりました。
「ここに鳩がいます」
「い、います」
ぬいぐるみですけどね。
「3、2、1、それ!」
右手に載せた鳩に注目を集めたかと思いきや、何もなかったはずの左手に別の鳩のぬいぐるみが出現していました。先生に怒られていたので、煙は抜きです。
「ふふん、どや」
「召喚魔法ですね!」
違います。
「そうとも言うよ」
言いません。
「次なんだけど、成宮さん、五百円玉持ってる?」
「あ、持ってますっ」
そうして硬貨を受け取った綿貫さんは、
「あら不思議! あっという間に五百円玉が十円玉に」
「錬金術まで使えるなんて!」
銅にも錬金術って言うんでしょうか。まあ、そもそも手品なんですが。
それからも綿貫さんの手品は続き、その度に成宮は誤った解釈のもと興奮するのでした。
「空間魔法ですね!」とか。
「浮遊魔法ですね!」とか。
「幻惑魔法ですね!」とか。
「読心魔法ですね!」とか。
「火炎魔法ですね!」とか。あら、火気厳禁なのに。
実情はどうあれ成宮のリアクションがあまりに大袈裟なものですから、教室に残っていたクラスメイトたちがその声を聞きつけて徐々に集まってきました。たちまち綿貫さんを囲むギャラリーの輪が出来上がります。
「おー」「すっごーい」「やるなー」「やば」「かっこいいー」「まじマジシャンじゃん」
まともな感性とテンションでもって、綿貫さんの手品ショーを楽しんでいます。
こうなってくるとまともなテンションでいられなくなりつつある人が、一名おります。誰かと言えば、そう、綿貫さんです。
――すごい! 何をやってもウケる!
大人の世界ではこれを確変と言います。自己紹介のときの静寂が嘘のようです。
――うわっ……私のエンターテインメントスキル、高すぎ!?
綿貫さん、ツインテールに違わぬ浮かれやすい性格でした。
と言っても、彼女を責めることなどできません。
高校入学初日というハレの日において、同級生十数名の視線を一身に浴びては拍手と歓声をかっさらう輝きのステージに立ってしまっては、まるで自分を超の付くほどアイドルのマスターみたいに思って酔いしれることだってあるでしょう。
「今度の鳩は――あの子のスカートの中!」
「きゃっ!」
「と思わせて、こっちでした!」
またも煙を噴き上げて、綿貫さんが鳩のぬいぐるみを手元に出現させました。
「もう、びっくりした」
「ははは、ごめんなさいね、お嬢さん」
一同、笑い。手品に小粋なジョークまで織り交ぜられては綿貫さんの独壇場は固いです。
「さて、盛り上がってきたところでそろそろ、」
「まだ魔法を見せてください!」
サクラと見紛うような声を飛ばしたのは、成宮でした。まだいたんですね、というのはここだけの冗談です。
「ははは、わかっているともさ」
変な口調。そして変な口調のまま、綿貫さんはギャラリーに投げかけます。
「誰か、五百円玉を持っているお嬢さんはいる? 次はコインを使ったとっておきのマジックをお見せししようかな」
さて、考えてみれば、至極当然のことです。
最初のギャラリーは成宮ひとり。それが手品を続ける中で少しずつ人が集まってきて、ようやく今に至るわけですから。初見の人たちに向けて、最初のほうと被るネタを披露することなんて、当然のことなのです。
基本的な社交スキルと教養さえある人ならば、気づいても指摘するはずがないのです。
「あの……」
成宮が、おずおずと手を挙げました。
「その魔法ですが、さっきも見たものですよね……?」
空気の読めない成宮が、空気を凍らせました。
しーん。
あなたこそ氷結魔法の使い手かな、という声も人知れず。辺りは静まり返ります。
クラスメイトたちの視線が疑惑の色を伴って綿貫さんに集中します。まあ実際には同情とかに近いのですけれど、綿貫さん本人にはよりネガティブなものに思えました。
――ヤバい! ネタの少ない人だと思われてしまう!
今日の主役は私だと言わんばかりに教室を沸かせていた立場から転落することを、綿貫さんは良しとしません。何よりここで盛り下げてしまっては私を信じて付いて来てくれた皆が可哀想だ、と綿貫さんはエンターテイナーの性分を覚醒させます。覚醒させてしまいました。
衝動。焦燥。しかして本当にネタはもうありません。
――どうしようどうしようどうしよう……!
致命的なポイントとしては、綿貫さん、マジシャンが最も使用すると言って過言ではないあのアイテムを今日は持ってきていませんでした。ええ、汎用性抜群のあのアイテムです。鳩のぬいぐるみばっかり持っているくせに何をやっているんだという感じですが。
――神様、私に何か手をおおおお!
神に祈られたって困ります。けれど、手ならすぐそこにあるようです。
――何か手を考えないと……。ん? 手……? そうだ!
追い詰められた(気になっている)綿貫さんは、起死回生の一手を編み出しました。
「コインじゃなくて! 今からお見せするマジックは、これです!」
どれでしょう。
そんな思いで一同が見つめた先、綿貫さんの小さな手のひらがありました。それ以外には何もありませんでした。
「タネも仕掛けもありません。いいですかー?」
まさか、という疑惑が多くの人の胸に去来します。
綿貫さんは両の手を組み合わせます。親指をどうにかしたいようです。右手の親指を左手で掴み、次の瞬間、本当にやらかしました。
「指取れるー」
左手の親指を右手の親指に偽ってスライドし、あたかも一瞬のうちに分離と接合を行ったかのように見せかけるマジックを、綿貫さんは披露しました。
大スベリしました。
今度こそ、しーん、です。
「……」
波は寄せては返すもの。なればこそ、誰かが動かねばなりません。そしてその誰かとは、成宮でなければなりません。だって成宮が元凶なのですから。
時が止まったかのような静けさの中、成宮がぽつりと呟きました。
「え……それ、魔法じゃないですよね」
お前が冷めるんかい、とみな一様に思いました。
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