第74話「話をしたいから」


 ご飯を食べ、風呂に入り、ベッドに寝転がる。

 そんな、当たり前のことを当たり前に出来ているという事実を改めて噛みしめてしまう。今日、慰霊碑に行ったからだろうな。


 でも、うん。おかげで気持ちも改めて固まった。

 俺もまだまだ、あの戦争に囚われている。地球上の多くの人間がそうだろうし、藤村さんもそうなのだろう。その全てを救う力は俺にはないし、本当の意味で救えることはきっとないんだ。それでも、俺はやっぱり藤村さんのことを放ってはおけない。

 これは、わがままだ。自分勝手なエゴだ。自己満足だ。そう、わかっているならそれでいい。わかった上で、俺はするのだから。失敗しても、すべて自分の行動の結果だと割り切れる。


 その日の夜は、なんだかとても落ち着いて眠れた気がする。

 どんな夢を見たのだろう。覚えてないけど、なんだかすごく温かな夢だった気がした。


「お兄さん! いってらっしゃいです!」

「うん、行ってくるね」


 昨日あれだけ決意を固めたというのに、いざ、朝になって靴を履き外へ出ると、鼓動が速くなってきた。

 緊張してきた。昨日はなんだか落ち着いていたはずなのに、制服を着たあたりから吐き気がするくらい緊張してしまったのだ。

 どんだけ小心者なんだ俺は。通学路を進む足が、今にも止まってしまいそうだよ。

 こういうときに、何かどうでもいいような話をできる相手がいてくれると……。


「渚くん、おはよう」


 後ろから女神の声がした。


「おはよう、朱音」


 女神さまは小走りで駆け寄ってきてくれると、横でにっこり笑顔を見せてくれた。

 ああ、その屈託のない笑顔がとってもまぶしいです。神様、仏さま、朱音様。


「渚くん、緊張してるんでしょ?」

「え、なんで……」

「表情、ぎこちないから」

「あ、あははは……。はい、緊張しております」

「大丈夫。何があっても私は渚くんの隣にいるから。がんばって!」

「うん。ありがとう」


 そうだ。失敗してもすべてを失うわけじゃない。何度でも諦めずにトライし続けることもできるはずだ。


「あ、渚くん。そういえば……」


 そこからは、他愛もない話をした。お父さんも祖父母もいなくて、一人で家にいるのは新鮮だったとか、明日から栃木に行くのは寂しくなるとか、いつもと同じテンションで言葉を交わすことが、何よりも俺の気持ちを落ち着かせてくれた。

 そうして、いつものように学校へやってきて、別々のクラスに向かう。


 今日、必ず藤村さんとしっかり話をしよう。そう、もう一度心に決め、教室内に入ると、まず藤村さんの姿を目に捉えた。いる、良かった。

 不安要素と言うか、気になっていることは、すぐにどうにかしてしまいたいたちなので、今すぐにでも話しかけに行きたいが、もうホームルームまで時間がない。


 話しかけるなら……お昼が良いだろう。うん、そうだな。


 そうと決めたものの、いや、決めたからか、そこからはずっと上の空だった。授業内容など頭に入るわけもなく、先生のお言葉は、まるで意味の解らない説法でも聞くような気分で右耳から左耳へと華麗にスルーし、藤村さんのことを考えていた。


 なんて、話しかけようか。どうやって話を切りだそうか。話を聞いてくれるだろうか。

 下手に時間ができてしまったからか、考えれば考えるほど、どうにもネガティブな発想が頭を支配し始める。朝はせっかく朱音のおかげで、落ち着いていたのにこのざまだ。

 一時間一時間、刻一刻と過ぎていき、授業が終わるチャイムのたびに、俺の鼓動は速くなる。


 そんな息苦しさを抱えながらも俺は、四時間目の授業終了を告げるチャイムが鳴った瞬間、韋駄天をもしのぐ気持ちで藤村さんの元へと向かった。

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